…というのは今までの人生で得られることができたと思っている持論であると同時に、自分の過去、そして自戒です。
他人と自分を比べて惨めになったり、妬んでいたの過去の自分
育った環境において苦労も心配もすることなく、望む道を手に入れていた人をひたすら妬んでいたのは、何を隠そうずっと昔の過去の私。まだ10代の頃。
今や近年の日本と違い、同級生のほぼすべてにおいて親が全部面倒見てくれ、当然学費も全部出してくれ、何の心配もなく、大学進学して夢を追う方向に躍心していく。
祖母の死後、学費となるはずのお金は親がすべて新興宗教に注ぎ込んでしまい、私は何も悪いことしてないのに子供ながらに貧乏で悲惨な思いをし、家庭環境や国のシステム(無償貸与制の奨学金や教育救済システムがない)のせいで望む教育さえ受けられない。
高校生の頃から身を粉にしてバイトもした。正確には中学生の頃から泊まり込みでバイト。それでも到底届かない。高校も県の奨学金で卒業。元からのこの理不尽はいったい何??
・・・といった具合で。
思春期の頃にこういう経験をして、当時はネットもなかったので、他にも同じような同志がいることも知る由もなく、変わった家庭環境の人が周囲にいるはずもなく、1人で苦しむ日々。その後、20代に入ってもしばらくはこういう在り方がデフォルトに。
不幸な境遇を恨むような在り方は間違ってると気づくきっかけもなく、誰からも教わることなく、バブル崩壊直前で親から車やブランドバッグを買ってもらえる経済的に恵まれた同級生を妬み、自分は次週の食費もままならない状況で呆然と立ち尽くして、時に生きる希望をなくして。
そんな過去もあって、うまくいっている他人を妬む気持ちは、とてもよくわかる気がするんです。綺麗事を言うつもりはないです。すごくわかります。子供時代の惨めな環境が自分の成人後の人生をもメンタル面で多大にマイナス影響させることもとてもよくわかります。全然否定しません。
他人と比べて落ち込む、妬む。そんな不幸の負のループから抜け出せた理由
そんな妬みや自分卑下の不幸体質だったのに、やがて抜け出すことができた。
その理由は、私の場合は「ネットの台頭」でした。
ネットと出会って、本当は自分にはパワーがあることを知った。世界にはいろんな世界があることを知った。自分の世界がいかに狭かったかも知った。悲惨な環境から抜け出して自分で掴み取って叶えていくことができるという概念を知った。そして、勇気を得た。人生を変える勇気、覚悟を。
今でもネット界隈では「貧困の連鎖」について言われています。無知のまま、何も学び得ず、何も行動を起こさなければ、確かに貧困は連鎖してしまいます。
そんな「貧困を抜け出す努力」など何1つしなくとも、家が裕福または最低でも中流以上で、元から経済的余裕を持って暮らせるような恵まれた人は確かにいる。土台からして違うのも確か。貧困を抜け出すにもまたお金がかかるのです(学費、資格取得費用、書籍代、その他)。
でもそれが現実なのだから、受け入れるしかない。受け入れると決めて、自分で連鎖を断ち切るしかない。
今ならばネットがあります。情報を受け、それをどう取り入れ、どう実現するかだけ。時間はかかるかもしれない。ネットで無料で勉強できることもたくさんあります。図書館も活用できる。
それもあってか今の若者はYoutuberになりたいだとか経済状況にかかわらず夢をかなえる方法があることも知ってる。
今の若者は可哀想などという言説がネットで見られるけれど、私は、今の若者はこれまでにないほど恵まれていると思っています。ネットというツールを使って人生を変えることができるから。
私の時はそれがなかった上に、実家や家族という助けもなく、バブル崩壊後の就職氷河期で仕事は見つからない。自分で変えるなんて発想は皆無で、社会が強いてくる常識とやらに従うしかなく、希望をなくしたまま死んだように生きてました。
自分の人生は自分で変える・変えるしかないという概念に辿り着く
そこを這い上がって、自分の人生は自分で変える・変えるしかないという概念に辿り着いた。
ネットの台頭自体もですが、ネットの台頭がきっかけとなって、海外に飛び出したことがさらなるチャンスをもたらしました。結果、負の体質を形作った子供時代や年期とお別れすることができるように。
他人が悪い・社会が悪い・国が悪いと文句を言って外部のせいにして過ごしたところで、それで解決するならまだしも、外部を恨む負の想念が自分を支配してしまうばかりで、自分が幸せになることはできません。
とはいえ、正直私にもまだ後遺症があるのを自覚していて、完全に克服し切れていない自分を発見したりもして、日本に来ると辛い過去を思い出してしまうのです。
だいぶよくなりだいぶ忘れました。でもまだ、借金とか奨学金返済とか貧困とか母子家庭とか非正規とか、そういう実態を目にすると過去の傷がうずくのです。
だから日本の大自然や遺産などが大好きなのにもかかわらず、日本でそれらを堪能したいにもかかわらず、まだまだメンタルの弱い自分は、引き続き過去の傷を忘れさせてくれる海外で生きる必要があるようです。
自分が半永久的に日本に帰る時というのは、その傷を克服できた時といってもいいかもしれません。