●㊳ 「6・18学会本部前サイレントアピール」への決意
15日朝7時46分、『共謀罪法案』が参議院で自民、公明両党と日本維新の会などによって強行採決され、成立した。法務省によると、6月21日に公布、7月11日に施行される見込みだという。
百歩譲って、仮に良い法案であったとしても、こんな強行的なやり方があって良いのだろうか。多数決で何でもかんでも決めて良いというのは、民主主義の破壊ではなかろうか。
多数派の意見を尊重しつつも、少数派が納得できるように意見をまとめていき、皆が納得できるように心を砕いていく。最低限、法案について説明するプロセスを踏むのが本当の民主主義である。
しかし、今回の参議院本会議での審議は、参院法務委員会の審議、採決をすっ飛ばして強行採決したのである。
まるで、十分な審議などやっていない。そして、国民への説明もまったく不十分である。
そうしたやり方を政権与党である公明党が推し進め、その公明党を裏で支える学会本部。本当にどうしてしまったのか。
こんな強行的なやり方を取ったならば、国民の信頼が完全に失墜することがもはや分からなくなっているのだろう。
自民に従い、動かされていることは、誰の目にも明らかではなかろうか。
この『共謀罪法』は刑法の大原則である既遂処罰の原則を壊し、犯罪が実行されていない段階で人を逮捕出来るようになってしまう本当に危険な法律である。
“組織的犯罪集団”や“準備行為”といった言葉は、定義が著しく曖昧で、捜査当局はいかようにでも解釈することが出来る。ゆえに、事実上、恣意的に判断していくことになることが予測される。
その結果、戦前の治安維持法と同様、一個人がどういう集団に属しているかで処罰を事実上決めることができ、思想や信条の自由すら侵していくことになると考えられる。そして、今の日本の国家主義化の流れを考えれば、“政府の方針に反対の立場の人々に対して、日常的に監視や盗聴が行なわれていくであろう”との疑念は強く残る。
多くの識者が、「この法案によって政府にとって都合が悪い行為(デモなど)が抑圧され、自由な言論が封殺されていくであろう」「1、2件見せしめ的な逮捕が行なわれれば、多くの国民は『自分も警察に監視されているかもしれない』『今の政府に声を上げることはやめよう』と、自ら行動を抑制し、社会の委縮や自主規制を加速させていくであろう」と予見し、警鐘を鳴らしている。
この『共謀罪法』によって、日本は間違いなく国家主義化が加速していくことになる。
公明・学会本部も、もし与党から陥落すれば、すぐにでも国家権力から睨まれ、「組織的犯罪集団」に認定されて大弾圧を受けるやもしれないことを忘れてはならない。対岸の火事では済まされないのである。
先日、ある同志の方が、公明党本部に電話をかけた。
そして、「共謀罪法案はおかしい。今こそ公明党に立ち上がってほしい」との切なる思いを訴えたという。
すると、電話口で党職員はこう言ったという。
「もう止められないんです。だから、対象の犯罪数を減らすよう公明党が働きかけたんです。『もし反対するならば、いつでも離れていいんだ』と自民党から言われているんです」
我が耳を疑い、怒りが込み上げた。
いったい、公明党は何を考えているのか!
自民党から見放されることがそんなに怖いのか!
そんな腰抜けな人間ならば、無理をして政治家である必要はない!
即刻、辞めるべきである!
