「~に似てると思いました」は作家に言わない方がいい

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今回のタイトルは、今朝見かけたこちらのツイートに由来しています↓

 

 

かんざきひろ先生と言えば、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』や『エロマンガ先生』のイラストを担当されたイラストレーターさんです。

 

俺の妹がこんなに可愛いわけがない (電撃文庫)

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エロマンガ先生 (1) (電撃コミックスNEXT)

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かんざき先生のこのツイートには数多くの「いいね」が寄せられ共感を産む一方で、反対の声もチラホラ上がっています。

 

つまりこの件に関しては、「~に似てると思いました」「~を思い出しました」「~みたいでかわいいです」を

 

言っていい派 vs. 言わない方がいい派 

 

に分かれるようです。

 

わたし自身は「言わなくてもいい派」です。

他作品に似てると言われても何ら気になりません。

なのでどちらにも共感できる部分とできない部分があります。

 

そこで今回はそれぞれの主張を見ていきながら、感じたことを書こうと思います。

 

 

 

「~に似てると思いました」言っていい派の主張

「~に似てると思いました」「~を思い出しました」を言ってもいい、問題ない、とする人たちには、次のような理由がありました。

 

・自分の好きな作品と似ていると、作家と自分が同士に思えてうれしいから

・他の有名作品と似ている、という評価は誉め言葉だから

・客観的な視点による感想は参考になるから

・「~に似ている」というのは誹謗中傷などではなく批判であり、作家自身の成長の糧になるから

・言葉そのものに悪意がなければ問題ないから

 

 

まとめて良いものか、という感じもしますが、まとめてみると、

 

発言自体の性質はそもそもポジティブかつ客観的。

それが、心に刃を突き立てるナイフとなるか否かは作家の受け取り方次第。

 

という印象を受けました。 

 

 

「~に似てると思いました」言わない方がいい派の主張

「~に似てると思いました」「~を思い出しました」を言わない方がいい派の意見を読んでいると、その根底にある理由はシンプルかつ明確です。

 

傷つくから

 

これにつきます。

さらに、細かく言えば、言って傷つく場合、とそうでない場合があることが分かりました。

 

【傷つかない場合】

パロディ・オマージュ・模写など、比較対象と似ることで作品が成立する場合

 

【傷つく場合】

オリジナル作品の場合

 

そして肝心の傷つく理由は、

「オリジナリティがない」「パクリだ」というニュアンスで伝わるから

ということでした。

 

なお、かんざき先生に寄せられたツイートの中には見られませんでしたが、「~似ていると思いました」を口にしない方が良い理由はほかにもあるようです

ご興味がありましたら↓

ssmm.html.xdomain.jp

 

 

作家とオリジナリティ

ここからは、わたしの感想です。

今回のディスカッションで浮かび上がるキーワードの1つが

「オリジナリティ」だと思います。

 

 

オリジナリティは、作品の特性であり、他作品との差別化要素であり、作品ないし作家のアイデンティティーです。

 

「~に似ている」と評されることで、傷つく理由は、上記を否定されているように感じるからでしょう。

 

加えて、オリジナリティの確立とそのプロセスも、少なからず関係しているのではないかと思います。

 

それを如実に表しているのが以下です。

 

 

↑上でアニメ私塾の室井康雄氏が引用しているのは『論語』の一節です

 

温故知新(読み)オンコチシン

 《「論語為政から》過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。
[補説]「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と訓読する。「温」を「あたためて」と読む説もある。なお、「温古知新」と書くのは誤り。

 

引用元:温故知新(オンコチシン)とは - コトバンク

 

要約すると(?)

絵が上手くなるには、既存の作品の真似をし、研究した上で、新たな道を模索すべし

ということです。

 

さらに図解するとこう↓

20180608115505参照元:絵の最速上達サイクル : 最速で絵が上手くなりたかったら模写しなさい。【画力向上】 - NAVER まとめ

 

室井氏は下の動画の中でこのサイクルを詳しく説明しています↓


【最速本解説】p4、5「上手い絵を見ながら描けば最速で上手くなる!!」

 

オリジナリティの探求とは、このような既存作品からのインプットと、自作によるアウトプットによる終わりのない繰り返しなのです。

 

このサイクルに模倣や模写を挟む以上、そこから受ける影響は多かれ少なかれあるでしょう。

 

わたしなんて「いいな」と思った瞬間、もろ影響されます。

「かっこいいな」と思ったら真似したくなります。

 

「似てる」と言われて傷つくのは、ある種図星だからだ、と言われれば否定できないでしょう。

 

ただし、

それでも多くの作家が今の場所にいるのは、練習と研究の成果であり、例え道半ばだとしてもそれが現段階で精一杯のオリジナリティなのです。

 

費やした時間・労力・思考の分だけ肯定されたい気持ちは強くなるのかもしれませんね

 

 

受け手の感受性  vs.  発信内容の正当性

この手の話は、「受け手の感受性」と「発信内容の正当性」どちらを優先すべきか、という議論になりやすいです。

 

当然のことを言うようで恐縮ですが、どちらか一方の立場が忖度されればすむ、という話ではないと思います。

 

相手の言葉に、思い込みでしかない害意や悪意をのっけて解釈することも

受け手の態度を発信者がコントロールしようとする行為も

 

一様に相手を傷つけるし、ミスコミュニケーションを産むのは言うまでもありません。

 

だから「~に似ている」と言うことは、個人的に罪でも悪でもないと思っていますが、言わない方が安全だとも思います。

 

 

ちなみにわたしが「~に似ていると思いました」で傷つかない理由は、①事実寄せてるから(←オイ)②プロに似てるって言われてまんざらでもないから、のどちらかだからです。

 

ただ比較対象となったご本人が

「は。何言ってんの?」

と気を悪くされると、ものすっっっっごく恐縮なので個人的に言ってくれると嬉しいです!(なんだそれ

 

 

あわせて読みたい↓

www.catlani.com

 

 

きゃとらに🐈 

 

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