Die Zeit heilt alle Wunden《完結》 作:ダイコクコガネ
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「――以上が、ことの顛末になりますわ、陛下」
執務室。ジルクニフは秘書官のロウネと帝国四騎士の一人、“雷光”のバジウッド・ペシュメルとともに頭痛を覚えながら、そう報告を締めくくったレイナースの言葉を聞いていた。
「……聞くが、フールーダのアホはどうした?」
ジルクニフが震える声で問うと、レイナースは心底疲れ切った表情と声色で、ジルクニフに報告する。
「法国に関する書物を調べるとかで、一人転移魔法で先に帰られました。今頃は魔法省で書物を漁っているのでは? ……先にパラダイン様に報告しておかないと、モモンガ殿を追いかけ回す勢いでしたので」
「いや、いい……。よくやった、レイナース」
気絶から復活したフールーダはレイナースに詰め寄り、仕方なくレイナースはモモンガから教えてもらえた、同じような魔道書のある場所の情報を教えたらしい。確かに、これ以上モモンガの不興は買いたくない。レイナースは正しいことをした。
「……じいの魔法狂いも困ったものだ」
ジルクニフは盛大な溜息をつき、柔らかな長椅子に身を沈める。そのままごろごろと悶えたくなるが、人前であることを強く認識し、自重する。
「それで、モモンガの用件も無事分かったが――もう一度、訪ねそうか?」
「観光くらいは。ただ、冒険者組合にはもう顔を出しそうにありませんわ。依頼がありませんから」
「観光か……。そうなるとチャンスは少なそうだな。闘技場あたりで張った方がいいか」
帝国――特に帝都には闘技場や魔法省など、観光としての見所は多々ある。特に闘技場は周辺国家でも有名なので、何度か訪れる可能性は高いだろう。
「陛下。部下に引き入れるんで?」
バジウッドの疑問に、ジルクニフは首を横に振る。
「いや、話を聞くかぎり無理だろう。帝国に生涯仕えてくれれば助かるが、そういった性格じゃなさそうだ。人類に好意的だがあくまでその程度――やはり評議国寄りなのだろうな。仕方のないことだが」
異形種だと聞いた時点で、仲間に引き入れるのはほぼ諦めている。重要なのは、評議国との間にパイプを作ることだ。
モモンガはアダマンタイト級冒険者という地位を持ち、その強さは他のアダマンタイト級さえ一蹴するということが分かった。おそらく、この情報を知るのは人類圏では法国と帝国くらいなものだろう。そしてこのことから間違いなく、評議国の議員達とモモンガは何らかの繋がりはあるだろう。もしかすると、あの永久評議員達の誰かとも交友があるかもしれない。強さとは、それだけの価値があるのだ。評議員達が放っておくはずがない。
そんな彼から、帝国に好意的な印象を与えられれば帝国は他の国家より優位に立てる。潜在的敵国とは言っても、ジルクニフはさすがに評議国に喧嘩を売って勝てると思うような馬鹿ではない。種族としての寿命が圧倒的に違うのだ。出来れば友好関係を築いて、同盟国として末永くやっていきたいと思う。
そして評議国と仲良くやっていく上で、人間至上主義を掲げる法国との関係が少しばかり不安になるが――しかし、法国とて確実に分かっているだろう。評議国とは執拗に、隣同士にならないように避けている節があの国からは透けて見えるのだ。さすがの彼の国も、評議国と敵対するのは避けているのがジルクニフからは窺える。
帝国が王国に戦争を仕掛けるのを黙って見ているのも、おそらくそのあたりの事情があるに違いない。おそらく、彼らは帝国が王国を滅ぼし、帝国が評議国と隣接しても内心はどうあれ受け入れるに違いない。自分達が隣接するよりは、よほど安全だからだ。
国民感情とはそれほどに、細心の注意を払って気をつけなければならない、恐ろしい爆弾なのだから。
「それじゃあ、マジに普通に友好関係を繋げようってだけですかい」
「ああ。それが最善手だろうよ。王国を取った際の布石にもなる。――さて、レイナース。私が欲しい報告がまだ足りていないように思えるが?」
ジルクニフがそう告げると、レイナースは呆れたようにジルクニフを見る。レイナースはジルクニフに対する忠誠心が、もっとも低い騎士だ。実際、そこまでするジルクニフに呆れているのだろう。そして、こうしてジルクニフの言いたいことを理解し、呆れた視線を向けるレイナースだからこそ、今回の任務につけた甲斐があった。バジウッド達では、こうはいかない。他の三人はレイナースと違って、善良なのだ。
