〈来日資料〉
1.ビートルズ来日時のジョン・レノンの直筆サイン(1966)
1966年の来日時に、ビートルズは混乱を避けるためホテルに缶詰状態でしたが、それでもジョン・レノンはこっそりホテルを抜け出し買い物に出かけたことがありました。これはその時、原宿にあるオリエンタル・バザールという店に立ち寄った際に、ジョンが店員のために店にあった骨董品の写真の裏側にサインしたものです。
2.ビートルズ来日時のジョージ・ハリスンの直筆サイン(1966)
こちらは同じく来日時に書かれたジョージ・ハリスン直筆のサイン。日本のファンクラブ会長の下山鉄三郎氏と一緒に通訳としてビートルズに会見した会田公さんが、ジョージより直接サインしてもらったもの。当時のファンクラブの用紙に大変きれいに書かれています。
3.日本公演チケット関係資料
①当選通知
左がLGB(レッツ・ゴー・ビートルズ)ファンクラブによるもので、右側が通常販売の当選通知ハガキ。
こちらは東芝音工による懸賞の当選通知。
同じく東芝音工の当選通知に同封されていた会場案内図。
②チケット
6月30日(初日)、7月1日夜の部、7月2日夜の部のチケット(全てA席券)。
チケットに付いていた注意事項(黄色)。
7月1日昼の部B席券と7月2日昼の部C席券。
上記のチケットについていた注意事項(オレンジ色)。
4.プログラム関係資料
①プログラム
②ピンナップ(2種類)
5.ファンクラブ会報
6.東芝音工資料
7.ライオン歯磨チラシ
〈海外資料〉
1. コンサート・ポスター
① A Million Volt Light and Sound Rave (1967)
1967年1月28日、ロンドンの「ラウンドハウス」で開催された音と光の祭典“A Million Volt Light and Sound Rave”のポスター。この催しにビートルズ(ポールが主体)はアバンギャルドの作品を提供しました。そのタイトルは“Carnival of Light”で、1996年発表のビートルズの“Anthology”に収録を考えていたポールに、アバンギャルドが嫌いなジョージは「ビートルズの曲らしくない」と異論を唱え、結局、陽の目を見ることはありませんでした。(2011年12月現在未発表)
② Hollywood Bowl (1965)
1965年のハリウッド・ボウルでのコンサートの新聞広告と同じ版を使用して作られたポスター。写真の下にチケットの申込書が付いています。このポスターは枚数が非常に少ないようです。
2. コンサート・プログラム
① Royal Variety Performance (1963)
1963年のRoyal Variety Performance(英国王室御前コンサート)のプログラム。ここでかの有名なジョン・レノンの「安い席の人たちは拍手をしてください。残りの席の人たちは宝石をジャラジャラ鳴らしてください」という言葉がオーディエンスに向かって発せられました。
3. 音楽誌
① The Record Retailer (September 27, 1962)
イギリスの音楽業界誌であるThe Record Retailer誌1962年9月27日号に掲載されたビートルズ初の写真入りの広告。デビュー・シングル“Love Me Do”の発売告知の広告です。まるまる1ページの広告ですが、後にプロデューサーのジョージ・マーティンは、ビートルズのデビューにはかなりEMIに対してプッシュしたことを述懐しています。
② The Record Retailer (December 27, 1962)
The Record Retailer誌1962年12月27日号。このヒット・チャートを見ると、ビートルズのデビュー・シングル“Love Me Do”が17位となっています。最高位17位ーこれがビートルズ・デビューの記録となります。
③ Cash Box & Billboard (April 4, 1964)
アメリカCash Box誌とBillboard誌の1964年4月4日号。ビートルズはこの週のヒットチャートで全米1位から5位までを独占。全米を制覇した瞬間です。
4.その他
Liverpool Institute Year Book (1959)
当資料館で最古のビートルズ資料です。ポール・マッカートニーが通っていたLiverpool Instituteのyear book。これには1959年に在籍していた全生徒名、教員名などが収録されています。
弟マイケルとともにポールの名前もあります。
さらに、ポールが美術で表彰された旨の記述もあります。才能豊かな若き日のポール・マッカートニーの姿がここに示されています。