いよいよ今月はワールドカップである。しかし、我々の日本代表は、明らかに混迷という表現がふさわしい状態にある。不明瞭な理由で監督が解任され、世界大会を攻略する道筋が見えないまま、時計の針が進み続けている。
なぜ、前日本代表監督ヴァイッド・ハリルホジッチは解任されたのか。この疑問を解決するために、跳梁跋扈しているのが反商業主義に基づく陰謀論である。曰く、広告代理店の陰謀である。人気選手を代表に組み込まないヴァハを解任したのだと言う。曰く、スポーツ用品メーカの陰謀である。彼らは自らが支援する選手を代表にねじ込むためにヴァハを解任したのだと言う。
しかし、これらの陰謀論を唱える者は、なぜ中島翔哉が代表にねじ込まれなかったのかという疑問に答えない。なぜ、タレントを備えて敗北した2006年のワールドカップ後代表人気が低迷し、タレントを外して臨んで勝利した2010年のワールドカップ後代表の人気が上がったことを陰謀の首謀者達が忘れてしまったのか、という疑問にも答えない。反論できない、槍玉に挙げても反撃してこない相手を集団で叩いて溜飲を下げているだけ、と僕は見做している。
一方で、なぜヴァハが解任されたのかという疑問はおそらく多くの日本のフットボールファンのなかにある。それを解決するには、本当に商業主義に基づく陰謀論しかないのだろうか。このエントリィでは、別種の陰謀論を持ってこの疑問への回答を提示したい。それは「自分たちのサッカー」がいかに作られたか、という歴史である。
また長いエントリィになってしまった。はてなーにはウェブ系のエンジニアが多いから、そういう人達には伝わる形で、二段落消費して全容を示したい。そういう人達ではない人は、二段落を読み飛ばして、その後を我慢して読んでくれると嬉しい。
貴方が努めている会社は四年前、サーヴィスが失敗しクローズの憂き目にあった。そこで経営陣は新たなCTOを招聘する。このCTOは「とにかくリリースすることが大切だ」と説いて、確実にリリースするための戦略を選択した。具体的には、開発言語がPHPとjQueryである。もちろん貴方は他の同僚と反発した。しかしCTOは「FacebookだってそもそもはPHPで出来てるんだ。新しもの好きが得体の知れないものに飛びついて悲惨な結果に終わったプロジェクトには枚挙に暇がない。PHPとjQueryなら万が一人手が足りなくなっても、プロジェクトを継続させられるというメリットもある。とにかく、まずリリースだ」と聞く耳を持たない。おまけに貴方は諸般の事情で、この会社を退職すると二度とエンジニアとしては働けない契約になっている。これは世界的に広く認められた契約で、反発するだけ無駄である。そしてCTOは自分がVimでコードを書いていると「IDEを使ってコードの安全性を保て」とか実に口うるさい。おまけにちょっとしたところで別の言語を試しても「保守できなくなるからやめろ」と叱りつけてくる。
しかし貴方は我慢してサーヴィスのリリースにこぎ着けた。正直に嫌になって手抜きしていたのだが、新卒社員達が愚直に大量のPHPコードを書き上げたのである。しかしそんなんだから、リリース記念パーティも素直に楽しめなかった。さらにCTOはリリース完了後もそのPHPコードをいかに保守するか、新機能を追加するか、ということしか考えない。日に日にPHPのコードは増えていく。かといってそうしてリリースした新機能が好評かというとそうでもない。社の技術ブログのはてなブックマークでは「時代遅れのクソ会社。日本は終わった。運動瞑想野菜」とかボコボコに叩かれている。そこで貴方は社長他経営陣にかけあった。今は開発の現場から離れている社外取締役にも連絡を取った。貴方は訴える。あのCTOを解任して、彼をCTOにしてほしい。少なくともこの夏の書き入れ時に向けて、すこしでもコードをクリンナップしたい。開発効率の高いモダンな言語を使えば、より良いサーヴィスに今からでもできるはずだ。できなかったとしても、会社のエンジニアからのイメージは向上し、優秀なエンジニアの入社が見込める。来年度の新卒採用の最初の求人イベントには、絶対にある程度の道筋をつけて見せていきたい。経営陣も「優秀なエンジニアを揃えたモダンな会社」というイメージを必要としていたし、技術的な素養は十分あったのでPHPとjQueryだらけのコードでは求人に対する応募の質が期待できないと考えていた――
さて、話を始める前に、まず僕について書こう。「いや、素人のお前のことなんかどうでもいいよ」と思うかも知れない。それは当然の反応だけれど、これは絶対に必要なことなのだ。
なぜなら、フットボールは、突き詰めると「趣味」である。そして、人は自分の好むものを高く評価する。どれだけ公平を装っていても、それは「装っている」に過ぎない。そして、そのあたりの理屈がわかっていないから、事態が悪化したと言えなくもない。僕はそう思っている。
