Die Zeit heilt alle Wunden《完結》 作:ダイコクコガネ
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「あー! クソ! やっぱ降りやがった!」
ゼンベルは大声で叫ぶ。稀に見る豪雨という奴で、雨が地面や葉に叩きつけられる音で叫ぼうと周囲に音が響かない。そしてあまりの激しい大雨に、小型の肉食モンスター達は雨を避けるように茂みへ再び隠れてしまった。
「まさかこんな天気になるとはのう」
「今すぐモモンガ殿が帰って来て、魔法で天気をどうにかしてくれんものか……」
「無理じゃろ、ゴン坊。雲を操作する魔法は第四位階魔法にあるが、ここまで天候が確定しちまえば、〈
ゴンドとドドムが隣で喋る会話を聞きながら、ゼンベルは厄介な状況になったことを確信した。
(マジでヤバいな……この雨で、あのチビ共があのままどっか行ってくれればいいんだが)
あの小型の肉食モンスター……コンプソグナトゥスはモモンガが離れてから、こっそりと集まってきていることをゼンベルは気配で感じ取っていた。モモンガがいた時は完全に勝ち目がないことを悟っていたようで、全く襲う素振りを見せなかった。しかしゼンベルだけが残ったこの状況では、大きな肉を食べられると思っているようで、群れが集まって来ている。
勿論、ゼンベルだけならば何の問題もない。コンプソグナトゥスはゼンベルの鱗に傷一つ付けられず、むしろゼンベルに握り潰されて終わるだろう。だが、ドドムやゴンドはそうではない。戦士ならばともかく、二人では群がられると死にかねない。ゼンベルが一匹一匹引き剥がして潰していけば大丈夫だろうが、だがそのゼンベルが別のモンスターと戦っていた場合は大変だ。おそらく、それを危惧してモモンガもあの変な角笛を置いていったのであろうが。
(頼むから、何も来るなよ……)
この土砂降りでは、ゼンベルは奇襲を見逃す可能性が高い。初撃は相手に譲らざるを得ないだろう。だがそれでもゼンベルは全神経を集中して、激しい雨音に紛れるモンスターの足音を聞き逃すまいと耳を澄ませた。
雑音ばかりの激しい豪雨。それに紛れた、キィキィとか細く鳴く、コンプソグナトゥスの鳴き声。ドドムとゴンドの雑談。
そして――幾ばくかの時間が過ぎた時、ゼンベルの耳にコンプソグナトゥスが悲鳴を上げて離れていく音を聞いた。
「――――」
ゼンベルは微かに届いたその音に反応し、その方向を見る。急に何らかの反応を示したゼンベルに驚き、二人がゼンベルを見た。
「どうしたんじゃ、ゼンベル」
「何かあったのか?」
二人の反応に、ゼンベルは緊張感を持って答えた。
「――何か、来るぜ」
「!」
ゼンベルの言葉に二人は驚き、身構える。しかし激しい雨音で何も聞こえない。コンプソグナトゥスの悲鳴も届かない。何が起こったのか、さっぱり分からない。
一旦この場を離れた方がいいのか。ゼンベルは色々と考えるが――その全てを放棄した。考えるのはあまり得意ではない。だからこそ、全神経を向かってくる何かに集中させる。
聞こえるのは激しい雨音。何も聞こえない。茂みから、何も出て来る気配は無い。ゼンベルは奇襲されないように、茂みや森林から離れ岩だらけの方へ移動する。ドドムとゴンドも慌ててゼンベルについて行く。
何も聞こえない。激しい雨音。足音さえ無い。その様子にゼンベルはモモンガの言う不可視化する蜘蛛を思い出し――
「――――あ?」
ゼンベルはふと、自分の鱗に当たる雨が一部無くなったことに気がついた。雨は止んでいない。雨音だけで何も聞こえない。屋根などあるはずがなく、けれど体の一部が雨に当たっていない……。
「――ウオオオオォッ!?」
ゼンベルはその瞬間、叫び声を上げてドドムとゴンドを引っ掴み、その場から離れた。泥の上に転がるように跳躍し、その場から逃げ出す。
「ぶ!?」
「な、なん!?」
ドドムとゴンドがゼンベルの奇行に驚き、思わず口を開いて口から泥が入る。三人は体中泥まみれとなったが、ゼンベルは気にしなかった。そんなことよりも、大事なことがあるからだ。
ゼンベルはすぐさま身を起こし、先程まで自分達がいた場所を見る。
