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ツイッターからです。地方の県知事選に介入、そこまでやるか?

 投稿者:ツイート人
 投稿日:2018年 6月 4日(月)22時06分14秒 編集済
新潟知事選。創価学会組織、全国的に支援の指示が。信濃町界隈はやはり狂っていますね。何故そこまでやるのか?不思議?(苦笑)

#新潟のことは新潟できめる
 

やはりポーズ

 投稿者:新感性
 投稿日:2018年 6月 4日(月)21時24分33秒
やっぱりね・・・

>      与党、麻生氏続投に理解 森友問題

>公明党の山口那津男代表は麻生氏の閣僚給与の自主返納について「極めて重い対応だ」と評価。>「財務省の立て直しは麻生氏しか果たせない責任だろう」と述べ、続投を容認した。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31337730U8A600C1PP8000/

わずか170万円の自主返納がこの大富豪にとってどれだけ「極めて重い対応だ」なのか。
所詮はできレース、八百長の公明の麻生責任論であることがまたもや判明しましたね。

いつものパターンならポーズでしょう   投稿者:新感性   投稿日:2018年 6月 1日(金)06時36分25秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85129
 

諦めの心。

 投稿者:コンペー
 投稿日:2018年 6月 4日(月)20時20分25秒
今の組織、おかしいと思うけど…

先生もお年たがら。
先生の時代と違うから。
おかしいけど、言っても仕方ないから。

そんな人たちがあまりに多い。

先生に「おかしいものは、おかしい、と叫びなさい。」と、教えて頂いたのに。
これでは、信濃町の奴隷になってしまう。

 

「お母さんが笑顔を取り戻した!」

 投稿者:寝たきりオジサン
 投稿日:2018年 6月 4日(月)19時47分4秒
2003年5月7日

【埼玉県川口市】新緑がまぶしい快晴のなか、迎えた5・3「創価学会母の日」――。Y・T
さん(52)=根岸支部、婦人部副本部長=は、この日を格別な思いで迎えた。3人の子ども
たちを立派な広布後継の人材に育て上げてきた母。そのYさんが、今年3月7日に脳幹部のく
も膜下出血で倒れた。だが、家族、同志の真心の応援に包まれ、後遺症もなく元気に退院。“
勝利の5・3”を晴れやかに迎えた。

2カ所で出血「痛い!?」今年3月7日の朝だった。起きあがろうとしたYさんの頭に激痛が
走った。意識が遠のいていく。時計の針は、午前7時を指していた。この日は、創価高校卒業
後、看護学校に学んできた長女・M子さん=女子地区リーダー=の卒業の日だった。異変に気

づいた夫のM男さん(52)=副本部長=が叫んだ。「しっかりしろ!」二女のY子さん=ヤ
ング・リーダー、長男のK一さん(18)=学生部員=も母に言葉をかけたが、苦しそうにう

めくばかり。病院に運ばれる途中、Yさんの記憶は途切れた。激しい頭痛と初期除脳硬直を思
わせる所見があり、看護学校に学んできたM子さんは、くも膜下出血だと思った。看護学校の
教諭に電話で相談すると、すぐ近くの川口市立医療センターに、脳神経外科の当直医がいるこ

とが分かり、迅速に搬送することができた。病院でMRI(磁気共鳴画像診断)検査。医師は
、厳しい表情で言った。「脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血です。2カ所で出血しており、さ
らに3カ所に脳動脈瘤があります。出血しているのは、生命の中枢をつかさどる脳幹に近い椎

骨動脈で、非常に危険です」Yさん一家に緊張が走った。再破裂や脳血管攣縮、急性水頭症な
ど、合併症を起こすと、生命に重大な危険が及び、後遺症が残る可能性も高い。医師は、二つ
の治療法を説明した。一つは、手術で破裂した脳動脈瘤のつけ根の部分をクリップではさむク

リッピング法。出血した部分が脳幹部のため、危険が高い。もう一つは、大腿部にある大腿動
脈からカテーテルを入れ、細いプラチナ製のコイルを脳動脈瘤内につめるコイル法だった。こ
れも技術面や確実性の面で、課題が残る。どちらもリスクは高いが、医師と相談し、一家はコ
イル法を選択した。不安に押しつぶされそうな刻一刻……。家族のもとへ駆けつけたのは、地

域の婦人部の同志だった。「みんなが一生懸命、唱題している。絶対に大丈夫よ!」Yさんが
倒れたとの一報は地区、支部の友に伝わった。長女、二女が小、中、高と通った創価学園の友
にも伝わり、励ましの電話や「頑張れ!」とのメールが届いた。突然の苦難に直面した一家に

とって、“真心の励まし”がいかに大きな力だったか。“創価家族”の温かさに、最高の応援
を得た思いがした。一家は、状況が変わるたび、具体的な目標を決め、団結して祈った。「コ
イル法が成功するように」「自発呼吸が戻るように」「頭痛が消えるように」「あの母の笑顔
が戻るように」――。

意識が戻った!母は、いつも笑顔だった。子どもたちのために、どんな苦労もいとわなかった
。二人の娘は、小学校から高校まで、東京の創価学園に通った。通学時間は1時間半。朝6時
23分発の電車に乗るため、母は朝早くから朝食を準備し、駅までの送り迎えを続けた。創立

者の池田名誉会長、多くの学友との思い出も、陰で支えてくれた母がいてくれたからだ。M子
さんは、夢だった看護師としての第一歩を歩み始める“その日”に倒れた、母との思い出の数

々を心に浮かべて、コイル法の成功を祈った。動物看護の道を目指して、専門学校に通うY子
さんも、その思いは同じだった。二日後には、長男のK一さんも高校の卒業式を控えていた。

“わが子を立派な人材に”と、守り支えてくれた偉大な母。3人の子どもたちは、“今度は自
分たちが母のために立ち上がるんだ”と誓い、懸命に唱題を重ねた。コイル法を終え、医師が
言った。「うまくいきました。このまま状態が良くなればいいのですが……」。なお、予断は

許さなかった。翌朝、仕事の前に病院へ寄ったM男さんから、自宅に電話が入った。「意識が
戻った!」医師も驚くほどの早さだった。Yさんは、まるで朝の目覚めのように意識を取り戻
した。「娘の卒業の朝だと思いました。でも、夫から聞いて、感謝で涙があふれました。同志

の皆さんが、家族のことのように励まし、お題目を送ってくれていたのです」――。一つのヤ
マは越えた。だが、さらに次のヤマが待っていた。次第に、あの激しい痛みが再び襲ったのだ
。くも膜下腔の血管が、出血した血液に覆われることによって収縮し、血流が悪くなって末梢

まで血液が十分に流れなくなる血管攣縮を起こす危険があった。小脳梗塞による失語症、手足
まひなどの後遺症の心配も。くも膜下腔にたまった血液が髄液とともに流れ出るように、家族

は懸命に唱題。Yさんも激痛と格闘しながら祈った。自宅では、実母のN子さん(74)=婦
人部員=が唱題を続けた。1957年(昭和32年)に入会し、草創の時代から自宅を広布の
拠点に提供し、地道に信心を貫いてきた。実は、N子さんも、Yさんが倒れる4カ月前に脳出
血で倒れた。意識障害などの後遺症があったが、懸命な治療と家族の唱題の結果、後遺症を感
じないほどまで回復。その確信を胸に祈った。

