May 18, 2018

第1回 妙喜庵待庵

宗教が色建物にも装飾が用いられるのが当たり前た時代においてあえて華美な装飾をらわずにられた特異な建物それが茶室である茶が主役とはいえ四時間にも及ぶ茶事で客を退屈させないためにそこには一て分かる装飾がともさまざまな工夫が隠されている本連載では日本建築に大きな変化をもたた茶室の窓に着その特色を解

妙喜庵待庵
第1回国宝の茶妙喜庵待庵を取り上げる待庵は利休がたとされる二畳敷隅炉[注1]の席で現存する日本最古の茶室とされている待庵にはそれ以降の茶室が成ないと言い切れる非常に重要な茶室である

  • 林忠彦撮(周南市美術博物館提供)
    待庵西側に位置する次の間の外観

自由にた茶室の窓
待庵以前木造である日本建築の開口部はその位置や大きさを柱や長(なて半ば自動的に決められていた[注2]。
ところが待庵を構えるときに利休が土壁を塗りただけでられ「下地窓とんでもないものを生み待庵以降茶室の窓はその位置や大きさを自由に選択することが許されたといえる。
レンガ造や石造を主流とする西洋建築では壁の真ん中に窓が空いていても何も不思議ではないが木造の軸組をベースとする日本建築に待庵の窓は大きなパラダイムシ待庵以前は空けるか閉じるかの二通かなたところに窓が自由に配置できるたわけで大変な革新といえ

「草「真見立て
茶室の窓を構成する要素は3つある 柱/梁障子て土壁これらを視覚情報だけで判ていては茶室の窓の本質は見えないなぜなら茶室が生まれた時代には枯山水の石庭に代表される「見立ての思考が濃厚に存ており視覚「見立てが渾然一体とていたからであるそこでまず茶室の窓「見立ての視点から考
まず皮付丸太を用いた柱/梁は自然物に見立てられるものでありである他には蒲などどれも自然を感じさせるものである特に丸太の柱においては構造的役割視覚的印象て大地に根ざす力強い木々を感じさせると「見立ての表現においても建物を支える要素といえる[注3]。
一方障子のな人工物で自然に見立てられないものはである他には削木真塗[注4]の床框張付壁[注4]などのどれも人の手間のかたものであるなかでも障子は削木を組んでられた繊細な組子[注5]に石垣張りとて障子紙の張り方まで気をられたものでて手間がかていることが分かる人工物のひとつである茶室において建物を支えるの「草であり人工物であ「真が自立することはない当然茶室「真の柱が用いられることはない。
スサのた土壁「無て見立てら特殊な要素であるこの上塗りをていない荒い土壁からはその辺の土をこねて塗りこんだだけのな素朴な印象を受けぼろぼろと崩れまいな質感からは儚さ奥行きいまにも土にまいな感覚を覚える「土壁=透明見立てが成立するのではないか

  • 《待庵》東面の展開(三井嶺作成
  • 《待庵》南面の展開(三井嶺作成

窓と柱/梁との関係
待庵にはじまる茶室の窓は土壁を塗りられる下地窓 に柱/梁から自由にそのため光の陰影による空間作用やス効果を意ただけであれば窓は柱/梁とは無関係に好きな位置に設けるだけでよいはずだ。
ところが茶室の窓は方立のどれかが必ずついているなぜかそれは人工的な存在「真の窓は自然に見立てられ「草の柱や梁ついていないと「無である土壁では支えられずこち「見立ての観点から考えられるからだ茶室においては窓がどのて柱/梁に支えられているかすなわち窓と柱/梁との関係が築かれているか点にて窓の性質が決まるとても過言ではないこの点において西洋にみられる石造の壁に穿たれた窓と土壁の中に浮かびつつ未だに柱/梁と関係を保つ茶室の窓には決定的な差がある

  • 林忠彦撮(周南市美術博物館提供)
    待庵の次の間に設けられた下地窓

待庵の窓「不安定さ」
 ここでいよいよ待庵の窓について具体的にみてみ 待庵に始まる土壁などを用いた質素な佇まいの茶室の形式は草庵茶室と呼ばれる草庵茶室のパイオニアである待庵は利休「侘びの思想を体現すられており(=粗末な小屋の名の通りいまにも崩れな雰囲気で窓についても極限まで不安定な構成にている。
待庵には窓が3つある床脇の下地(掛障子(にじりぐち脇の下地(片引き及び躙口の上の連子(引違いである自然物である「草人工物である「真を支えると「見立てを念頭において以下の3つの図を見ていただきたい[注6]。
なお茶室の窓において「留め[注7]の納まりは存ないどちらか一方がだけ飛び出「角柄[注8]と納まりにているこれは上記「見立てを表す非常に重要な納まりであり細かい部分だが注目すべき点である