ばしゃり。そんな、明らかに雨音でない音が聞こえた。まるで、巨大な水桶を引っくり返したような音が。
「――スライム!?」
ゼンベルはその正体に思い至り、叫ぶ。ゼンベルは近くの石ころや木くずを拾い、投げた。石ころは空中で止まり、木くずも同じように空中で止まるが石ころと違ってじゅうじゅうと妙な音を立てて木くずは溶けていく。
間違いない。この物質の溶解現象は不可視化する蜘蛛などではなく、スライム系だ。だが――
「マジかよ……
ゼンベルはあまりの見えにくさに震え声を発する。どこにいるのか、よく分からないのだ。豪雨のおかげで水の動きが多少おかしいと分かるが、それでもあまりにこのスライムは見え辛い。
――スライム系モンスターには様々な種類がいる。例えば人間の都市の下水や洞窟に棲み、腐敗物などを食して生活するスライム・モールド。迷宮で冒険者達やモンスターの死体を漁る迷宮の掃除屋ゼラチナス・キューブ。伝説に聞くブラック・プディング。
彼らスライム系モンスターの多くは、ある特徴を備えている。知覚に対するマイナス効果だ。そしてこのスライムの名は、グレイ・ウーズ。
その特性は、冷気と火に対する完全耐性。更に透明化。石以外の金属や有機物を溶かす酸攻撃。
本来は寒冷地や湿地帯に棲むグレイ・ウーズは、溶岩流により温まったこの周囲には出現しない。トブの大森林の地下洞窟や、標高が高い山頂に近い場所に棲んでいる。
だが、それぞれのモンスターの縄張りが急に変動したことにより、こんなところにまで出て来ていた。
「ラ……〈
「闇雲に撃つなドドム! 絶対に当てられる状況じゃないかぎり撃つんじゃねぇ!」
スライム――グレイ・ウーズに第二魔法を使おうとしたドドムを止め、ゼンベルはグレイ・ウーズがいるであろう場所に突進する。
「こおぉぉおおおお!」
〈アイアン・スキン〉と〈アイアン・ナチュラル・ウェポン〉を発動させ、そのまま殴りかかる。――触れた。間違いない。まだここにいる。
だが――
「――――ぎッ!?」
異様な手応え。ぐにゃりとした気色の悪さ。そして――熱湯に拳を突き入れたかのような痛み。拳から伝わってくるぶるんという奇妙な振動。まるで形を変えたかのような――。
「うおぉぉお!?」
ゼンベルはすぐさま距離を離し、後退する。ゼンベルのいた場所がまたばしゃりと音を鳴らす。おそらく、グレイ・ウーズがゼンベルを捕まえて溶かそうと不定形の肉体を動かしたのだろう。
「……クソがッ!」
予想以上のやり辛さに、ゼンベルは悪態を吐く。スライム系モンスターと戦うのは初めてではない。リザードマンはトブの大森林の湖の近く――湿地帯で生活をするのだ。水たまりなどに化けるスライムと戦う経験は、リザードマンの戦士や狩人なら必ずあるだろう。
だが……それでも、ゼンベルが見たことの無いこのスライム――グレイ・ウーズに対して攻撃した際の手応えは、死闘の予感を感じさせた。
……それも当然だろう。ゼンベルの知らないことではあるが、グレイ・ウーズの難度は冒険者で言う金級である。ゼンベルが一人で討伐するには、手に余る難度と言っていい。
何せ、冒険者達の設定した難度はそもそも、複数人で当たることを前提にした難度なのだ。一対一で戦うことを前提にした難度になれば、途端にあらゆるモンスターの難度が跳ね上がる。
故に、ゼンベルは不利であった。前衛の、しかも素手で戦う戦士であるゼンベルにとって、接触すれば酸による追加ダメージを与えるグレイ・ウーズは天敵と言ってよかった。
そう……たった一人で戦うならば。
「〈
ゼンベルのもとへ支援魔法が放たれる。更に、〈
「ドドム!」
「わしが使える支援魔法はこれくらいじゃ! 前衛は任せるぞ!」
「ありがてぇ!」
ドドムが放った魔法により、ゼンベルの知覚が増幅された。ゼンベルは元々
更に――。
「オラァッ!」
ゼンベルが再びグレイ・ウーズに殴りかかる。相変わらずの、いやな感触であったが先程のような痛みは無い。あるにはあるのだが、少量だ。属性ダメージを軽減させる魔法を受けたため、酸による追加ダメージが減少したのだ。
(これなら――いける!)