というわけで、まず僕の好みについて書いてしまう。
まず、僕はそれなりにフットボールが好きな人だ。但し、毎週必ず何年も試合を見ている、というような熱心なファンではない。応援しているチームも、何年も結果しか見ていない、ということがある。僕が真に応援しているチームは秘密だが、これは取るに足らないようなドチャクソ弱いチームなので今回の議論に関係ないから隠させてもらう。基本的にJではガンバ大阪を長年応援している。この理由は実に明快で、遠藤保仁が所属しているからである。つまり、現役の日本人選手の中で最も高く評価している選手は遠藤保仁である。
海外で言うと、最も好きなリーグはプレミアリーグだが、一番見ていたリーグはリーガ・エスパニョーラである。これは簡単、有料放送を長年WOWOWしか契約していなかったためだ。
モウリーニョかグアルディオラか、という選択肢なら、迷わずモウリーニョを選ぶ。青と臙脂より白が好きだ。メッシよりロナウド、シャビならアロンソを選ぶ。日本代表以外の代表チームなら、ドイツとポルトガルを好んでいる。強さや完成度で言えばドイツだが、ポルトガルには独特の魅力がある。
歴代の日本代表監督で最も好みなのはイヴィツァ・オシム(あ、オシムって言っちゃったね)、高く評価しているのは岡田武史だ。そして、ヴァイッド・ハリルホジッチを解任すべきではなかった、今からでも戻せと思っている。しかし、ガンバのサポータであるから、西野朗について低い評価をしていない。
さて、最初に、遠藤保仁の話をしよう。
遠藤保仁選手は、2006年のドイツワールドカップの後、2014年のブラジルワールドカップの手前辺りまで、日本代表の中心的なプレイヤであり続けた。遠藤のファンの僕が言っているのだから何割か引いてもらいたいが、日本代表のフットボールは8年ほど「遠藤頼み」だった。この名手は、独特のリズムでゲームを制御することができ、特にアルベルト・ザッケローニの攻撃的フットボールにおいて猛威を奮った。その能力の高さはサー・アレックス・ファーガソンも(お世辞もあるだろうが)認めている。十年前の伝説のマンU戦でも、低い位置から彼が自由に動くことでガンバが反撃を実現できた。
彼が高校を卒業後最初に所属したのが、今の若い人は知らない横浜フリューゲルスというチームである。彼はこの重要な時機に、カルロス・レシャックという指導者の指導を受けている。レシャックは遠藤の才能を見抜き、リーグ開幕戦でプロデビューさせている。
このカルロス・レシャックは非常に重要な人物だ。彼はそもそも世界のフットボールの一つの潮流を作っているFCバルセロナという偉大なチームの出身である。彼は世界最高のフットボーラの一人、リオネル・メッシの才能を見抜き、契約を求めた男である。
レシャックはバルセロナの選手であり、引退後はバルセロナでコーチを務めた。このとき、監督であったのがルイス・アラゴネスとヨハン・クライフである。ルイス・アラゴネスはスペイン代表を2008年の欧州選手権で優勝させ、2008年から12年まで続いた無敵艦隊の黄金期を築いた今はなき名将だ。そして、ヨハン・クライフは、バルセロナに現代まで続く哲学を植え付け、イヴィツァ・オシムが希求した「トータル・フットボール」という概念を作り出したこれまた天才的なプレイヤであり指導者である。「美しく勝利せよ」と唱え「守り切って勝つより、攻め切って負ける方が良い」と言い切った、攻撃の信奉者である。
ここで改めてはっきりさせておきたい。僕はバルセロナの色、つまい青と臙脂よりライバルのレアル・マドリードの白が好きだ。筋金入りのアンチ・バルサである。そして、ヨハン・クライフを選手としては尊敬するが、人間としては大嫌いである。バルサの不倶戴天の敵、ジョゼ・モウリーニョの言葉を借りよう。「教えは乞うが、チャンピオンズリーグの決勝を0-4で負ける方法を知りたいとは思わない」「自分はゴルフに興じて安全なところから好き勝手なことを言っている」。それでも僕はこれから、バルセロナというチームがいかに優れているかを書き続ける。それがヴァハ解任の真の理由だからだ。
さて、レシャックはバルセロナを離れ、横浜フリューゲルスの監督に就任した。ここで遠藤は指導を受けている。そして、フリューゲルスの崩壊後、京都パープルサンガを経て遠藤はガンバ大阪にやってきた。ガンバ大阪で長年政権を担った西野朗は、ヨハン・クライフの信奉者である。そして、ガンバでも強烈な攻撃的フットボールを展開した。このあたりで遠藤保仁が完全にバルセロナの文脈に乗っていることがわかると思う。
