「お前、脳みそ入ってんのか?」と問われて、私には脳みそが入っているのかどうか不安になった。
私の頭蓋骨の中に脳みそが入っているのかどうかを確かめることは、相当に難儀することが予想された。なぜなら私は脳外科医ではなくパン屋だからだ。
食パンを切る尋常ではない形のナイフとピザを切り分けるローラーみたいなやつしか見当たらかなったので、それで手術を敢行した。
妻は接客をしている。今がチャンスだ。万が一私に脳みそが入っていなかった際の妻のショックは計り知れないだろう。なぜなら私たちは、私の頭の中に脳みそが入っているという暗黙の了解の元に結婚したからだ。離婚などとなったら誰がパン屋の接客をすればいいのか。
3時間の奮闘の末に頭蓋骨を取り外した。ピザを切り分けるローラーみたいなやつは頭蓋骨を切り分けることもできるとわかったことが収穫であった。
よし、いよいよ自分に脳みそが入っているのかどうか確かめるぞ。手鏡を持つ右手が震える。
その時「あなたー」と妻が入ってきた。「ピザを切り分けるローラーみたいなやつ知らないかしら」
「ちょうど良かった、エカチェリーナ。頭蓋骨の中を覗き込んでみてくれ。私に脳みそが入っているかどうか確かめてくれないか」
すると妻は卒倒してしまった。なんでやねん。そうか、妻は今まで自分(妻自身)に脳みそが入っているかどうか考えたこともなかったに違いない。私が「お前、脳みそ入ってんのか?」と言われて衝撃を受けたように、妻もその疑問に直面して卒倒してしまった。そうに違いない。
解決方法はひとつしかない。妻にも脳みそが入っているかどうか確かめさせてやればいいのだ。妻は私が知る中で最も聡明な女性だ。入っているに決まっている。
果たして、ピザを切り分けるローラーみたいなやつで妻の頭蓋骨を切り開いた。案の定、脳みそは入っていた。
「おい、エカチェリーナ。入ってるぞ」
すると妻は意識を取り戻した。「あなた、良かったわ。私、自分に脳みそが入っていないんじゃないかと」
「何も言うな。もう怖くない。入っていたんだから。ついでに私のも確かめてくれ」
妻は私の頭蓋骨を覗き込む。
「入ってるわ、あなた。脳みそがちゃんとある。誰かがあなたにひどいことを言ったのね。可哀想なあなた。だけど、もう大丈夫。入っていたのだから」
「ただいまー」と息子が学校から帰ってきた。来年からジュニアハイスクールスチューデントになる。
妻と私は目を合わせた。遺伝的には脳みそが入っている者同士の子どもには脳みそが入っているはずだ。だけど。確かめなければならない気がした。妻も同じことを考えていたことは脳みそを見ればわかる。
「ちょっとそこに座りなさい」私たちは脳みそむき出しのまま息子に指示した。
「え、なに?」
「疑ってるわけじゃないんだ。決してそうではない。だけど、確かめなければならない。常日頃からお父さんは、自分の目で見たことだけを信じなさいと言っているだろう。それを今からやる」
「え、でもさ」息子は平然と言う。「いちたすいちはにだし、いちたすにはさんだよ」
私と妻は衝撃を受けた。コイツ、入っている!
私たちはパンを求める客のことも忘れて泣いた。何てことをしてしまったんだ。無償の愛を注ぐべき息子を少しでも疑ってしまうなんて。
息子は続けた。「でもね、父さんには入ってないね」
妻が気まずそうに目を逸らしたのが見えた。私は狼狽した。改めて持った右手の手鏡が震えている。自分の目で確かめなければならないと言ったのは私自身だ。妻はそそくさと接客に戻り、息子は遊びに出掛けた。
「はやく確かめろよ。腰抜けが」頭蓋骨の中から声が聞こえた。こんなに近い距離で明らかに私に向けられたものだったので、聞かないふりはできない。
「あなたー、ピザトーストを焼いて頂戴。品切れよ」店内から妻が言うのが聞こえた。いや、もしかしたら頭蓋骨の中から聞こえたのかもしれない。
「わかったー、いますぐ作るよー」と頭蓋骨の中が返事をするのが聞こえた。頭蓋骨の中から手が出てきてピザトーストを作り始めた。私には脳みそが入っているかもしれないという希望だけが残った。