Die Zeit heilt alle Wunden《完結》   作:ダイコクコガネ
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第一幕 漆黒の英雄 其之一

 

 バハルス帝国――それは人間国家の中でもスレイン法国やリ・エスティーゼ王国同様に大きな、周辺国家でも注目される国だ。皇帝のジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは鮮血帝という異名を持ち、絶対支配者として君臨しておりその統治は見事と言う他ない。ここまで安定している国は、人間国家の中では他にスレイン法国くらいであろう。

 その帝国国土のやや西部に位置するのが帝都アーウィンタールであり、“フォーサイト”はこの帝都にある酒場との兼業宿屋のうちの一つ“歌う林檎亭”を拠点として活動している。いや、正確に言えばワーカーチームの幾つかがこの宿を拠点として扱い、滞在しているのだ。ワーカーは汚れ仕事が多いため、あまり有名で品性のある宿に滞在するのは合理的ではない。他にも幾つか理由はあるが、様々な理由のためにこの“歌う林檎亭”には“フォーサイト”以外のワーカーチームも滞在している。

 ヘッケラン達四人が、その食堂――酒場でもあるが――でヘッケランの好物である豚肉のシチューを食べていると、四人に話しかけてくる人物がいた。

 同じワーカー……パルパトラ“緑葉(グリーンリーフ)”オグリオンである。

「ほっほっ。お前さんたち、元気そうしゃの」

 濁音の無い空気がまるで抜けるような、そんな独特の喋り方をするのは、パルパトラが既に老齢――八十にもなり、前歯のほとんどが抜け落ちているためだ。二つ名の由来は、装備する鎧の色。これはグリーンドラゴンの鱗から作られた鎧であり、朝露に濡れた美しい緑の葉の如き輝きを放つ。

 竜狩り(ドラゴンハント)――そんな偉業に成功したチームのリーダーであるため、例え老人であろうと誰もパルパトラを粗末に扱う存在なぞいない。全盛期の力は、オリハルコン級冒険者に匹敵するほどだったという。

「老公。お元気そうで」

 話しかけられたヘッケランは、軽く会釈する。実力的には同じなので、そこまでへりくだる必要は無い。ワーカーとしてはへりくだってはまずいという判断もある。老人も気にした様子は無かった。

「聞いたそお前さんたち、あのキカント・ハシリスクを持って帰って来たそうしゃの?」

 パルパトラの言葉を聞いて、ヘッケランは苦笑した。やはり、その話題かと。

 ――あの後。散々悩んだがヘッケランはギガント・バジリスクの死体を持ち帰り、売り払うことにした。口止め料と解体料など諸々費用として取られたが、それなりの金額は手に入った――しかし人の口に戸は立てられない。この分では、他の連中の耳にもそれなりに入っていることだろう。

 パルパトラがヘッケラン達に会いに来たのは、つまりそういうことだ。“フォーサイト”の実力ではどう足掻いても勝てないような怪物を相手に、どうやって死体を手に入れたか気になったのだろう。もしかすると、死体の損傷具合も聞いているかもしれない。

「言っておきますが、俺らが倒したんじゃないですよ」

「そりゃ知っとるわい。さすかにアレを仕留めるのはお主には無理しゃろうからな」

 パルパトラはそう言うと、ヘッケランを見つめた。

「――て、何に遭うたんしゃ?」

 パルパトラの質問に、ヘッケラン達四人はそれぞれの顔を見つめると、意を決して告げた。

「冒険者ですよ、老公。アダマンタイトのプレートの戦士が、奴を一刀両断しちまいました」

「……なんと!」

 さすがに一刀両断されたと言うのは驚いたのか、パルパトラは両目を見開いて驚愕する。ロバーデイクはパルパトラに訊ねた。

「老公は知っていますか? アダマンタイトのプレートの、漆黒の戦士なんですが……。どこの国の冒険者なんです?」

「……漆黒の戦士?」

 パルパトラはその特徴を聞くと、見開いていた瞳を細め、少し考えると――やがて溜息をついて答えた。

「あー……なるほとな。確かに、噂か本当なら……一人心当たりかあると言ってもいいしゃろな」

 どうやら、パルパトラは漆黒の戦士に覚えがあるらしい。全員は身を乗り出した。

「老公、一体どんな方なんです?」

「――アークラント評議国のことは知っとるかの?」

「アーグランド評議国ですか? 確か、王国とアゼルリシア山脈の向こう側――この大陸の端にある国ですよね? 五匹だか七匹だかのドラゴンが評議員を務めているという、亜人たちの国でしたか」