医師も喜ぶ「お母さん、卒業証書だよ!」病室でM子さんの卒業証書を目にして、Yさんは「
良かったね」と笑顔を返した。その母の笑顔に、涙があふれた。「早く元気になってね。一生
懸命、お題目を送るから!」多くの友の励ましの電話やメールも心強かった。自宅によく遊び

に来ていた創価高校時代の友達は「Yのおばちゃんが元気になるように、一生懸命、お題目を
送る。頑張って!」と。アメリカ創価大学(SUA)に通う友など、海外からも励ましが届い
た。親のがんの闘病体験を通して、「真剣な題目の力が、どれほどすごいか。必ず良くなるよ

」と。家族にとって強い励ましとなったのは、創立者の池田名誉会長からの伝言だった。「お
母さんのことを聞きました。お題目を送っています」激しい頭痛は10日余に及んだ。髄液を
抜き取る脳室ドレナージなど、懸命な治療が続いた。その効果が次第に表れ、痛みが和らぎ始

める。YさんはICU(集中治療室)のベッドの上で、大学生時代の師との出会いや記念撮影
を思い起こし、“再び元気になって、先生と一緒に広布の活動に走り抜くんだ”と懸命に祈っ
た。そして、2週間に及ぶICUでの闘病を経て、ついに一般病棟へ移ることができた。心配
された後遺症は全くなかった。医師も、病院に運ばれた時、動脈瘤の破裂したところがすぐ判

明したことや、コイル法の手術が極めてスムーズに行われたことなど、非常に良い結果に結び
ついた、と喜んでくれた。その後、Yさんの回復は早かった。4月2日に退院。日常生活に支
障なく、応援してくれた同志への感謝を胸に、“自分の姿が信心の素晴らしさの証明”と、可

能な限り、対話・友好活動に取り組んだ。そして、完勝で迎えた「5・3」――。長女は看護
師として、“妙法のナイチンゲール”を目指して歩みを始め、二女は動物看護の道に。長男も
大学に入学。そんな子どもたちに負けまいと、“勝利の母”も、「2005年5月3日を目指
して、まだまだ元気に走り抜きます!」と、声を弾ませた。

周囲が驚くほどの回復で、後遺症もなく退院したYさん。支えてくれた人への感謝を胸に、再
び広布の庭へ!
 

谷川主任副会長様へ。

 投稿者:ストロング5万
 投稿日:2018年 6月 4日(月)19時31分5秒
ストロング5万、ビッグウェーブ7万の学生部の時代が懐かしい。
あれから30年。
随分かわりましたね。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール
 投稿日:2018年 6月 4日(月)19時10分52秒
芸術の世界でも、スポーツでも、企業でも、トップに立つ人は、努力、努力、努力である。努力はウソをつかない。苦しんで、努力して、真剣に戦い抜いた人が勝つ。これが人生の鉄則であり、道理である。  

(無題)

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2018年 6月 4日(月)18時57分44秒
2009年の自公惨敗は、麻生政権の時だ。アベ政権ではない。
私が疑っているのはアベ政権だ。
もっとも2009年の国民の怒りの大波は、「ムサシ」を使ったとしても止められなかったと思う。(笑)

2016年自民党が負けたのは、増田氏と小池氏に自己分裂したからで、自業自得だろう。

2017年に都自民が負けたのは、公明党が自民党を裏切って、勝ち馬都ファに乗り換えだからだ。(失笑)
「ムサシ」の設定の変更が、間に合わなかったんじゃないのか。

次の国政選挙。2009年のように、自民181減、公明10減のような結果になれば、これほど痛快な事はない。
 

ありがとうございます。

 投稿者:賢者の河
 投稿日:2018年 6月 4日(月)18時19分10秒
宿坊の皆さん!

先生のご指導、各人の指摘、時事談、体験談等、毎日おおいに参考にさせていただいています。ありがとうございます。

これからも引き続きよろしくお願いいたします。

私も書くことがいかに大変な作業か、わかりました。

どうぞ健康に留意して頑張ってください。感謝いたします。
 

(無題)

 投稿者:末席の弟子
 投稿日:2018年 6月 4日(月)17時31分42秒 編集済
感謝  

御礼 虹と創価家族さま

 投稿者:末席の弟子
 投稿日:2018年 6月 4日(月)17時29分59秒 編集済
懇切丁寧にありがとうございます。

まったくおっしゃる通りですね。
目から鱗です。
虹様の体験を伺い、私も自身の経験を
思い出しました。
虹様ほどの体験はしておりませんが、
勿論、先生の毛筋ほどの難もありませんが…

それと、やはりいつの時代も、悪の行動は
同じなのですね。
五老僧が日興上人を認められないばかりか、
天台を師と言い出した姿は、
まるで、池田先生という稀有の師を認め
られず「私は戸田門下だ」などと言い放つ
どこかの最高幹部の言動と瓜二つのよう
に思います。
(注:戸田先生を否定するものではありません)

これからもお体にはご自愛下さり、
貴殿のご投稿楽しみにしています。
 

末席2017様へ

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2018年 6月 4日(月)17時03分19秒 編集済
最新の創価新報のアップ、誠にありがとうございました。

この記事は説得力がない。
池田先生を誹謗中傷した矢野氏と和解した、谷川主任副会長が『〝師匠をお守りする〟との一心で戦い抜いてきました。』と言っていますよ。

読んでいて、悲しくなります。
人は、ここまでカッコ悪くなれるのですね。

~~~~~~~~
・・・学会を陥れようとする悪の蠢動は後を絶ちませんでしたが、その全てを打ち破ってきました。
学会青年部は、悪を悪と見破り、敢然と立ち向かう勇気をもって対峙することが大切です。
~~~~~~~~

青年部に指導するなら別の言葉でしょう。
谷川主任副会長は、池田先生の敵と和解したのですよ。
『私のように、師匠の敵と和解するような青年部になってはいけません!』と、自身の失態を反面教師として、後継者に指導するなら、まだ誠実であるし納得もできると思います。

ダメな自分を赤裸々に語れないで、師弟を語っても、何も説得力が御座いません。
それって、かっこつけているだけに見えてしまいます。
失態を隠すって、見栄っ張りの人に多い特徴ですね。

秋谷元会長のように、ダメな自分を謝罪する勇気を持って頂きたい。
秋谷元会長は、池田先生の会長辞任に関して、このように『全て執行部の罪』と謝罪したのです。

~~~~~~~~
今もって本当に申しわけなく、また情けなく、悔しくてならないのは、あの昭和54年4月24日の第三代会長御勇退である。
嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。
それと結託した裏切り者どもの謀略があった。
だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いてしまったのは、すべて私ども執行部の罪である。
あの時の、全国、全世界の同志の叱責! 池田先生を求める悲痛な叫び!
いったい最高幹部たちは、何をしていたのか。
戸田先生の「第三代会長を守れば、広宣流布はできる」との遺言を忘れたのか!
(全文)https://6027.teacup.com/situation/bbs/index/detail/comm_id/58665
~~~~~~~~


さて、谷川氏が矢野氏の和解したのは事実です。
念のため、文証として聖教新聞(2012年2月11日付)の切り抜きを添付します。
創価新報と合わせて読んで、信心の糧にして頂きたいと思います。
後継の青年部が、悪を悪と見抜きながらも、悪と和解するような弟子にならないように。


 

TW巡回中に・・・

 投稿者:シャクソンファイブ
 投稿日:2018年 6月 4日(月)16時57分15秒
TWの書き込みを見るために巡回していたら・・・
yahooの知恵袋にダーハラの書き込みがあるそうです。

その質問内容が笑えます。
「創価学会の現会長の原田稔の顔が、悪党ズラなのはなぜですか?」


質問者さん、笑わせていただきました。
 

ツイッターからです。学会本部の対応は無責任、人の振る舞いとして如何なものか?