ゼンベルは確信し、更に追撃を放っていく。ゼンベルの腕力に物を言わせた攻撃に、グレイ・ウーズは悶えた。ぶるぶると震え、ゼンベルに向かってその触腕を伸ばしてくる。
だが、今のゼンベルはそれさえ感知している。例え見えずとも、今のゼンベルには気配探知など容易い。ゼンベルはバックステップで距離を取り、グレイ・ウーズの攻撃を回避した。
そして、酸で拳が焼け爛れながらも――何度か攻撃を繰り返し、ついに。
「と、ど、め、だぁぁぁあああッ!」
ゼンベルがその巨大な右腕で最大級の一撃を放った。グレイ・ウーズは完全に沈黙し、粘着性を失ってその場に溶けていく。その肉体の跡も、豪雨で流され消えていく。
「つ、疲れた……」
ゼンベルはその場に座り込み、荒い息を吐く。そんなゼンベルにドドムとゴンドが心配して近寄ってきた。
「大丈夫か、ゼンベル!」
ゼンベルの両の拳は酸で酷く焼け爛れている。鱗や爪が溶けており、肉は勿論、筋肉の繊維まで見えているその様はグロテスクであった。ゴンドは真っ青な顔で口を押さえて、今にも吐きそうになっている。
「おう、なんとかな」
この状態では、満足な戦闘行為は行えないだろう。回復魔法も回復アイテムも無いので、フェオ・ライゾに帰るまで治癒も出来ない。
「角笛を吹いてフェオ・ライゾに帰るか?」
ドドムに手渡されたのであろう角笛を持ったゴンドの言葉に、ゼンベルは少し考える。
その沈黙をどう思ったのか、ドドムが頷いた。
「それがいいと思うぞ。モモンガ殿は勝手に帰って来れるじゃろうし、このままじゃわしらも危ないわい」
ゼンベルが戦闘出来ない以上、身を守る術はモモンガの渡したゴブリンを召喚するという角笛しか存在しない。だからこそ、それを使って急いでフェオ・ライゾに帰る方が生存率が高いだろう。
「……そうだな。そうし――」
ゼンベルは、言葉を途中で止めた。止めざるをえなかった。豪雨が不自然に、いきなり止んだのだ。その異常現象に思わず言葉を止めて、空を見上げる。絶句した。
突如止んだ豪雨と、呆然としたゼンベルの姿を見て、ドドムやゴンドも空を見上げる。そして、ゼンベルと同じように間抜けに口を開いて絶句した。
――空に、真っ赤な炎のとばりが降りている。太陽の如き美しい火のとばりが、雲を、雨を蒸発させて青空を覗かさせていた。
そしてその青い空に、真っ赤な流れ星が降っている。流れ星が円を描くように曇った空を横へ進む度に、火のとばりが降りて切り裂くように青空が見える。
その、あまりに美しい赤い流れ星の名は――
「ポイニクス・ロード……」
ゴンドが喘ぐ様に呟いたのを、ゼンベルは聞いた。赤い流れ星――いや、火の鳥は、煩わしい積乱雲を自らの肉体で蹴散らしながら、このラッパスレア山の上を旋回する。
その姿は、まさしく空の支配者。この姿を見れば、誰もがその二つ名に納得を示し、畏怖せざるをえないだろう。
ポイニクス・ロードは雨雲の全てを片付け終えた後、満足したのか山の頂へ消えていく。優雅に舞いながらもその輝きが消える姿は流れ星が墜落するような、そんな物悲しさを覚えた。
そして、雨は止み、空は澄み切った青空へと変貌する。ぬかるんだ地面と、木々の葉から滴り落ちる雫だけが、先程まで雨が降っていたことを証明する全て。
三人がしばらく、ぽかんと青空を見上げていると――背後から聞き覚えのある声がかけられた。
「待たせたな、ゼンベル。それにドワーフの御二方」
その声に呆然としていた三人は振り返り、モモンガの姿を確認した。どうやら、かなりの時間空を眺めていたらしい。モモンガの背後には、五人ほど傷だらけの亜人種達がいる。一人はリザードマンだ。リーダーのようで、先頭に立っている。
ゼンベルはそのリザードマンを見て驚いた。ゼンベルは、自分の姿がリザードマンの中でも異形と言っていいほど並み外れていると思っていたが、このリザードマンの戦士も負けていない。ゼンベルのように右腕がシオマネキのように巨大化していないが、しかしその分厚く盛り上がった筋肉は全体を覆っており、挙句引き裂かれたように左側の口の端が裂けてしまった跡がある。
そして、胸には旅人の焼印――ゼンベルはかつてモモンガが言っていた、ゼンベルと間違えたという知り合いのリザードマンは彼のことなのだろうと察した。
「……どうしました?」
三人の様子がおかしいことに気がついたのか、モモンガが首を傾げる。そんなモモンガに、ゴンドが今見たものを興奮しながら教える。
