2018-05-29
■ レトロニム 
ある曲の印税支払いの明細書が届いた。いままで自主でやっててアルバム全体でいくら分、とかそういう明細ならいくつも見てきたけど、単曲の明細書、しかもちゃんとした額の明細書は初めてだった。この1曲ががんばってくれたおかげて私は今こうやってマンションの集合ポストの前でこらえきれず開封した明細書を見られているんだ、と泣きそうな気持ちになった。30歳にして、ようやく現実の足音が聞こえてきたような気がする。幻聴かもしれない。幻聴だとしたらユリイカから原稿の以来が来たあたりからおかしいなと思っていたんだ。実家から持ってきた古いコンポは24年前のものだ。恋人との付き合いは10年を越えた。エス・オー・エスをリリースして8年経ち、実家を出て5年も経った。夢見心地で時々きっつい悪夢を見させられる人生にようやく現実というものが私の肩に手をかけようとしているのだろうか。現実が私の肩に手をかけたとき、私は殴り飛ばされるのかもしれない、抱擁を求められるのかもしれない、ただあいさつされるだけかもしれない。だからこそ、その入金が本当に嬉しかった。私はタワーレコードに向かい様々なCDを買った。買い逃していたニール・アンド・イライザの新譜、NRQの新譜、サンプル頂いていたのに特典のカセットが欲しいからとceroの新譜も買った。もうずいぶん前に勧められたブルニエール&カルチエールや、晩年のチェット・ベイカーの録音、メル・トーメのラジオの放送のために吹き込んだライヴ録音なんかも買った。取材とかで時々「初めて買ったCDはなんですか?」と訊かれる事がある。子供の頃から音楽漬けだったので、細かく覚えていない。途切れなく音楽を聴いていたから始めてもらったお小遣いで何を買ったかも覚えていないのだ。もしかすると今回のタワレコでの買い物は本質的にはそれに近いのかもしれない。
2018-05-27
■ ミスター・木 
心理的に長過ぎた製作期間を過ぎて、数曲レコーディングが完了。1曲に至っては歌まで入れてきた。そして次の仕事。また曲を作る期間に入ります。頭も回ってない時間が増えちゃったけどそれでも楽しいのは不思議なものだ。ナイポレの選曲で自分のライブラリーと向き合う時間が数週間に一日はあるからそれかもしれない。6/1はハードコア選曲回だったので更に曲数が増えました。選曲もかなりいい感じ。先月発売したばかりのものから、母のライブラリーから受け継いだものまで。うれしいねえ〜
某社に4年ぐらい送ってなかった某曲の著作権の契約書を送った。即入金かな〜と思ったら某社の振込ラインに満たない額しか入ってなかったらしく入金はなさそうです。僕は発売から4年経った某曲の印税を受け取れる日は来るのでしょうか。
先日、THREEでイエママのサポートをやったとき、共演で久しぶりにあった井上くんが酔っ払っていて「澤部さんはどうせ帰っちゃうんでしょ、打ち上げでないんでしょ」と絡まれる。下戸のインタビューを楽しく読んでくれたそうだが「そういう絡まれ方が嫌だから僕は打ち上げが嫌いなんだぞ」と目を見て話した。伝わっただろうか。楽しい気持ちを共有したいのはわかるが、楽しい気持ちを強要されるのは居心地が悪い。
インスタグラムをなんとなく見ていたら方便くんが盛大にチリトマヌードルをこぼしている画像をあげていた。めったに方便くんの写真にいいねをつけないのになぜかいいねを押してしまい、不幸があったときにだけいいねを押すような人間に自分もなっちまったのか、と様々なことを呪った。
以前シェアハウスをしていたみんなと久しぶりに会った。くだらない話ばかりして、こういう時間はいいものだ、と素直に思う。
制作の期間が終わったので積んでいた漫画を少しずつやっつけていく。阿部共実さんの「月曜日の友達」2巻とんでもなくよかった。今夜は大沖さんの「たのしいたのししま」1巻を読んで寝ようと思う。大沖さんがコミティアで出して、その後twitterにアップしていたにがみちゃんの漫画、一日でかきあげたそうで、読んでても大沖さんすげえ乗ってるな!とこちらもアツくなる内容でテンポ感含めて最高でした。
2018-05-19
■ ビガップ太郎 