 投稿者:ツイート人
 投稿日:2018年 6月 4日(月)16時50分25秒
学会本部の電話の対応は凄くおかしい?こちらが名前いってもなのらない?用件を言ってもその担当が電話口に出ない?最低だ?


誠意を持って傾聴する姿勢ではないです?
会員のおかげで生活しているとの自覚もなく役所より酷い対応ですから??
名前を名乗らないのは責任感のなさ。こんな窓口対応で高給が戴けるのですから、信念を投げ捨ててもアイヒマンに徹する職員たちが溢れるのも頷けます。
ガッカリですがこれが現実です?


誠意のかけらもないですね、
学会員からの電話なのに?

物言う会員は、いらないという一念が、にじみ出てますね。

逆らうものは、切り捨てよ!長の一念。
歪んだ、邪な一念。

その対応ひとつひとつ。
電話口の人間、一人一人に伝染っていますね。

名乗らないのも無責任の証。言い逃れの逃げ道を確保してるだけ。

『会員に尽くす』
姿勢は微塵もない!
 

すべてに内在する妙法蓮華経!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2018年 6月 4日(月)15時13分24秒
 いまのタイミングなら迷惑にならないでしょうから、続けます。

   次の段に、「一切の法」と「法」を浮かび上がらせながらも、「人」の側面が続いてきます。

 ゆえに一度(ひとたび)でも「妙法蓮華経」と唱えれば、一切の仏、一切の法、一切の菩薩、一切の声聞、一切の梵王、帝釈、閻魔法王の心中の「仏性」がたちまちのうちに現れてくると言うのです。日天、月天、さまざまな衆星も「妙法蓮華経」に支えられていますから同じです。現代的言えば気象、気候ともいえる「天神」、地殻変動の「地神」も、「法」とも捉えられますが、“カミナリ”や「地の動き」を司る“神”(ナマズ?=笑い)と譬えれば「人」です。

 われわれ六道の衆生も例外ではありません。「乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり」がその箇所です。心中の仏性が無量無辺に湧き出してくるというのです。

 「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」。

 この箇所が極めて重要なのではないでしょうか。
 「わが己心」に仏性の「妙法蓮華経」が漏れなくあり、その仏性を最高に尊敬し、「わが己心」の仏性が「南無妙法蓮華経」と呼び呼ばれて顕れてくる「処」が「仏」である、とのご断言です。「南無妙法蓮華経」が顕れることが主題です。逆説的に言えば、どの衆生にも「仏性」はある、その衆生に「南無妙法蓮華経」が顕れることだけが「仏」であるかないかの違いだというわけです。

 池田先生が1962年8月から67年4月まで行った「御義口伝講義」の寿量品の箇所の講義の一節は、以前にも取り上げました。ある医学者の一文に感動した、として読み上げられたというものです。

 その医学者の発言の部分です。

 「じつは各人は自らのうちにその生命力を持っている。否、生命を内に蔵すればこそ自己の存在があるのである。いわば個々の生命は生命の大海原の上に動く一つ一つの波にも等しい。しかも人間はその大海を忘れ、自ら萎縮して自己の無力さをかこっている。人間に生命力をあたえるとはまさにその根底の大生命を自覚せしめることでなくてはならぬ。真の慈愛とは物質を与えることではなく、各人をしてその生命本来の姿を悟らしめることである」(御義口伝講義下P157)

 ここでいう「生命力」あるいは「大海」とは、「宇宙生命」と読めます。そうすると、「生命を内に蔵すればこそ」とは、「宇宙生命を内に蔵すればこそ」と読んだほうが解りやすくなります。それは「清浄」であり、あえて踏み込めば元初の生命の「根本清浄」です。「仏性」「法性」であり、さらに永遠の大生命であり、久遠の生命そのものである、と読み開くことができます。

 この宇宙の、あらゆる「生命」は「妙法蓮華経」です。この娑婆世界はその「妙法蓮華経」の変化相の“塔婆”の世界です。私の理解では、「一念三千」を構成する「十界」ですら、「妙法蓮華経」の変化相です。「三千」は、「依報」との関係性によって生じた、やはり“塔婆”であり、その積算だと言えるではないでしょうか。「一念三千」以外に「生命」の実相はありはしないのです。

 この御文がより鮮明でしょうか。宝塔品の箇所です。

 「妙法蓮華の見なれば十界の衆生・三千の群類・皆自身の塔婆を見るなり、十界の不同なれども己が身を見るは三千具足の塔を見るなり 己の心を見るは三千具足の仏を見るなり、分身とは父母より相続する分身の意なり、迷う時は流転の分身なり悟る時は果中の分身なり、さて分身の起る処を習うには地獄を習うなり、かかる宝塔も妙法蓮華経の五字より外は之れ無きなり」(御義口伝797㌻)


 私が根幹に置いている御文の3つ目は次の一節です。法華経信解品の一節を開かれた箇所です。

 「一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり 其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり 解とは智慧の異名なり 信は価の如く解は宝の如し 三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり 智慧とは南無妙法蓮華経なり、信は智慧の因にして名字即なり 信の外に解無く解の外に信無し 信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」(御義口伝725㌻)

 あらゆる「生命」の構図ともいえる「一念三千」は「信」の一字から起り、三世十方の諸仏の成道もやはり「信」の一字から起るとの仰せです。この項の後段にお示しのように、「信」ということのほかに「解」はなく、「解」のほかに「信」もないということです。まことにまことに、「信」と「解」の深いご洞察です。

 その「信」を「無疑曰信」(疑い無きを信と曰う)と、ご定義です。以前にも示しましたが、その「信」が「元品の無明」を切る利剣であることを示されると同時に、「疑惑を断破する利剣なり」と「元品の無明」の実体が「疑惑」であることも示されておられるとも言えます。さらに、その「疑惑」を「濁り」と見ると、逆説的ではありますが、その「濁り」なき「生命」は「清浄」ということにほかなりません。「六根清浄」や、「九識心王真如の都」のご表現と並び合わせると、「元品の法性」が「根本清浄」であることを指し示していると捉えられないでしょうか。

 「根本清浄」が「久遠の生命」であり、「永遠の大生命」であり、「元初の生命」と言ったら言い過ぎでしょうか。「根本清浄」を指し示す「久遠元初」の表現はあった方がいいのです。「根本清浄」が湧き出すことによって、「蘇生する」「円満具足する」「(十界三千をそのまま)開く」ということではないのかということです。この点の詳細の詰めを未来の生命哲学者に託したい。

 「根本清浄」と言っても、われわれには「信心」でしかありません。「以信代慧」です。「信」と言っても、「唱題行」でしかありません。    (おわり)


 

大規模不正選挙が恒常的に行われているとするなら

 投稿者:素朴な疑問
 投稿日:2018年 6月 4日(月)13時36分18秒
2009年の自民公明惨敗・民主党政権の誕生や、

2016年都知事選の増田寛也落選&小池百合子当選や、

2017年都議選の自民党大量落選・都民ファースト大量当選の現象をどう説明するんでしょう?
 

