2017年9月1日(金) 20:03配信
大河ドラマ『おんな城主 直虎』が今、とても熱い。ストーリーの重厚さが観ている者の感情をとても深く揺さぶってくる。
放映直後にSNS上でもトレンドとして上位に多くの直虎関連のワードが上がっている。高橋一生が演じた小野政次の悲劇的な“政次ロス”に、視聴者の阿鼻叫喚が伝わってくる。そんな話題の『おんな城主 直虎』、何が凄いのか。それは話し作りの大胆さにある。具体的に紹介していこう。
政次ロスは単なるイケメンロスではなかった(『NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」 緊急特盤 鶴のうた』)
ここ数回で描かれている流れは、1568年~1569年に起こる弱体化する今川家への、武田家と徳川家の領土侵略と、その支配下にある井伊家が巻き込まれる話である。
通説としては、1568年11月に今川家による徳政令(借金の帳消し)にて井伊谷地方に影響力を強め、井伊家家老の小野政次(高橋一生)が井伊谷を乗っ取ってしまうというもの。
徳川家は事前に「井伊谷三人衆」といわれる井伊谷付近の領主達と密約を交わし、1568年12月に井伊谷に侵攻。井伊谷三人衆により先導され、難なく井伊谷を支配下に置いた。これが大まかな歴史である。
ドラマでの描き方は、主君である井伊直虎(柴咲コウ)と、家臣である政次は幼馴染であり、乗っ取りは見せかけで、終生深く心でつながった関係ということだ。
井伊家への徳政令の実施を強制し、井伊谷を直轄地とした今川家は、目付(監視役)である政次を井伊谷の城代(代理城主)とした。政次には引き換えに井伊家跡継ぎで、幼子である虎松(寺田心)の殺害を命令。政次は正体がわかり辛い疱瘡を患った子供を殺め、代わりに虎松の首として差し出した。罪なき子供を自ら殺めた政次は「地獄へは俺が行く」という台詞を放ち、その所業の辛さや、しかし井伊の為ならなんでもやるということを印象付ける深いシーンを描いている。
このドラマで面白いのは、井伊谷三人衆の立ち位置だ。
井伊谷三人衆は井伊谷に侵攻して「切取次第(占領した分だけ自分の領土として良い)」という条件で徳川家側に味方することを決めた。
にも関わらず、井伊家が実は徳川家と内通しており、井伊家は滅んでおらず井伊谷を占領している政次とも“グル”であるということが判明したため、その条件は反故にされ、本領安堵(自分の領地の保証)のみに代わってしまったことにある。戦い次第で領土が増えると思った矢先に、自分の領地の保証だけに代わってしまった、その条件に三人衆の一人、近藤康用(橋本じゅん)が反感を抱いた。
彼は策謀により、井伊と小野が徳川に反抗心があるよう見せかけの小野の攻撃を演出し、「政次こそ裏切り者」という筋書きにしてしまった。
政次と直虎は心で通じ合った主君と家来であることは疑いないが、井伊家以外の外野からはそうは見えない。“演技”を事実に捻じ曲げようとしたのである。「政次は裏切り者」というのは通説通りの内容となり、史実通りに演出した者は注目されていなかった意外な人物だったこととして描かれる。ただその近藤自身もただの欲望に目がくらんだ悪役とは描かれない。井伊家には以前に自分の領地の材木を奪われた泥棒を逃がされたという領主のプライドをつぶされる等、苦い経緯がある。
その伏線をここで返されており、ドラマとしては因果応報の趣きとなっている。捕縛された政次へ近藤が発した「取れるものは取る。取れる時に。悪う思われるな、世の習いじゃ」という台詞に、時代背景として至極真っ当な理由もつけられており、作品の重厚さも演出している。
そして、実際に小野政次が徳川家に逆らった代償として磔刑にて処刑となる。その当日に直虎は「我が送ってやらねば」と読経をしに行くと思っていたであろう全視聴者を、処刑シーンにて驚かせている。
『おんな城主 直虎』
このシーンは非常に深い愛と背負った業で演出されており、このドラマの到達点として深い印象を与えた。シーンの台詞を引用すると以下になる。
井伊直虎「地獄へ落ちろ!小野但馬!地獄へ!ようも、ようもここまで我を欺いてくれたな!遠江一!日の本一の卑怯者と未来永劫語りつないでやるわ!」
小野政次「笑止!未来など、もとより女子頼りの井伊に、未来などあると思うのか!生き残れるなどと思うておるのか!家老ごときにたやすく謀られるような愚かな井伊が、やれるものならやってみよ!地獄の底から 見届け…」
直虎による幼馴染である政次の処刑、しかも直虎は「殺生はもってのほか」の尼である。政次は罪のない子供を殺したことにより自身を地獄行きだと思っている。直虎は殺生禁止である自身が直接手をかけることにより、地獄行きという業を共に背負った。
また、「未来永劫語り継ぐ」ということはこれからも井伊は生き残るという宣言である。直虎の台詞を受け、すべてを理解したように政次は深い笑顔を見せる。
その直虎の一世一代の演技を受け、自身も裏切り者を演じてエールを送り、地獄で待っていると言って、絶命する。
こんなラブコール、観たことがあるであろうか。
大河ドラマは歴史エンターテイメントドラマである。そして、事実は一つだろうが、歴史にただ一つの正解はない。
あくまで当時の資料や、残された痕跡から当時を推測して紡がれているものである。直虎に関しては資料があまり残っておらず、実際どうだったのかという情報がほとんどない状態である。数少ない情報の通説である、従来の歴史的な評価を逆手に取り、ここまで壮絶で愛の深いシーンを創り出した大胆な脚本に感嘆の念を隠し切れない。
また、堀川城攻めでは徳川は住民の半数を殺したといわれるが、実は家康(阿部サダヲ)による命令ではなく、家老である酒井忠次(みのすけ)独断だったという描き方にも注目したい。徳川家も安泰な状況とはいえず、それを考えると時間をかけず、確実に城攻めを終わりにしたい。あくまで酒井忠次は合理的な判断をしたと思われる。その結果としての、堀川城に避難した住民や、龍雲丸(柳楽優弥)一党の面子の無残な死も描いている。
戦国武将の合理的で冷徹な判断が、何を引き起こしているのか。政次と忠次の比較するのも面白い。戦国時代の不条理さや、生き残ることの難しさを描いている。
>NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』は戦国時代の「ナウシカ」!? “歴史マニア”も納得する理由
実は徳川家による井伊谷侵攻は1568年12月であるが、小野政次が処刑されたのは翌年の5月である。更に言えばドラマで描かれている徳川家による気賀の堀川城攻めは1569年3月で、政次の処刑は同年5月である。
ドラマでは“政次処刑”→“堀川城攻め”となっているので、順序が逆になっているのだ。このあたりの構成の大胆さも面白さの為なら、魅せ方すらも変えてやろうという強い意志を感じる。この変更が更に今後に繋がるのかどうか、興味は尽きない。
歴史上、井伊家の受難はこの後も続いていくだろう。『おんな城主 直虎』がどんな“歴史”を紡いでくれるのか、視聴者としてこれからも楽しみにしていきたい。
(文:aibon)
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集計期間:2018年5月28日〜2018年6月3日
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