登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
ミルカさん:数学が好きな高校生。僕のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。
僕とテトラちゃんとミルカさんの三人は、連続関数の問題を考えていた。
僕「最大値って、上界のうち最小のものじゃないのかな……」
ミルカ「それはいい予想。閉区間上の連続関数が取り得る値の最小上界は、が取り得る値の最大値になる。あとはそれを証明するだけだ」
僕「証明するだけね……」
テトラ「せ、先輩方。ちょっとお待ちください。テトラはただいま混乱中です。考えるのは上界の最小値でいいんでしょうか。上界の最大値ではなく?」
僕「上界の最小値を考えるのでいいんだよ、テトラちゃん。上界はたくさんあるけど、 そのうち最小のものが関数の最大値になるっていう話なんだから」
テトラ「ちょっと、図に描かせてください……」
《上界》と《最大値》のイメージ図
僕「どう?」
テトラ「なるほど……わかりました。最小上界、つまり上界のうち一番小さなものが、関数の最大値になりそうだ……ということですね」
ミルカ「定義も再確認」
最大値
を満たす、すべてのに対して、
このときの値を、集合の最大値という。
論理式で表すなら、
上界
を満たす、すべてのに対して、
このときのを、集合の一つの上界という。
論理式で表すなら、
ミルカ「最小上界のことは上限(じょうげん)と呼ぶけれど、いまは最小上界という言葉のまま話そう」
僕「最小上界が結局は関数の最大値になるんじゃないか、というのが僕の予想だよ」
ミルカ「では証明を探っていこう。まず、最小上界をと置く」
ミルカさんはそこで軽くウインクした。
僕「えっ……?」
テトラ「ミルカさん? あ、あの……いまのは?」
ミルカ「ブックマーク代わりだよ」
テトラ「ブックマーク?」
ミルカ「話を進めよう。最小上界はもちろん上界でもある。したがって、閉区間に属するどんな実数に対しても、が成り立つ。それはなぜか。テトラ?」
テトラ「は、はい。わかります。のグラフは の水平線以下にぜんぶ入っていることになりますから」
僕「というか、上界の定義そのものだよね。が上界であるというのは、 に属するどんな実数に対してもということだから」
テトラ「そうですね」
ミルカ「最小上界はを満たす。だから、私たちの関心はこの不等式の等号が成立するかどうかだ。 を成り立たせるは閉区間内に存在するか。 もしそのようなが存在するならば、関数は最大値を取る。 になるから」
僕「そしてそのとき、最大値と最小上界は一致するわけだね」
ミルカ「そういうこと」
テトラ「あ、あのう……あたしはここまで話についてきていると思うのですが、いま、とても不安です」
僕「どうして?」
テトラ「あのですね。を成り立たせるが存在するかどうか……あたし、 こういう問題を見るといつも思うんです。いったいどこから考え始めればいいんでしょうか。 という関数は具体的に与えられていません。 それなのに何かを考えなさいと言われると、 雲をつかむような気持ちになるんです。 いつもです。いつも、そんな気持ちになります」
僕「は与えられているよね」
テトラ「えっ?」
僕「問題文に、実数の閉区間から実数全体の集合への連続な関数とあるから……」
テトラ「連続な関数……という部分ですか?」
僕「きっとそれを使うんだと思うよ。《与えられているものは何か》と問いかけるなら、は連続……という条件と、 は最小上界である……という条件をきっと使うことになる」
ミルカ「……」
テトラ「は連続という条件を、使う……?」
僕「たぶん、数列を作るんだと思うよ。ほらさっきもそうだったよね。 数列を作って、その極限を考えた(第225回参照)」
テトラ「今回も?」
僕「うん、そうだよ。きっと数列を作るんだ。そして関数の連続性を使って、 極限値に等しくなるがちゃんと存在する!……という筋書き」
ミルカ「あとはどんな数列を作るかだけの問題だな」
