Die Zeit heilt alle Wunden《完結》 作:ダイコクコガネ
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この世界には、主に三つの種族が存在している。
一つは人間種。これは主に人間のことを指す。
身体能力が他の種族と違い大きく劣り、これといった特徴的な能力を持たない。世界的に見ても完全な劣等種族であり、現在の人間の住む周辺国家は他の種族に暮らし難い大陸北部の平野部に追いやられた結果だ。
二つ目が亜人種。人間とはかけ離れた姿をした者が多く、獣に似た姿の細かな種族が多くいる。ゴブリンやビーストマンがこれに当たるだろう。
そして、そうした獣に相応しい高い身体能力を持っていて、種族として強力な代わりに文明はあまり成長しない。だが大陸中央には大きな亜人種国家が六つほど存在し、現在大陸の覇権を争って日夜戦争を繰り広げていた。
最後に、異形種。人間とも、亜人ともかけ離れた姿をした者達。アンデッドやスライム、ドラゴンなどがこれに該当する。
彼らはかなり特異な者達だ。まず、大きな特徴としてはっきりとした寿命が無い。更に一部を除いて意思疎通自体が不可能に近いので、どういった生態をしているのかさっぱり分からない。いつ、どこで、どのように暮らしているのか謎の多い種族と言える。つまり端的に言って詳細不明。
世界には、主にこうした分類に別けられた三種族が存在し、更にそこから細かな種族に別れている。
この三種の中で、一番厄介なのが異形種である。寿命が無いというのは、それだけで強みだ。たかが一〇〇年も生きられない人間種、身体能力に優れていてもやはり寿命は人間種とそう変わらない亜人種。彼らと違って、異形種には老化という衰退がほぼ無く、そして際限なく知恵を蓄えることが可能なのだ。
時間の概念があまりに違い過ぎる――あまりに生命として異質過ぎる。それが異形種と分類される種族達だ。
「――なるほど。確かに異形種ならば、英雄譚が綴られないのも納得出来る」
ジルクニフはフールーダの話に、そう結論付ける。確かに異形種は異質であり、人間とはあまりに価値観が違い過ぎるために共存もほぼ不可能だ。それが出来るのは一部の知恵あるドラゴン達くらいだろう。そのドラゴン達だって、人間のことは敵対するほどでもない矮小な生命としか思っていまい。
人間と異形種は分かり合えない。意思疎通の出来ないスライム。人間を堕落させる悪魔。生命を憎むアンデッド――そして存在が強大過ぎるドラゴン。
英雄に力を貸す味方として、あるいは英雄譚を飾る最後の敵として。そうした特異な存在として物語に描かれることはあっても、主役として物語が綴られることがあまりに少ない異形種達。それが彼らだ。
“漆黒”のモモンガも異形種だというならば――確かに、この周辺国家で噂が耳に入らないのも当然だろう。十三英雄とて人間以外の存在が味方だったと知る人間は少ない。人間を重視する者達からしてみれば、他種族が活躍した英雄譚はあまりに都合が悪いからだ。
例え人間に好意を持つ異種族がいたとしても――大多数の異種族は人間を劣等種族として見ている。人間に味方するような者達は特異な者達なのだ。人間を受け入れている亜人の国家たる評議国でさえ、人間の姿は稀だ。そして竜王国の現状を思えば亜人種でさえ分かり合えないことがよく分かる。異形種など論外だろう。
それが、数多の偉業を達成しながら英雄譚が綴られない無名の英雄――“漆黒”のモモンガ。冒険者はその性質上、人員の入れ替わりが激しい職だ。十数年も経ってしまえば人間側は記憶が薄まってしまう。そしてきっと本人も、名声なぞ気に留めていないのだろう。そうでなければ説明のつかない異質さだった。
「しかしそうなると別の問題が出て来るな。……コイツ、一体何をしに帝国までやって来たんだ?」
