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劇団2代目をどう理解すればいいのかということについて、一個人が考えたこと

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2018-06-05 19:04:42

シャイニングレビュー(だけ)を一回観て考えたこと

劇団シャイニングの「再演」のニュースには驚くとともに、どうしても受け入れられない気持ちをくすぶらせていました。

それでも、観ないままにあれこれ好き勝手に否定する」というのが自分のスタイルとしてはあまりしっくり来ず、かといって観る機会も作れない、作らないまま……「シャイニングレビュー」の当日券があるらしい、ということを知り、思い切って足を運んでみました。


【まず3行で結論】
・2代目は、『うたプリ』を【基盤】にした発展コンテンツで、楽しみ方のルールが違うらしい
・合う人、合わない人がいるのは公式は織り込み済みだと思われる
・これはこれ、として、分かることだけはできた(自分が乗れるかは全然別の話)


■ブロッコリーは劇団2代目で何をやろうとしているのか
ひとつは、「ヒロイン(≒私たち)を目視する」ことだと思いました。

レビューショーの前半にバラエティコーナーがあって、私が観た回では「観客に伝言役を頼んだ、ジェスチャー伝言ゲーム」というようなゲームをやってました。
ジェスチャーをするキャスト→観客席側の全員→解答役キャストという感じで、観客席側の協力で答えを伝えよう!みたいな。

 ……つまり、キャストが執拗なまでに観客席をガン見してくる構造なんですよね。視界に入れるだけではなく、細かく動作を観察してくる。

 考えてみれば、今までの『うたプリ』では、主人公(プレイヤー)とプリンスたちのコミュニケーションの回路は意外と細く、
 ・選択肢
 ・ミニゲームの成績
 ・タッチ(放置)
 ……が主なコミュニケーションでした。とてもシンプルで、制限されていて、そのぶん、返ってくるリアクションも限定的だった。

 それが、このレビューショーでは、観客の仕草も表情も拾ってくれる形になっていたわけです。コミュニケーションの質の違いが明らかすぎて、会場でビビり倒しました。

最近、VR系の事例で、こんなツイートがバズりました。



ツイート内容自体は代数幾何の話をしていますが、ここでのポイントは「視線を向ける」という、かなり暗黙的なアプローチに初音ミクが反応していることです。
これを、レビューショーの2代目キャストたちは実行してくるのです。人力で。


そしてもうひとつは、「ビジュアル面での〈本物〉」への挑戦です。

この文を読んで、「あの人たちは本物じゃない!」と思う気持ちはすごく分かります。なんなら私もそっちに乗りたい、というか乗っています。
ただ、とりあえず、「そもそも〈本物〉とは何か」ということをあらためて確認しないと、劇団シャイニング2代目の位置付けを語れなくなるので、おつきあいください。

例えば、倉花さんの撮影したビジュアルであれば〈本物〉でしょう。森さんのビジュアルも〈本物〉ですね。工画堂のビジュアルを偽物だという人なんかいない。

例えば上松さんの作詞は間違いなく〈本物〉ですよね。でも、Bee'さん、RUCCAさん、織田あすかさんの作詞だって〈本物〉として受け入れてきた。

大山のぶ代さんのドラえもんはまごうことなき〈本物〉でしょうが、今、水田わさびさんのドラえもんを偽物だというのは難しいですね。最近では、矢島晶子さんがご本人の希望で野原しんのすけ役を降板なさいました。新しい野原しんのすけの声と芝居は、これから時間をかけて〈本物〉として受け入れられていくことでしょう。

このように、総合制作物における〈本物〉は、ある意味で「公式のおすみつき」によって担保されているところがあると思います。

そしてもうひとつ、プリライ等でステージに立ってくださる声優さんたちは、やはりあくまで「声」の〈本物〉であって、ビジュアル(身長を含む)・表情・仕草などの〈本物〉であるとは限らない……というのも、また事実ではないでしょうか。

いくつもの振りで、衣装で、演出で、パフォーマンスで、声優さんたちは〈本物〉のプリンスを想起できるように振舞ってくださっています。だからこそプリライなどで一瞬〈本物〉の姿を幻視することもできる。でもそれは、彼らの声という圧倒的〈本物〉である部分を核にして、それ以外のところは脳内で補正して観る、という楽しみ方とも言えませんか。