また、遠藤保仁はFIFA主催の世界大会で日本が史上初の決勝に進出するという快挙にも貢献している。それが99年のFIFAワールドユース選手権だ。20歳以下の選手が出場できるこの大会で、小野、本山、高原、稲本、小笠原、酒井、中田浩二といったタレントたちに混じり、遠藤も出場した。そして最後に彼らを0-4で打ち破ったのが、スペイン代表である。
そして、このスペイン代表で恐るべき実力を見せつけたのが、長年FCバルセロナとスペイン代表の心臓部として躍動した、僕の大嫌いな最高のフットボーラの一人、クラッキであるシャビ・エルナンデスだ。
このシャビという選手は、メッシやロナウドと違ってフォワードではない。純然たる中盤の選手である。得点を生業とする選手ではない。従って、どうしても目立たない。見た目もただのおっさんだ。しかし、ちょっと海外を知っているフットボールファンなら、間違いなく高く評価している選手だ。この選手がすごいのは、まずボールコントロールが猛烈に上手く、身体をどこに置くべきかという基礎的な技量が非常に高い。なにより、周囲の情報を把握して最適な位置を取ることを無意識のレベルでやってのける。これは科学的に証明されている。彼は直感で高度なフットボールの思考をやってのけているのである。そして、その技術でバルセロナの攻撃を指揮し、ボールを保持し続ける守備を成立させた。遠藤保仁の究極進化形態みたいな選手である。
人間的に僕は大嫌いだが(二度目)、とにかくスペシャルなプレーヤ、それがシャビ・エルナンデスだ。シャビはFCバルセロナのカンテラーノであり、当然バルサの血が色濃く流れた人間だ。それが史上初の世界大会における決勝進出を成し遂げた、我々の代表選手たちを完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
さて、こんな具合で若い頃から高く評価されていたはずの遠藤保仁なのに、なぜか2006年のワールドカップにはまったく出場していない。2005年にはリーグ優勝し、ヤマザキナビスコカップでもあと一歩のとこまでいったのに、である。ナビスコはジェフが優勝したからね。うふふ。なぜドイツワールドカップに遠藤は出ていないのか。単純に言うと、出る場所がなかったのである。
当時の日本代表は遠藤の得意とするボランチの位置に「中田英寿」という絶対的な存在がいた。いかに遠藤がスペシャルな選手であっても、中田英寿が相手ではどうしようもない。そして、この中田が「守備が嫌い」という特性を持っており、さらにあまり守備が得意でない(オブラート)中村俊輔という選手も前にはいた。この中村俊輔も全盛期であり、とてつもないテクニックの持ち主である。そんな状況下で守備が得意とは言えない遠藤保仁を据え付けることは極めて危険だったのである。激しい守備が持ち味の福西崇史や稲本潤一がピッチ上には必要だったのだ。
遠藤保仁が日本代表に定着するのは、強奪されたイヴィツァ・オシムが監督に就任してからである。ここでいかに遠藤が代表に定着したかという話をする前に、このドイツワールドカップとオシムジャパン成立の際に今の状況を生み出した原因があるということを記しておきたい。
まず、このワールドカップの直前の欧州フットボール05-06シーズンは、FCバルセロナの黄金期の一つである。このときの指揮官は、フランク・ライカールト。スリナム系オランダ人の彼は、ヨハン・クライフが監督をした時代のアヤックス・アムステルダムの主要選手である。ライカールトは、希代の名手ロナウジーニョを擁するチームでリーガ・エスパニョーラとチャンピオンズリーグの二冠を達成した。この年のバルセロナは圧倒的な強さとパフォーマンスだった。アンチ・バルサの巣窟、白い巨人ことレアル・マドリードのホームスタジアム、エスタディオ・サンチャゴ・ベルナベウでさえ、ロナウジーニョのパフォーマンスにスタンディングオベーションを送ったのだ。当然ロナウジーニョは大会で最も注目される選手となり、ここ3大会で表紙を飾って優勝にたどり着けたのはシャビただ一人という恐るべきSports Graphic Numberの別冊ワールドカップ蹴球読本の表紙を飾ったのである。ちなみに今大会の表紙はメッシである。うふふ。
次に、この時期Jリーグにはオシム旋風が吹き荒れていた。イヴィツァ・オシムが前年のジェフユナイテッド市原・千葉を率いてヤマザキナビスコカップを制覇しただけでなく、リーグ戦でも躍動的な攻撃を見せつけていたのである。うふふ。そしてオシムもまた、前述したようにヨハン・クライフの描いたトータル・フットボールを目指すタイプの監督である。つまり、この時期には「バルサの黄金期であり、Jリーグにもバルサの風が吹いていた」と言えるのだ。