権力を恐れていては民衆のための政治など務まらないことは当然である。
なぜ、そんな当たり前のことすら分からないほど公明党は濁ってしまっているのだろうか。
しかし、これが悲しい現実であることを、我々は知らなければならない。
本来の公明党は、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との立党精神を掲げ、大衆の為に先頭に立って闘う党である。
ゆえに、与党に居続けることが、真の闘いではない。
“民衆が主役の政治”――これが公明党の存在する意義である。
創価三代の歴史の根幹は「国家権力との間断なき闘争」であり、初代・二代・三代は投獄されている。初代は獄死である。
ゆえに本来、“権力の魔性”が正に見える形となって表れたような『共謀罪法』に対して、公明党、学会本部が鋭敏に声明を出し、誰よりも率先して闘うべきであった。
ところが公明党・学会本部は反対しないどころか、自民党に付き従い、ろくに審議もせず、国民への説明も放棄し、強行採決の片棒を担がされてしまったのである。
もはや公明党・学会本部は、初代牧口先生が権力によって殺された歴史を完全に忘れてしまったと思えてならない。
ともあれ、この狂った『共謀罪法』を早急に白紙撤回しなければならない!
そうでなければ初代牧口先生に申し訳が立たないと私は考える。
そして、池田先生の弟子として、永遠に悔いを残すことになると思えてならない。
安保法制と同様、この共謀罪法は断固、白紙撤回をしなければならない!
師匠が本部幹部会などの表舞台に出られ、指揮を執って下さっていた頃は、公明党も学会本部も、ここまで逸脱してはいなかった。
ところが2010年、師匠は脳梗塞で倒れられ、それ以降、創価は急速におかしくなっていったように感じる。
そして、2014年7月の集団的自衛権の行使容認の時点こそ、『創価のターニングポイント』であったと私たちは考えている。この時、師匠から反対の声明が無かっただけなく、なんと学会本部が公明党を擁護する声明を出すという有り得ない出来事が起こった。
師匠はこの時点で難しい問題に対するご判断が出来ないご健康状態になられていたとしか考えられない。
そして、2014年7月以降の創価学会の組織運営は、“師匠に『了承』を取りながら丁寧に進めている”と見せかけて、実は現本部執行部がすべて独断で行なっていたのではないかと私たちは思っている。
本来は、師匠から薫陶を受けた弟子が、いよいよ師から学んだ“師弟不二の信仰”を発揮して、縦横無尽に師恩に報いる闘いを開始する時代に入ったはずである。
ところが本部執行部は、恩知らずにも、師匠の命ともいうべき全学会員の幸福と世界の平和のために全力を傾けるのではなく、会則・教義を独断で変更して、独裁的な体制を構築していった。
学会本部は、2014年11月から2016年までの3年間、連続で会則・教義を変更している。そのうち、最も大きな変更は、「大御本尊を受持の対象としない」と決定した2014年の教義会則変更である。
同年11月8日、原田会長は、聖教新聞紙上で会則の変更を次のように発表する。
以前の会則の第1章第2条の教義条項は、
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」であった。
それをこの時、
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」と変更したのである。
この変更で、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受する」との信仰の核である文言が削られたのである。
さらにこの時、原田会長は、「会則の教義事項に言う『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」と説明した。
つまり、末法の御本仏である日蓮大聖人の“出世の本懐”であり、“一閻浮提総与”であるとしてきた弘安2年の大御本尊を『受持の対象としない』として切り捨てたのである。
さらに、翌2015年1月29、30日の聖教新聞では、創価学会教学部による「会則の教義条項改正に関する解説」が発表・掲載された。そこには以下のように説明されている。
「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく『本門の本尊』である。」
しかし、この説明を前提とすれば、結果的に身延山久遠寺や中山法華経寺、池上本門寺などにある日蓮大聖人の御真筆の御本尊や他宗の僧侶が書写した御本尊まで、等しく『本門の本尊』ということになってしまう。
