糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

06月06日の「今日のダーリン」

・「ももクロ」の東京ドーム公演を観に行って、
 すごいものだなぁと感心しながらその場をたのしんだ。
 会場の応援している人たちも、大きな意味での
 「ももクロという生きもの」なんだと思えて、
 その感じがなんだかとてもよかった。
 ステージが終幕をむかえるころ、メンバーが、
 さよならのあいさつをしはじめた。
 ぼくらは、一足先に通路を歩いて楽屋に向かっていたが、
 彼女らの声だけは、耳から入ってきていた。
 印象に残ったので、はっきり憶えているのだけれど、
 「ももクロ」たちは、こう言った。
 「わたしたち、勉強はできなかったんですけれど」と。
 しかも、これを三度言ったと思う。

 「勉強ができる」ということは、世の中の大きな価値だ。
 どれだけ他のなにかができたとしても、
 学校の勉強ができることが、
 いちばん真正面から認められる価値になっている。
 「ももクロ」たちも、もしかしたら、
 勉強が思うようにできなかったことを、
 気にしていたのかもしれない。
 「勉強はできなかったんですけれど」のなかに、
 その分、他の道をがんばってきた、という誇りを感じた。
 親にも先生や社会にも、しっかり認められる
 「勉強ができること」と、釣り合いがとれるくらいまで、
 わたしたちはやってきたんだぞ、と。
 やっと言えるような気がして、言ったのだろうか。

 ぼくは、ずいぶん大人になっているので、
 若い「ももクロ」さんたちのように、
 「勉強ができること」について考えることも、もうない。
 「勉強ができること」は、わるいことじゃないとも思う。
 だけど、じぶんの生き生きとしたうれしさになったり、
 人によろこばれたりすることには、他に、
 ものすごくたくさんのやり方があると知っている。
 ものすごくたくさんのやり方があるのは素敵なことだ。

 今日創刊20周年を迎えたぼくらは、こう言おうかな。
 「わたしたち、勉強もできなかったし、
 歌も踊りもできなかったけど、たのしいことやります」。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
20年間やってこられて、うれしい。みんなのおかげです!