■① 安保法制に対する私たちの考えと決意
私たちは、創価学会の中で8年に渡って、本部職員が行なった不正人事や、本部職員が会員に対して誹謗中傷する行為、そして、それら職員の問題を隠してしまう学会本部の実態を体験してきました。
正直はじめは現実を受け入れられない時もありました。なぜ、こんなにもおかしなことが起こるのか。もしかしたら、自分の感覚がおかしいのではないかと真剣に悩みました。
師匠が、対話こそ創価の生命線であると仰っている中で、同じ学会本部に勤める本部職員同士が直接会って話せない。なぜなのか本当に悩みました。
悩みながらも、対話が出来ない実態や不正を隠蔽する実態を目の当たりにし、私たちは、本部執行部に対話をお願いし続けました。
そして謹慎処分、役職解任処分、地方への左遷、懲戒解雇処分、さらに除名処分となりました。そして、私は本部職員でも、創価学会員でもなくなりました。
私は生まれた時から創価学会の中で育てて頂き、人生の師匠池田先生と出会うことが出来ました。私にとって創価学会は生きる意味であり、師匠の築かれた創価学会に尽くすことが私の生きる希望でした。本部職員を志願したのも、その思いからです。しかし、解雇、除名となり、私は生きる意味であった価値を全て失いました。
しかし、失う中で、最も大切なものを得ることができました。それは、「創価学会とは、師匠と弟子、師匠と会員という絆の世界であり、その間には誰人たりとも入ることはできない。」と心から実感することが出来たことです。私に残ったのは師匠という存在しかありませんでした。
私は除名となり、創価学会員ですら無くなりました。しかし、会員でなくても、師匠の弟子だと心から思っています。学会員の皆さんと同じように、私も偉大なる師匠の一人の弟子だと思っています。
「学会員でもないのに、弟子だというのはおかしい。」そう思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、私と師匠の間には誰人も入ることはできないと思ったのです。それは、多くの学会員さんがそう思っているように、私もそのように感じたのです。
私が、一人の弟子だと自覚した時、強く思いました。
「自身が体験したことを、会員さんに知って頂き、創価学会の問題を共に考え、共に創価学会をより良くしていきたい」と。
すべて体験した事実を書き、こうした学会本部の問題に真正面から取り組む決意をしました。そして名前を公表し、このブログを始めようと決意しました。
名前を公表したことで、ブログを見て頂いた方から、多くの励ましのコメントを頂戴するとともに、誹謗もあります。しかし、何を伝えられようとも、私は今の創価の問題を変えなければ、師匠との誓いは守れないと思いました。
その中で、「安保法案についてはどう考えているのか」「今後はどのような活動を考えているのか」など率直な声も頂戴しました。
ただただありがたいと思いました。感謝しかないと思いました。関心を持ってくださる会員さんがこれほどいるのかと思ったからです。
そして今回、改めて私たちの考えをお伝えする回にさせて頂きたいと思いました。次の更新を望んで下さっている方には、本当に申し訳ない思いです。第14回で予定していた「懲罰委員会の出来事」については次回以降、事実を書かせて頂きたいと思います。
この第14回目は、ブログの「~はじめに~」でも触れましたが、現在の創価学会が直面している安保関連法案について、私たちが思う問題点や考えを、決意を持って書かせて頂きます。
■ 師の仰せに反する安保法制の動き
現在、「平和」を標榜する公明党が参加する政権与党によって、「戦争」を容認する安保法制が着々と進められています。
平成27年9月19日、自民・公明の連立与党は、多くの憲法学者から「憲法第9条に違反する」との見解が示される中で、安保関連法案の強行採決に踏み切り、法案を可決成立させました。
しかし、この法案は、集団的自衛権を認め、戦闘地域に自衛隊を派遣するなど、日本が世界の戦争に加担することを認めるもので、まぎれもなく憲法9条に違反する法案です。