また、この教義変更は、これまでの学会が積み上げてきた説明を根底から覆していくものであると言える。
なぜなら、戸田先生は明確に仰っている。
「ただ、大御本尊だけは、われわれが作るわけにはゆかない。(略)だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ。」(『大白蓮華』1959年7月号)
大御本尊が根本であり、かつ大御本尊を基にしない他宗の御本尊は力がなく、ニセ物であり、魔性が入っていると明確に断言なされているのである。
また池田先生も「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」(1993年9月19日付聖教新聞)と大御本尊が信心の根本であると明言されている。そして、これがC作戦(1991年に日蓮正宗大石寺が創価学会を破門)以降の池田名誉会長の公式見解なのである。
同様にC作戦以降の創価学会の公式文書(「創価研修シリーズNO191」1993年10月)でも、以下のように説明されている。
Q 「【平成5年から創価学会が、日寛上人が大御本尊を書写した御本尊の御形木御本尊を下付し始めたことについて】学会が独自に御本尊を受持したということは、これまでの大御本尊根本の信心が変わったということですか?」
A 「そうではありません。学会の大御本尊根本の信心は、初代牧口会長、第二代戸田会長、第三代池田会長と一貫して変わらぬ伝統であり、今後も不変です。(略)」
つまり、創価学会は、大石寺が謗法の地と化したC作戦以降においても、変わらず一貫して「弘安2年の大御本尊」を信仰の根本にして闘ってきたのである。
それにもかかわらず、C作戦から24年が経った2014年の段階で、なぜに今さら“大石寺が謗法の地と化したこと”を理由として、「大御本尊を受持の対象から外す」などと言い出したのか。全く理由が存在しない不可解な話なのである。大御本尊と決別し、悩ましい宗門との関係を切りたかったのだと感じてならない。
このように、“大謗法の地にある大御本尊は受持の対象にしない”“日蓮大聖人の御真筆の御本尊とそれを書写した本尊は、すべて等しく『本門の本尊』である”などとした2014年の教義変更は、それ以前に創価三代の師匠が信仰の根幹としてきた『大御本尊』を否定し、三代の師匠が築き上げてきた学会教義を破壊する深刻な邪義である。
そもそも3年連続で、毎年のように、会則や教義を変更し続けていること自体、不穏な動きであることは誰もが感じることではなかろうか。
池田先生は『人間革命』の中で明確に喝破されている。
「時代の進展によって変更しなければならない教義や矛盾に満ちた宗教は誤れる宗教と断定すべきである。」(小説『人間革命』第2巻「車軸」の章)と。
仏法は体、世間は影である。
現代において、日蓮大聖人の正法を唯一正しく信奉している団体は創価学会だけである。しかし、その創価学会の中で、戸田先生が明確に定められた『大御本尊』を否定し、『本尊』の基準が崩壊してしまっている。
戸田先生は仰った。
“本尊雑乱のときこそ、正しき本尊より、よこしまな本尊を討つべきである。”と。
一刻も早く、創価学会の土台である教義を、創価三代の筋が通った教義に戻さなければ、創価学会の衰退は火を見るよりも明らかである。
このような危機感から、私たちは、来たる6月18日(日)の学会本部前サイレントアピールで
「本部執行部よ!即刻、創価三代の教義に戻せ!さもなくば退陣せよ!」
とのスローガンを掲げていきたいと決意しました。
今 創価は
信仰の根幹である「御本尊」の基準すら崩されている
まさに根幹の教義が崩壊している
しかし、それを知らない学会員の友がいる
ならば、『法華折伏』の御金言に則って
今こそ、内部の友を『内部折伏』する時だと感じてならない
「今の創価は、師匠の仰せと違う!」
「これまで説明されてきたことと矛盾している!」と
声を大にして叫ぶ時だと思えてならない
友よ! 同志よ!
恐れることなく正義を叫ぶ時がきたのだ!
“日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし”
私は創価学会は絶対に変わることが出来ると確信している!
共に、共に
今こそ師匠へのご恩返しの闘いを断じて私たちがやろうではありませんか!
大歓喜の使命に身の福運を感じながら、命ある限り正義を叫び抜いて参りたい!
<学会本部前サイレントアピールのお知らせ>
■ 日時
平成29年6月18日(日) 13時00分~14時00分
■ 場所
信濃町の学会本部前
■ 横断幕に掲げるメッセージ
一、本部執行部よ!即刻、創価三代の教義に戻せ!さもなくば退陣せよ!