原田天魔創価学会会長「先生はSGI-USAの会員数を300万人にと仰っている」

 投稿者:Anger Is Power
 投稿日:2018年 6月 4日(月)13時35分55秒
原田天魔創価学会会長様は、何も知らない純真なSGI-USA青年部と食事をしながら、”池田先生はSGI-USAの会員数を300万人まで増やして欲しいと仰っているんだよ”とけしかけたそう。現在、SGI-USAの会員数は5万人にも満たないと思う。そう言えば、谷川は今回アメリカに来て、ロス、ボストン、NY、ワシントンDCを訪問している。

アメリカでは青年部員数が圧倒的に少ないため、教学の基礎も身に付けないうちに活動家だというだけでスイスイと上の役職になってしまい、まんまと執行部に洗脳されてしまいます。彼らの話を聞いていると、先生のご指導や御書の一節も出てこないことが多い。

先生のご思想に基づき、何が正しくて何が間違っているのか、ろくに見極める事が出来ない。純粋なだけの無知な彼らを利用するだけ利用しようという魂胆が見え見え。
 

それでもオス?

 投稿者:piro
 投稿日:2018年 6月 4日(月)13時29分21秒
・ 新潟知事選挙で自民党と公明党が推す花角さんは、大阪航空局の局長で、
 しかも「錯誤による所有権移転」という森友事件最大の謎を知る立場にある。

・花角候補は、辺野古移転で揺れる沖縄で、市民を暴力的に
 弾圧してた海保の責任者だった
 

問題意識を持って見れば、違うものが見えて来る

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2018年 6月 4日(月)12時52分23秒
「週刊フライデー」(講談社)が独自に入手したとされる、「自民党独自の世論調査」の結果によると、3月の内閣支持率は、39.4%   4月は22.3%   5月は20.6%   だったらしい。

3月の39.4%  というのは多すぎるのではないかと思うが、とは言え4月、5月の数字はおおむね妥当な線だろう。まだ多いぐらいだが、ようやく私の実感に近い数字が示された。

自民党独自の調査ということは、大手メディアの世間向け、ゲタを履かせた嘘の数字ではなく、選挙対策用の本当の数字ということだ。
この記事がもしも真実であるならば、相当のインパクトがある記事だ。

次の選挙で自民党は多分もう終わりということだ。

しかしながら最近の日本では、上から下まで嘘が蔓延し、何が本当で何が嘘なのか見極めが難しい。

アベ内閣の支持率など、実は3年ほど前からずっとこんなものだったのではないかと私は思っている。

にもかかわらず、今度こそは負けると思ったアベ政権が、選挙のたびに、逆にボロ勝ちするのが腹立たしく不思議でならなかったのだが、公文書を改竄しても全然平気で、検察も起訴しないという、この国のとんでもない堕落っぷりを見るにつけ、政権による「不正選挙」という事も、いよいよ本気で考慮に入れなければならないのではないかと考えるようになった。

実際国連からの選挙監視の申し入れを、アベ政権は再三断っているという話も聞く。

それに日本には戦時中、連戦連敗負けっぱなしだったのに、連戦連勝と大手メディア総動員で、国民に大嘘をついていたという実績があるのだ。
うちの親が吐き捨てるようにいつも言っていた。日本国中「完全に騙されていた」と。

当時の大本営と「アベ自公ダーハラ日本会議政権」の親和性の高さは、今更言うまでもない。非常によく似ているのだ。
総務省ぐるみの不正選挙ぐらい、平気でやって来ても、もう誰も驚かないだろう。

何せ平気で公文書を改竄する様な、軽蔑すべき、なんでも有りな政権なのだから。

疑惑の不正投開票システム「ムサシ」など「猫に鰹節」ではないか。
証拠が残らないなら、アベ政権は使うに決まっている。証拠があっても無かった事にするのがアベ政権なのだから。

沖縄名護市長選の時も、開票後半の票の動きなど相当変だったのだ。
次の選挙は「ムサシ」を使うな! とてもじゃないが信用出来ない。疑惑が晴れるまで使用中止だ!

他にも同一の筆跡による、「丸川珠代」氏の名前が書かれた大量の投票用紙の証拠写真等、真偽をはっきりさせなければならない問題は、知らぬ存ぜぬを決め込んで放ったらかしだ。

アベ政権にとって不利なことは、放ったらかしにしてウヤムヤのまま、国民が忘れるのを待つというのはいつものやり方だ。

政府ぐるみの不正を暴き証拠を突きつけるのは、実に難しい事だが、この政権はもう本当にデタラメだ。
不正をする事を前提に、1億人の疑惑の目で監視すれば、必ず尻尾をつかめると思う。

しかし、ほとんど「泥棒扱い」しなければならないとは、情けない政府を持ったものだとつくづく思う。

新潟県知事選の花角候補。
選挙用のプロフィールに、国交省大阪航空局長という経歴を何故入れないのだ。
森友問題に関係していないなら、入れるのが当たり前だろう。
経歴を詐称するのか。


 

(無題)

 投稿者:正義の子
 投稿日:2018年 6月 4日(月)12時22分31秒
誤字訂正  お詫びの上訂正お願いいたします。
2018年6月4日12時7分投稿
正   子路さんです。    誤 小路さん


 

友よ強く・我が青春譜

 投稿者:正義の子
 投稿日:2018年 6月 4日(月)12時07分6秒 編集済
本日の投稿者、青春譜様 ありがとう。
そして、投稿する事の大切さを教えてくれた、小路さん本当にありがとう。

「僕が信ずる 君が心を」「仏は じっと見ているぞ」

ここに来ると、泣けて泣けて、泣けてしまうんです。
これ程までに信じ、励ましを頂ける方がいるでしょうか!

誰が見て居ようと居まいと、
唯ひとり池田先生は信じて居てくださる。
十分です。
ひとり見守ってくださる師匠がいる。

「勇気凛々と、正義の眷属を大地から呼び起こしながら、無敵の団結で
痛快に勝ちまくろう」と師匠は念願されております。

組織は権威化する。その長であるお方が、同じ下りに「人を良くするものは、味方より
も強敵が人を良く成長させるのである」だとさあ。

査問だの村八分、解任、除名などと、最早「法華経」とは言えない。
可哀想な人達を乗り越え、踏みつけ、手を差し伸べて行きたい。

何と痛快な真の弟子の道。「秘とは三千羅列」
地獄の道を真っしぐらの裏切り野郎!胸に手を当て、大きく息をする事を忘れまいぞ。

師弟の生死の歌、何とかUチュウブ化願いつつ
  「師恩」の道  我が青春譜  富士の高嶺を仰ぎ征く
 

毒まんじゅう 皿まで喰らう 信濃町 w

 投稿者:思い出の名シーン
 投稿日:2018年 6月 4日(月)10時45分51秒
まんじゅうvs毒まんじゅう ?投稿者:通行します
?投稿日:2018年 1月19日(金)19時11分36秒   通報

大正時代からその地でまんじゅうを売っていたようですよ。
見込みさんのご意見の通り家業なんでは?
人間革命だったでしょうかね?戸田先生に邪宗の関係で商売しなければならないのが苦痛と質問したところ、信心も商売もしっかりやればよい。稼ぎなさいとのご指導がありましたよ。
家業などでやむを得ない場合もあるのだ。と私は認識してましたけど。

信濃町の背広坊主どもが毒まんじゅう食らっている方が問題でしょうに。


まんじゅう ?投稿者:見込みない人びと
?投稿日:2018年 1月19日(金)18時40分57秒   通報
知らなかったけど、家業なのかな?
別にいいんじゃない?