『エス・オー・エス』の臨時増版分が我が家に届いた。低価格を求めて今までとは違う業者にオーダー。1万円ぐらい値段が違った。はじめてのプレスなので仕上がりが不安だったので届いたCDをそのままプレイヤーにかける。通して聴くのはかなり久しぶりだ。「エス・オー・エス」は今だったらこうやらない、というアイデアがたくさん詰まっている。いつまで経っても自分の中では古くなれないアルバムになってしまった気がしていて、それはそれで少しさみしい。事務所でcero特集のユリイカに鈴木慶一さんが寄稿したコラムを今更読ませてもらって膝から崩れ落ちた後の確認作業だったので、自分のシャイネスはそういうことじゃないのかもしれない、でもいつも心にシャイネスがあって…だなんて考え出してまとまらなくなった。アルバムを聴き終えた時、8年も前のレコードなのに安心して聴けてしまうんだね。私の失望と輝ける私の未来が同じバナナの葉の上に盛り付けられ、それらを素手でいただかなければいけないような状況だと感じた。8年も前の事ぐらい「そんなレコードもありましたね」で済ませたいのに8年たったいまでも「一人でも多く聴いて欲しい〜」と思ってしまうスカートのファースト・アルバム『エス・オー・エス』をどうぞよろしく。
yes, mama ok?のリハーサル。リハに入る度に僕はyes, mama ok?の曲が本当に好きなんだな、としみじみ思う。いつか「The Charm of English Muffin」を書きたい。いつか「問と解」を書きたい。いつか「Q&A call 65000」を書きたい。いつか「Hurry Up!」を書きたい。いつか「days of heliotrope」を書きたい。
2018-05-09
■ グーテンターク 
昼間、買って3ヶ月もたなかったNintendo Switchのプロコントローラーの入院手続きをして郵便局に持っていった。昼食を摂ろうと某店に入って注文したらあまり好みのものとは言えなくて顔が曇っていたんだけど、そこになんともいえないフュージョンがかかっていてさらに精神力を削られていく結果に。書店にいって鶴谷香央理さんと大沖さんの新刊買いにいったのだが鶴谷さんのがなくて、辛うじてくたびれたロープでビットにつながれていたかつて心と呼ばれたものがゆっくり離岸していくのが解った。それぞれは大した事じゃない。3ヶ月経たずに8000円分近い楽天ポイントと引き換えに購入したコントローラーがぶっ壊れたことも大したことじゃないんだ。(修理出している間に楽しもうと買ったもともと壊れていたジョイコンLを買い足したのだがそれが一週間もしないうちに暴走しだしたことはまた別だけれども。)なんとなく入ったカレー屋のスパイスカレーがショボかったのも大したことじゃない。そのカレー屋でフュージョンがかかっていてもなにも不思議じゃない。傷は浅い。書店で読みたかった本がないのももうこの街に住んで4年近く経つんだから解ったはずだよ。しかし、全ての痛みを全身で受けた書店の帰り道の踏切を渡る頃にはサッド・モンスターがそこに誕生していた。ライヴも終わって、さて創作だ!とスイッチを入れた数時間前の私はもう既に渡れない橋の向こう側にいるようだった。かなしいペダルをこいで部屋に帰ると布団だけが僕を優しく受け入れてくれた。ああ、眠ったね。抗えないかなしみを抱えてしまったときは眠るしかないんだろうか。輝かしい失われた数時間。棄ててしまうべき数時間。やれたことは沢山あったはずだろう。その数時間。
2018-05-07
■ ニュー・ハロー 
詩のしっぽを捕まえたいかい?愚かなことを言うんじゃない。詩というのはね、ペン先のみによって綴られるものではきっとないと思うな。例えば見慣れた汚い部屋がきれいになったり、作業机に無造作に積まれたCDがどうにか棚に収まったりすることも必要だったりするんじゃないかな。かくして私のGWはどこかにでかけるわけでもなく、部屋と向き合っていたら過ぎていた。作業部屋には本棚が4つ。IKEAのBILLY、デカいのが2つ、細いのが1つ、そして唐木さんにもらった耐震仕様の本棚。先日新しく買った本棚というのは唐木さんからもらったやつだった。薄くて頼りになるいいやつ。IKEAのBILLYをひとつ処分してそこに新しい本棚を置くつもりだったのだが、収容力の違いをまざまざと見せつけられ、結局2つのBILLYは元の場所に置くことになり、禁断の居間に本棚があるスタイルでやることになってしまった。しかし、ひとつ本棚を処分するつもりで作業をしていたのでそこに入っていた本やCDを一度全部出す作業が本当に腰にこたえた。BILLYは二列に本が入れられるのでその裏にあった本やCD、普段目に入らない本やCDについて長い時間考えたりしてしまった。手を動かさなかった分、詩のアイデアがふつふつと固まりだしている気がする。