一、日本を戦争に導く安保法制と共謀罪法の撤回のために闘え!
一、本部職員・聖教職員による金銭横領疑惑の真相を明かせ!
一、会のために声を上げる会員を処分するな!
■ メディアの取材について
当日はメディアの方が6名ほど取材に来られ、ライブ動画の撮影とビデオの録画、雑誌社の方によるカメラ撮影が行なわれる予定です。
取材は希望される方のみで行ない、希望されない方は映ることはありませんので、ご安心いただければと思います。
■ (参加を希望して下さる方々へ)事前連絡のお願い
安全かつ合法的にサイレントアピールができるように、これまで警視庁と弁護士に相談してきました。
その上で、絶対無事故、絶対安全を期すために、参加を希望して下さる方とは、事前に個別に連携を取らせていただき、参加予定人数を掌握したいと思っております。
つきましては、前日の6月17日(土)までに、①お名前、②ご連絡先(電話)、③参加予定人数を、ブログ宛にメールでお知らせ下さいますようお願い致します。
簡単な一文で構いません。「滝川清志 090-****-**** 2名で参加します!」など、お名前、連絡先、参加予定人数を書いていただければ、こちらから折り返しご連絡をさせていただきます。
当日のサイレントアピールは、1時間を予定しています。
これまでの経験から、横断幕を掲げて立ち続けられるのはおよそ1時間が限度だと思いました。参加して下さる皆様が、創価変革のために行動して体調を壊されることだけは絶対にあってはならないと思い、1時間とさせていただきます。
■ サイレントアピールに関する質問のうち、代表的なものを紹介します。
Q 個人的な事情があり、サングラスをかけての参加でも良いですか?
A もちろん、構いません。各々個々に事情がおありだと思いますので、決してご無理はなされないで頂きたいと思っています。毎回、サングラスやマスク、帽子を被って参加されている方々がたくさんいます。
Q 是非サイレントアピールに参加したいと思っているのですが、私が訴えたいのは“対話に応じない権威主義化した学会本部の現状に対して”で、公明党の問題(安保法制や共謀罪法案の推進)については皆様と意見を異にする状況ですが、参加して良いでいしょうか?
A もちろん、参加していただいて構いません。学会本部は、仰る通り会員との対話に応じず、権威主義化している状況です。最近では、本部に問い合わせても、担当者は名前すら教えてくれません。明らかに変質しています。
政治の分野の話も、いろいろな意見があって良いと私たちは思っていますし、だからこそ互いに対話をしていくことで、より良いものを生み出せる。それが本来の創価だと思っています。
Q 私は「沖縄の基地問題」に対してまったく声を上げてくれない公明党の姿勢を問題だと思っています。そして、その問題の根っこも学会本部にあると思っています。
なので、サイレントアピールで「沖縄の基地問題」に対するスローガンを掲げても良いでしょうか。
A もちろん、構いません。第2次世界大戦から続く沖縄の基地問題は公明党・創価学会にとっても極めて重要な課題です。ところが、公明党と学会本部は、反戦や軍縮とは真逆の安保法制を推進し、“武力による抑止力による積極的平和”なるデタラメな平和を語っている。公明党の狂いの元凶が学会本部にあることは間違いありません。
師匠は明確に仰っています。
「核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になってこそ本土復帰である――それが、沖縄の人びとの思いであり、また、伸一の信念であった。」(新・人間革命13巻「楽土」の章)と。