ジルクニフはそう呟き、脳内で思考を巡らす。ジルクニフの言葉は全員の疑問だった。今更、名声なぞ欲してはいないだろう。権力にも興味があるようには見えない。今までの彼の行動が、それを裏付けている。
だとすれば、一体何をしに帝国までやって来たのか。評議国と帝国は遠い。王国を避けるならばアゼルリシア山脈やトブの大森林を越えるか、あるいは海路を選ぶか以外にない。
(……いや、第五位階魔法が使えるんだったな。確か転移魔法があったか)
転移魔法は皇帝として危険度の高い、警戒に値する類の魔法としてフールーダから幾つか見せてもらっている。移動距離の短い転移魔法もあるが、フールーダが行使する魔法は長距離の移動も可能としている。勿論、長距離を移動出来る代わりに何の準備もなく即座に移動出来るわけではないが。
しかし帝国も王国も――そして評議国も二〇〇年前は存在しなかった国だ。人間の国が出来る前に目印か何かをどこかにつけていて、転移魔法で移動した線も考えられる。フールーダに視線をやると、ジルクニフの思考が伝わったのか、こくりと頷いてその考えを肯定したように見えた。
つまり――帝国を通り道にしただけの可能性もある。偶然、その関所が邪魔だったというだけの可能性もあるのだ。そうなると考えすぎなだけになるが、しかし万が一は考えるべきである。
全員がそうして無名の英雄について考えるが――しかし答えは近日中、すぐに見つかった。
●
漆黒の戦士――モモンガは一人カッツェ平野へとやって来ていた。噂に聞くことはあっても、モモンガ自身が実際にこの地を訪れたのは一度だけである。今までは主に評議国内や、アゼルリシア山脈を探索して回っていたからだ。トブの大森林も、数えるほどしか探検に出ていない未探索の場所だった。
「しかし相変わらず、面倒な場所だなここは」
モモンガは溜息をつく。噂通り霧が濃く視界は悪い。そして周囲からは絶えずアンデッド反応。さすがに辟易としそうだった。
「一応ある程度の情報は連中から聞いていたとはいえ、これは骨が折れるぞ……」
件の船長は文字通り幽霊船の船長。この広い平野の霧の中を縦横無尽に進む、陸地の海賊だ。さすがのモモンガでも発見するのに数日はかかるだろう。“O∴D∴U∴”の連中は魔法でぱっぱと探せると思っているのだろうが、モモンガが習得している魔法に探知系の魔法は少ない。モモンガの習得魔法は主に
「まあ、まだ一度しか来ていない場所だし。ゆっくり観光がてら調査するとするか」
何かレアなアンデッドを発見出来れば、いい土産話にもなる。モモンガはカッツェ平野の探索を開始した。幽霊船の船長、エルダーリッチのヴィリアム・ダンピーアーを求めて。
――カッツェ平野に幾人もの人影が見える。それはアンデッドではなく、生者であった。帝国ワーカーの“フォーサイト”である。
「……来ちゃったよ」
ヘッケランがポツリとそう呟く。呆れたようにイミーナの言葉が続いた。
「そりゃ、あの話を聞いたら会いに来たいと思うでしょ。っていうか、ちょっと話もあるわけだし」
「そうですね。ちょっと後ろ暗いことがあるので、早い内に探して接触した方がいいと思います」
「私も同意する。すぐに接触して謝るべき」
続いてロバーデイクやアルシェも口を開く。ヘッケランもその言葉に頷いた。
彼らがカッツェ平野を訪れた理由はただ一つ。冒険者組合とは内密に“漆黒”のモモンガと接触するためだ。
ワーカーである彼らは組合に所属していないため、彼らに依頼されないかぎりは組合から情報がもたらされることはない。しかし、何事にも例外はある。さすがに帝都の組合に現れた、奇妙な客人のことはヘッケラン達の耳にも入っていた。そしてその客人の、ちょっとした情報の遅さも。
組合で“漆黒”のモモンガは、出来高制のモンスター討伐報酬の件を知らなかったらしい。パルパトラから聞いた話によれば十数年噂話もなかったそうなので、しばらくは活動していなかったのかもしれなかった。