『うたの☆プリンスさまっ♪』は歌が中心の作品だから、その歌において「声」がとてもとても重要なのは間違いないことです。私も「声が違う2代目を〈本物〉なんて思えない!」と感じています。どころか、2代目なんでしょ、だったら初代に寄せてこないでよ、とすら思っている。

ただ一方で、「生身の人間がプリンスたちの外見、仕草、ビジュアル、表情を〈本物〉化する」という試みは今まで存在しなかった、できなかった、ということも言えます。

話が変わるようですが、各種アニメ・漫画の実写化がよく話題になります。「実写化いらない」という声はいつも大きいのに、それでも実写化の例が尽きないのは、「実写という情報量が最適な人々」がかなり大多数存在するからなんだそうです。
アニメや漫画ではダメで、実写でないとピンと来ない、という人たちは確実にいる。「私はそうじゃない!」という方もいるでしょうが、それはその方個人がそうであるだけで、実写の情報量がいちばんしっくり来る、という方々は本当にたくさんいるようなのです。


実際にレビューショーに行ってみて、本当に全力で「初代」を身に落とそうと凄まじい努力をしているキャストの方がいること、そしてそれが、部分的にではあれ達成できているようにさえ思えることが、よくわかりました。

中でも、セシル丸役の横井翔二郎さんは、表情、声音、感情線、ひとつひとつの仕草に気品が宿り、他メンバーと言葉を交わす際の楽しげな笑顔、客席に向ける穏やかな視線に、初代=愛島セシルへのリスペクトがあふれていたように感じました。

ぶっちゃけ、衣装と音楽が豪華な、めちゃくちゃ壮大なコスプレショーみたいでしたけど、その壮大なコスプレショーをうまくこっち側が「ここだけ見てここは脳内で置換しよう」と割り切れば、〈本物〉を幻視することは――幻"聴"することができるくらいのものになっていたと思います。なにせ楽曲自体はエレガで、圧倒的〈本物〉でしたしね……

プリライでは〈本物〉の声、〈本物〉の歌を聴きながらビジュアルのほうを脳内で補完するように、劇団2代目では声のほうを脳内補完して初代を思い描いてください、という、それがブロッコリーからの提案のように思えました。


……いやいや、それってプリンス実在設定とめっちゃブッキングするんだけど、とは思いましたけどね! プリンス実在設定を一部ぶっ壊してでもやらなくてはいけないことだったのかは、正直わかりません。やっぱり、『うたプリ』の大きな魅力だと感じていた実在設定を、思い切りめちゃくちゃに踏み荒らされた気持ちはぬぐえない。

……でもねえ……そもそも、レビューショー内では、演目上、キャストの配置が同室ごとにまとめられていた箇所があったんですよ……観たときには悲鳴を飲み込んださ。2代目設定どこいった! やめてよ!と思いましたさ。

でも、公式が「ビジュアルは〈本物〉にしといたから、声と歌は脳内補完でよろしく」と言いたいなら、そういう初代寄せの見せ方もやらないといけないと筋としておかしい。裏を返せば、あえてそういう同室配置を見せてくるなら、これをベースに「初代」の姿を幻視してくれよと、そういうことなんでしょうよ……

しかるに、2代目キャスト陣が初代のネタをちょこちょこ引っ張ってくるのも、当然公式の指示(あるいは公式の許可)があってなんでしょう。彼ら個々人の線引きの問題ではなくて、指示があってやっていることだと思ったほうが自然だと思いました。


人の想像力には限界があって、いかにまぶたの裏に〈本物〉を思い描いても、全身のすべてを、動作のすべてを目視したかのようにくまなく詳細にイメージすることはできません。それができるのは、天才的な妄想力を持つごく限られた人だけです。舞台の上の2代目キャストたちは、その「詳細な」仕草のイメージを思い描くのを補助しうる存在でした。目で観る情報というのは本当に強烈。

声が〈本物〉でないならそれは偽物である、という方には、あの2代目は絶対に受け入れられないでしょう。ですが、プリライのステージを観てビジュアルを脳内で置換するように、声を脳内で補正できるなら――二次創作などで「脳内再生余裕」という方なら、もしかすると2代目を〈本物〉の初代のように置き換えて観られるのかもしれません。