日犬臭や信濃町幹部のほうが嫌悪感強いんだけど、私おかしいですか?
 

高幡まんじゅう

 投稿者:釈子・創価門流
 投稿日:2018年 6月 4日(月)10時24分14秒 編集済
>>公明の 市議会議員が 境内で
まんじゅうを売る 高幡不動

 ⇒『戸田城聖先生質問会集』
「しめなわなど、いくら売ってもいいではありませんか。なわを作るのでしょう。回収して、またそれをもやして、灰にして、また売ったらもうかるでしょう。しめなわを売ってはいけないなどと、一ぺんも教えたことはありません・・・家でつくって、一生懸命売りなさい」

 顕〇会みたい(大爆笑)
「坊主憎ければ袈裟まで憎い」だな。
 そして、下らない中傷をする。
「人を呪わば穴二つ」になるぞ。

 

創価貴族教団のやり方は蔓延しているのか?

 投稿者:貴族仏教教団
 投稿日:2018年 6月 4日(月)09時17分55秒
これが教育者のやることなすこと。政治家と同じ事、民衆・大衆を馬鹿にする日本(地球の国々)

神戸・中3自殺メモ 「先生、腹くくってください」市教委、校長に隠蔽指示⇒神戸新聞

事務処理が煩雑になる-。2016年10月に神戸市垂水区で起きた中学3年の女子生徒=当時

(14)=の自殺を巡り、神戸市教育委員会の首席指導主事が当時の校長に、直後の聞き取りメ

モの存在を隠蔽するよう指示した理由は、遺族にとって「信じられない」ものだった。何度も訂

正する機会はありながらうそにうそを重ねた対応に、市教委幹部らは「縦割りなど組織的風土の

問題」とうなだれた。

問題の発端は、17年1月の情報開示請求だった。当時、一貫して遺族対応に当たっていた首席

指導主事。市教委によると、メモは重要視していなかったとみられ、遺族に渡された資料に含ま

れていなかった。

 同2月末、不審に思った遺族が改めて情報提供を求めたが、首席指導主事は当時の校長に「い

まさら出すことはできない」などと隠蔽を指示したという。再度の情報開示請求や、第三者委員

会の報告書完成が遅れることを恐れたとされ、遺族との関係悪化を心配した校長も同意した。

 同3月に神戸地裁が証拠保全決定を出し、事態はさらに複雑化。提出しなくていいか尋ねた当

時の校長に、首席指導主事は「先生、腹くくってください」と隠すよう促したという。さらに、

こうしたやり取りについて、上司らに相談や報告をしなかった。

 昨年8月、現校長がメモの存在を市教委に報告した後も、首席指導主事は「メモは存在しない

はず」と答えたという。事態を把握した上司らも「内容は第三者委の報告書に反映されている」

などと、メモを半年以上放置した。

 遺族は「首席指導主事は遺族の窓口となる立場で、なぜこんな対応をされたのか信じられな

い」とし、市教委の一連の対応についても「本当に個人の責任なのか」と憤った。

 一方、文部科学省は17年3月、いじめの重大事態の調査に関するガイドラインで、手書きの

メモも公文書に該当する場合があるとして、保管を求めている。市教委は今回のメモが公文書に

当たるか調べており、長田淳教育長は「(ガイドラインが出る前とはいえ)非常に不適切な取り

扱い。コンプライアンス遵守も含め、組織を変えていきたい」とした。

2018/6/4.9:13.投稿
 

セイ・ユー・セイ・ミー

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2018年 6月 4日(月)09時16分20秒
螺髪さん、お久しぶりです。(ニヤリ)私もそうですが、鳥谷じゃないので毎試合でる必要はないので気楽に。カンピースさんにも休刊日がありますし。

子路さん、なるほどです。
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85259
朝日新聞デジタル『改正迷惑防止条例、留意事項を通達 7月施行に向け』によると、
https://www.asahi.com/articles/ASL5Z41N9L5ZUTIL01B.html
>通達では、表現の自由として保護されるような活動は規制対象とならないことを明記。つきまとい行為などの相談を警察署が受けた場合、警視庁本部に速やかに報告し、本部の助言を受けて対処することなどを規定した。担当者は「現場で恣意(しい)的に運用される心配はない」と説明している。(荒ちひろ)<
そうですが、サイレントアピールをリードする元職員3名は警察に念押し、担保してブログに書いてあげた方が参加者も安心し、増やせるでしょうね。
彼らの裁判日程にもよるでしょうが、先延ばしになったことは有利に働く気がします。新潟知事選結果次第で奴らの態度も変わるでしょうが、それは畜生界の話。

私はいつも言うばかりですが、もし明日6月5日(火)10時から、東京地裁611号法廷の第14回期日(口頭弁論)に行ける人がいましたら、傍聴応援してあげて欲しい。ホーム・スタジアム化です。阪神タイガースは甲子園では特別に強くなります。
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85142
彼らは「昭和54年頃にこの世に生を受けました。まさに師の仇を討ち、師の理想を実現していくことこそ、私たちの使命であり、責務であると自覚しています」。

“君と言い、僕と言う、ずっと変わらずそう言い合う その関係こそ2人のあるべき姿”
“君と言い、僕と言う、一緒にそう言い合おう 気がねなどないままで”
“夢を見たんだ、凄まじい夢を 人々が公園にいて、暗闇の中でゲームをしている”
“でも彼らが興じていたのは、仮面舞踏会だったんだ(=見えないのに仮面をつける、つまり意味のない虚飾をしているということ)”
“そして疑いの壁の向こう側から、泣き叫ぶ声が聞えてた”
“君と言い、僕と言う、ずっと変わらずそう言い合う その関係こそ2人のあるべき姿”
“何をやっても結果はわかりきってる、と君は思ってる、違う、そうじゃない”
“だって、世界は君を躍らせてる その通りさ、教えてあげるよ”
“今こそ、信じ始めるんだ、そうさ”
“本当の君自身を信じるんだ、君は輝く星なんだから”
『セイ・ユー・セイ・ミー』ライオネル・リッチー
https://www.youtube.com/watch?v=PxIF9e0465E
米ソ冷戦下の物語、映画『ホワイトナイツ 白夜』主題歌

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、このままデスと、「爆笑、珍・人間革命」になっちゃいマスよぉ~(大爆)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2018年 6月 4日(月)09時12分18秒
おはようございます。女子部「世界の姉妹と絆拡大月間」とのコトで、一見賑やかな政教珍聞一面記事、誠にご苦労様で~す(笑)


まあ、それはどうでもイイのデスが、本日の「珍・人間革命」誓願五十九には笑うしかありましぇ~ん(笑)


>法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の御本尊<(誓願五十九より抜粋)


これって、現在の御観念文と同じ文面デスよねぇ~(笑)

「法華経の肝心」が「南無妙法蓮華経」ってのは、他の身延なり日蓮系の宗派が皆言ってるコトと思いマスが、

いったいドコに、「創価学会の独自性」があるのか? サッパリわかりましぇ~ん(大爆)

「南無妙法蓮華経」のドコが「肝心」かを説明しなきやあ、「独自性」は主張できないと思うのデスが、原田怪鳥様、いかがデスかぁ~(笑)


小生も、別に、法華経の肝心が南無妙法蓮華経であるコト自体を否定するつもりはありませんが、

この文面では「法」のみに重点を置いた文言であり、「人」の側面がまるで語られていないのが問題であると思いまぁ~す(大爆)

