池田小1年南組だった記者 「死」理解できず被害者が身近すぎて同級生とも語れず…薄れる記憶に焦燥感
平成13年6月8日の産経新聞夕刊1面に掲載された1枚の写真。
不安げな表情の児童の中に、大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の1年生だった私の姿がある。校庭に膝を抱えて座り、じっと前を見据えて何か考え込んでいるような表情。思い出せないが、何を考えていたのだろう。
2時間目が終わった後の休み時間。私のクラス、1年南組の児童は多くが校庭へ遊びに出たが、私を含む数人は教室に残っていた。そこに突然男が入ってきて、入り口近くにいた同級生を刃物で切りつけた。
追いかけてきた先生が男を取り押さえようとしたとき、私は教室を飛び出し、廊下を走って逃げた。
あまりの混乱に「怖い」という感情はなかったが、気付いたら涙があふれていた。
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帰宅後、ニュースで同級生ら8人が亡くなったと知った。6歳だった私は同級生が亡くなったことを完全には理解できていなかったが、ニュースは食い入るように見ていたという。
母によると、事件の数日後、私を含む児童5人ほどが友人宅に集められ、警察の事情聴取を受けた。事件発生時にどこで何をしていたかを聞かれた同級生の一人は、「瓶に入れて飼っていたダンゴムシを、外で散歩させようとしていた」と説明したという。そのぐらい、私たちは幼かった。
どのように学校が再開され、それまで何をしていたのか、ほとんど記憶がない。当時の私は事件について「普通ではないことが起きた」ということ以外、考えたり、感じたりしたことはなかったように思う。
祖母は事件に関する新聞記事を切り抜いてファイルに保存しており、私は最近になって初めて読んだ。体調を崩した児童がいたことも、記事で知った。当時在籍していたにもかかわらず、知らないことが多いことが、今になって分かった。
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同級生らと事件について語ることは、今もほとんどない。被害者が身近すぎて、何となく敬遠してきたのかもしれない。一方、遺族が講演や被害者支援に取り組む姿には勇気づけられた。発信する側を志し、新聞記者になった。
記者2年目の私がどう伝えられるのかは正直、よく分からない。最近は入学してから事件までの約2カ月間の記憶が薄れてきたと感じる。一緒に学び、遊んだ光景まで忘れてしまうと、彼らの存在が心の中からも薄れてしまう気がする。伝えるべきものは事件の教訓と犠牲となった同級生たちの生きた証し。安全であるはずの学校で、二度と同じような事件を起こしてはならないということだ。
(南里咲)