※これは「俺って子供だなぁ」と思う人だけ読んでください。


僕は「厨二病」で問うたのは、「厨二病」って何?ということであり、
俺が厨二病になったのか?
周りが厨二病なのか?
違うのか?
しかし何だこの違和感は?
だった。

僕はここでもまた淡い期待を抱いてしまった。
「厨二病で何が悪い!」という確証と、その裏付けがどんどんみんなの力で明らかになるのではないか?あわよくば僕も「そうか!僕は厨二病でいいんだ!ここにいていいんだ!!」と合点するとか、そんな無駄な期待を抱いてしまった。

結果、やはり無駄だった。
少しだけそんな議論に行こうとしたが、Twitterでは、
「ヤマカンの方が子供じゃん、厨二病じゃん」
で、埋め尽くされた。

なるほど、厨二病の実態が解った。

厨二病の定義なんてもうどうでもいいし、再定義したところでこれも無駄に終わるだろうが、一応僕の中ではっきりさせておくと、
「他人を子供だ、幼稚だと蔑むことで、自分のなけなしのプライドや『大人』感を護り、その『子ども』性を偽ること」
だ。
それは確かに「スノビズム」と通底する。

自分の中の「子供」を認めない限り大人にはなれないなんて、当たり前なんだけどね。

『エヴァ』以降蔓延ったのは、「自分は中二だ!思春期だ!でも認めてよ!」という碇シンジ的承認欲求ではなく、むしろ逆で、「お、れ、は!子供じゃないからね!」とやたら強調する、言わば「逆説的な厨二病」とでも言おうか、つまりそれだったのだ。

それは同時期に、オウムからの反動で来た冷笑主義や売上至上主義に煽られて、歪に変化してしまったのだろう。


かくして碇シンジの必死の叫びは、虚しく雲散霧消してしまったのだ。
『エヴァ』は数字で勝って、精神で負けた。


もうはっきり断言するが、僕は子供だ。永遠に思春期だ。
子供でいいと思っている。
でなきゃ『あたしンち』や『ハレのちグゥ』や『フルメタルパニック?ふもっふ』ではっちゃけた仕事なんかできっこない。
アニメなんてやってられっか!

僕は子供の純粋さで、「王様は裸だ!」と言いたいだけだ。
それは小林よしのり先生と限りなく近い発想だろう。

「ぽっくんは子供ぶぁい!チンコウンコが大好きな子供ぶぁい!でもその分だけ、大人の仮面を被った人間の醜さが見えるぶぁい!」

僕はこれだけが言いたいために、表現を続けているのかも知れない。


でも、そうなると高畑さんの信念に抵触する。
「理性」はどうなるのか?
アニメに求めるのは不可能なのか?

アニメを今「文化的」に捉えるには、誰も彼もが「スノビズム」と(現代的な意味での)「厨二病」に呪縛されるしかない。
それを超克することが果たしてできるのか?今のアニメに?

それは今ちょっと、もどかしい。
考えあぐねている。


正直「アニメが文化になんてなれる訳がないじゃん」と言いたい気持ちをここはグッと堪えて、少なくとも今後、巨人のような知識人・文化人・理性人が現れない限り、相当困難だろうことは目に見えている。
難しい局面だ。