沖縄の平和なくして、本土の平和は絶対にないとの信念で共に闘いたいです。
(2016.12.11撮影)
■ 『実名告発創価学会』について
創価を愛し、創価の変革を願う私たちが事実のもとに書いた著書『実名告発 創価学会』が絶賛販売中です。学会本部変革のためのツールとして、ご利用頂ければ本当に嬉しいです。<当ブログメニューの「リンク」からご購入いただけます>
(誤字の訂正のお知らせ)
36頁9行目の「かつて2006年6月頃、師匠は本部職員の全体会議で」の日付が、「2002年6月頃」の間違いでした。申し訳ありませんが訂正をお願い申し上げます。
百歩譲って、仮に良い法案であったとしても、こんな強行的なやり方があって良いのだろうか。多数決で何でもかんでも決めて良いというのは、民主主義の破壊ではなかろうか。
多数派の意見を尊重しつつも、少数派が納得できるように意見をまとめていき、皆が納得できるように心を砕いていく。最低限、法案について説明するプロセスを踏むのが本当の民主主義である。
しかし、今回の参議院本会議での審議は、参院法務委員会の審議、採決をすっ飛ばして強行採決したのである。
まるで、十分な審議などやっていない。そして、国民への説明もまったく不十分である。
そうしたやり方を政権与党である公明党が推し進め、その公明党を裏で支える学会本部。本当にどうしてしまったのか。
こんな強行的なやり方を取ったならば、国民の信頼が完全に失墜することがもはや分からなくなっているのだろう。
自民に従い、動かされていることは、誰の目にも明らかではなかろうか。
この『共謀罪法』は刑法の大原則である既遂処罰の原則を壊し、犯罪が実行されていない段階で人を逮捕出来るようになってしまう本当に危険な法律である。
“組織的犯罪集団”や“準備行為”といった言葉は、定義が著しく曖昧で、捜査当局はいかようにでも解釈することが出来る。ゆえに、事実上、恣意的に判断していくことになることが予測される。
その結果、戦前の治安維持法と同様、一個人がどういう集団に属しているかで処罰を事実上決めることができ、思想や信条の自由すら侵していくことになると考えられる。そして、今の日本の国家主義化の流れを考えれば、“政府の方針に反対の立場の人々に対して、日常的に監視や盗聴が行なわれていくであろう”との疑念は強く残る。
多くの識者が、「この法案によって政府にとって都合が悪い行為(デモなど)が抑圧され、自由な言論が封殺されていくであろう」「1、2件見せしめ的な逮捕が行なわれれば、多くの国民は『自分も警察に監視されているかもしれない』『今の政府に声を上げることはやめよう』と、自ら行動を抑制し、社会の委縮や自主規制を加速させていくであろう」と予見し、警鐘を鳴らしている。
この『共謀罪法』によって、日本は間違いなく国家主義化が加速していくことになる。
公明・学会本部も、もし与党から陥落すれば、すぐにでも国家権力から睨まれ、「組織的犯罪集団」に認定されて大弾圧を受けるやもしれないことを忘れてはならない。対岸の火事では済まされないのである。
先日、ある同志の方が、公明党本部に電話をかけた。
そして、「共謀罪法案はおかしい。今こそ公明党に立ち上がってほしい」との切なる思いを訴えたという。
すると、電話口で党職員はこう言ったという。
「もう止められないんです。だから、対象の犯罪数を減らすよう公明党が働きかけたんです。『もし反対するならば、いつでも離れていいんだ』と自民党から言われているんです」
我が耳を疑い、怒りが込み上げた。
いったい、公明党は何を考えているのか!
自民党から見放されることがそんなに怖いのか!
そんな腰抜けな人間ならば、無理をして政治家である必要はない!
即刻、辞めるべきである!