「さ、さっきじゃな! 真っ赤な火の鳥が! 空の雨雲を消し飛ばして!」
慌てたように告げるゴンドの言葉に、モモンガは「ああ」と納得したように頷いた。
「なるほど。ポイニクス・ロードを見たんですね。この山を登っていると、時々見かけますよ」
「アイツか……見てる分には綺麗だけど、襲われたら死ぬしかないよネ」
モモンガの後ろで、リザードマンが頷く。どうやら、彼らも見たことがあるらしい。
「襲われたらっていうか……君ら、よく生きてたな本当」
「ホント! 襲われたら死ぬしかないよネ!」
モモンガの呆れた声と、リザードマンの震える言葉に、ゼンベルはぴんとくるものがあった。リザードマンの仲間の四人も、少し明後日の方角を見ている気がする。
「なぁ……もしかして、襲われ」
「あー! あー! 思い出させないデ! 聞こえなイ! 聞こえなぁイ!」
ドドムの言葉にリザードマンが耳を抑えて叫ぶ。確定だ。どうやら彼らは、先程の火の鳥に襲われた経験があるらしい。
「しかし見つけた時は驚いたぞ。まさかあの変なチョウチンアンコウの胃の中にいるとは」
「モモンガさんが来なきゃそのまま死んでたぜ!」
「本当それ。生きたまま胃の中で一週間生活とか、気が狂うかと思ったよ」
他の亜人達がそれぞれ告げる言葉に、なんだか嫌なものを感じ聞こえないふりをする。詳しく想像したら、ゼンベルも発狂してしまう気がしたのだ。ドドムやゴンドも同じ気持ちだろう。真顔になって口を閉じていた。
だが、モモンガ達はそうではないらしい。
「ポイニクス・ロードに追いかけ回されたあげく、岩の隙間に落下して真下にいたあの魚に丸呑み……君たちは本当、なんていうか……うん。芸人として最高だと思うぞ。帰ったらこの出来事を歌にでもしてもらえ」
「ただの黒歴史じゃないですかーやだー」
平然とそのまま笑い合うモモンガ達に、ゼンベルはげっそりした。
(冒険者って……図太いんだな)
よく見れば、モモンガの胸元で光る冒険者のプレートと、彼らのプレートは同じ金属が使われている。気安い同僚なのかも知れない。
「ところで、そろそろ帰らんか?」
ゴンドの言葉に、全員が頷く。迷子だったという冒険者達も傷だらけであるし、ゼンベルも酷い怪我だ。ドドムやゴンドも泥まみれと擦り傷がある。服にさえ汚れ一つ存在しないのは、モモンガくらいなものだ。
「それもそうですね。君らはどうする? ドワーフの都市に寄って、休んでから評議国に帰るか?」
「あー、うン。出来ればちょっと泊めて欲しいかナ。ドワーフさん方、俺らは泊めてもらえそうかネ?」
リザードマンの言葉に、ドドムは「かまわんと思うぞ」と頷いた。冒険者達は口々に喜びの雄叫びを上げる。よほどお疲れらしい。当たり前であるが。
「じゃあ、さっさとフェオ・ライゾに帰るか。その前に、申し訳ないのですが角笛を返してもらっても?」
「あ、そうじゃったな。ほれ、返すぞモモンガ殿」
モモンガの言葉にゴンドが角笛を渡す。モモンガは角笛を受け取ると、懐にしまった。
「さて――じゃあゼンベル、帰りもしっかり頼むぞ」
そう言ってモモンガが懐から例の臭い袋を取り出す。ゼンベルの焼け爛れた両腕なぞ見えぬと言わんばかりのその行動に、ゼンベルは真顔になってモモンガを見た。
「…………冗談だ。そう、子犬みたいな目で見るな」
モモンガが気まずげに呟いて、懐に臭い袋をしまう。果たして本当に冗談であったのか――ゼンベルには判断がつかなかった。
なんとなく、本気のような気がしたが――精神の衛生上、冗談だと思っていた方がいいと判断し、ゼンベルは無言を貫いた。
帰りはこの人数だからか、それともあの火の鳥に怯えているのか、特に何かのモンスターに襲われることもなく、ゼンベル達はフェオ・ライゾへと帰還した。
「じゃあ、わしはまた報告があるから失礼するぞ」
ドドムはそう告げて、ゼンベル達と別れる。
「俺はちょいと神殿に行って、この傷治してもらってくるぜ。モモンガたちはどうするんだ?」
ゼンベルが両腕をぶらぶらさせながら訊ねると、モモンガがゴンド達を指差しながら答えた。
「私はこの馬鹿たちを紹介しないといけないからな、このゴンド経由で説明してくる。その後は少し別件の用事があるな」
「ここでお別れだネ、ゼンベル君。縁があったらまた会おウ」
モモンガはそう言うと、ゴンドと冒険者達を連れて去って行った。ゼンベルはその後ろ姿を見送った後、神殿へと向かう。
「――疲れたぁ」
呟くと同時、じくじくと、両腕がとても痛んだ。