「早くも辞めたいですね、」
一回り以上年下の、それでも遅い就職を果たした友人のアイくんがいう。やっぱり仕事大変?そう訊くと、
「いや、仕事は少しもつらくないですね、向こう三十年、ぼくは懲役だとおもって働いてますので、」
なるほど少々諧謔的だけれど達観している。たしかに刑務所勤めだとおもえば仕事なんて少しもキツくはないだろうね。だったらなんでまた?
「いや、ただ飲み会が多くて、」アイくんはため息を漏らす。へぇ、そりゃつらいね、おれも毎日ツラいツラいと酒を呑んでるよ。ちょっと、茶化さないでくださいよ。おっとごめんよ。
アイくんはお酒も飲めるし人当たりも良い。それでも会社で開かれる飲み会が非常にツラいらしい。業務に対しては上述したような姿勢を持っていてもなお、ツラいというのだからよっぽどのことなのだろう。
「や、飲むのはいいんですけどね。もっと飲めだとか、あのひとに酒つげだとか、そういう自分のペースを乱すようなこという、古い体制がやっぱり嫌ですね。」
さらに辛いのは、部署をあげた大きな宴会ともなると新人は皆、持ち回りで余興をしなければならないことだそう。へぇ、じゃあパイナポーだとかアポーだとか履いてますよだとか履いてませんよだとか、元気いっぱいやらなきゃいけないの?と訊くと、アイくんはため息交じりに頷き、似たようなことやりましたね、と恨みの籠もった声をだす。うへぇ、それはそれは。
とはいえ、わたしは飲み会もなんなら余興も楽しめるほうなので、若い頃にそういうストレスは少なかったとおもう。たとえユーモアに欠ける先輩方からむちゃ振りが飛んできたとしても、巧くあしらえたりしたので、そういった悩みも薄かった。
それでも頑なに断り続ける同僚や後輩や、返す刀を持たない引っ込み思案の若手などをみては、気の毒には感じていたものだ。
もちろん年齢に関係なくひとの嫌がることは、控えなければならないし、ひとが不快だとおもった習慣なんてものは、後の世代に残さなければいい。
第一に、嫌だったとかそうでもなかっただとか、私的な感想をさっぴいたとしても、酒を注いだり注ぎ合ったり、ひたすら目上を立てるような飲み会や、ましてくだらない余興の類いなんてものには、なんの必要性も感じてなかったし、そもそも伝統として残したくなるほどに面白いものなどひとつも見いだせやしなかった。
だから当然、自分の世代に持ち込もうなんて発想も、わたしとしては皆無だったし、率先して強要させようともおもわなかったし、いまでもおもわない。
けれどむしろわたしがなによりも驚いたのは、そういった、なんというか前時代的というか体育会系というか、とにかくそういった習慣事態が、今の時代になってもしぶとく生き残っているという事実だった。
おもえばわたしは大きめの共同体というものに、早い段階から弾かれて、ひとりで仕事するような職場環境に身を置いてしまったので、今ではむしろ、腹踊りでもドジョウすくいでもなんでもこなすのでただひたすら酒を呑ませてくれぃ誰かわたしを呼んでくれぃ、とさえおもうのだが、いまはそういう個人的な話をしたいわけではない。
だがしかし、笑い事ではないぞ。茶化してばかりはいられない。わたしだって楽しいとおもうことを自ら率先してやるならまだしも、他人に強要されたとなると話は別だ。まして出席すらも強制的、欠席などもってのほかだというのだから、それはずいぶん苦しいことだ。誰だって、任意でなければ腹踊りなんて、笑顔でできるものではないだろう。
問題は、断る権利がないということなのだ。嫌だと感じているということなのだ。嫌な思いをしているひとが一人でもいるというのなら、それはハラスメント案件だということなのだ。
昨今のニュース、セクハラやパワハラ。たとえばアメリカンフットボールでも相撲の不祥事でも、由々しき問題には変わりないのだけれど、少なくとも随分センシティブなところまでつっこむ時代になったな、とは感じていた。