2018-05-02
■ グラタン・トーク 
深夜、部屋でギターの録音をする。自分の曲以外でギターを弾くのはいつぶりだろうか。下手したらゴロニャンずとか僕とジョルジュぶりかも。マイベスト!ワークスだなあ、不吉だなあ、なんて思っていたけど多分どついたるねんのトリビュートぶりだと気がついた。結局マイベスト!ワークスだった。7分ぐらいある曲をストイックに弾いていく。通常のチューニングから変えて弾いた方が歯切れが良くなる、と手首の痛み(を緩和したいという怠惰、もしくは正当な防御)とともに気づいてまずチューニングを変えた。そしてフレットの下の方にレコクリン(厚手のティッシュのようなレコード拭く不織布っぽいやつ)を挟むことにより、しなやかかつファンキーなカッティングを私は手に入れた。満足しながらも音を整えたりしていくうちにぼんやりした頭で書き出して先方に送信したら書き出しの方法を間違えてしまっていたことに気がついた。うれしい仕事です。近いうちにお知らせできるといいな。
本棚が明日届くことになってしまい、急いで旧本棚を片付けている。CDや本がこんなにたくさんあるなんて。あるものはなんとか片付けた押し入れのなかに。またあるものは居間にこぼれてしまった。十代の頃と比べると蓄積だろうから、そらものは増えるんだけど十代の頃と向き合い方は絶対に違うはずだ。三十代に突入した私はそこに痛みを持っているのだろうか。選べなくなって傷が増えていく。
製作期間のため、いろんなことを考える。その分、湯に浸かった途端にスイッチが切れる。今夜もそう在りたい。
2018-04-30
■ 迷信百貨店 
仕事と自分の部屋に向き合う日々。真顔で「ヨユーっすよ」と言ったのを恨む日々でもあり、私自身が発した言葉とその質量を自身に問い続ける日々でもある。未来はなるようにしかならない。
部屋に向き合い、ソファを新調(済)し、本棚を新調(5月上旬)することに決めた。IKEAの安本棚に2列で収納された漫画や本やCDに対して僕はもっt優しくなりたい。
ラジオ番組(京都a-station、NICE POP RADIOは毎週金曜午後8時から放送中)をやるようになって、自分のライブラリーと向き合う機会が増え、あらゆる意味での希望と絶望を同時に噛みしめるようになった。ああ、あったはずのCDが手元にない(だがAAC、128kpbsのデータはある)という事態も増えるが、向き合うことによって10年ぐらい聴いていなかったCDを再生するような事も増えた。ライブラリーというのは蓄積はするけど、蓄積する反面、沈殿していくものも少なからずあって、沈殿しているのならまだ可視化されているだけマシ、表層でも澱でもない何かが手元からすり抜けていってしまったことに私は気づけてすらいなかった、と解る時の無力感もまた気分がいい。
チェット・ベイカーの自伝を読んで気になって聴くようになったピアニストにリチャード・ツワージク(またはディック・ツワージク)がいる。24歳という若さでこの世を去ったということもあり自身がリーダーを務めた正式なレコーディングはあまりに少なく、その録音のどれもが不気味な手触り。不気味なゆえに惹かれる。ジャズ・ピアニストの幽霊がジャズ・ピアノを弾いたらきっとこんな音になるに違いない、と思える音像。で、ある日スタンリー・カウエルのCDを探していたらなんとなく目に入って買ってしまったサージ・チャロフというバリトン・サックス奏者のリーダー作を機材がパンパンに詰まった軽自動車で聴いたらどえらい曲が始まってしまって、井の頭通りの信号待ちでクレジットを確認。するとピアノにツワージクの名前があり、表題曲はツワージクの作品だった。きっとしっかりとしたスコアがあって、そこから逸脱しては戻って、また外れて、というスリリングなもの。ただ混沌としているだけではないのが、また、いい。この曲を聴いて、僕の少ないジャズの知識の中から不思議とひとつの線になったのがタッド・ダメロンの「フォンテーヌ・ブロー」(1956年)とチャールズ・ミンガスの「直立猿人」(1956年)だった。サージ・チャロフのこのアルバムは1954年の録音。この3枚のアルバムに何か共通項がある気がして、それを考えているのがここ最近の私です。