初めて彼女が出来たのは23歳の時だった。
・・・それからなんやかんやで、
3人の女性と3回婚約をした。
そして3回の婚約破棄を経験した。
別れた理由はモチロン
ひとことで表現しきれませんが・・
『無理をしてしまったからだ』と
後からそう気が付いた。
社会に出てから10数年が経ちますが、
私は『無理』をして働き続けた。
警察官、死体痕の清掃、営業などなど・・・
休みが無くても、給料が数万円でも、
殴られても蹴られても・・・・・
意地を張って無理に無理を重ねてきた。
無知な私は大切なことに気づけなかった・・
この無理で傷つくのは自分だけじゃないってことに。
自分の無理は、恋人や家族までも傷つけてしまう。
「愛し合う」っていうのは、お互いの肉体や精神が
液体のように混ざり合うモノだと思う。
私が無理をして辛くなると、
彼女も同じように辛い気持ちになる。
私の「無理」が大切な人を汚染してしまった。
「大丈夫?」「そんな仕事やめて!」という
私を気遣う言葉さえ無視してしまった。
結局・・私は無理に無理を続けて・・
仕事中に首の骨を曲げてしまった。
・・・・そして運ばれた病院で
十数年に渡る「無理」がやっと止まった。
体を壊してやっと気が付いた
「ああ・・・無理だったのか」と。
アホである。
無理とは無知だ。
しかし気付くのがあまりに遅すぎた・・
すでに私の周りには誰もいなくなっていた。
みんな私の無理に耐えきれなかったんだ。
3度目の婚約は破棄され、
家族からも縁を切られてしまった。
無理とは理(ことわり)が無いということ。
私はできもしないこと(無理)を続けたことで、
仕事も家族も婚約者もすべて「無」にしてしまった。
無理をすることで見える世界もある。
だけど無理の果てにあるのは「無」だけだ。
・・私が仕事で無理をするときは
「自分がやらなければ!」
「自分が頑張らなきゃ!」
と常に責任を感じていた。
でも・・私が病んで会社を去ったあと・・
とくに会社にダメージは無かった。
つまり私の代わりなんていくらでも居たのだ。
だから無理をする必要なんて無かったんだ!
でも・・愛する人にとっては・・・・
私は唯一無二の存在だったはず。
会社のために無理をするのではなく、
愛する人のために無理を止めるべきだった。
もちろん責任や義務感は大事だけれど・・
本当に守らなきゃいけないモノを見失っていた。
ただただ、『強い人間』になりたかった。
無理が出来る自分は強い人間だと思っていた。
無理をすると「お前はスゴイ!」と
褒めてくれる人が会社には居たからだ。
でもそれは強さじゃなかった・・・
ただ周りに流されているだけだったり、
都合よくコントロールされているだけだった。
愛する人のために「無理」なことに対して
「無理です!」とそう言えることこそ
本当の強さだったのかなって・・・・思うんだ。
おわり