権力を恐れていては民衆のための政治など務まらないことは当然である。
なぜ、そんな当たり前のことすら分からないほど公明党は濁ってしまっているのだろうか。
しかし、これが悲しい現実であることを、我々は知らなければならない。
本来の公明党は、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との立党精神を掲げ、大衆の為に先頭に立って闘う党である。
ゆえに、与党に居続けることが、真の闘いではない。
“民衆が主役の政治”――これが公明党の存在する意義である。
創価三代の歴史の根幹は「国家権力との間断なき闘争」であり、初代・二代・三代は投獄されている。初代は獄死である。
ゆえに本来、“権力の魔性”が正に見える形となって表れたような『共謀罪法』に対して、公明党、学会本部が鋭敏に声明を出し、誰よりも率先して闘うべきであった。
ところが公明党・学会本部は反対しないどころか、自民党に付き従い、ろくに審議もせず、国民への説明も放棄し、強行採決の片棒を担がされてしまったのである。
もはや公明党・学会本部は、初代牧口先生が権力によって殺された歴史を完全に忘れてしまったと思えてならない。
ともあれ、この狂った『共謀罪法』を早急に白紙撤回しなければならない!
そうでなければ初代牧口先生に申し訳が立たないと私は考える。
そして、池田先生の弟子として、永遠に悔いを残すことになると思えてならない。
安保法制と同様、この共謀罪法は断固、白紙撤回をしなければならない!
師匠が本部幹部会などの表舞台に出られ、指揮を執って下さっていた頃は、公明党も学会本部も、ここまで逸脱してはいなかった。
ところが2010年、師匠は脳梗塞で倒れられ、それ以降、創価は急速におかしくなっていったように感じる。
そして、2014年7月の集団的自衛権の行使容認の時点こそ、『創価のターニングポイント』であったと私たちは考えている。この時、師匠から反対の声明が無かっただけなく、なんと学会本部が公明党を擁護する声明を出すという有り得ない出来事が起こった。
師匠はこの時点で難しい問題に対するご判断が出来ないご健康状態になられていたとしか考えられない。
そして、2014年7月以降の創価学会の組織運営は、“師匠に『了承』を取りながら丁寧に進めている”と見せかけて、実は現本部執行部がすべて独断で行なっていたのではないかと私たちは思っている。
本来は、師匠から薫陶を受けた弟子が、いよいよ師から学んだ“師弟不二の信仰”を発揮して、縦横無尽に師恩に報いる闘いを開始する時代に入ったはずである。
ところが本部執行部は、恩知らずにも、師匠の命ともいうべき全学会員の幸福と世界の平和のために全力を傾けるのではなく、会則・教義を独断で変更して、独裁的な体制を構築していった。
学会本部は、2014年11月から2016年までの3年間、連続で会則・教義を変更している。そのうち、最も大きな変更は、「大御本尊を受持の対象としない」と決定した2014年の教義会則変更である。
同年11月8日、原田会長は、聖教新聞紙上で会則の変更を次のように発表する。
以前の会則の第1章第2条の教義条項は、
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」であった。
それをこの時、
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」と変更したのである。
この変更で、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受する」との信仰の核である文言が削られたのである。
さらにこの時、原田会長は、「会則の教義事項に言う『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」と説明した。
つまり、末法の御本仏である日蓮大聖人の“出世の本懐”であり、“一閻浮提総与”であるとしてきた弘安2年の大御本尊を『受持の対象としない』として切り捨てたのである。
さらに、翌2015年1月29、30日の聖教新聞では、創価学会教学部による「会則の教義条項改正に関する解説」が発表・掲載された。そこには以下のように説明されている。
「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく『本門の本尊』である。」
しかし、この説明を前提とすれば、結果的に身延山久遠寺や中山法華経寺、池上本門寺などにある日蓮大聖人の御真筆の御本尊や他宗の僧侶が書写した御本尊まで、等しく『本門の本尊』ということになってしまう。