歴代の内閣法制局長官、最高裁元長官、最高裁元判事、日弁連と52弁護士会すべてが違憲であると見解を示していることからも、その違憲性は明らかです。
しかしこの日、公明党は、政権与党の一翼としてこの安保法案の賛成に加わり、そして法案を可決する決定打を打つ役割を担ったのです。
公明党は師匠が命を削って創られた政党です。それにもかかわらず、創価三代の師弟の歴史に泥を塗るような、憲法第9条に違反する安保法案を強行的に可決成立させてしまいました。
初代会長牧口先生は、戦争を進める軍部権力に抵抗し、民衆を苦しめる戦争には絶対に反対するとの立場を貫き逮捕され、そして獄中で獄死。
第二代会長戸田先生は、獄中で軍部権力に殺された牧口先生の仇を討つため、生きて牢獄を出られた。そして、大病を患う中、学会の全青年部に対し、「遺訓」として、反核、戦争放棄の思想を全世界に訴える「原水爆禁止宣言」を残される。
第三代会長池田先生は、世界平和と人類の幸福を実現しゆくために、冷戦時代には、アメリカ、ソ連(当時)、中国を繰り返し歴訪し、時の実力者と対話に挑み抜かれ、第三次世界大戦が起こらないよう、命を注がれて世界平和のために戦い続けてこられました。
そして日本では、平和実現に向けて、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」という立党精神を掲げる公明党を創立されました。
しかし、今や公明党は立党の精神を完全に見失っているとしか思えません。
「違憲ではない」、「あくまで専守防衛の範囲内である」などと欺瞞を並べ、国民および創価学会員を騙す弁解に終始している事実は、「平和の党」を自ら放棄するものです。
「永遠の師匠」(創価学会会則前文および3条)である創価の三代の会長が、文字通り命を賭して築いてこられた「絶対平和主義」の城を破壊した暴挙であると感じるのです。
そして創価学会本部も、「公明党が、憲法9条の平和主義を堅持するために努力したことは理解しています」(平成26年7月2日付け朝日新聞)、
「昨年の閣議決定は、憲法第九条の平和主義と専守防衛を踏まえたものであり、それに基づく法案の審議が、現在、進められているものと認識しています。その点の理解が進まず、反対されているのであれば残念です。」(平成27年9月5日TBS「報道特集」)と述べ、公明党の安保法案賛成を容認する考えを示しています。
しかし、創価学会の歴史とは、創価学会の三代に渡る師弟が築き上げてきたのは、「戦争反対」、「絶対平和主義」という信念を貫く闘争の歴史に他なりません。
師匠池田先生は明確に仰っています。
「私どもは、これまで恒久平和主義を掲げた日本国憲法を一貫して守り抜く姿勢をとってまいりました。それは単に日本一国のためというより、平和憲法の精神と理想とを、あらゆる国々、あらゆる民族の心に植えつけ、戦争放棄の人間世界を広げることこそ、恒久的平和への確かな道と信じているからであります。」
「特定の国と運命共同体的な関係を持ち、強大な軍事力を表にして自国の安全保障を図る行き方は、もはや時代錯誤と言わねばなりません。」(昭和58年1月25日 第8回「SGIの日」に寄せて)と。
さらに、師匠は平成13年9月25日の毎日新聞のインタビューに対し、
「私は絶対に第9条だけは変えてはいけないと思います。」と明確に宣言なされています。
今回の安保法制の動きが、創価学会の「永遠の師匠」である三代の会長が貫いてこられた「絶対平和主義」の思想と行動を、根底から破壊する暴挙であると思えてならないのです。いや、暴挙であると私は断ずるのです。
全国の学会員さんが三色旗を持ってデモに参加したり、独自に勉強会を開いたり、師匠の仰せに反するとして法案の撤回を求めて署名を集めたりするようになりました。
しかし、そのことに対しても、創価学会広報室は、
「九条の平和主義と専守防衛を踏まえ、それに基づく法案の審議が国会で進められていると認識しています。法案をめぐる会員の集会や動きは関知せず、公認したものでもありません。当会の名前と三色旗が政治的に利用されることは大変遺憾です。」(平成27年8月30日付け東京新聞朝刊)との見解を表明しました。