そして最後に話はちょっと違うが、重要な一件がある。この2006年のドイツワールドカップでは、組み合わせ抽選会のあとにスケジュールに変更があった。具体的には、日本のグループリーグの試合が繰り上げられていたのである。これは、日本での視聴率を考えたものだ。これにはメリットが二つある。第一に、視聴率が上がれば広告効果が高まるのでより高い広告費を稼げるというものである。もう一つは当然露出が高まるので、フットボーラを目指す子どもたちが増え、将来的な日本のフットボールの強化につながるというものである。どちらも、日本代表にとって非常にメリットである。なぜなら、日本代表が金を稼げるコンテンツであればあるほど、サポート体制を充実させられるし、高額な年俸の監督を招聘でき、親善試合に強豪を呼んだりしやすくなる。遠征費用も賄える。一方で、大きなデメリットがあった。日本代表は二つの試合を灼熱の時間帯に行わなければいけなくなったのである。
知っての通り、日本代表はドイツワールドカップで惨敗した。そしてその時、敗因を探るにあたって、この件は注目されることになる。特定の広告代理店や日本代表のスポンサ全般についての悪玉論が根強く残ることとなり、サムライブルーの現状の原因をここに求める陰謀論が跳梁跋扈する原因の一つは、ここにある。
話を戻そう。2006年夏、JFAは新たな日本代表監督を探す必要が生じた。世界のトレンドがバルセロナであり、そのフットボールに近い魅力的なフットボールを実現する男が千葉にはいた。イヴィツァ・オシムである。だからこそ川淵三郎は「オシムって言っちゃった」のだ。許さね――失礼。
ここで「いやいや、ドイツ大会で優勝したのはイタリアだろ。だったら堅守速攻に舵を切る選択肢もあったんじゃないか?」と思う人もいるだろう。結論から言えば、ない。それはこれを最後まで読めば「ないな」とわかるだろう。
さて、オシムジャパンは起動した。中心選手として遠藤保仁は投入され、その攻撃的なフットボールを育てていった。シュワーボは遠藤保仁に攻撃の土台となることを求め、彼はそれに応えた。オシムが病床に倒れるものの、その後を引き継いだ岡田武史も遠藤を重用した。日本代表の心臓となった彼は、攻撃的なフットボールを志向しながら次のワールドカップへと向かっていったのである。
一方でその南アフリカワールドカップが迫ると日本代表は不調に陥った。そこで岡田武史は戦術方針を転換し、守備的なフットボールでベスト16に食い込み、最後まで戦い抜いた。このあと、日本代表は攻撃的フットボールを志向するアルベルト・ザッケローニを招聘する。ただ、ザックの時代の話より大事なのは、この時の世界の潮流である。
南アフリカワールドカップの前々年2008年の欧州選手権では、前述した通りスペイン代表が優勝を遂げた。元バルセロナの指揮官であり、遠藤保仁に影響を与えたカルロス・レシャックをコーチとして起用していたルイス・アラゴネスはシャビなどを活躍させて魅力的なフットボールで欧州の頂点に到達した。
そしてその直後から始まった08-09シーズン、ライカールトで手詰まりになったFCバルセロナはBチームの指揮官を昇格させる。新たな指揮官は現代最高の戦術家との呼び声も高い、現マンチェスターシティ監督、ジョゼップ・グアルディオラである。このカタルーニャ人指揮官はかつてヨハン・クライフが率いたバルセロナの伝説的なチーム「エル・ドリームチーム」の主要選手である。バルセロナのレジェンドである彼は、就任一年目にしてスペインサッカー史上初の欧州三冠という偉業を達成する。これは今までに達成した監督が数えるほどしかいない大変なことである。シャビ、イニエスタ、ブスケッツで構成された中盤から前線のリオネル・メッシにボールが供給される、攻撃的かつ魅力的なフットボールでバルセロナは再び欧州の頂点に君臨した。
このチームの強さは本当に異常な水準で、何をやっても無駄と思われるほどだった。相手チームはボールに触れることすら出来ず、無力感に苛まれながらただひたすら負けていくしかないのである。
就任二年目となった09-10シーズンではスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を皮切りに、フランク・ライカールトとロナウジーニョのチームが成し遂げなかったFIFAクラブワールドカップ優勝を実現した。加えて破竹の快進撃でバルセロナはヨーロッパ新記録の勝ち点99を記録してリーガ・エスパニョーラを優勝。宿敵レアル・マドリードとの直接対決、エル・クラシコでは四連勝を飾った。そしてこの年のチャンピオンズリーグ決勝は前述したエスタディオ・サンチャゴ・ベルナベウであった。バルセロナはライバルの本拠地で欧州連覇を飾るために準決勝に進出した。しかし、その前に巨大な「悪」が立ちはだかったのである。
ジョゼ・モウリーニョである。