素直に「人法一箇(体一)」と言えばイイと思うのデスが、原田怪鳥様、いかがデスかぁ~(笑)

それもこれも、宗門と縁を切りたいダケで、大石寺の弘安2年の板本尊も「受持の対象としない!」と否定しちゃったものだから、

自動的に「一大秘法」も否定せざるを得なくなって、題目中心にならざるを得なかった弊害じゃないデスかぁ~(笑)

日淳上人は、「南無妙法蓮華経は仏様の名前のことです(趣意)」と明確に仰られてマスが、それは違うんデスかぁ~?(笑)

原田怪鳥様、どうか明確に、「独自性」とやらを発表してくださぁ~い(大爆)


ましてや、このような誤解を招きかねない表現を先生がするハズがないと思うのデスが、原田怪鳥様、いかがデスかぁ~(笑)

つまり、執筆チームの皆さんの教学力がまったく欠如してるがゆえに、コピペしてるがごとくの文章になってると思いまぁ~す(大爆)

これでは「正史」などではなく、「珍・人間革命」に「爆笑」がついちゃいマスよぉ~(大爆)


また、本日の爆笑創作座談会においても、原田怪鳥様、ナニやら? VODの教学講座「任用試験のために」が創価ネットでも視聴できるそうデスが、

どうか「ネットは幼稚な悪口ばかり」だ、そうデスので、しっかりと拡散して頂きマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)






 

あなたに言われたくないって思うのは私だけ?

 投稿者:末席2017
 投稿日:2018年 6月 4日(月)08時45分54秒 編集済
最新の創価新報見てあんぐりなんで一言言わせて。

私のような下々のものにはあなた様の実態を知る由もないですが...

自分たちは特別って思ってるのあなたじゃないの?未来会、21世紀会とかって自分で言うもんじゃないでしょう。それに東京大学って改めて言わんでも、巷では残念なことに日大なみに評判悪いですよ。(両該当校の卒業生、在校生の皆さま暴言お許しください)

信心の基本おろそかにしてません?私にはほんとか確かめるすべはないですが教義なんてどうでもいいと言われたとか?濡れ衣ならば是非最近のぐちゃぐちゃな教義スッキリ説明してから言ってね。

地道な実践?極楽百年の壇上からの一方通行発言しかしてないのじゃない?師は現場最前線で対話されてきたではないですか。あなたはどうなんですか?お題目どんだけ上げてます?教えて欲しいものです。首相動静並でいいから毎日の行動聖教紙面の片隅に載せてみんしゃい。数人しかいない主任副会長なんだからぜひ模範となる行動とはいかなるものか教えてくださいませ。

全てに打ち破ってきた?妥協、隠蔽してきたの間違い?矢野裁判は?

まあ五老僧は必ず出てくるもんね。しょうがないか。
せめて人として振る舞いぐらい汚れなき未来部時代の恥ずかしくないお姿にお戻りください。
 

末席の弟子様へ

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2018年 6月 4日(月)07時46分9秒 編集済
深夜に、師を求め研鑽される姿が尊いです。
読んで頂きまして、ありがとうございます。

『君よ生涯、師弟不二の大道に生きよ』をもとに、創価学会や公明党、また原田会長と執行部のふるまいを照らし、色々な角度で思索してゆくと、多くの事に気づかされます。

さて、お読み頂きご存じたと思いますが、師弟不二であるために以下の部分は大切ですね。

~~~~~~~~
五老僧は、なぜ師弟不二の大道を踏み外し、師敵対へと転落したのか。どこで狂いが生じたのか。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「もし恩を知り、心ある人々であるならば、日蓮が二回杖で打たれるならば一回は代わって受けるべきであろう」(1450ページ、通解)
 日興上人は、まさに、この仰せの通りに生き切られた。
 “諸難よ、師匠ではなく、我が身に来たれ!”
 この御一念の証しであろう、日興上人は、師匠の御在世にも、法難を自らの身に呼び寄せられている。それが熱原の法難であった。
(全文)https://6027.teacup.com/situation/bbs/85252
~~~~~~~~

『師の身代わりに難を受ける』
この部分が、自分にとって師弟不二であるための、大切な一つの条件だと思います。

実際に秋谷元会長が、難を受けない自分に対し、このように後悔し謝罪しています。

~~~~~~~~
先生だけが、御書の通りの大難を受けられ、学会を守ってくださった。
先生だけが、言語に絶する迫害の矢面に立ってくださった。
池田門下として会長職を25年もやらせていただきながら、果たして自分は、何ほどのことができたのか。
まことに、ふがいなく、申しわけない限りである。
(全文)https://6027.teacup.com/situation/bbs/index/detail/comm_id/58665
~~~~~~~~

秋谷元会長のふるまいを反面教師として、我々は師弟不二の大道を歩んでまいりたいですね。


さて、師弟不二の道について宿板で論じられていますが、読んでいて『なんか自分にとって、師弟不二の道は遠いな』と感じられていないでしょうか。
(上記は、師弟不二の論議を批判しているわけではございません。誤解しないでくださいね。)

『師の身代わりに難を受ける』とは、特別なことではありません。
我々、一般会員も折伏で『師の身代わりに難を受ける』ことが良くあります。

週刊誌やネット情報にある、池田先生への誹謗中傷を信じている友人に、池田先生の正義を語れば、自分が難を受けるのです。

自分が思い出に残る難は、入会した時ですね。当時、母親も連れて入会しようとしました。
父親に入会する事を話したら、包丁を持ち出してきて入会を止められた思い出です。
あの時は、びっくりしましたが、一歩も引かず池田先生の正義を訴え了承を取り、母と共に創価学会に入会したのです。
その後ですが、反対していた家族や親戚は、ほぼ全員入会しました。

このように『師の身代わりに難を受ける』とは特別なことではないと思うのです。
師の正義を叫び難を受け、友の命に潜む悪を伏して味方に変える。
その中で、九牛の一毛にさえ及びませんが、師の身代わりに難を受けることが出来ると思うのです。

不思議ですが、折伏で難を受けている時ほど、自分の辛さや苦しみ、また喜びや感動が、翌日の聖教新聞や池田先生のスピーチに出てくるのです。

折伏で難を受けている時ほど、池田先生が何を仰りたいか命で先に感じる不思議な体験を、いくつも持っています。


さて、自分は『師の身代わりに難を受ける』基準について、役職によって難の規模が変わらないと、よろしくないと思っています。

秋谷元会長が『先生だけが、御書の通りの大難を受けられ、学会を守ってくださった。』と謝罪証言しているように、原田会長も『権力からの難』を受けるような行動をするべきです。

会長は全会員の幸福の責任がある。
ならば、守るべき会員が多いほど、難の規模が大きくなるのは必然だと思うのです。


朝から長文になってしまい、申し訳ございませんでした。
今後も宜しくお願い致します。


 

今週のことば 2018年6月4日

 投稿者:どうみょうてん
 投稿日:2018年 6月 4日(月)07時29分8秒
色心不二なれば
張りのある勤行で
健やかに聡明な生活を!
「朝朝・仏と共に」
満々たる生命力で出発!
 