それこそ昭和の時代では問題視さえされなかった事柄も、声を上げ、その声を聞こうとする人々が現れるようになってきた。古い習慣や伝統は間違ったものまで一緒くたにされていがちなので、判断もむずかしいし、なかなか染みついたものは拭えはしないだろう。けれど、現代は確実に世間は変わりつつある。そう、少しばかりは感じていた。
ところが、というか、やはり、そうではなかったようだ。現実的な職場にはまだまだわたしが若かりし時分、今と同じように多くのひとたちが厭忌しながらも惰性を続ける習慣があり、また、いまでもそれを疑いなく踏襲している連中がいたということだ。
ネットワークや一部のメディアでは細部まで議論され、改善されているような問題でも、別の業界ではそうではなく、恐ろしく古いシステムのまま稼働し続けている。よくある話だ。ひとは誰しも都合の良い情報から先に取り入れるもの。ハラスメントが世のおやじたちに真に理解されるまでは、まだまだ時間が必要なのだろう。
アイくんとの会話のかなで、彼は頻繁に“古い”という言葉を口にしていた。古い人間、古い体制、古い側。わたしたちの頃はどうだったのだろう。大人や権力者に対して、そこまで穿った感情を持っていたわけでもなかったようにおもう。
今の世代の若いひとは、この“古い”という言葉で完全に区別しているように感じる。この別たれた壁は、あきらかにインターネットに起因するところが多いのではないか。
インターネットが無かった世代とあった世代。つまり、世界が広がっていることを知っている世代と、狭い箱庭のみで立ち回る世代。
会社としての文化や伝統、諸先輩方から受け継いできたもの。良いものも悪いもあるだろうが、箱庭でその可否を見極めることは非常に難しくなる。
素晴らしいアイデアやオリジナルな習慣もあるだろうが、なかには害悪的なこともなんなら犯罪めいた習慣もあったりする。
だが箱庭ではそこをしっかりと区別したり弾劾するようなことは、決してしない。波風立てて、アウトサイダーになるくらいなら、悪い習慣でも無感覚でやり過ごせば済むというわけだ。
おそらく“古い側”というのはそういうことなのだとおもう。けれど、それでは新しい世界にいる人間はそれで納得できるわけもない。彼らの世界はもっと開かれているからだ。納得いかないことがあれば外で質問できるし、箱庭で村八分の意見でも、外側では大いに賛同してくれるひともいたりする。
たとえばそういうことで異を唱えたり、態度で表したりすると、古い側の人間は決まってこう感じる。根性がない。考えていることがわからない。愛嬌がない。等等。
無理もない。古い側にはわからないのだ。箱庭では分かろうとすることこそが異端分子なのだから。
そういうことをぼんやりと考えている矢先、いろいろなひとのブログを巡っていると、似たような案件で戸惑っているひとをみつけた。
(あまり明るい話題でもないので、リンクを貼ることはためらったのだけれど、許しを頂いたので載せます。反航路さん。この「いのちばっかりさ」というブログ名からもわかるとおり、このかたは詩人です。このタイトルにやられてしまい、ジャケ買いならぬ、タイトル買いで読む前から読者登録いたしました。読んでみてさらにびっくり。とにかく言葉のチョイスと感性がすごい。もちろん語彙もすごい。時々載せられる詩作も、めちゃくちゃ素敵で、わたしは当初、本当にプロの方だとおもっていました。)
ということで、反航路さんはこの春から就職したようなのですが、近頃になって、なんでも、みんなより早い時間に出勤し、デスクを拭いてお茶を入れてくれと、上司からのお達しがあったらしいのでした。
とんでもない話だとおもった。わたしは憤った。先のアイくんが枕になって、アイくんには歌舞いてみせろよ酔ったふりして殴っちゃえよ、なんて茶化していたけれど、こうも嫌らしいジャブが続くと、なんというか、呆れるも通り越して、もうおっさん、頼むでしかし、と本当にむかむかしてきた。
早出して茶を煎れろ。デスクをふけだ?どこの丁稚奉公だ。どんな大店だよと。奉公先ひたむきに尽くせう盆と正月に暇をもらえてありがたやか。それで一人前になったら暖簾分けでもしてくれるのか。どこまで旧弊的な因習だ。会社だぜ平成だぜ21世紀だぜ、茶ぐらい飲みたきゃてめえで煎れろ。そうおもった。