このポルトガル人指揮官は、かつてバルセロナのコーチであった。独立してポルトガルのFCポルトの監督に就任すると、チャンピオンズリーグを制覇しイングランド・プレミアリーグにチェルシーFCの監督として参戦した。「私は特別な存在だ」と自ら言い切ったこの男は、プレミアリーグを連覇する。そしてFCバルセロナともチャンピオンズリーグの舞台で相まみえ、ヨハン・クライフの哲学に反するカウンタ主体の実利主義極まりないフットボールで勝利を掴み取ったこともあるのである。当然ヨハン・クライフはこの男が嫌いである。シャビとは友人であ「った」とされているが、今となってはその影もない。
だが、ジョゼ本人はバルセロナへの帰還を目論んでいた。しかし、バルセロナはライカールトの後継に、レジェンドを公の場で批判して勝利至上主義のフットボールを展開するいけ好かないポルトガル人ではなく、伝説の選手であり人格者(とされている)カタルーニャ人を選択した。当然っちゃ当然の選択である。
そこでモウリーニョは完全にバルサキラーとして進化した。もうフォースのライトサイドとダークサイドみたいな戦いである。堅守と言えばイタリア、イタリアのインテルナツィオナーレ・ミラノを率いたモウリーニョは就任一年目でセリエAを制覇して、二年目のチャンピオンズリーグ準決勝でペップ率いるバルセロナと決戦の刻を迎えた。この戦いでモウリーニョは「ゴール前にバスを止める」泥臭く無様な守備を見せた。それによって見事復讐を果たし、欧州三冠を達成したのである。
この直後に行われたのが、2010年の南アフリカワールドカップだったのだ。
その決勝では「ゴール前にバスを止めた」オランダを粉砕してスペインが優勝した。8人のバルセロナの選手であり、うち7人がバルセロナの下部組織出身の選手であり、うち6人がスタメンとなったスペイン代表のパスサッカーが、2010年をモウリーニョの年にさせなかったのだ。スペインが世界の頂点に輝いたのだ。それはバルセロナが世界の頂点に輝いたと言っても良い栄光だった。イヴィツァ・オシムは「スペインが勝って本当に良かった」などと言っている。このままだと「ワールドカップに勝つには守りまくるしかない」という方程式が成立するところだったのである。
さて、FCバルセロナ相手に四連敗を喫しているレアル・マドリードはここで監督にジョゼ・モウリーニョを迎えた。白い巨人は長年不振に陥っていた。09年に世界最高の選手クリスティアーノ・ロナウドを招聘するもタイトルを持っていかれており、なんとしても結果が必要だったのである。
ワールドカップの後、リーガ・エスパニョーラの狂気のシーズンが開始された。バルサもレアルも、一敗どころか一分でもしたら優勝を逃すかもしれない、というとてつもない緊張の中、戦った。
しかしその最初の直接対決であるエル・クラシコで、あろうことがモウリーニョはバルセロナに0-5で負けた。攻撃的にいったモウリーニョ・レアルは、ペップ・グアルディオラの前に簡単に屈したのである。さらに、フットボール界もモウリーニョのやり方に大きなNoを突きつけた。欧州三冠を獲得し、ワールドカップ準優勝の立役者となったウェズレイ・スナイデルは最優秀選手の最終選考にすら残らず、国内リーグを取っただけのリオネル・メッシが最優秀選手に選ばれたのである。モウリーニョ本人は最優秀監督となったが、最優秀選手選考の異常さを多い隠せるものではない。
こんな流れの中、代表の舞台で攻撃的なフットボールを描いて地域の頂点に立ったチームがある。我らがサムライブルーである。このとき、世界のフットボールは堅守速攻にポゼッションフットボールが勝つという流れになっていた。そんな中、堅守速攻でワールドカップで予想外の好成績を残した日本が地域を制したのだ。攻撃的なフットボールに進化して。これが当時「日本はアジアのバルセロナ」と呼ばれた所以である。
その後、モウリーニョとレアル・マドリードは数々のファウルと誤審主張、そして乱闘騒動を起こし、レアル・マドリードの名声を地に落としていくことになる。レアル・マドリードは国王杯を獲得したものの、所詮これはカップ戦にすぎない。バルセロナはレアル・マドリードをリーガ・エスパニョーラとチャンピオンズリーグで下して二冠を達成した。最早堅守速攻をポゼッションフットボールは上回るという方程式が確立されたのである。
さらにこのシーズンの後、女子ワールドカップでなでしこジャパンが頂点に輝いた。この年の女子最優秀選手が澤穂希となったことはご存知のとおりだが、ここでグアルディオラは「我々以上だ」となでしこジャパンを称賛している。
この歴史的成功がイヴィツァ・オシムの掲げた「サッカーの日本化」を「バルセロナ流フットボールの再実装」として定着させた。世界最強かつ最高の評価を得ているチームに近いとされたのだから、これもまた当然の流れと言えよう。あとでまとめるとして時計の針を進めよう。