さらに平成27年9月5日のTBSの番組「報道特集」でも、
「あくまでも個人の立場の行動と理解しています。昨年の閣議決定は、憲法第九条の平和主義と専守防衛を踏まえたものであり、それに基づく法案の審議が、現在、進められているものと認識しています。その点の理解が進まず、反対されているのであれば残念です。」と報道されました。
まるで学会員の行動が迷惑であるかのようなコメントに、私は憤りを感じてならないのです。今の学会本部はおかしい。私はそう思えてならないのです。
戦争を経験された世代の学会員さん、戦争を直接知らずとも、創価の三代の歴史と指導を学ばれた学会員さんであれば、この安保法案に公明党が賛成したことに疑問を感じられることは自然ではないでしょうか。
学会員の皆さんが、三色旗を掲げてデモ等の活動に参加するには、どれほどの勇気と信念が必要であったか計り知れません。一人一人が、苦渋のすえに已むに已まれぬ選択を為されたであろうと思うと、胸が締め付けられる思いです。私たちも国会前のデモに参加しましたが、たった一人であっても声を上げられている会員の皆さんの姿に、本当に勇気を頂きました。希望を見た思いでした。
安保法案反対の声を上げたならば、組織の中で、色眼鏡で見られるかもしれない。
そうした様々な不安を乗り越え、ただただ師匠の仰せを胸に弟子として、信念を貫かれる学会員の行動に対し、学会本部は切り捨てるかのような声明を出して非難する暴挙に出ました。
■ 師のお心に反する学会本部の現状
師匠は、平成22年6月度の本部幹部会を欠席されて以降、創価学会の未来を見据えて弟子を薫陶するため、あえて表舞台に出ることを控えられ、弟子に一切を託そうとされています。
しかし、その師の心を裏切るかのように、学会本部は師匠の手の届かない場所で、三代の師匠が命がけで築いてこられた平和思想を根底から覆す「安保法制」を推進しています。今の本部執行部は明らかに師匠の仰せ通りではないことを感じずにはいられないのです。
そのような本部執行部ですが、今般の新「勤行要典」制定の際には、「池田先生のご了承をいただいた上で」制定するに至ったことが聖教新聞紙上に公表されました。
創価学会の根幹である教義、信仰実践、そして「永遠の師匠」に関わる重大な事項であるからこそ、執行部は師匠に内容を報告し、師匠の判断を仰ぎ、「ご了承」を得る行動をとったのだと思います。
しかし、今般の安保法制を創価学会として推進するという最大に重要な問題については、師匠の「ご了承」を得たという公表は為されていません。
安保法制は、全国民の命に関わる問題であるとともに、「永遠の師匠」である三代の会長が命懸けで築かれた平和主義の根幹に関わる問題です。
全国の多くの学会員さんが悩み苦しんでいるのは、この法案が三代の師匠の思想に照らして正しいのか、間違っているのかが明確にされないまま、学会本部が推進していることではないでしょうか。
弟子が一番知りたいことは、“師匠が安保法案を良しとされているのかどうか”ではないかと思うのです。
「むずかしいことは良く分からない。しかし、もしこの安保推進を、師匠が了承せずに、学会本部と公明党が推進していたならば大変なことだ。」と考えるのではないかと思うのです。
多くの創価学会員が、学会本部の見解に相反して安保法案反対の活動を行なっている状況にもかかわらず、師匠への「ご了承」について学会本部として公表しないのは、明らかにおかしいと感じてなりません。
「政治と宗教は立て分けるべきだ。」例えそう考えても、本部の了承なく、また本部の意向を無視し、公明党が安保推進をすることは到底考えられない。これは、学会員ならば誰もが分かるところではないでしょうか。
本部執行部が、この重大な局面にあって師匠に判断を仰ぐことが無かったならば、師匠の仰せ通りとは言えない。「永遠の師匠」の精神に基づくものとは言えないと思うのです。