  • 〈床脇の下地窓〉
    ”窓不安定な状態

まず上図の床脇の下地窓から見ていきたいここでは障子は両端とも方立[注9]から離れていて敷居は柱と方立に掛け渡されている方立は儚「草に見立てられる竹でられ釣られた状態である障子はただでさえ不安定な敷居の上に載せて上端の釘に掛けただけの状態で軽やかさを通りていまにも落ちまいな印象を受ける窓が土壁の中に“浮いた”不安定な構成にている

  • 〈躙口脇の下地窓〉
    “釣られる”窓やや不安定な状態

次に躙口脇の下地窓では床脇の下地窓と同障子が両端とも方立から離れている鴨居の右端は柱ついて安た印象だが左端は竹の方立に"釣られた"状態でやや不安定な構成

  • 〈躙口上の連子窓〉
    “片持ち”の窓不安定な状態

最後に躙口上の連子窓では鴨居とも右端は柱から離れている左の方立は鴨居を角柄の納まりで“支えて”おり窓枠自体はちり組まれた印象だが敷居の左端のみが躙口にかりなが「草の柱に突き刺さるに支えられた“片持ち”の状態で非常に不安定な構成にている。
この待庵の窓はどの窓もぎりぎりのバランス「草(=支えるものつなている状態といえ軽やかとよりもい感じのする数ある茶室の中でもダツに不安定な構成の窓である土壁のいまにも土に還りな荒い質感とも相これらの窓は土壁の中でほとんど宙に浮いているに感じられる

待庵の不安定な窓その理由
それは待庵の来歴をみると納得が待庵は利休屋敷にたものが利休の切腹後に妙喜庵へ移築されたものだといわれている[注10]一介の魚問屋上がりが茶の天下を獲らんかも侘び茶にて心意気で待庵を構える。
利休が自分の屋敷で茶室を構えるからにはその理想の形をマニフェたはずだ「侘び[注11]だ楽茶碗だここには唐物は置けないだと世にパラダイムシを起こすための非常に重要な茶室でたに違いない。
茶を主役とすることが利休の理想で(のだて[注12]を初めて試みた利休てみればろ茶室は不要な存在たのかれないそのため待庵は茶の存在を引き立てるられた軽い楽茶碗──影に消え器の重さを感じない──と同意識から消えるな茶室とする必要が窓もまたこの理想を実現するためにいまにも崩れ落ちで極限まで不安定な構成でなければならなたのだ

注釈
1. わずか畳2枚と床の間のみの広さ部屋の隅に炉がある形式「隅炉
2. 厳密にいえば待庵が登場する以前にも自由な配置を許容する窓鎌倉時代に大陸から伝た火灯(かまどがあるだが加算的に華美な装飾を付与する火灯窓と土壁を削ることで減算的に開口部を形成する下地窓とではその意味合いが大異なる。
3. なお「草には二種類あるので注意が必要である一方では床柱のに堂々て力強さを感じさせるもの他方では釣竹や菰や蒲の儚さを感じさせるものいずれ「草だが受ける印象は異なる。
4. 削カンナで仕上げられた角材黒漆塗りの光沢のある仕上げ張付紙張りの壁。
5. 待庵の組子は細い割竹であり「草の部材である。
6. イラのルールは色づた部分「草色づた部分「真である土壁「透明の見立てであり色づていない。
7. 2つの材が45度で取り納まりのこと。
8.  2つの材が取りときどちらか一方がだけている納まりこの躙口上の連子窓の左上では鴨居がているなお同じ箇所の外部では方立がており利休の創意工夫が感じられる点である。
9. 柱とは別に設けられる扉や窓を構成する縦枠の部材。
10. 1582(天正10年の山崎合戦時に妙喜庵に建てられたと説もあるがもともとは利休屋敷にたと堀口捨己説に同意。
11. 「侘びは利休の言葉では江戸時代に名づけられたといわれている利休の理想は茶を主役とすることであり(利休の控えめな態度装飾的な要素を抽象たシルなディテール素朴な風合いの茶道具の好みなどが特徴でありた一た創意工夫や嗜好をるめ「侘びと呼ぶた。
12. 茶室の中では屋外で行われる茶会

 

 

 

三井嶺/Rei Mitsui
1983年愛知県生まれ東京大学大学院修士課(日本建築史専攻で茶室の研究を坂茂建築設計を経て2015年三井嶺建築設計事務所設立「日本橋旧テーラー堀屋改修におい「新建築およ「建築技術に掲載「U-35 / Under 35 Architects exhibition 2017最優秀賞受賞