そして活動を再開したモモンガは、組合で話を聞いておそらく自分が倒したギガント・バジリスクのことを思い出すだろう。ギガント・バジリスクの死体がすぐになくなるはずがないので、取りに戻るかもしれない。戻った時、彼は討伐したモンスターの死体が無いことに驚くだろう。何せ、モンスターはギガント・バジリスクなのだ。あの猛毒そのものとも言うべき死体を食らうモンスターがいるはずがなく、朽ちるにはまだ早過ぎる。
つまり、即座に誰かの手で持ち運ばれたことに気がつくはずだ。そしてヘッケラン達はその死体泥棒の犯人。帝国に持ち帰り、売ったのも記憶に新しい。
モモンガから組合に話が通れば、きっとすぐにそれらしいギガント・バジリスクの死体の件が見つかるだろう。悲しいことに、アダマンタイト級冒険者とミスリル級ワーカーではあまりに対応が違い過ぎる。誰だって、“フォーサイト”よりアダマンタイト級冒険者の方を選ぶ。
そのため、ヘッケラン達は自分が選んだ道とはいえ、すぐにモモンガに接触する理由が生じてしまった。同じワーカー仲間は何も言わないだろうが、組合は違う。帝国での活動が間違いなく厳しくなるだろう。それを避けるためにも、モモンガに接触して何とか謝罪を受け入れてもらう必要があった。売却した金貨は謝罪金として全て渡す必要もあるだろう。一時の金に目が眩んで、とんでもないことになってしまったものである。
(これからは、もうちょっと考えて行動した方がいいな)
今後二度と、こういった面倒な事態に陥らないために。もう少し金銭に関して謙虚になろうとヘッケランは誓うのだった。
不幸中の幸いは、モモンガも急用があったのかギガント・バジリスクの死体のあるトブの大森林ではなく、カッツェ平野に向かったことだ。つまり、ギガント・バジリスクの件が露見するのに猶予が与えられたことになる。トブの大森林に向かわれたのでは、間近で見た彼の強さを思えば間違いなく、ヘッケラン達は追いつけなかっただろう。しかしカッツェ平野はその性質上どのような冒険者やワーカーがいても不思議はなく、この付近で宿泊出来る帝国側の都市は決まっている。そこを毎日往復していればモモンガの動きは自ずと知れるのだ。彼の姿は目立つので。
このカッツェ平野にモモンガがいる内に接触し、謝罪。そのためだけに、ヘッケラン達はカッツェ平野にやって来た。パルパトラに笑われながら。組合を避けながら。
「とりあえず、話によるとまだカッツェ平野と近隣の街を往復しているらしいから、急いで接触するぞ。今回はアンデッドの討伐は考えずに、強いアンデッドに対しては逃げの手を打とう。いいな?」
「ええ、任せてヘッケラン」
「マジックアイテムの消耗も度外視する羽目になりますね」
「仕方ない。これからの活動を思えば、必要経費と見るべき」
本当に、ただより高いものは無いとはこのことである。四人は溜息をつきながら、カッツェ平野の霧の中に消えていった。
「――さて、ではこれより『客人』捜索の任務に入ります」
「――は!」
帝国騎士達は上司からの命令に、ハキハキと答えた。帝国騎士達の前に立つのは片方の顔を髪で隠した陰鬱な美しい女性――四騎士の一人、“重爆”のレイナース・ロックブルズである。その背後にはフールーダもいる。
帝国では件の客人――“漆黒”のモモンガがカッツェ平野に向かったという話を聞き、偶然を装い接触するべくこうしてレイナースとその部下達。そしてフールーダを派遣していた。
遠い国であり異形種とはいえ、評議国のアダマンタイト級冒険者と僅かでも関係をもつのは重要であり、そして彼の御人と話がしたいというフールーダの強い要望もあって、今回の軍隊は派遣された。