私は、今の本部執行部は、自分の都合で組織運営をしているように感じてなりません。
また、そう感じる理由が他にもあります。私たちが懲戒解雇されるまでに体験してきた本部執行部の対応も、師匠の指導を根本とするものではなく、自分達の都合であったからです。
平成24年1月30日、結婚を前提に婚約者と同居をしていた小林貴子さんという女子部員が経済的な事情から、それまで二人で2部取っていた聖教新聞を1部に減部したいと申し出ました。しかし、聖教新聞社支局の職員である水戸支部長は貴子さんから新聞減部の理由である経済状況について何一つ聞かずに、減部の申し出を拒否した上、貴子さんの信仰心を否定する発言をしたという事件が起こりました。
この発言をした職員の水戸氏は、聖教新聞社における平成21年ごろに発覚した金銭横領疑惑の関係者とされています。
貴子さんは、職員の水戸支部長から信仰心を否定されたとして、声を上げました。しかし、地元の総区幹部たちは貴子さんの話を一度も聞かず、貴子さんに対し「水戸氏に対する連絡禁止」という、職員の水戸氏を擁護するような処分を下したのです。それでも、貴子さんが諦めずに声を上げ続けると、貴子さんは除名処分となりました。
私たちはこの一連の流れが明らかにおかしかったため、然るべき学会本部の部署や担当者、本部執行部の方々に電話、手紙、メールで問い合わせを行ないました。しかし、ほぼすべての方々が私たちの電話を着信拒否して無視し、結果的にどなたも対応して頂けなかったのです。そして、私たちの行為は、懲戒解雇処分の理由とされました(この出来事については、後日ブログで書きたいと思っています)。
たとえ社会的に許されない不正を犯した人間であっても学会本部の決定に従えば守られ、職員の不正に声を上げた会員は、全く話を聞いてもらえずに処分を下され、除名にまでなる。
本部の判断基準が師匠(正義)の仰せ通りか否かではなく、本部(権力)に従うか従わないかであるように感じてならない出来事でした。
■ 学会本部が師匠の了承を得て安保法制を推進しているのか否かの公表を求めること
新「勤行要典」では師匠の了承が公表され、「安保法制」では師匠の了承が公表されていない。
今回の安保法制は、創価学会の存在意義、そして師匠の築いてこられた民衆城である創価学会の根本にかかわる問題だと私たちは感じています。
だからこそ私たちは、安保法制の推進について、私たちの師匠であり、命懸けで「平和主義」を訴えてこられた「創価三代の永遠の師匠」である池田先生の「ご了承」が果たしてあったのかどうか、師匠の弟子として、確認しなければならないと考えています。
もし学会本部が師匠の了承を得ずに、安保法制を独断で進めているのであれば、断固声を上げなければならないと思っています。
私たちは自分たちが出来ることとして、まずは平成27年12月21日(月)、学会本部の広宣流布大誓堂前にて、3名によるデモを行ない、「安保法制を進めることを師匠に了承を得たのか否かを公表すべきである」「安保法制は創価三代に違背している」ことを訴えたいと思っています。
私は除名になっても、弟子として公明党を支援する戦いをします。しかし「師匠池田先生にご了承を得たのか否か」この真実を確かめずに、公明党への支援活動をすることは正しいとは思えません。
師匠が、全国民の生命にかかわる安保法制を進めることを「了承」していなければ、安保法制を進める公明党の存在は師匠の顔に泥を投げつけることになると思うからです。
弟子である会員の皆さんが真剣に公明党の支援活動をすることが、知らず知らずのうちに師匠に泥を塗ることになってしまう、そんなことがあってはならないと思うのです。
師匠が了承されているかが分からないまま、組織の打ち出しに忠実に従い、安保法案に不信を抱く友人や知人に“公明党の正義”を訴える。
こうした戦いを師匠が望まれているとは思えないのです。
私たちは本部職員でもなければ、学会員でもありません。何もない私たちです。しかし、人生の師匠が池田先生であることだけは決めています。私は、師匠の仰せに違う創価学会の動きに対しては、一人の弟子として、題目を上げ、弱き命と戦いながら、勇気の声を上げねばならないと決意しています。