 ロバーデイクの言葉にパルパトラは頷いた。

「そうしゃ。その国の冒険者組合に、有名なアタマンタイト級の冒険者かおるんしゃ。おそらくそ奴しゃろうて」

「そ、それは一体……?」

 ヘッケラン達は頭の中に評議国の有名な戦士を頭に思い浮かべるが、だがあんな漆黒の全身鎧(フル・プレート)の亜人はいなかった気がする。

「まあ、主らか知らんのも無理ないわい。なにせ、一〇〇年前(・・・・・)から組合に所属しておる、生ける伝説しゃからの」

「――へ?」

「ひゃ」

「一〇〇年!?」

「――うそ」

 その言葉に仰天する。パルパトラでさえ、齢は八〇なのだ。そのパルパトラも上回る年齢で、かつ一〇〇年前に組合に所属していたとなれば、本当の年齢は幾つなのだろうか。

「評議国の冒険者組合は、評議国の特性上亜人たちも冒険者として活動しておるからの。あそこの冒険者は年齢なんかあてにはならんよ。ここ十数年ほと話は聞かんかったか、やはりまた生きておったんしゃの」

「あー……」

 評議国は亜人の国なのだから、当然組合に所属する冒険者も亜人が多い。人間がいないとは言わないが、極稀だ。彼の国では人間が有名になるのは難しい。

「老公は、その方なら一人でギガント・バジリスクを討伐しても不思議ではないと?」

「儂か昔耳にした噂か本当ならの」

「どんな噂だったんですか?」

 パルパトラから聞く話は、例えギガント・バジリスクを一刀両断していたのを見ていたとしても、信じがたいものだった。

 曰く、たった一人でエルダーリッチの居城である墳墓を制圧した。

 曰く、たった一人でフロスト・ジャイアントを討伐した。

 曰く、たった一人で成体のレッドドラゴンを討伐した。

 そして――

「――第五位階魔法の使い手、だって?」

 位階魔法は幾つもの段階に分かれており、通常の魔法詠唱者(マジック・キャスター)では第二位階までだ。第三位階魔法を使用出来る者は、冒険者でいうところの白金(プラチナ)級のプレートを約束される。それくらい、第三位階魔法の領域まで届いている魔法詠唱者(マジック・キャスター)は少ない。

 更に、第三位階魔法の上の第四位階魔法は完全にその手の才能が無いかぎり届かない天才の域だ。この周辺国家で探してもそうは見つからないだろう。

 そして第五位階魔法。これはもう完全に英雄の領域である。法国の神官、王国の“蒼の薔薇”……伝説でいうところの“国墜とし”や竜王(ドラゴンロード)など。吟遊詩人が歌を綴ってもおかしくない領域の話なのである。

 そんな高位階魔法の使い手――俄かには信じ難かった。何せ、彼はギガント・バジリスクを一刀両断するような凄腕の戦士なのだから。

「つまり魔法戦士ですか? 有り得ませんよ。普通、どちらかがおざなりになるでしょう?」

「普通ならの。たか、アヤツは普通しゃなかった。エルフみたいな寿命か長いタイプの亜人なんしゃろな。魔法を極めたたけしゃ飽き足らす、戦士にまて手を伸はしてしまいよった」

 そして、恐ろしいことに彼は戦士としても一流に成長したというのか。絶対に敵に回したくない相手である。

 ……よく、そんな存在が英雄譚(サーガ)にもならず吟遊詩人にも歌われずにいるものだ。それとも、単に距離があり過ぎて帝国までは噂が届かないのだろうか。しかし他の評議国の戦士などは噂が届いてくるので、もっと別の理由があるのかもしれない。

「……それで、老公。その漆黒の戦士ってなんて名前なの?」

 イミーナの問いに、パルパトラは思い出すように「確か――」と呟いて口を開いた。

 

        

 

