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君を忘れない-京都大アメフト部恩師、仲間が墓参

本紙掲載日:2012-07-04
3面
故藤田俊宏さん
プレーする在りし日の藤田さん。俊足のRBだった

試合中の事故から30年、背番号26のRB藤田俊宏さんしのび-日之影

 京都大学アメリカンフットボール部「ギャングスターズ」のレギュラーとして活躍、試合中の事故で30年前に亡くなった日之影町七折出身の藤田俊宏さん(享年24)をしのぶため、当時の監督とチームメート14人が墓参りに同町を訪れた。

 藤田さんは延岡西高校を卒業し、昭和54年に京大工学部に入学。あこがれだったアメフト部に入り、持ち前の俊足で敵陣に切り込むランニングバック(RB)として活躍した。

 口数は少ないが、ひょうきんな性格でチームメートに愛され、4年生のときに副主将に選ばれた。「甲子園ボウル(大学日本一決定戦)出場」を合言葉に当時常勝を誇った関西学院大を破ろうと、練習に打ち込んでいた。

 その矢先の同57年5月3日、他大学との交流試合中、選手と衝突し頭を強打。退いたベンチで立ち上がれなくなり入院。意識不明のまま、約1カ月後の6月1日に息を引き取った。

 亡くなるまで、チームメートは毎日、24時間交代で藤田さんに付き添い、葬儀、四十九日を終えるまで一切練習はせずに、悲しみに暮れたという。

 その後、8月に練習を再開してからは「甲子園で(藤田さんと)再会する」との一心で黙々と特訓。関西学院大とは、関西リーグ最終節に全勝同士で対決。宿敵を破って昭和22年の創部以来悲願だった甲子園ボウル出場を果たし、藤田さんの生前の願いをかなえた。

 チームメートにとって、藤田さんの存在は卒業後も大きく、それぞれの進路に進んだものの、それぞれが藤田さんの墓参りを続けているという。

 今年は30回目の命日で、当時から監督だった水野弥一さん(72)=京都市=が昨シーズンいっぱいで勇退したこともあり、その報告も合わせ、水野監督と同級生4人、チームメートがそろって墓参りをすることにしたという。

 遠くは群馬県や出張中の北海道から駆け付け、道の駅青雲橋で藤田さんの父義廣さん(83)、母の和子さん(76)ら家族に迎えられた。一行はそのまま近くの墓に向かい、線香と花を手向け、一人ひとり手を合わせた。

 これまでも幾度となく日之影に来ている水野さんは、「今日まで監督を続けたのは藤田君の死があったから。面白くない時もあったが、彼を思うと逃げてはいけないと思った」と、自らの監督人生を振り返った。

 水野さんは墓前に手を合わせ、「いままで墓参りに来ても心晴れないというか、大きな借りを背負ってきたが、30年たち、引退を報告し、幾分気持ちが軽くなった気がする。みんなも墓参りは死ぬまで続けることだろう。素晴らしい仲間を持てたことを感謝している」と語った。

 藤田さんと同期で、同じRBとしてチームを率いた当時主将の松田明彦さん(52)=東京都=は、「彼はRBとして京大で名誉ある『26』の背番号を背負い、プレーの中心を担った。本当に365日練習した。彼の分までしっかり生き、今後も墓参りを続けていきたい」と故人をしのんだ。

 義廣さんは生前の藤田さんについて、「将来は旭化成に入社して延岡に赴任したいと思っていたようです」と説明。チームメートが変わらず続けている供養に対し、「こうして皆さんが忘れることなく墓参りしてくださり、ありがたくて、申し訳ないほどです。本人も喜んでいることでしょう」と感謝していた。


藤田さんの墓に手を合わせる当時のチームメートら(日之影町七折)
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