友よ強く 1972年(昭和47年)2月

 投稿者:青春譜
 投稿日:2018年 6月 4日(月)06時48分9秒
友よ強く 1972年(昭和47年)2月

学会歌「友よ強く」作詞山本伸一2011/05/31 に公開3分11秒

https://www.youtube.com/watch?v=ktgfbvnGW8U

友よ強く雄々しく立てよ
僕が信ずる君が心を
苦しき仕事 深夜の勉強
これも修行ぞ 苦は楽し
君が信念 情熱を
仏は じっとみているぞ

友よ負けるな希望を高く
僕が信ずる君が心を
努力 努力 また努力
あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め あくまでも

友よ忘るな微笑を
僕が信ずる君が心を
清らかに 夢みつつ 進みゆく
君が心の美しさ
ああ わが友よ強く
君が友よ

エピソード「新・人間革命」16巻「入魂の章」104ページ

荒川の記念撮影では、写真を撮ったあと、合唱や踊りも披露された。

 なかでも、高等部員が歌った「友よ強く」の歌は、参加者の心を激しく揺さぶった。

 この「友よ強く」の詩は、山本伸一が青年時代に作ったものであった。

 神奈川の会員宅を訪問した折のことである。

 その家の婦人から、家計を助けるために他県に働きに出ている、十代半ばの子息から来た手紙を見せられ

た。

 手紙には、一部屋で数人が共同生活しており、勤行をするにも、大変に苦労していることがつづられてい

た。

 ――タオルと石鹸を持って、風呂に行くと言っては裏山に登り、そこで勤行をしているというのである。

 手紙を読み終えると、伸一は直ちにペンをとった。励まさずにはいられなかった。そして、一詩をしたため

た。

 それが、「友よ強く」であった。

 友よ強く 雄々しく立てよ 僕が信ずる君が心を 苦しき仕事 深夜の勉強

 これも修行ぞ 苦は楽し 君が信念 情熱を 仏は じっとみているぞ

 それから二十年近くして、荒川区に住むある学生部員は、先輩の家で、この詩を目にした。

 彼は、大きな感動を覚えた。働き、学ぶ、青春の模範が、そこにあると思った。

 かつてピアノを習い、音楽好きであった彼は、これを歌にして、二部学生に教え、元気づけたいと思った。

 ギターを使いながら曲を考え、楽譜にした。

 出来上がった曲を、皆で口ずさんだ。

 「いい歌だ! 困難に立ち向かう勇気が出てくるよ」

 好評であった。やがてこの歌は、友から友へと静かに広まっていった。

 そして、荒川区の記念撮影会を迎えるに当たって、高等部の担当幹部から、「当日、高等部員で『友よ強

く』の歌を合唱したい」との要請があったのである。

 そこで、音楽隊長を務めた有村武志のアドバイスを受け、楽譜を手直しして、この日の発表となったのだ。

 高等部員による「友よ強く」の合唱には、若々しい力があふれていた。

 歌が終わると、山本伸一は、立ち上がって拍手を送りながら絶讃した。

 「うまいね! 感動しました」

 それから、作曲者の青年を呼んで言った。

 「すばらしい曲です。このメロディーを永遠に残すために、レコードにしよう」

 高校生たちの間から、歓声があがった。感極まり、目を潤ませるメンバーもいた。

 そして、この「友よ強く」の歌は、高等部をはじめ、広く、学会の愛唱歌として歌われていくようになるの

である。

 伸一は、行く先々で、喜びの種子を、向上の種子を植え続けた。それが大いなる前進の活力となるからだ。

 〝どうすれば、皆が、元気になるのか。信頼の柱となる力あるリーダーに成長できるのか。

 何があっても退転することなく、幸福への道を歩み抜けるのか……″

 伸一は、どこにあっても、そのことを真剣に悩み、考え続けた。

 法華経の寿量品に「毎自作是念」(毎に自ら是の念を作す)とある。

 これは、仏が、常に衆生をいかにして「悟り」に導くかを考え、法を語り続けていることを説いたものだ。

 伸一もまた、広宣流布に生きる仏法者として、自分も、そうあらねばならないと、心を定めていたのであ

る。

 仏法は、自らの実践のなかにこそ、脈動する。

 自分は、常に何を考え、一念をどこに定めているか――そこに、自身の境涯が端的に表れるといってよい。


 

我が青春譜 1968年(昭和43年)

 投稿者:青春譜
 投稿日:2018年 6月 4日(月)06時45分26秒
我が青春譜 1968年(昭和43年)

http://soka.j-pn.com/song3/seishunfu.html
作詞  定時制鳳雛会・グループ有志

補作詞  山本伸一
作曲  牛田昌己
1  強き同志の  絆もち
   向学に燃え  励みゆく
   負けるな友よ  若人の
   英知溢るる  情熱は
   我が黄金の青春譜

2  若き我等の  精進は
   師匠が歩んだ  道なれば
   我等無上の  誇りなり
   広布の偉業  我が使命
   ああ感激のこの縁(えにし)

3  輝く栄光  ひとすじに
   若き平和の  戦士征く
   世界の友よ  肩くみて
   明日の希望の  太陽を
   謳おう我等の青春譜

4  富士の高嶺を  あおぎゆく
   君よおいたて  ぼくは待つ
   使命は深し  生死あり
   進む君等に  光あれ
   未来に燦たる青春譜
   未来に燦たる青春譜

投稿者:正義の子  投稿日:2018年 4月27日(金)14時58分1秒

「正義の子様」有難うございました。

 

世法と仏法の峻別

 投稿者:日蓮仏法2.0メール
 投稿日:2018年 6月 4日(月)06時44分17秒 編集済
五重の相対と八重の相対 議論を深めませんか  投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月 3日(日)20時20分3秒

>>> 日蓮仏法2.0さん、即身凡夫本仏論を読みましたが、五重相対はどこに書かれてありますか。<<<
新旧両版共に「第三部 十界互具の凡夫本仏論」 の中の第三章で、『開目抄』で提示されている五重相対を扱っています。
第三章 日蓮独自の教判
一 五義判
二 五綱の国師は末法の教主
三 五重相対
権実相対
本迹相対
末法の本門観心の視座
種脱相対
四 観心本尊のための一念三千

次のリンク先でこの「目次」を確認できます。
https://www.amazon.co.jp/dp/4802094086

>>> 仏法との差違は・・・文証を上げてください。世法と仏法との差違は無いと、私は先輩より教わりました。文証です。
御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の冶生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり (檀越某御返事 P1295)<<<

大聖人の基本思想が正法を立てて、国、すなわち王法・世法を正す「立正安国」であることは、私たちの共通の認識ですよね。ただしこの場合、立正が根本・本因、安国はその結果という関係があります。関連個所を引用しませんが、要は、仏法の正邪で混乱していれば、人間の精神面での乱れの為に世法・世俗が乱れ、天変地異・社会不安が発生するという因果関係が説かれています。だからこそ、まず第一に正法を立てるべきだという論理です。政治・社会・経済などの世俗的な次元の諸問題を解決することで、正法を立てる訳ではないです。あくまでも正法は根っこで、世法は枝葉の関係です。

さて、「御みやづかい」ですが、これを「法華経とをぼしめせ」とは、その前に記述されている文の通り、「法華経を十二時に行ぜさせ給う」という意味です。
この基本姿勢は大聖人の中では初期から一貫しています。
「行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし。道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず。常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし」(唱法華題目抄P0012)。
現代的に言えば、すべてを信心で捉え、価値創造し、また変毒為薬していくという姿勢であり、行動です。
九界の世界である世法上の営為としての「一切世間の冶生産業」は、観念的にそのままで仏界の表れとしての「実相」と見なすことができても、仏界そのものではありません。
仏界湧現の唱題行と不断の努力によって、九界の世法を仏界へと転換していく必要があります。実践を介しない「世法即仏法・九界即仏界」はまさに現状肯定の天台本覚思想に成り下がります。