正直はじめは現実を受け入れられない時もありました。なぜ、こんなにもおかしなことが起こるのか。もしかしたら、自分の感覚がおかしいのではないかと真剣に悩みました。
師匠が、対話こそ創価の生命線であると仰っている中で、同じ学会本部に勤める本部職員同士が直接会って話せない。なぜなのか本当に悩みました。
悩みながらも、対話が出来ない実態や不正を隠蔽する実態を目の当たりにし、私たちは、本部執行部に対話をお願いし続けました。
そして謹慎処分、役職解任処分、地方への左遷、懲戒解雇処分、さらに除名処分となりました。そして、私は本部職員でも、創価学会員でもなくなりました。
私は生まれた時から創価学会の中で育てて頂き、人生の師匠池田先生と出会うことが出来ました。私にとって創価学会は生きる意味であり、師匠の築かれた創価学会に尽くすことが私の生きる希望でした。本部職員を志願したのも、その思いからです。しかし、解雇、除名となり、私は生きる意味であった価値を全て失いました。
しかし、失う中で、最も大切なものを得ることができました。それは、「創価学会とは、師匠と弟子、師匠と会員という絆の世界であり、その間には誰人たりとも入ることはできない。」と心から実感することが出来たことです。私に残ったのは師匠という存在しかありませんでした。
私は除名となり、創価学会員ですら無くなりました。しかし、会員でなくても、師匠の弟子だと心から思っています。学会員の皆さんと同じように、私も偉大なる師匠の一人の弟子だと思っています。
「学会員でもないのに、弟子だというのはおかしい。」そう思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、私と師匠の間には誰人も入ることはできないと思ったのです。それは、多くの学会員さんがそう思っているように、私もそのように感じたのです。
私が、一人の弟子だと自覚した時、強く思いました。
「自身が体験したことを、会員さんに知って頂き、創価学会の問題を共に考え、共に創価学会をより良くしていきたい」と。
すべて体験した事実を書き、こうした学会本部の問題に真正面から取り組む決意をしました。そして名前を公表し、このブログを始めようと決意しました。
名前を公表したことで、ブログを見て頂いた方から、多くの励ましのコメントを頂戴するとともに、誹謗もあります。しかし、何を伝えられようとも、私は今の創価の問題を変えなければ、師匠との誓いは守れないと思いました。
その中で、「安保法案についてはどう考えているのか」「今後はどのような活動を考えているのか」など率直な声も頂戴しました。
ただただありがたいと思いました。感謝しかないと思いました。関心を持ってくださる会員さんがこれほどいるのかと思ったからです。
そして今回、改めて私たちの考えをお伝えする回にさせて頂きたいと思いました。次の更新を望んで下さっている方には、本当に申し訳ない思いです。第14回で予定していた「懲罰委員会の出来事」については次回以降、事実を書かせて頂きたいと思います。
この第14回目は、ブログの「~はじめに~」でも触れましたが、現在の創価学会が直面している安保関連法案について、私たちが思う問題点や考えを、決意を持って書かせて頂きます。
■ 師の仰せに反する安保法制の動き
現在、「平和」を標榜する公明党が参加する政権与党によって、「戦争」を容認する安保法制が着々と進められています。
平成27年9月19日、自民・公明の連立与党は、多くの憲法学者から「憲法第9条に違反する」との見解が示される中で、安保関連法案の強行採決に踏み切り、法案を可決成立させました。
しかし、この法案は、集団的自衛権を認め、戦闘地域に自衛隊を派遣するなど、日本が世界の戦争に加担することを認めるもので、まぎれもなく憲法9条に違反する法案です。
歴代の内閣法制局長官、最高裁元長官、最高裁元判事、日弁連と52弁護士会すべてが違憲であると見解を示していることからも、その違憲性は明らかです。