「そう言うと思っていましたわ、陛下。ちょっとよろしくないところの噂ですが、道中で調べておきました」
レイナースはそう言うと、ジルクニフに帝都のとある噂話を報告する。
「最近、ギガント・バジリスクの死体が闇市場で出回ったそうです。――ちなみに、我が国のアダマンタイト級やオリハルコン級冒険者たちの当時の居場所は、全て確認済みですわ」
「ふむ」
「それと、モモンガ殿ですが……どうも出来高制モンスター討伐という依頼制度を、つい最近まで知らなかったのだとか。組合で説明されて驚いていた姿が確認されています」
「なるほど」
「最後に――“フォーサイト”ですが、“歌う林檎亭”を拠点にしているようですわね。商人、神官、元貴族、ハーフエルフの四人組です。ワーカーでは珍しいことに、あまり悪い噂を聞かないワーカーチームですわ。ただし、少しお気楽なところが傷、といったところでしょうか」
「そうか! ――――で、
「正直に言わせていただければ、
「ふむ……」
ジルクニフは頭の中に天秤を描く。その天秤にそれぞれ比べるものを乗せ――すぐに結論が出た。
「よし。かまわん――
「かしこまりました、陛下。では
レイナースに退出を促すと、レイナースは一礼して執務室を去る。その後ろ姿を見送ったジルクニフは、よく分かっていないバジウッドの姿と、先程のやりとりで何が起こるか察し苦笑しているロウネの姿に続けて視線を向けた。
「さて、お前たち。モモンガについては一旦保留だ。じいには後で話を聞きに行くとして――今日の仕事を済ませようじゃないか。ロウネ、今日の予定はなんだったかな?」
「はい、陛下。本日のご予定は――」
ジルクニフの言葉に苦笑しながら、ロウネはスラスラと今日のジルクニフの予定を読み上げていく。彼らの頭からは、既に先程のやりとりについてすっかり抜け落ちていた。もう、終わってしまうことなのだから。
●
「いやー……それにしても、モモンガさんが太っ腹で助かったわ、ホント」
「まったくだわ……器がデカいってああいうのを言うのね」
ヘッケランの言葉に、イミーナが安堵の声を漏らす。ロバーデイクが苦笑しながら口を開いた。
「そうですね。正直、ギガント・バジリスクの死体を盗んで売ったなんて、普通なら許してもらえない所業です。モモンガさんがギガント・バジリスクの報酬程度まったく気にしない、余裕のある生活と実力をしていたおかげで助かりました」
ロバーデイクの言葉に、全員が同意した。幽霊船で全員で頭を下げ、罪を告白したのだがモモンガの返答は随分と素気ないものだったのだ。何せ――全く気にしておらず、別にいらないから好きにしろという返答だったのだから。
「今回は幸運だった。でも、もう二度とこんなことはしない」
アルシェがそう言うと、三人も同意した。もう、こんなことはこりごりだ。生きた心地がしなかった。ただより高いものは無いと強く実感した。
四人は“歌う林檎亭”に戻って来ている。そして、口々に今回の冒険について感想を語り合った。
「しかし、間近で見たけどやっぱアダマンタイト級は凄いな。全然勝てる気しなかったぜ。いや、まあギガント・バジリスクを一刀両断の時点で絶対勝てないと思ったけど」
ヘッケランの言葉を皮切りに、次々と感想を言い合っていく。
「アンデッドを召喚していたようですが、凄いですね。召喚したアンデッドの方も勝てる気がしませんでした。見事に手綱を取っていましたが、
「四騎士の“重爆”も初めて見たけど、あの人にも勝てる気しなかったわ。確か白銀近衛の隊長さんと同じ強さなんだったかしら?」
「その“重爆”が一〇〇人いても、モモンガさんに勝てるイメージが湧かない。あの人、凄い」
その日はモモンガやレイナースのことで、四人はとても盛り上がった。しかし、誰もフールーダについては話題にしない。必死に頭の外に追いやり、見なかったことにしようとしていたからだ。
帝国最強の
そして大分盛り上がった後――アルシェは席を立つ。そろそろ、自宅に帰らないといけない。
「申し訳ない。私はそろそろ失礼する」
アルシェの言葉に、他の三人は気にせずアルシェを送り出した。三人はこの“歌う林檎亭”に宿泊しているが、アルシェは別のもとへ去って行く。それが日常だったからだ。
勿論、三人はアルシェに何の理由があって宿を離れるのか知らないし、聞いていない。アルシェも話していなかった。そして、アルシェが帝都にいる時はいつもどこへ帰って寝ているのか気になるだろうに、聞かない三人にアルシェは感謝していた。とても、話せるような内容ではなかったからだ。