二次創作中心に『うたプリ』を楽しんでいる方がいます。その中でも、どう考えても〈本物〉でないBL系、腐妄想で楽しむ方だっているでしょう。

そもそも私たちは意外と多くの場合、脳内で『うたプリ』を楽しんでいて、どこを外部に、どこを脳内に求めるかは毎回違っています。そもそも現在の『うたプリ』には声が存在しない楽しみだっていっぱいありますよね。グッズとかは言うに及ばず、プリンスキャットだって今のところ声はついていないですし。

つまり、劇団2代目は、よりによって「声・歌」を脳内に求める楽しみ方なんだと私は考えたわけですね。……『うたプリ』なのにむちゃくちゃじゃないの、と思いますけど、でも、漫画を読んで声を脳内再生するのと近しいと思えば……かなりギリギリですけどね……

……いや、ほんとね、無理な人には絶対に無理だコレは。でも、「腐妄想絶対NG」の人がいるのと同じで、楽しみ方の違いなのかもしれない、とも思えてしまいました。

少なくとも現状、私としては、『うたプリ』BL妄想を否定できないのと同程度に、2代目を満喫している人を否定できないな……ぐらいは思っています。実在設定の一部はものすごく脅かされてしまったけど、この舞台化の試みが『うたプリ』に新しい質の情報、リッチな情報量をもたらしたことは正直否定できません。だってめちゃくちゃリッチだったんですよ。本当に、悔しいぐらい。これを初代で観たかった、と歯を食いしばりたいぐらい。

でも、その「初代で観たかった」を脳内で追いかけろと、そういうことらしいんですよ。
シアターシャイニングを「アニメで」観たかったから、必死で脳内で思い描いた方はいるでしょう。そのように、劇団シャイニング2代目を「初代で」観たいなら、必死で脳内で思い描けと…… なめんな、と思いましたけどね……


プリンスキャットがまるでピンとこない人の話を聞いたことがあります。舞台化なんてもってのほか、という方は私のTLにも多いです。
つまり、もう『うたプリ』の全部のコンテンツを全員が楽しめる、というアプローチは諦めざるを得ないんでしょう。今回のレビューショーを観て、少なくともブロッコリーがそれを諦めていることはよーくわかった。

合わないコンテンツは合わない、と諦めて、そっちは見ないようにして、住む村=【タウン】の違いだとでも思って放っておくぐらいが推奨されているんでしょうね。『うたプリ』自体の世界を大きく大きくひろげてしまって、そこには【タウン】がたくさんあって、「合う部分も合わない部分もあるよね。自分に合う【タウン】で存分に楽しんでね」という方針なのではないか、と私は推測しました。

そういう方針ならば、今までのプリンスとは違うコミュニケーションを成立させ、違う質の情報を圧倒的リッチさで提供しえた劇団2代目は、確かに『うたプリ』ワールドの豊かさには貢献したのでしょう……実在設定との食い合わせはすごくすごく悪いけれど、世界は確かに広がったのだろうさ……


……で、だ。ここから公式disなんですけどね。

この「『うたプリ』のワールド化、各コンテンツのタウン化」をファン側が受け入れるには、その特徴的な様々な【タウン】の発展が、ある程度全部同時に起こらないといけない。そうじゃなきゃひいきですよ、ひいき。

舞台村が発展・展開して、乙女ゲーム村が放置されていたら、乙女ゲーム村の住民が怒るのは当然でしょう。
プリンスキャット村が発展・展開しても、グッズ村が流通を助けてくれなきゃプリンスキャット村の住人になることすらできない。
カルナイ村の展開があるのなら、スタリ村、ヘブンズ村も何か動きが欲しいじゃないですか。

ファンたちの住んでいる村が違うと思うならば、それぞれの村を同時に発展させていかないと、放置された村から住人が逃げ出すのは不可避。打ち出した方針に対して手入れが全然足りてねえから!!!! わかってんのかブロッコリー!!!!

……という感じでした。
長文におつきあいくださり、ありがとうございました。


私はシアシャイの舞台化にめちゃくちゃ傷ついてしまいましたけど、舞台に2代目が立ち、それを実際に目視することによってイマジネーションが豊かになるファンの方もいるんでしょう。それで『うたプリ』ワールドが豊かになるのなら、私は黙って「住む村が違うんだ」と思うことにします。受け入れられない代わりに、そっと放置しますよ……そして、世界の発展とともに、自分が住む村の発展・展開を願うんだ。

自分が住む村の発展・展開が目まぐるしければ、他の村のことなんて気にしなくても済むんだけどなあ……。公式ほんと、もっとちゃんとやってくれよ!!

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