また、この教義変更は、これまでの学会が積み上げてきた説明を根底から覆していくものであると言える。
なぜなら、戸田先生は明確に仰っている。
「ただ、大御本尊だけは、われわれが作るわけにはゆかない。(略)だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ。」(『大白蓮華』1959年7月号)
大御本尊が根本であり、かつ大御本尊を基にしない他宗の御本尊は力がなく、ニセ物であり、魔性が入っていると明確に断言なされているのである。
また池田先生も「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」(1993年9月19日付聖教新聞)と大御本尊が信心の根本であると明言されている。そして、これがC作戦(1991年に日蓮正宗大石寺が創価学会を破門)以降の池田名誉会長の公式見解なのである。
同様にC作戦以降の創価学会の公式文書(「創価研修シリーズNO191」1993年10月)でも、以下のように説明されている。
Q 「【平成5年から創価学会が、日寛上人が大御本尊を書写した御本尊の御形木御本尊を下付し始めたことについて】学会が独自に御本尊を受持したということは、これまでの大御本尊根本の信心が変わったということですか?」
A 「そうではありません。学会の大御本尊根本の信心は、初代牧口会長、第二代戸田会長、第三代池田会長と一貫して変わらぬ伝統であり、今後も不変です。(略)」
つまり、創価学会は、大石寺が謗法の地と化したC作戦以降においても、変わらず一貫して「弘安2年の大御本尊」を信仰の根本にして闘ってきたのである。
それにもかかわらず、C作戦から24年が経った2014年の段階で、なぜに今さら“大石寺が謗法の地と化したこと”を理由として、「大御本尊を受持の対象から外す」などと言い出したのか。全く理由が存在しない不可解な話なのである。大御本尊と決別し、悩ましい宗門との関係を切りたかったのだと感じてならない。
このように、“大謗法の地にある大御本尊は受持の対象にしない”“日蓮大聖人の御真筆の御本尊とそれを書写した本尊は、すべて等しく『本門の本尊』である”などとした2014年の教義変更は、それ以前に創価三代の師匠が信仰の根幹としてきた『大御本尊』を否定し、三代の師匠が築き上げてきた学会教義を破壊する深刻な邪義である。
そもそも3年連続で、毎年のように、会則や教義を変更し続けていること自体、不穏な動きであることは誰もが感じることではなかろうか。
池田先生は『人間革命』の中で明確に喝破されている。
「時代の進展によって変更しなければならない教義や矛盾に満ちた宗教は誤れる宗教と断定すべきである。」(小説『人間革命』第2巻「車軸」の章)と。
仏法は体、世間は影である。
現代において、日蓮大聖人の正法を唯一正しく信奉している団体は創価学会だけである。しかし、その創価学会の中で、戸田先生が明確に定められた『大御本尊』を否定し、『本尊』の基準が崩壊してしまっている。
戸田先生は仰った。
“本尊雑乱のときこそ、正しき本尊より、よこしまな本尊を討つべきである。”と。
一刻も早く、創価学会の土台である教義を、創価三代の筋が通った教義に戻さなければ、創価学会の衰退は火を見るよりも明らかである。
このような危機感から、私たちは、来たる6月18日(日)の学会本部前サイレントアピールで
「本部執行部よ!即刻、創価三代の教義に戻せ!さもなくば退陣せよ!」
とのスローガンを掲げていきたいと決意しました。
今 創価は
信仰の根幹である「御本尊」の基準すら崩されている
まさに根幹の教義が崩壊している
しかし、それを知らない学会員の友がいる
ならば、『法華折伏』の御金言に則って
今こそ、内部の友を『内部折伏』する時だと感じてならない
「今の創価は、師匠の仰せと違う!」
「これまで説明されてきたことと矛盾している!」と
声を大にして叫ぶ時だと思えてならない
友よ! 同志よ!
恐れることなく正義を叫ぶ時がきたのだ!
“日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし”
私は創価学会は絶対に変わることが出来ると確信している!
共に、共に
今こそ師匠へのご恩返しの闘いを断じて私たちがやろうではありませんか!
大歓喜の使命に身の福運を感じながら、命ある限り正義を叫び抜いて参りたい!
<学会本部前サイレントアピールのお知らせ>
■ 日時
平成29年6月18日(日) 13時00分~14時00分
■ 場所
信濃町の学会本部前
■ 横断幕に掲げるメッセージ
一、本部執行部よ!即刻、創価三代の教義に戻せ!さもなくば退陣せよ!