僕「うーん……」
ミルカ「《似た問題を知らないか》」
僕「うん、だから知ってるよ。でもあのときは上界が存在しないと仮定した背理法だったから……」
ミルカ「だから、話は違うと?」
僕「だって、ほら、という性質を持つを考えたよね。今回はを正の無限大に発散させるわけには行かなくて、極限値として……ん?」
ミルカ「今回はを最小上界に収束させたいんだろう?」
僕「……」
テトラ「先輩?」
僕「わかってきたぞ。いま考えているのはこういう問題4だよね」
問題4
実数の閉区間から実数全体の集合への連続な関数の最小上界をとする。
このとき、となる実数が閉区間に存在することを証明せよ。
ヒント:での極限値がである数列を作る。
僕「うん。こういう不等式を考えてみるんだ!」
テトラ「は最小上界ですよね。それよりもだけ小さな実数よりもが大きい……?」
僕「は正の整数とする。たとえば、のとき、
テトラ「……わかりません」
僕「必ず存在するんだよ、テトラちゃん」
テトラ「……なぜですか。なぜそんなことがいえるんでしょうか」
僕「だって、は最小上界だよね。は最小上界より小さくなる。 最小上界より小さいということは、 はの上界にはなれない。 上界ではない、ということは上界の定義を考えると、
テトラ「何となく……わかってきました。こういう感じでしょうか」
僕「そうだね。そしてこのグラフでいうと、は軸のこの範囲から選ぶ」
テトラ「ということは、はここから選ぶのですね」
僕「それをずっと続けていける。でね。だって、は最小上界だから! だから、の存在がいえる」
ミルカ「ふむ。それで?」
僕「それで、この問題4は証明できたね」
問題4
実数の閉区間から実数全体の集合への連続な関数の最小上界をとする。
このとき、となる実数が閉区間に存在することを証明せよ。
ヒント:のときにが極限値になる数列を考える。
ミルカ「……」
僕「数列を考えると、これは無限数列になって、しかもになる。 ということは、 二つの山になったりしても大丈夫なように、収束する部分列を取る考え方が使えるね(第225回参照)。 数列から、必ず収束する部分列を作ることができる。 という区間を二等分して、無数の項を含んでいる区間の方を選んでいくという論法。 実数列を考えているから、区間縮小法を使って極限値の存在がいえる」
テトラ「なるほど! 確かに同じ議論ですね!」
僕「関数は連続だから、でになって、がいえた。これはすなわちを満たすが存在すると主張している」
テトラ「これで、問題4が証明できて、最小上界との最大値が一致することがわかりましたから、問題3も証明できましたね!」
問題3
実数の閉区間から実数全体の集合への連続な関数には、上界が存在することがいえた。
では、この関数が最大値を持つことを証明せよ。
僕「そうだね!」
ミルカ「残念ながら、まだだ」
テトラ「え……まだですか?」
僕「どうして?」
ミルカ「では、ブックマークに戻ろう」
ミルカさんが、もう一度ウインクをした。
ミルカ「私たちは最小上界をと置いた。そして問題4ではそのを使ってが最大値を持つことを証明した。 しかしこの議論には大きな欠けがある」
テトラ「大きな欠け? それは何でしょう、わかりません……」
僕「そうか!」
テトラ「えっ?」
僕「わかったよ、ミルカさん。僕たちはまだ《最小上界の存在》を証明してないんだね」
ミルカ「その通り。最小上界をと置き、そのようながもしも存在したならば、が最大値を持つことは問題4で証明できた。だがまだそのようなが存在することは証明していない。それは大きな欠け、論理のギャップだ」
テトラ「うわ……ぜんぜん気がつきませんでしたっ!上界が存在することは証明しましたし、上界がたくさんあることはすぐにわかります。 でも上界の最小値……最小上界が存在するかも気にしなくてはいけないのですね」
ミルカ「ふだんなら気にしないけれど、私たちはいま、平均値の定理→ロルの定理→閉区間上の連続関数が最大値を持つ……という証明の流れをさかのぼっている途中だ。 そこでは最小上界の存在を気にする必要がある。もしも気にしないのなら、 ずっと以前に《あたりまえ》で済ませてもよかった話なのだから」