いやいやまたしても茶化している場合でもない。ほんとうに由々しき事態だ。そういうこというのはたぶんおっさんだろう。おっさんがおっさんと決めつけておっさんを腐すぶんには罰は当たるまい。この際だからおっさんとして、おっさんに進言させてもらうとしよう。
やい、おっさん。いい加減に時代に則した生き方をしてくれ。それからハラスメントを理解してくれ。忠誠を試すような首実検ばかりに気を取られるんじゃないよ。若い連中はあんたと酒を酌み交わしたくて会社に入ったわけでも、まして友だちになりたくて来たわけでもないんだよ。連中はただ仕事をおぼえたいだけなんだ。だれにも迷惑にならないように一人前になりたいだけなんだよ。
若い連中は自分がやれることを模索している最中なんだ。みんなあんたみたいに暇じゃないんだよ。石の時間を生きていないんだよ。インプットは水物なんだよ。連中はいまはそういう時期なんだよ。もっとちゃんとアウトプットしてやれよ。茶を煎れたり、余興に付き合ったりするほどやつら暇じゃないんだよ。
そういう無駄なことさせるから、無駄な仕事で忙しいふりしておっさんに面倒なこと頼まれないようにする悪循環がうまれるんだよ。それくらいわかって仕事しろよ。
あんたたちは歳くって、なにが偉いのかしらないが、結局ひとつの共同体で失敗しなかった奴に過ぎないんだよ。失敗しなかったことを偉そうに誇るなよ。むしろ若者に失敗させてやれよ。それから部下が失敗したらお前が謝れよ。この国のお上が一向に謝らないからって、それを手本にしてるんじゃないよ。
飲み会に人が集まらない。何を考えているかわからない。ヘタに下ネタがいえない。若者は根性がない。覇気が無い。金を使わない。車を買わない?しらないよ。時代は変わるんだよ。ようやく嫌なことは嫌といえる世の中になってきたんだよ。いい加減自分もアップデートしろよ。
風習?伝統?社風?なんだよそれ。嫌がる人間がひとりでもいれば、それは伝統でもなんでもないぜ。ただの因習ってもんだ。そんなものが許されるなら、それこそわたしが後ろからタックルでもしてやろうか。
なに、自分がそうされてきたんだからお前もそれに従え?自分の若い頃はもっと酷かった?だから知らないよ。いいたいこともろくに言えない難しい時代になったもんだ?生きにくい世の中になったもんだ?
なんだよそれ。ハラスメントがそんなに複雑か?この際だからひとつ教えてやるよ。あんたの時代だとか、現代だとか、ケースだとか立場だとかセクハラ罪なんてないだとか、そんなことは関係ないんだよ。個人的な問題だとか言った言わないだとか証拠だとか、そういう問題でもないんだよ。
いいか、誰かが、誰でもいい、立場も性別も関係ない。いいか、誰かがひとりでも「嫌」とおもったらならば、「NO」とおもったならば、そう思わせた時点でハラスメントなんだよ。これからはそうおもえよ。これからはそういう時代なんだよ。あんたの立場なんて訊いてもいないし関係もないんだよ。簡単だろうが。
仕事は遊びじゃないんだよ。人生はやり過ごしていくばかりでもないんだよ。部下はあんたのお茶くみでもなければ飲み友だちでもないんだよ。本当にそういうことがしたいんなら、仕事を教え込んで、しっかり尊敬されてからしろよ。そうすれば慕う人間だって出てくるし、腹踊りだってお茶くみだってあんたのために率先してやる部下もでてくるよ。当たり前だとおもうなよ、仕事も、それから家庭だって。ちゃんと感謝しろよ。しっかりしろよ。たのむでしかし。
わたしもおっさんだからこそ、あんた達みたいなおっさん連中といつでも戦うつもりでいるぜ。噛みつき合おうぜ。お互いに。いいたいことがあったらいつでもこいよ。なんなら吞みにでもいくか。いつでも受けて立つぜ。マジでかかってこいや!
前回の日記で“怒り”についてしたり顔で語っておきながら、めちゃくちゃ恥ずかしながらの憤慨。ひとえに激しく自戒を込めて。