 漆黒の戦士が月明かりのみが照らす暗い夜道を歩いている。漆黒の戦士の歩調に乱れはなく、まるで太陽で照らされた道を歩いているような迷いの無さだった。

 ……事実、彼にとって夜道とは闇に非ず。彼の種族特性は月明かりしか存在しない夜道であろうと、昼間のように視界を確保している。

 何故なら、もとより彼は闇を歩む者。本来は暗闇の中にのみ存在する者なのだから、昼であろうが夜であろうが関係は無い。そう、()だろうが夜だろうが関係は無いのだ。

 漆黒の戦士は迷いない足取りで道を歩く。夜風が鎧を撫でる度に、真紅の外套が揺れ動いた。静かな夜の闇に、金属同士の擦れる僅かな音が響いている。

「――――」

 その金属音が、ぴたりと止まった。漆黒の戦士は立ち止まると、背後を振り返る。

「……何か用かな?」

 漆黒の戦士がそう自らの背後に顔を向けて語りかけるが、しかし漆黒の戦士の視線の先には何も見えない。ただ漠然と闇が広がるのみであった。だが漆黒の戦士はそこに何かがいるのを確信している。物陰に隠れているのであれ、透明化しているのであれ、そこに何かがいるのが漆黒の戦士には見えているのだ。

 そして漆黒の戦士の言葉に誘われるように、暗闇に紛れるように姿を隠していた者が現れた。それはまるで、不浄なる者が墓場から這い出て来るような歪さとおぞましさ、そんな気味の悪さを感じさせる。

 いや、事実その通りなのだろう。暗闇から出てきた者は真実、不浄なる者。墓場から這い出てきた生きとし生ける者の天敵。即ち――アンデッドである。

 暗い、闇と同化したような色のローブを羽織り顔を隠した死者が口を開く。その声はしわがれているが、どことなく女のように甲高い声色に思えた。

「――お久しぶりです。漆黒の英雄殿」

 死者の言葉に、漆黒の戦士は少しだけ考える素振りをみせ――思い至ったのか軽く一つ頷く。

「ああ、君か――何か用かな? 私も忙しい身であるんだが」

「――申し訳ありません。しかし、神出鬼没の貴方と接触するのは我々では難しく……。このように機会があれば逃すわけにはいかず」

 事実、漆黒の戦士は神出鬼没である。漆黒の戦士にとって、距離とは存在しないも同然であった。もっとも、漆黒の戦士に言わせてみればそれは風情の無い手段。あまり多用したいものでは無いのだが。

 漆黒の戦士は顎でしゃくり、無言で話を促す。死者は謝意のため頭を一度下げ、話を続けた。

「無礼をお許し下さり感謝します。――では、話を続けさせていただきますが、カッツェ平野を御存知ですか?」

「カッツェ平野? ああ――あのアンデッドが無限湧きする面倒な場所か」

 漆黒の戦士の言葉に死者は頷く。カッツェ平野は帝国と王国を挟むように存在する、常に濃い霧で覆われた呪われた平野だ。呪われたというのは誇張ではなく、事実呪われたとしか思えない現象を起こしているのだ。

 それが、アンデッドの連続召喚。漆黒の戦士の無限湧きというのは誇張でも何でもなく事実である。カッツェ平野は呪われている。常に、アンデッド系モンスターが蔓延っているのだ。例外は一つ、帝国と王国が戦争を起こすその日のみ。その日だけは、彼の地ではアンデッド達が姿を消し、霧が晴れる。

「その平野に噂される、幽霊船の話は?」

「それも聞いたことがあるな。噂だけで、会いに行ったことはないが」

「話が早くて助かります。――その幽霊船の船長と、交渉をお願いしたいのです」

「――ほう?」

 漆黒の戦士は興味を持ったのか、死者の言葉にようやくしっかりと耳を傾けた。死者はそんな漆黒の戦士の様子に安堵の息を吐くような仕草をして、話を続ける。

「件の幽霊船の船長にとある者が話をしに行ったのですが、どうやら交渉は決裂したようで――帰って来ません。別に土に還ったかそうでないかはどうでもいいのですが、その者が持っていたマジックアイテムなどは返却してもらわないと困ります。そのため、貴方に交渉をお願いしたく」