レイナースが派遣されたのは、レイナースが元々は貴族令嬢であり家の所領に侵入するモンスターの掃討を行っていたこともあって、四騎士の中でもっともモンスター討伐になれているためだ。カッツェ平野は油断出来ない土地であることを、帝国の軍人ならば誰もが身に染みて知っている。しかしある程度の地位があり、交渉に長けた人物でなければ自由気儘な冒険者であり、アダマンタイト級冒険者の地位を持つモモンガに交友を持つ前に拒否されかねない。フールーダは地位が高いが魔法のことになると他が目に入らなくなる悪癖があり、交渉には長けていない。モンスターの討伐経験が豊富で、地位が高く、貴族として交渉にも長けている。全てに合致するのはレイナースくらいだ。ニンブルも悪くないが、モンスターの討伐経験は浅い。
それに、レイナースにとっても今回の仕事は悪い話ではなかった。理由は、レイナースの受けた呪いにある。
彼女はかつて、貴族としての誇りを胸に領土のモンスターを掃討していた。しかしあるモンスターの死に際に呪いを受け、顔の半分が醜く膿んだものに変貌させられた。もはやその半分は、かつての美貌をまったく思い起こせないほどに。
そうして顔の半分が二目と見られない姿になったレイナースを、世間体を気にする実家は追放。婚約者にも捨てられ――今もその呪いを解くのに彼女は躍起になっている。
最高位の
故にレイナースもまた、モモンガと接触し友好関係を築くというこの仕事に真剣に取り組んでいた。
付近の都市では、まだモモンガはカッツェ平野を離れていない。このカッツェ平野で何をしているのか知らないが、場合によっては協力した方がいいだろう。街には何人か部下を残しているので、入れ違いになっても即座に馬を走らせて帝都に情報を届ける手筈になっている。
唯一の不安は――レイナースはチラリと、背後に存在する頭の痛い問題を見た。
「パラダイン様、分かっていると思いますが」
「分かっているとも。まずは君たちの話が済んでから――彼の方との魔法談義はその後で、だな?」
フールーダの言葉に、レイナースは本当に分かっているんだろうな、と不安になった。ジルクニフからも口を酸っぱくして言われているが、フールーダは魔法のことになると何も見えなくなる。そのため、モモンガがどういう性格なのか分からない内には決して。そう――決して、話をさせてはならないとレイナースは注意を受けていた。
レイナースにも個人の狙いがあるので、フールーダの気持ちも分からなくはないが……それでも、帝都で待っていて欲しかったのは確かだ。
しかし四の五の言ってもいられない。フールーダは止められないのだ。ジルクニフにも止められない存在を、レイナースが止められるはずがない。場合によっては誠心誠意モモンガに謝罪する事態もありえるだろう。
(まあ……なるようにしかなりませんわね)
フールーダの件については、何とかこちらで臨機応変に対応するしかない。願わくば、この老人が本当にしっかり、自分の理性で本能を抑えてくれることを願うばかりだ。
「では、アンデッドたちに十分注意し――捜索を開始いたします」
「――は!」
レイナースの言葉に、騎士達が続く。そして彼女達はカッツェ平野に踏み込んだ。濃霧が彼女達の姿を覆い隠す。騎馬兵はいない。この見えない場所で騎馬兵は邪魔にしかならないからだ。故に歩兵の類のみである。
そしてレイナース達に、フールーダと魔法省の
何故なら、まだ記憶に新しいから。このカッツェ平野で五年前に遭遇してしまった、あの伝説のアンデッドの姿が、まだフールーダ達の脳から消えていないのだ。
いや、きっと一生消えることは無いだろう。帝国魔法省の地下に封印される
勿論、まだあの伝説のアンデッドが出現してからそれほど時間が経過していない、というのもある。しかしこの地はアンデッドが常に蔓延る死の螺旋。いつ、いかなる時だろうと強力なアンデッドが発生する可能性は消えないのだ。
今も、同じようなアンデッドがそこにいるかもしれない。五年もの時間は、もしかしたらあまりに長い時間なのかもしれない。その不安を振り払えないから、彼らは周囲を最大限に警戒しながら霧の中を進んでいく。
そんな彼らの不安を体現するかのように、カッツェ平野の霧はより一層強く、周囲を覆い隠すように蠢いていた。