僕「どうやって証明するんだろう。それ」
ミルカ「私たちがさっきから話題にしている《上界》は、ていねいにいうなら《関数が閉区間で取り得る値の集合の上界》だ」
僕「そうだね」
ミルカ「そのような上界は無数にあるが、上界のすべてを集めて集合と呼ぶことにしよう」
テトラ「は上界全体の集合ということですね?」
ミルカ「そうだ。そして実数全体の集合のうち、集合に属していない実数をすべて集めた集合をと呼ぶことにする」
僕「うん? ……ねえ、ミルカさん、これって」
ミルカ「しばらく、口を閉じていてもらっていいかな」
僕「はいはい」
ミルカ「集合と集合はどちらも空集合ではない」
テトラ「はい、そうですね」
ミルカ「集合との和集合は、実数全体の集合になる」
テトラ「それはそうですね。実数のうちにないものはすべてにありますから」
ミルカ「集合との共通部分は、空集合になる」
テトラ「……はい、これもわかります。実数のうちにないものだけをに集めたわけですし」
ミルカ「さらに、集合に属する任意の実数は、集合の任意の実数より小さい」
テトラ「えっ!……ええと?」
僕「上界だからね」
ミルカ「口を……」
僕「はいはい」
テトラ「ああ、わかりました。は上界全体の集合ですから、になるはずはないですね。上界の一つであるよりも大きなは上界の一つになってしまいます。 そのようなはの要素でなくてはいけません!」
ミルカ「ここで、君が口を開く」
僕「ミルカさんは、デデキントの集合の切断を作っているんだね?」
ミルカ「その通り」
《集合の切断》
要素に大小の順序が定められている集合に対して、 以下の性質すべてを満たす集合を考える。
(1)もも空集合ではない。
(2)共通部分は空集合。
(3)和集合は全体。
(4)の任意の要素と、の任意の要素に対して、
このとき、順序対をの切断と呼ぶ。
テトラ「これ……以前お聞きしたことがあります(第156回参照)」
僕「うん、有理数全体の集合の切断を使って実数を構成したよね(第159回参照)」
ミルカ「いまは実数全体の集合の切断を考えたことになる。上界全体の集合をとして、に属さない実数をすべて集めた集合を考えると、は《の切断》になる。 集合に最大値があるかどうか。集合に最小値があるかどうか。 それを考えると論理的に通りの場合のいずれかになる」
(1)に最大値があり、に最小値がある場合。
(2)に最大値があり、に最小値がない場合。
(3)に最大値がなく、に最小値がない場合。
(4)に最大値がなく、に最小値がある場合。
ミルカ「これを順番に吟味していこう」
テトラ「……」
(1)に最大値があり、に最小値がある場合
ミルカ「(1)に最大値があり、に最小値がある、ということはありえない。なぜ?」
テトラ「こういう場合ですよね」
テトラちゃんはそういって、両手をじゃんけんのグーの形にして、突き合わせた。
テトラ「こういう場合がありえないのはなぜか……中点がどちらにもはいらないから、でしょうか」
ミルカ「それでいい」
テトラ「の最大値との最小値の中点を考えると、それも実数ですけど、の最大値より大きくての最小値より小さくなるので、 にもにも入りません!」
僕「それはに矛盾する、と」
ミルカ「これで(1)は除外された」
(2)に最大値があり、に最小値がない場合
ミルカ「次に(2)に最大値があり、に最小値がない、ということはありえない。それはなぜ?」
テトラ「今度は、こういう場合ですね」
テトラちゃんはそういって、左手はグーの形、右手は指で丸い輪を作って突き合わせた。なるほど。
テトラ「これがありえない? に最大値があったとしたら?」
僕「もしも最大値があったとしたら……きっと矛盾するんだよ」
テトラ「矛盾?」
僕「の要素はどれもの上界ではない。もちろん、の最大値もの上界ではない。 ということは、になるようなが存在することになる。 でもそうだとしたら、はの要素じゃないはず。だっての最大値より大きいんだから」