アルシェは夜道を歩く。アルシェが向かった先は帝都の一区画である高級住宅街だ。帝都でも非常に治安が良い区画なので、閑静な街と言えた。しかし、それにしては静か過ぎる。観察眼に優れた者ならば、この街が静か過ぎる理由にすぐに気づいただろう。
――人の気配が少ないのだ。数多ある家屋には、人の気配を感じられない家屋の方が多かったのである。
実は貴族達というのは帝国で年々減ってきている。鮮血帝に身分を剥奪され、邸宅を維持出来なくなった元貴族が多くいるからだ。いずれはこの高級住宅街も、貴族達の街ではなく財産を多く持つ、商人達の街となるだろう。
アルシェの家も、そうして貴族位を剥奪された元貴族の一つだ。もはやアルシェの一族――フルト家にはこの高級邸宅を維持する力は無い。ただの平民なのだ、既に。平民らしく、細々と生活するべきだった。
だが、それがアルシェの両親には分からない。もう貴族では無いのに、貴族と讃えられるような能力なんて無いのに、いつまでも貴族の地位に固執している。
結果、アルシェは全ての夢を諦めてワーカーになるしかなかった。魔法学院を中退したのはそのためだ。更に冒険者として一からやっていくより、ワーカーとして荒んだ生活をする以外に、彼女が家族を守りながら生活する方法は無かったのである。
けれど――そのアルシェに、一つの光明が見えた。今回のフールーダとの再会だ。
(師は、まだ私を覚えてくれていた)
更に、魔法省で席を一つ空けておいてくれるという。危険な仕事をするより、確実に安全に稼げる仕事だ。これなら、家族全員を養っていけるかもしれない。
ただ――ヘッケラン達三人のことを考えると、アルシェは安易にそちらへ進めない。自分が抜けて、彼らはやっていけるだろうか。
(少し、相談しないと)
アルシェは不安を押し殺しながら、後日のことを考える。彼らは優しいから、笑って送り出してくれるかもしれない。けれど、礼儀に欠ける真似はしたくなかった。
そうしてフールーダのことを思い出し――アルシェは少しだけ、不安を覚える。それは先程の仲間達に対する不安ではなく、もっと漠然とした、言葉に出来ない何かに対しての不安だ。
自分は、何か失敗していないか。何か妙な見落としをしてしまったのではないか、という言葉に出来ない不安。
……この時アルシェが感じた不安は、虫の報せとも言うべき第六感だった。短い間ながらも、貴族として生活したその経験が、アルシェに対して最大限の警報を鳴らしていたのだ。
アルシェの不幸は――“フォーサイト”の不幸は、たった一つ。あの場にいたのがレイナースだったことだろう。
例えば、他の三騎士――彼らであれば、“フォーサイト”は何の問題もなかった。“フォーサイト”がモモンガに頭を下げて謝罪している姿を見ても、彼らは何も気にしなかっただろう。その場で気にせず忘れていたに違いない。ジルクニフのもとまで、絶対に報告は届かなかった。
ただし、あの場にいたのはレイナース。四騎士の中で唯一、魑魅魍魎だらけの貴族社会にどっぷりと浸かっていた女である。他の三人は平民であったり、貴族でも男爵家の次男であったり……高貴なる者の機微にそこまで詳しくない者達だ。
レイナースはジルクニフへの忠誠心が薄い。だがそれは、決して、ジルクニフの機微を感じ取れないという意味では断じてない。むしろレイナースが一番、四騎士の中でジルクニフの裏の真意を感じ取れる人間だろう。
故に、レイナースは見逃さない。ワーカーがアダマンタイト級冒険者に頭を下げていた姿を。モモンガが帝国にとってどういう意味を持つのかを。
忠誠心が低いからと言って――主人の意を汲まない行動をするとはかぎらない。
ヘッケランは元々は商人の四男だった。ロバーデイクは元々は神官だった。イミーナはハーフエルフだ。そしてアルシェは、魔法学院という閉鎖空間で天才少女として育った。悲しいことに全員、貴族社会と縁が無かったのである。唯一アルシェには貴族として生活していた時期があるが、そのアルシェも悲しいかな。社交界デビューの前に貴族ではなくなってしまった。
だから、四人の不幸は一つだけ。あの場にいたのがレイナース……魑魅魍魎だらけの貴族社会にいた女だったこと。貴族社会は時として、モンスターなどより余程おぞましい姿を晒すのだ。
その社会で長年生きていた経験がある女は、“フォーサイト”を見逃さない。疑わしきは罰せよ。転ばぬ先の杖。念には念を入れよ――それが骨の髄まで染みついた女である。レイナースは