そして、次のシーズンがやってくる。2011-12シーズンである。この年のリーガ・エスパニョーラも各エースの得点数は年間40点を超える(試合は37試合である)という常軌を逸したシーズンとなった。この消耗戦の前にペップはバルサを去る決断をすることになった。そしてモウリーニョ自身は世界三大リーグ優勝という偉大な記録を達成するものの、チャンピオンズリーグでは敗退し、国王杯はバルセロナが獲得する。この時点でも世界の潮流は変わらなかった。なぜかはこれもあとで説明する。このシーズンを終えた後の欧州選手権でもスペイン代表は躍動し、欧州選手権連覇を飾った。
このころからサムライブルーには一つの大きな問題が出てきた。それが、遠藤後継者問題である。
サムライブルーが「アジアのバルセロナ」と呼ばれるようなポゼッションフットボールを実現する鍵になっていたのは、遠藤保仁である。このバルセロナのコーチから直接教えられたヴェテランMFは、言わばサムライブルーとガンバ大阪におけるシャビ・エルナンデスであった。この選手が不在になると途端にチームの攻撃は停滞し、攻撃的フットボールを演出できなくなってしまうという問題が顕在化してきたのである。しかし、このMFも既に30代に突入しており、ブラジルワールドカップで主戦力とするにはあまりに不安があった。
これに対してJFAや強化委員会が無関心であったとはとても思えない。少なくとも、遠藤の後継者という話は、国内サッカーメディアでは俎上に上っていた。そして未だに日本のフットボールはこの問題を解決できないままなのである。そして、それは「自分たちのサッカー」をするにあたって極めて重要な問題である。遠藤保仁という「日本サッカーのバルセロナ化」を実現するキープレイヤを喪失すれば、当然その目的は達成できなくなる。
しかしまだまとめに入るには早いので、時計の針を進めよう。次のシーズン、バルセロナはまたもや重要な記録を達成する。リーガ・エスパニョーラという世界最高峰といっても差し支えないリーグでの試合で、全選手を下部組織上がりで揃えたのである。これはまさにバルセロナというチームの一つの到達点であった。
現代フットボールの強豪チームは、移籍市場で有力な選手を引き抜いてきて戦力を揃える。その極地が金満クラブのレアル・マドリードである。対する選手を育て、戦術を育てる育成のバルセロナには、到達点と言えるだろう。さらにここには歴史的な背景もある。バルセロナというチームはスペインのリーグに参戦しているし選手はスペイン代表である。しかし歴史的背景と彼らの魂はいまのスペインという国家に帰属していない。バルセロナはカタルーニャ自治州のチームである。こういった民族や地域との強い結びつきはリーガ・エスパニョーラでは珍しいことではない。リーガ・エスパニョーラのアスレティック・ビルバオというチームは、すべてをバスク人で揃えるバスク純血主義を貫いている。バルセロナはカタルーニャの独立を象徴する存在でもある。すべて自前の選手という状況が、どれだけその象徴としての力に影響を与えたかは想像に難くない。
この一年後、バルセロナで一時代を築いたペップ・グアルディオラはドイツに渡り、強豪バイエルン・ミュンヘンの監督に就任した。2013-14シーズンの出来事である。前年欧州三冠を達成したバイエルンはグアルディオラの下で躍動し、カップ戦を連覇、リーグ戦も最速優勝を飾る。しかしチャンピオンズリーグではジネディーヌ・ジダン率いるレアル・マドリードの前に屈して連覇に失敗する。だが、バイエルンの選手たちを主軸としたドイツ代表はブラジル代表を殲滅し、初の欧州チームによる南米開催ワールドカップでの優勝を飾った。この時、ドイツ代表は熱風吹き荒れる王国で勝利するために、持ち前のポゼッションフットボールを諦めて運動量の少ない戦術を採用している。
この大会で我々のサムライブルーは完全に叩き潰され、攻撃的フットボールから舵を切ったのもご存知であると思う。この現実主義の導入には「あの最強ドイツでさえワールドカップでは舵を切るのだ」という文脈があったことは想像に難くない。そして、この後ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が就任し、遠藤保仁はサムライブルーを去る。結局、彼の後継者は未だ現れていない。
こうしてここ12年のフットボールの潮流と日本代表の関わりをざっと話してきたのだが、いかにFCバルセロナというチームとその哲学がフットボールの世界において重要な要素になっているかわかるだろうか。アンチ・バルサの僕が話してこれなのである。クレに言わせれば八倍の量に十六倍の称賛を込めて喋るだろう。チャンピオンズリーグやワールドカップ、欧州選手権という戦術見本市でバルセロナは存在感を示し、その正当なる後継者であるペップ・グアルディオラは今もフットボールの世界において重要な位置にある。