しかしこの日、公明党は、政権与党の一翼としてこの安保法案の賛成に加わり、そして法案を可決する決定打を打つ役割を担ったのです。
公明党は師匠が命を削って創られた政党です。それにもかかわらず、創価三代の師弟の歴史に泥を塗るような、憲法第9条に違反する安保法案を強行的に可決成立させてしまいました。
初代会長牧口先生は、戦争を進める軍部権力に抵抗し、民衆を苦しめる戦争には絶対に反対するとの立場を貫き逮捕され、そして獄中で獄死。
第二代会長戸田先生は、獄中で軍部権力に殺された牧口先生の仇を討つため、生きて牢獄を出られた。そして、大病を患う中、学会の全青年部に対し、「遺訓」として、反核、戦争放棄の思想を全世界に訴える「原水爆禁止宣言」を残される。
第三代会長池田先生は、世界平和と人類の幸福を実現しゆくために、冷戦時代には、アメリカ、ソ連(当時)、中国を繰り返し歴訪し、時の実力者と対話に挑み抜かれ、第三次世界大戦が起こらないよう、命を注がれて世界平和のために戦い続けてこられました。
そして日本では、平和実現に向けて、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」という立党精神を掲げる公明党を創立されました。
しかし、今や公明党は立党の精神を完全に見失っているとしか思えません。
「違憲ではない」、「あくまで専守防衛の範囲内である」などと欺瞞を並べ、国民および創価学会員を騙す弁解に終始している事実は、「平和の党」を自ら放棄するものです。
「永遠の師匠」(創価学会会則前文および3条)である創価の三代の会長が、文字通り命を賭して築いてこられた「絶対平和主義」の城を破壊した暴挙であると感じるのです。
そして創価学会本部も、「公明党が、憲法9条の平和主義を堅持するために努力したことは理解しています」(平成26年7月2日付け朝日新聞)、
「昨年の閣議決定は、憲法第九条の平和主義と専守防衛を踏まえたものであり、それに基づく法案の審議が、現在、進められているものと認識しています。その点の理解が進まず、反対されているのであれば残念です。」(平成27年9月5日TBS「報道特集」)と述べ、公明党の安保法案賛成を容認する考えを示しています。
しかし、創価学会の歴史とは、創価学会の三代に渡る師弟が築き上げてきたのは、「戦争反対」、「絶対平和主義」という信念を貫く闘争の歴史に他なりません。
師匠池田先生は明確に仰っています。
「私どもは、これまで恒久平和主義を掲げた日本国憲法を一貫して守り抜く姿勢をとってまいりました。それは単に日本一国のためというより、平和憲法の精神と理想とを、あらゆる国々、あらゆる民族の心に植えつけ、戦争放棄の人間世界を広げることこそ、恒久的平和への確かな道と信じているからであります。」
「特定の国と運命共同体的な関係を持ち、強大な軍事力を表にして自国の安全保障を図る行き方は、もはや時代錯誤と言わねばなりません。」(昭和58年1月25日 第8回「SGIの日」に寄せて)と。
さらに、師匠は平成13年9月25日の毎日新聞のインタビューに対し、
「私は絶対に第9条だけは変えてはいけないと思います。」と明確に宣言なされています。
今回の安保法制の動きが、創価学会の「永遠の師匠」である三代の会長が貫いてこられた「絶対平和主義」の思想と行動を、根底から破壊する暴挙であると思えてならないのです。いや、暴挙であると私は断ずるのです。
全国の学会員さんが三色旗を持ってデモに参加したり、独自に勉強会を開いたり、師匠の仰せに反するとして法案の撤回を求めて署名を集めたりするようになりました。
しかし、そのことに対しても、創価学会広報室は、
「九条の平和主義と専守防衛を踏まえ、それに基づく法案の審議が国会で進められていると認識しています。法案をめぐる会員の集会や動きは関知せず、公認したものでもありません。当会の名前と三色旗が政治的に利用されることは大変遺憾です。」(平成27年8月30日付け東京新聞朝刊)との見解を表明しました。