テトラ「は、はあ……」
僕「そのときはの要素になる。だっては実数なんだからかかどちらかの要素になる」
テトラ「確かにそうですね」
僕「でもそれじゃ……矛盾する。何に?」
テトラ「?」
僕「うーん、何に矛盾するんだろう……」
ミルカ「がの最小値になる」
僕「ん? ……そうか! の要素はすべての上界なんだから、確かにはの最小値になるね。 より小さい実数は上界になれない。つまりより小さい実数は集合には存在しない」
テトラ「う、ううう。なるほど……お待ちください。でもがの最小値になったらどうして矛盾なんですか。それは別におかしくはないですよね」
ミルカ「おかしい。なぜならいまは(2)を考えているから。こういう場合なんだろう?」
ミルカさんはそういって、さきほどのテトラちゃんのように、左手はグーの形、右手は指で丸い輪を作って突き合わせた。
テトラ「あっ、そうでした。(2)ではに最小値がないという前提なんでしたっ!」
僕「だから、(2)もありえないのか……」
(3)に最大値がなく、に最小値がない場合
ミルカ「では次。(3)に最大値がなく、に最小値がない、ということはありえない」
テトラ「今度は、こういう場合ですね」
テトラちゃんはそういって、両手でそれぞれ丸い輪を作る。
テトラ「これは、どうしてありえないんでしょうか」
ミルカ「なぜなら、それが実数というものだから」
テトラ「はあ?」
ミルカ「これはデデキントの公理だ。実数の連続性公理と呼ばれているものの一つ。がの分割であるとき、に最大値がなく、に最小値がないということはありえない。 これがデデキントの公理。これ以上は理由をさかのぼれない」
テトラ「なぜでしょう。どうしてさかのぼれないんですか?」
ミルカ「もし(3)のような状況が起きるようなら、それはもう実数とは呼べないからだ。 実数の連続性公理は、実数が満たすべき公理の一つ」
テトラ「公理!」
僕「そうか、証明をさかのぼっていくと公理まで行き着けるんだ……」
ミルカ「通りのうちいずれかになるはずなのに、(1)(2)(3)はありえないことがここまででわかった。 残ったものは……」
僕「(4)に最大値がなく、に最小値がある……だね」
ミルカ「その通り。すなわち、集合には最小値が存在しなければならない。集合は上界全体の集合として定義した。これで最小上界の存在がいえた。 そして、これが私たちの証明すべきことだった。 証明終わり。これで、ひと仕事おしまいだ」
(第226回終わり、第227回へ続く)
舞台裏のメタ発言コーナー!
テトラ「今回はちょっと……かなり難しかったです」
ミルカ「そう?」
テトラ「あたりまえに思えることを証明するのは、難しいです。それから、 あたりまえのように思えることを証明しているうちに不安になってきます。 『これは証明しなくてはいけないことなのか、証明せずに使っていいことなのか』……と」
ミルカ「たとえば?」
テトラ「たとえば、とが実数のとき、は実数になるのか、のようなことです」
ミルカ「それもまた、実数の公理から導かれることになる。たとえば杉浦光夫『解析入門Ⅰ』の冒頭では、 実数で成り立つ十七個の命題が挙げられており、 そこから実数の性質すべてが導かれる」
テトラ「十七個の命題……」
ミルカ「最初の十六個は『は順序体である』とひとことにまとめられる。そして十七個目が連続性公理だ」
僕「証明の中で気になることがあるんだ。上界の存在証明では区間縮小法を使って、最小上界の存在証明ではデデキントの公理までさかのぼったよね。 この違いは何だろう」
ミルカ「実数の連続性公理は一つではない。同値な命題群がたくさんある。どれか一つを公理にすれば他は定理になる。 区間縮小法で実数が決まることも、実数の連続性公理の一つ。 たとえば赤攝也『実数論講義』 にはたくさんの連続性公理が挙げられている。 おもしろいことに、平均値の定理もまた実数の連続性公理の一つとして挙げられている」
僕「へえ……!」
参考文献