レイナースは、モモンガという重要人物の不興を買うような真似をした者達を見逃すほど、甘くない。優しくない。例え会話の内容が聞こえないように移動し、謝罪した姿を見せただけであっても、そこから徹底的に会話の内容を予測出来るよう情報を洗い出す。
実際にモモンガが不快に思っていたかどうかは、関係無いのだ。僅かな可能性だけで、それは
アルシェは言い知れぬ不安を胸に、家族の待つ自宅へ帰る。暖かな双子の妹がいる、自分が帰るべき場所へ。
――その後“フォーサイト”がどうなったかは、誰も知らない。
●
「ほら、君たちの目的の品だ。確認するといい」
モモンガは“O∴D∴U∴”の本拠地である地下遺跡、その応接室とも言うべき場所で用意されていた骨で出来た長椅子に座り、例の死者に依頼されたマジックアイテムを渡していた。死者はモモンガの手から、恭しく受け取る。
「確かに……ありがとうございます、漆黒の英雄殿。助かりました」
互いに、どういった経緯で手に入れたかは語らない。幽霊船の船長がどうなってしまったかは、火を見るよりも明らかだからだ。
「お眼鏡にかなうものはございましたか?」
「いや、一つも無かったな。まあ、所詮カッツェ平野から出たことのない井の中の蛙だ。集めていた財宝も、大したものは無かった」
「そうですか」
モモンガの落胆を滲ませた声に、死者も同情を寄せたようだ。モモンガが悲しめば、彼らも悲しい。それは崇拝者として、当然のことであると言うように。
「では、こちらが今回の依頼の報酬金となります。どうぞお受け取りください」
死者はそう言うと、モモンガに献上するように宝箱一杯に詰め込んだ交金貨などの硬貨を差し出す。宝箱は縦三〇センチ、横四五センチ、高さ十五センチくらいの大きさだ。ただし、骨で出来ており、趣味の悪さが窺えた。
モモンガは宝箱の中身だけを受け取り、骨で出来た宝箱はそのまま机の隅に寄せる。持って帰る気はまったくなかった。死者が悲しそうな表情でモモンガを見ているのは、たぶん気のせいだろう。
「ああ、そういえば――君たち」
「はい。なんでしょうか?」
用件は済んだと席を立ち、この場から立ち去る前にモモンガは死者を見る。見送りをしようと同じく席を立っていた死者は、不思議そうな表情をしていた。
「その、なんだ」
モモンガはかねてより考えていた、とある意見を告げる。
「いい加減、“O∴D∴U∴”という組織名は変えないか、うん。元の組織名に戻したらどうだ?」
モモンガがそう告げると、死者は慌てたように首を横に振った。
「とんでもございません! 偉大なる死の王から受け賜わった栄光ある名を捨てるなど! ……勿論、御方が別の名をとおっしゃられるならば、我らはそれを受け入れる所存ですが」
「あ、はい」
別の名前なんて与えられるわけがない。かつての友人達からは、揃ってネーミングセンスが皆無だと言われる男なのだ。今彼らが名乗っている“O∴D∴U∴”だって、組織の目的を聞いたモモンガがオカルト趣味であったかつての友人が教えてくれた魔術結社の名――“黄金の夜明け団”のことを思い出してぽろっと出た言葉を、神託だなんだと彼らが勝手に盛り上がり、そこに
これでモモンガが一から名前を考えると、中二病的な名前ではなく、もっと恐ろしい何かになっただろう。かつてギルド名に“異形種動物園”とつけようとして、仲間達に優しい微笑みを向けられたのは未だに忘れられない。
「うん、まあ、君たちがそれでいいなら、うん。それでいいさ……はぁ」
なので、モモンガはもうこの組織名については諦めることにした。どうせ世間に台頭する気のない組織だ。どこかの書物にこっそり名前が載るくらいなら、許容範囲だろう。モモンガはそう自分を納得させた。
「では私は帰るが――まあ、時折様子は見に来る。その時に、君らの研究成果を教えてくれ」
「かしこまりました、我が君」
モモンガの命令とも言える言葉に対して、死者に躊躇いは一切無かった。既に身も心も、魂さえも彼らはモモンガに明け渡しているからだ。便利ではあるが――正直、モモンガには迷惑な話である。
モモンガは地下遺跡を去っていく。そのモモンガの後ろ姿を、先程まで会話していた死者と――いつの間にか増えた、様々なアンデッド達が跪き、見送った。
「――ふぅ」
地上に出たモモンガは、空に浮かぶ満月を見上げる。そして友人のことを思い出し――「帰るか」とポツリと呟いて、評議国へと向かったのだった。