ガレージの中は至る所が『影』だらけだった。
形容しがたいうめき声を上げながら周囲を徘徊していた化け物たちは、私の姿を見るや次々と親の仇と言わんばかりの形相で襲って来る。
悪霊なのか、それとも妖怪の類なのか。情報も考える余裕も存在しない今の状況ではあれの正体については判断しようもない。
ただ、あいつらが間違いなく危険な存在であるということは本能的に理解できた。
私はその追跡から逃れまいと無我夢中に走り回ったが、ガレージという密閉空間においては大勢を相手に逃亡するという行為自体があまりに無謀だった。
徐々に追い詰められ、行き場を失った私は最終的にガレージ最奥の整備専用スペースに逃げ込まざるを得なかった。
幸いにも整備スペースに化け物の姿は見当たらず、背後から追って来る集団も歩みの遅さからまだこちらにたどり着いてはいなかったけど、悪いことに整備専用スペースは重戦車でも余裕を持って出入り出来る巨大な搬入口こそあるものの、専用の鍵が無ければ開けることも出来ず、それ以外には外と出入り出来るような扉も存在しない。
無理は承知で工具を手にシャッターの鍵をこじ開けようと試みるものの、周囲に傷がつくだけで状況が改善する気配は一切ない。
『アアアァァ……』
背後から強まる寒気と嫌悪感に、姿をこそ見えないものの奴らが続々とこちらへ向かってくるのが肌で感じられた。
「どうしよう……一体どうすれば……」
突きつけられる絶望的な状況と迫り来る恐怖で私の頭はパニック一歩手前の状態に陥っていた。
脱出口は無く、正面突破をしようにも多勢に無勢な上、相手がこの世の者ではない以上は今手に持っている工具による打撃も期待できない。
外へ助けを求めようにもスマホの入ったカバンは逃げている間にどこかで落としてしまった。
『媚ヲ売ッテレギュラーニナッタクセニ……調子ニノリヤガッテ……』
『ゴメンナサイゴメンナサイ隊長……約束守レナクテゴメンナサイ』
化け物たちの集団が掠れた声を轟かせながら整備スペースに続々と侵入して来る。
どれもこれも顔は黒い霧状で表情こそ窺えなかったけど、先頭の『影』だけは様子が違った。
『ドウシテ……ドウシテヨ……私タチニハ何モ言ワズニ出テイッタクセニ……』
そいつは見た目の形状も表情も、他の化け物たちと何1つ変わらない黒い影のはずなのに。
『アンナ子タチトハ笑ッテ楽シソウニ戦車道シテルノヨ……』
私には、転校したみほへの憎悪に狂っていた頃の自分にしか見えなかった。
『許サナイ許サナイ許サナイ……絶対ニ叩キ潰シテヤル』
「来ないで! あっち行きなさいよ!?」
自身の忘れたい闇を見せつけられているような苦痛から逃れようと、先頭の『影』目掛けて手持ちの工具を放り投げる。
見事胴体に命中させて仰け反らせることこそ出来たものの、後ろから他の化け物たちが倒れた『影』を乗り越えて次々とこちらへ向かってくる。
『ヨクモ……ヨクモ自分ダケ裏切ッタナ』
間近に迫りくる死への恐怖で体は震え、瞳からとうとう涙まで零れてくる。
まだこんなところで死にたくない。
藁をも掴む想いで薄暗いガレージを見渡す私の視界に、見慣れた武骨なシルエットが飛び込んでくる。
それは西住隊長と共にフィールドを駆ける黒森峰の象徴。
隊長不在の間、オーバーホールのため整備区画に安置されていたティーガーⅠが漆黒の中でなお堅牢に佇んでいた。
最早私に選択肢は1つしかなかった。
震える足を奮い立たせて真っすぐに駆け出し、追いすがる化け物たちを必死に引きはがす。
そのままティーガーの左側面に到達した私はそのまま砲塔へと駆け上がり、車長用ハッチに手をかけて、慣れた動きで体を車内に滑り込ませると、ハッチを力いっぱいで引き込んで車内を密閉した。
重装甲で守られたティーガーの車内ならあいつらでもそう簡単に手が出せないはず。
ここで朝まで籠城することが出来ればきっと助けが来るに違いない。
僅かにだが見えてきた希望にホッと息をつこうとしたその瞬間――
まるで重戦車が衝突したかのような凄まじい衝撃がティーガーを襲った。
「……っう!?」
あまりに強大な振動で壁面に頭を思い切りぶつけてしまう。
痛みに耐えかね、患部を手で押さえながらうずくまった直後、再び強烈な衝撃が走り、戦闘室の床に叩きつけられる。
私が体勢を整える余裕を持つことすら許さず、奴らはそのまま止まることのない攻撃をティーガーに与え続ける。
幾度となく凄まじい衝撃と轟音が密閉された空間に響き渡る。
生半可な砲撃では貫くことを許さない重装甲も、化け物相手に対しては気休めにしか感じられなかった。
このまま攻撃が続けられれば、車両をひっくり返されるか、下手をすれば装甲に穴を開けられるかもしれない。
いや、それ以前にハッチや構造上脆い部分を狙われたらそれだけで致命的になる。
車内に逃げ込んだ際、ほんの一瞬和らいだ死への恐怖が再び湧き上がってくる。
恐怖のあまり目を瞑り、耳をも両手で塞いだ私はただただ嘆くことしか出来なかった。
「ごめんなさい、隊長……助けてぇ……小梅……みほぉ……」
あの時居眠りさえしなければ。
隊長の言いつけを守って時間通りに隊長室を出ていれば。
音を無視して帰宅さえしていれば。
頭に浮かんで来るのは後悔することばかりで、それが余計に私を惨めにさせていた。
私はいつだってそうだ。
みほが黒森峰からいなくなった時も、そして抽選会の日に再会した時も。
本当にやるべきことは出来ないくせに、余計なことはその場の勢いで実行して、最悪の結果を残してしまう。
もっとちゃんと考えて、やるべきことをやっていれば今だってこんなことにはなっていなかった。
『出テコイ出テコイ出テコイ出テコイ卑怯者』
『私ダッテティーガーニ乗リタカッタノニ』
『妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ』
『コイツサエイナクナレバ私ダッテ』