さらに平成27年9月5日のTBSの番組「報道特集」でも、
「あくまでも個人の立場の行動と理解しています。昨年の閣議決定は、憲法第九条の平和主義と専守防衛を踏まえたものであり、それに基づく法案の審議が、現在、進められているものと認識しています。その点の理解が進まず、反対されているのであれば残念です。」と報道されました。
まるで学会員の行動が迷惑であるかのようなコメントに、私は憤りを感じてならないのです。今の学会本部はおかしい。私はそう思えてならないのです。
戦争を経験された世代の学会員さん、戦争を直接知らずとも、創価の三代の歴史と指導を学ばれた学会員さんであれば、この安保法案に公明党が賛成したことに疑問を感じられることは自然ではないでしょうか。
学会員の皆さんが、三色旗を掲げてデモ等の活動に参加するには、どれほどの勇気と信念が必要であったか計り知れません。一人一人が、苦渋のすえに已むに已まれぬ選択を為されたであろうと思うと、胸が締め付けられる思いです。私たちも国会前のデモに参加しましたが、たった一人であっても声を上げられている会員の皆さんの姿に、本当に勇気を頂きました。希望を見た思いでした。
安保法案反対の声を上げたならば、組織の中で、色眼鏡で見られるかもしれない。
そうした様々な不安を乗り越え、ただただ師匠の仰せを胸に弟子として、信念を貫かれる学会員の行動に対し、学会本部は切り捨てるかのような声明を出して非難する暴挙に出ました。
■ 師のお心に反する学会本部の現状
師匠は、平成22年6月度の本部幹部会を欠席されて以降、創価学会の未来を見据えて弟子を薫陶するため、あえて表舞台に出ることを控えられ、弟子に一切を託そうとされています。
しかし、その師の心を裏切るかのように、学会本部は師匠の手の届かない場所で、三代の師匠が命がけで築いてこられた平和思想を根底から覆す「安保法制」を推進しています。今の本部執行部は明らかに師匠の仰せ通りではないことを感じずにはいられないのです。
そのような本部執行部ですが、今般の新「勤行要典」制定の際には、「池田先生のご了承をいただいた上で」制定するに至ったことが聖教新聞紙上に公表されました。
創価学会の根幹である教義、信仰実践、そして「永遠の師匠」に関わる重大な事項であるからこそ、執行部は師匠に内容を報告し、師匠の判断を仰ぎ、「ご了承」を得る行動をとったのだと思います。
しかし、今般の安保法制を創価学会として推進するという最大に重要な問題については、師匠の「ご了承」を得たという公表は為されていません。
安保法制は、全国民の命に関わる問題であるとともに、「永遠の師匠」である三代の会長が命懸けで築かれた平和主義の根幹に関わる問題です。
全国の多くの学会員さんが悩み苦しんでいるのは、この法案が三代の師匠の思想に照らして正しいのか、間違っているのかが明確にされないまま、学会本部が推進していることではないでしょうか。
弟子が一番知りたいことは、“師匠が安保法案を良しとされているのかどうか”ではないかと思うのです。
「むずかしいことは良く分からない。しかし、もしこの安保推進を、師匠が了承せずに、学会本部と公明党が推進していたならば大変なことだ。」と考えるのではないかと思うのです。
多くの創価学会員が、学会本部の見解に相反して安保法案反対の活動を行なっている状況にもかかわらず、師匠への「ご了承」について学会本部として公表しないのは、明らかにおかしいと感じてなりません。
「政治と宗教は立て分けるべきだ。」例えそう考えても、本部の了承なく、また本部の意向を無視し、公明党が安保推進をすることは到底考えられない。これは、学会員ならば誰もが分かるところではないでしょうか。
本部執行部が、この重大な局面にあって師匠に判断を仰ぐことが無かったならば、師匠の仰せ通りとは言えない。「永遠の師匠」の精神に基づくものとは言えないと思うのです。
私は、今の本部執行部は、自分の都合で組織運営をしているように感じてなりません。