一、日本を戦争に導く安保法制と共謀罪法の撤回のために闘え!
一、本部職員・聖教職員による金銭横領疑惑の真相を明かせ!
一、会のために声を上げる会員を処分するな!
■ メディアの取材について
当日はメディアの方が6名ほど取材に来られ、ライブ動画の撮影とビデオの録画、雑誌社の方によるカメラ撮影が行なわれる予定です。
取材は希望される方のみで行ない、希望されない方は映ることはありませんので、ご安心いただければと思います。
■ (参加を希望して下さる方々へ)事前連絡のお願い
安全かつ合法的にサイレントアピールができるように、これまで警視庁と弁護士に相談してきました。
その上で、絶対無事故、絶対安全を期すために、参加を希望して下さる方とは、事前に個別に連携を取らせていただき、参加予定人数を掌握したいと思っております。
つきましては、前日の6月17日(土)までに、①お名前、②ご連絡先(電話)、③参加予定人数を、ブログ宛にメールでお知らせ下さいますようお願い致します。
簡単な一文で構いません。「滝川清志 090-****-**** 2名で参加します!」など、お名前、連絡先、参加予定人数を書いていただければ、こちらから折り返しご連絡をさせていただきます。
当日のサイレントアピールは、1時間を予定しています。
これまでの経験から、横断幕を掲げて立ち続けられるのはおよそ1時間が限度だと思いました。参加して下さる皆様が、創価変革のために行動して体調を壊されることだけは絶対にあってはならないと思い、1時間とさせていただきます。
■ サイレントアピールに関する質問のうち、代表的なものを紹介します。
Q 個人的な事情があり、サングラスをかけての参加でも良いですか?
A もちろん、構いません。各々個々に事情がおありだと思いますので、決してご無理はなされないで頂きたいと思っています。毎回、サングラスやマスク、帽子を被って参加されている方々がたくさんいます。
Q 是非サイレントアピールに参加したいと思っているのですが、私が訴えたいのは“対話に応じない権威主義化した学会本部の現状に対して”で、公明党の問題(安保法制や共謀罪法案の推進)については皆様と意見を異にする状況ですが、参加して良いでいしょうか?
A もちろん、参加していただいて構いません。学会本部は、仰る通り会員との対話に応じず、権威主義化している状況です。最近では、本部に問い合わせても、担当者は名前すら教えてくれません。明らかに変質しています。
政治の分野の話も、いろいろな意見があって良いと私たちは思っていますし、だからこそ互いに対話をしていくことで、より良いものを生み出せる。それが本来の創価だと思っています。
Q 私は「沖縄の基地問題」に対してまったく声を上げてくれない公明党の姿勢を問題だと思っています。そして、その問題の根っこも学会本部にあると思っています。
なので、サイレントアピールで「沖縄の基地問題」に対するスローガンを掲げても良いでしょうか。
A もちろん、構いません。第2次世界大戦から続く沖縄の基地問題は公明党・創価学会にとっても極めて重要な課題です。ところが、公明党と学会本部は、反戦や軍縮とは真逆の安保法制を推進し、“武力による抑止力による積極的平和”なるデタラメな平和を語っている。公明党の狂いの元凶が学会本部にあることは間違いありません。
師匠は明確に仰っています。
「核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になってこそ本土復帰である――それが、沖縄の人びとの思いであり、また、伸一の信念であった。」(新・人間革命13巻「楽土」の章)と。
沖縄の平和なくして、本土の平和は絶対にないとの信念で共に闘いたいです。
(2016.12.11撮影)
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(誤字の訂正のお知らせ)
36頁9行目の「かつて2006年6月頃、師匠は本部職員の全体会議で」の日付が、「2002年6月頃」の間違いでした。申し訳ありませんが訂正をお願い申し上げます。