そしてここが肝心なことなのだが――「少なくとも」日本のフットボール関係者は猫も杓子もほとんど全員と言えば言い過ぎだがとにかく大勢がFCバルセロナが大好きであり、特にペップ・グアルディオラ率いた時代とペップ・グアルディオラが大好きなのである。
例えば、ヴィッセル神戸のメインスポンサである楽天は、バルセロナのメインスポンサでもある。香川真司を育てたクラブチームはFCみやぎバルセロナというチームだ。昨シーズンのJを制した川崎フロンターレを育てた風間八宏は「ボールを支配すれば点は取られない」というクライフイズムの信奉者である。今、名古屋何位だったかな。夕空のクライフイズムなんてマンガもある。スカパー!サッカー中継でおなじみ、家電量販店でゴジラの襲撃を受けたクラッキーこと倉敷保雄が好きなチームはアヤックス・アムステルダムとバルセロナなどであり、どちらもヨハン・クライフが深く関わっているチームだ。ある調査によれば日本で最も人気のある海外のクラブチームはACミランだが、これは調査時期に本田圭佑が所属していたからである。二番目がバルセロナだ。現在に至るまで、カンテラ所属であった久保建英を除いて日本人の所属選手は存在しないチームだ。
WOWOWにおけるリーガ・エスパニョーラの中継では10-11シーズン、岡田武史が一部試合の解説を担当していた。この解説の岡田武史は「いかにペップ・バルサが素晴らしいか」を語るだけのスポークスマンのような具合であった。日本代表の中継を民法で見ていたら、応援おじさんみたいなのが出てくるだろう。あのノリで他国のリーグ戦で一方のチームを称賛する岡田武史が登場していたのである。実況もそうなのだ。11-12シーズンのレアル・マドリードが優勝を決定づけたエル・クラシコでは、バルセロナの攻撃の勢いが増すと実況は「さあバルサの時間がやってきた!」と嬉しそうに絶叫した。しかし、数秒後にロナウドのカウンターを喰らうと彼は意気消沈する。当然、日本中のマドリディスタからは嘲笑われた。日本代表の試合ではない。異国のクラブチーム同士の戦いである。にも関わらず明確に片方に肩入れした実況や解説が平気で行われていたのである。
「銀河のワールドカップ」という小説がある。これは、小学生たちがレアル・マドリード(みたいなチーム)に制限されたルールで挑むというフットボールの小説である。このタイトルは、この小説が書かれた当時レアル・マドリードが世界的な人気を誇っており、銀河系軍団と呼ばれていたからつけられたものである。この小説は2012年に「銀河へキックオフ!!」というタイトルでテレビアニメ化された。この作品の終盤ではプロの世界選抜チームが登場するのだが、粗暴な行動を働くレアル・マドリードの選手「みたいな」選手をメッシ「みたいな」選手が諌めるというシーンが存在するのである。元々レアル・マドリードをリスペクトしていた作品なのに、気付いたらバルセロナのプロパガンダみたいな作品になっちゃったのである。
さて、なぜヴァイッド・ハリルホジッチが解任されたのか、ここまで説明してきた事実があればもうおわかりだろう。
ヴァイッド・ハリルホジッチは、遠藤保仁の後継者を発見できなかったのである。それどころか、バルセロナのようにチームワークで崩していくスタイルではなく、バルセロナの寝首をかこうとするモウリーニョのような姑息でずる賢いフットボールに固執した。さらに選手たちにはバルセロニスタから忌み嫌われるフットボールマシン、クリスティアーノ・ロナウドの肉体を示してその身体を模倣することを要求した。このあたりのズレがすべて入り混じり「コミュニケーション不足」としてまとめ上げられたのである。
つまりだ。これだけいろんな局面で伝えてきた、歴史が示している、日本が目指しているフットボールをまったく理解しようとしなかった、というのが「コミュニケーション不足」の実態なのである(予想)。
そして大問題なのは「自分たちのサッカー」は完成すれば本当に強いということであり、さらに実現するためには長い年月をかけて継続的に強化する必要があるということである。「とりあえずワールドカップではそれなりの成績残したいから堅守速攻をやって」とかやってるわけにはいかないのである。そして日本は珍しく代表チームが一番人気のある国なので、代表は日本のロールモデルになる必要がある。代表がバルサ化する道筋を演じることで、Jのスタイルをバルサ化していく、それが必要なのである。
ワールドカップを失ってでも手に入れたいという気持ちを否定できない、それがペップ・バルサの魅力だ。