また、そう感じる理由が他にもあります。私たちが懲戒解雇されるまでに体験してきた本部執行部の対応も、師匠の指導を根本とするものではなく、自分達の都合であったからです。
平成24年1月30日、結婚を前提に婚約者と同居をしていた小林貴子さんという女子部員が経済的な事情から、それまで二人で2部取っていた聖教新聞を1部に減部したいと申し出ました。しかし、聖教新聞社支局の職員である水戸支部長は貴子さんから新聞減部の理由である経済状況について何一つ聞かずに、減部の申し出を拒否した上、貴子さんの信仰心を否定する発言をしたという事件が起こりました。
この発言をした職員の水戸氏は、聖教新聞社における平成21年ごろに発覚した金銭横領疑惑の関係者とされています。
貴子さんは、職員の水戸支部長から信仰心を否定されたとして、声を上げました。しかし、地元の総区幹部たちは貴子さんの話を一度も聞かず、貴子さんに対し「水戸氏に対する連絡禁止」という、職員の水戸氏を擁護するような処分を下したのです。それでも、貴子さんが諦めずに声を上げ続けると、貴子さんは除名処分となりました。
私たちはこの一連の流れが明らかにおかしかったため、然るべき学会本部の部署や担当者、本部執行部の方々に電話、手紙、メールで問い合わせを行ないました。しかし、ほぼすべての方々が私たちの電話を着信拒否して無視し、結果的にどなたも対応して頂けなかったのです。そして、私たちの行為は、懲戒解雇処分の理由とされました(この出来事については、後日ブログで書きたいと思っています)。
たとえ社会的に許されない不正を犯した人間であっても学会本部の決定に従えば守られ、職員の不正に声を上げた会員は、全く話を聞いてもらえずに処分を下され、除名にまでなる。
本部の判断基準が師匠(正義)の仰せ通りか否かではなく、本部(権力)に従うか従わないかであるように感じてならない出来事でした。
■ 学会本部が師匠の了承を得て安保法制を推進しているのか否かの公表を求めること
新「勤行要典」では師匠の了承が公表され、「安保法制」では師匠の了承が公表されていない。
今回の安保法制は、創価学会の存在意義、そして師匠の築いてこられた民衆城である創価学会の根本にかかわる問題だと私たちは感じています。
だからこそ私たちは、安保法制の推進について、私たちの師匠であり、命懸けで「平和主義」を訴えてこられた「創価三代の永遠の師匠」である池田先生の「ご了承」が果たしてあったのかどうか、師匠の弟子として、確認しなければならないと考えています。
もし学会本部が師匠の了承を得ずに、安保法制を独断で進めているのであれば、断固声を上げなければならないと思っています。
私たちは自分たちが出来ることとして、まずは平成27年12月21日(月)、学会本部の広宣流布大誓堂前にて、3名によるデモを行ない、「安保法制を進めることを師匠に了承を得たのか否かを公表すべきである」「安保法制は創価三代に違背している」ことを訴えたいと思っています。
私は除名になっても、弟子として公明党を支援する戦いをします。しかし「師匠池田先生にご了承を得たのか否か」この真実を確かめずに、公明党への支援活動をすることは正しいとは思えません。
師匠が、全国民の生命にかかわる安保法制を進めることを「了承」していなければ、安保法制を進める公明党の存在は師匠の顔に泥を投げつけることになると思うからです。
弟子である会員の皆さんが真剣に公明党の支援活動をすることが、知らず知らずのうちに師匠に泥を塗ることになってしまう、そんなことがあってはならないと思うのです。
師匠が了承されているかが分からないまま、組織の打ち出しに忠実に従い、安保法案に不信を抱く友人や知人に“公明党の正義”を訴える。
こうした戦いを師匠が望まれているとは思えないのです。
私たちは本部職員でもなければ、学会員でもありません。何もない私たちです。しかし、人生の師匠が池田先生であることだけは決めています。私は、師匠の仰せに違う創価学会の動きに対しては、一人の弟子として、題目を上げ、弱き命と戦いながら、勇気の声を上げねばならないと決意しています。