「ふむ。……自分たちで行った方が早くないかそれは?」

 漆黒の戦士の言葉に、死者は苦笑した。漆黒の戦士ならば簡単だろうが、自分達にそれが出来れば苦労はしない。

「ご冗談を。……スケリトル・ドラゴンの闊歩するような地獄を、我々のような魔術師が気軽に散歩出来るとお思いで?」

「――そうだったな。スケリトル・ドラゴンは第六位階までの魔法を無効化する。君たちには不可能だった」

 スケリトル・ドラゴンとは滅多に遭遇することは無いそうだが、遭遇してしまえば魔術師は無力だ。あのアンデッドは魔法に依らない純粋な破壊力で退治するしかない。

 そのため、カッツェ平野に向かうのを死者は躊躇する。極力、近づきたくない。件の幽霊船の船長はよく平気で駆け回っているものだ。

「――しかし、組合を通さない依頼は高くなるぞ」

 漆黒の戦士の言葉に、死者は躊躇わず頷いた。元より覚悟の上である。

「承知の上です。回収したマジックアイテムの中に眼鏡にかなうものがあれば、それを報酬の一部として受け取っていただいて構いません。勿論、追加で依頼料もお支払いいたします」

 そのくらいは必要経費だ。死者達が安心安全に交渉出来る相手は漆黒の戦士のみ。勿論、情報網から人間の協力者を募ることは出来るが、それでも不信感が勝る。その点、この漆黒の戦士はある一点においては同族だから信用出来る。付き合いも長い。

「ふむ。――ならばもう何も言うまい。その依頼、受けるとしよう」

「感謝します」

 深々と頭を下げる死者に、漆黒の戦士は続けて訊ねた。

「しかし――返却交渉が決裂した場合はどうする気かな?」

 面白がるようなその口調に、死者はカラカラと骨が鳴らすような笑い声を上げた。いや、事実骨を鳴らしていたのだろう。何故ならば、ローブに隠された死者の顔には、ただ不気味な、腐りかけの皮が張り付いただけの頭蓋骨が存在するのだから。

「勿論――生死は問いませんのでご随意に」

 件の幽霊船の船長や船員達がどうなろうと、知ったことではない。重要なのはマジックアイテムの回収だ。漆黒の戦士にとってはそうではないだろうが、死者達にとっては重要なマジックアイテムもある。回収は是が非でも行いたい。件の幽霊船が討伐され、人間達に回収されるその前に。

「なるほど。では好きにさせてもらおう」

「感謝いたします――――それと」

 死者はその場に跪き、こうべを垂れた。冒険者と依頼主という関係を放棄するように。目の前にいるのが冒険者では無く、まるで崇拝する神がそこに降臨しているかのように。

「――我々“O∴D∴U∴(おーでぃーゆー)”はいつでも、貴方様も崇拝し、その降臨を心待ちにしております。偉大なる死の王よ。いと深き死の御方――」

 

 不死者たちからなる黄金の夜明け団――通称“O∴D∴U∴”。

 エルダーリッチを初めとした、多様なアンデッドの魔術師達からなる魔術師団――かつて漆黒の戦士と遭遇した際にとある死の支配者を崇拝する教団の側面も持ってしまったその組織こそ、この死者が所属する組織であり漆黒の戦士に依頼した秘密結社である。

 

 死者は崇拝する神に告げる様に述べた後、再び頭を深々と、ゆっくりと下げた。まるで高貴な相手に従僕が頭を下げるような、深い敬意に溢れたような礼だ。死者はその後再び暗闇に潜む。漆黒の戦士はそのまま死者の気配が遠ざかっていくのを察知したが、特に追おうとはしない。追う意味も無いからだ。彼らの本拠地は既に知っているので、行こうと思えばいつでも行ける。

 だから漆黒の戦士は死者の言葉に兜の上から頭を掻き、か細くも苦渋に満ちた唸り声を上げた。

「その組織名――まだ変えてないのかよ……ッ! いや、俺が自分で考えた名前をつけるよりはきっとマトモなんだろうけどさぁ!」

 まるで自分の恥ずべき過去を赤裸々に暴かれたかのような、そんな哀れを誘う唸り声を聞いた者は誰もいない。

 

 

 








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