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【社説】

秋葉原事件10年 誰も追い詰めぬ社会を

 人々を孤立させ、追い詰める社会への警告だったのかもしれない。東京・秋葉原の無差別殺傷事件から十年。犠牲者の無念を胸に刻み、同様の悲劇が繰り返されない社会のありようを探り続けたい。

 「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら 時間です」

 十年前の六月八日。二十五歳だった加藤智大死刑囚はインターネットの掲示板にそう書き込み、歩行者天国で十七人を殺傷した。残虐な行動は、もとより厳しく断罪されねばならない。

 犯罪史に残る事件がなぜ発生したのか。十年後の私たちにもくみ取るべき教訓はないか。

 事件の背景に浮かんだのは、ありのままの自分を認め、受け止めてくれる居場所が見つからなかったことへのいら立ちだった。

 家庭は母親に支配されていた。子どもの幸せのためとして、自尊心を傷つけてまで名門高校、有名大学、一流企業へなどと、親の願望を強いることを「教育虐待」とも今は呼ぶ。その犠牲になった。

 意思疎通を欠いた環境で育った影響だろうか、怒りを言葉ではなく行動で示すようになった。仕事を転々としたのもそのためだった。裏返せば、自分を認めてほしいという欲求だったに違いない。

 不安定な非正規雇用の生活を送り、彼にとっては、自分を取り換えの利く部品として扱う現実は「建前」、真の自分でいられるネットは「本音」の世界だった。

 その大切な空間が嫌がらせで破壊され、犯行の引き金になっていく。裁判はそのように認定した。

 現代の競争社会で孤立し、生きづらさを抱える人々にも、同じような苦悩があるのではないか。無差別殺人はなお後を絶たない。

 家庭や学校、職場、地域、ネットといった空間を問わず、常に評価のまなざしにさらされ、時に大きな格差を意識させられる。成績や学歴、職業、地位、収入…。自分は不要とされないか。不安感や閉塞(へいそく)感は強まっている。

 誰も追い詰められない社会へ、築き直さねばならない時期なのかもしれない。社会の中でつながりを紡ぐのが難しく、孤独に埋没しがちな人々が多くいるという現実をまずは認識したい。

 ベストセラーの『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)は語る。「人間が人間同志(どうし)、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにありはしない」。今日にも相通ずるのではないか。

 

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