今、自前で録画していなければ正当な方法で見ることができないので残念だが、ペップ・グアルディオラのバルセロナは敵のチームからしたら悪夢のような強さを誇った。格の違う強さを見せつけていて、決して「この大会はトーナメントで、今日は運が悪かったよね」みたいな負け方でないのだ。まったく勝ち筋が見えない、そういう勝ち方だったのだ。ドイツワールドカップでブラジルに日本が負けた時、「ああ、日本の選手のクオリティはここに追いついていないんだな」と感じたかもしれない。「どんなに上手く行っても向こう四大会ぐらいは本気のブラジルとは勝負にならないな」とか思ったかも知れない。だが、ペップ・バルサとの戦いで負けるということは、そういう負け方ではまったくない。次元の違う負け方をする。格闘技の大会に、装弾して安全装置を解除したサブマシンガンを持ち込んで来られる感じなのだ。それがペップ・バルサを相手にした状態なのだ。だから、JFAなどがそれを求めることには一定の納得感がある。
おまけに、その流れのフットボールで女子日本代表は世界を制しているのである。男子はアジアを制しているのである。レ・ブルーを撃破し、アッズーリを追い詰め、レッドデビルズをナーバスにさせたのだ。そして遠藤保仁不在でもそれを成し遂げる自信があったか、成し遂げられなくてもつないで行きたいのだ。アンチ・バルサの僕でも、その思いをとても全否定する気にはなれない。だってめちゃくちゃ強いんだから。
ここから陰謀論をさらに二つ提示しよう。
一つ目。なぜ「コミュニケーション不足」の裏側や、その後にポロポロと出てくる不穏なコメントや思想について「バルセロナのようなチームを日本はずっと希求しているから」という話があまり出てこないのか、という話である。それはもちろん、日本のフットボール関係者の大勢がFCバルセロナの大ファンだからだ。「バルサの真似なんかやめちまえ」とはとても言えない。繰り返すがそうなってしまうほど、バルセロナというチームは強く偉大で優れたチームなのだ。この感覚は代表戦しか見ない人には、多分わからないと思う。フットボール専門誌の多くが戦術を語る時、バルセロナやペップ・グアルディオラが除かれることはない。もちろんグアルディオラは特別な戦術家であり、極めて輝かしい実績を持っている。けれども「少なくとも」日本のフットボール専門誌におけるペップ・グアルディオラの扱いは別格である。グアルディオラがいかに敵を粉砕してきたかは滔々と語られても、彼がいかに策に溺れて敗北を喫したかという話は殆ど掲載されない。無様に敗北した試合が忘れ去られることもしばしばである。僕が最初に自分の好みを書いたのはこれが理由だ。すべてのフットボールに関する批評記事は、その書き手の好みを踏まえて読まなくてはならない。
二つ目。「自分たちのサッカー」でワールドカップに勝っていくためには、まずワールドカップを経験した「自分たちのサッカー」を実現可能な指揮官が必要である。これはアルベルト・ザッケローニがワールドカップ本戦になった途端落ち着きをなくしたこと、ワールドカップを経験したことのある岡田武史がワールドカップで好成績を収めていることからも重要な要素だ。そこで白羽の矢が立ったのが西野朗だったのだ。おそらくロシアワールドカップで重要なことは「西野朗にワールドカップを経験させること」あるいはその周囲の誰かにワールドカップを経験させることにある。負けることはハナから織り込み済みだ。そしておそらく大して気にしていない。なにしろヨハン・クライフの哲学である。「守って勝つより攻めて負けるほうがマシ」なのだ。おそらく、だからこそ田嶋会長は「攻めのカード」としてハリルホジッチ解任を決断し、その真相を伏せ続けているのである。負けても構わないのだ。そこに彼らの真の勝敗条件は存在しない。覚悟を決めている。
ところでこの哲学、聞いたことがないだろうか。そう、玉砕の精神である。
フィリップ・トルシエは此度の監督交代騒動の裏に「ナショナリズム」があると評した。それを「日本の戦前から続く国粋主義の文脈にある」と想像している人も多かった。が、それを持ち出さなくても「ナショナリズム」の正体は十分に説明可能だ。FCバルセロナ自体が、玉砕主義、理想主義といったものを揃えた存在だからだ。すべてはバルサにある。また「チームワークで勝利する」体格に劣るカタルーニャ人などが技術と助け合いの精神を持って、体格に勝るゲルマン人などに勝利するという筋書きを日本人は好む。それは講道館のプロパガンダ小説である姿三四郎の時代から続く、一つの日本の文化である。しかし、ヴァハはそれを全否定した。放棄して、いかにバルセロナを陥れるかという戦術にこだわり続けた。ワールドカップ出場が決まったあとも考え続けた。「コミュニケーションの問題がある」と解任されて当然だったのである。
最後に僕の率直な気持ちを述べよう。こんなことになったのは、そもそもお前らが最初にオシムを強奪したのが原因である。オシムが遠藤保仁の才能を開花させなければ、こんなことにならなかったのだ。オシム返せ。はよJ1に帰りたい。ところで誰かヴァハの電話番号知りませんか?