さらに一歩詰めていくと、「世法と仏法との差違は無い」という意見は、実は危険な思想です。
その先輩は真面目で誠実な方でしょうが、仏法の観点からは、教団のイデオロギーを内面化している人に過ぎません。
世法即仏法は飽くまでも而二不二の関係であって、世法がそのまま仏法だと理解すべきではありません。
この誤解は、例えば公明党支援や聖教新聞啓蒙が仏道修行であり、広宣流布の為の戦い・営為だとする教団イデオロギーを正当化する論理になります。
座談会や折伏や個人指導などの学会活動は化他行なので、仏法上での意味がありました。しかし、公明党支援や聖教新聞啓蒙は世俗の活動です。この区別が明確なのは、海外ではこの二つの活動が無いからです。日本の特殊事情です。ですから、海外から日本の活動を見ていると、その異常さ、そしてメンバーはいつか自分が利用されたと感じる時が来ることも明々白々でした。

事態は深刻です。問題は根深いです。これ以上、教団の問題には触れません。が、信じていた仏法(正宗教義の日蓮久遠本仏論と大御本尊信仰)が「正法」ではないとなれば、その前提の上に載っていた「世法」のすべての学会やその活動の意義付けも崩れます。
池田先生がお元気な頃は、SGに対して絶対的な信頼がありましたから誰もが疑わずに、「先生の為・SGの為・広宣流布の為」という大義名分がありました。
そして、種々様々な理不尽なこともこの大義名分の下に正当化されていました。
皆様がこの板で批判している世法上の問題点は、僭越かも知れませんが、私が正宗教義批判を展開した1990年代初頭から実はもう明白なことでした。

したがって、
>>> 「人生の大半を無駄にした」(投稿者:子路 投稿日:2018年 5月21日01時41分)そんな風に思う人が1人でも出ないように…自分は、投稿しています。<<<
大いに共感します。私の場合は、もう一度仏法と世法を峻別し、「仏法」の原点に戻ろう、「人間主義の日蓮仏法」を継承し、立て直そう。
仏法上では無駄はない!すべてを変毒為薬していける。
そのためには、世法をすべて取捨した後に残る自分の信仰を見直す必要があると思っています。

https://www.amazon.co.jp/dp/4802094086

 

今日の新報。

 投稿者:コンペー
 投稿日:2018年 6月 4日(月)05時52分8秒
今日の新報。あの逆拡散の記事がない?


楽しみにしています。
 

文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2018年 6月 4日(月)02時19分23秒
飛翔こそ蘇生さん、八重の相対へのアプローチは素晴らしい納得できました。
五重相対への論考が新鮮で、私が学んだ五重相対とは違いすぎることを白状します。

私も八重の相対へトライしたいのですが、今日は雑用で疲れています、ごめんなさい。

・・・・・・・・・・・・・・・・
文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

今回は、大国のエゴイズム、です。

池田先生の提案・・・
「人類が平和に輝く二十一世紀を迎えるために、ただちに核兵器の製造を中止し、これを廃棄しなけ
ればならない、」

カレルギー伯の見解は、全体主義の国は核を隠し持てる。とされて・・・
「それは各国とは独立の世界的な主権を有する世界政府のようなものがつくられることで それ以外
に方途はありません。」


池田先生とカレルギー伯の意見はかみ合っていません。
カレルギー伯は核の廃棄は、出来ないだろうとされています。

池田先生は、日本は核爆弾の決定的破壊力を知っているので、人類の破滅から救うには、核兵器廃
棄、世界平和確立にむけて、日本が推進すべきであると提示されています。




 

文明・西と東  大国のエゴイズム

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2018年 6月 4日(月)02時16分16秒
文明・西と東

大国のエゴイズム

池田
 国連の話をもうすこしつづけたいと思います。
 あなたがおっしゃるように、現実の国際政治を動かしているのは"力の論理"であり、した
がって、超大国が支配権を独占しているのが実情でしょう。

 しかし、そうした力による横暴を抑制し、平和を実現するために生まれたのが国連であっ
たとすれば、国連からは"力の論理"は排除されねばならない。

 ですから、いまの国連において、もっとも大きな問題は、このエゴイズムに対する歯止めをどこに
求めるか、ということだと思います。

カレルギー
 大国のエゴイズムを抑止する最善の方法は、くりかえすようですが、第一段階として、平和のため
の米ソの歩み寄り以外にはないと思います。
両国とも、最近は、軍事費の削減に関心があることを表明しております。

池田
 米ソ両国の歩み寄りは、すでに早くからはじまっているわけですが、問題は、両国が世界
政治や国連の舞台で利害の共通する問題については、互いに手を組み合って、独占的な支配権を確立
しようとしていることです。

 つまり、膨大な核兵器をうしろ楯にして、経済援助の力で、全世界の国々に、ニラミをきかせてい
ることです。

現在、世界平和にとって最大の脅威は、いうまでもなく核兵器であり、日本は、世界で唯一の被爆国
です。
 かつて、ケネディ大統領は、偶発、誤算、あるいは狂気による核戦争によって、人類は正に絶滅の
危機にある、と訴えましたが、私も、人類が平和に輝く二十一世紀を迎えるために、ただちに核兵器
の製造を中止し、これを廃棄しなければならない、とこれまでもしばしば訴えてきました。

 あなたは、日本こそ最先頭に立って、世界の世論をその方向ヘリードしてゆくべきだと思います。
あなたは、今日の国際政治の流れの上から、核兵器をはじめ、あらゆる軍備撤廃を究極的に実現する
ためには、いったいどうしたらいいと考えますか。

カレルギー
 私も、二、三年まえまでは、第三次世界大戦が起こるとすれば、間違いなくそれは核戦争だろう、
と憂慮しておりました。
 しかしいまでは、そうは思いません。
 なぜなら、すべての国が、核戦争は自殺行為だ、と気が付いているからです。

 私も、核兵器は廃棄すべきだ、と信じていますが、その撤廃は、大変困難な仕事です。
 なぜかといいますと、核保有国がたとえ、核兵器廃棄条約にサインしたとしても、現実には、その
完全な廃棄を強制することはできないからです。

 とくに私は、全体主義国の場合を懸念します。
 全体主義国家は、表向き、核兵器の全廃を発表したとしても、厳しい報道管制をしいてひそかに核
兵器をどこかにかくしておくことができるからです。

 こうした国々では、議会もマスコミも、それを暴露することはできません。
 そして、戦争が起こればその核兵器で威嚇することもできるし、さらに事態が緊迫した場合には、
それを脅迫の武器として、実際に使うこともできるからです。

 これは、非常に危険なことです。
 これに対して、民主主義国の場合は、議会によってコントロールされ、報道機関によって監視され
ていますから、核兵器をかくし持つということは、実際にはできません。
 したがって全体主義国よりも、はるかに不利な状況下に置かれることになるといえましょう。
 だから私は、この問題の解決は他の方法に求めなければならない、と思います。
 それは各国とは独立の世界的な主権を有する世界政府のようなものがつくられることです。
 それ以外に方途はありません。
これは、現在ではまだ実現不可能でしょうが、将来は多分、可能になると思います。
 私は、この世界政府に軍事力を集中させるようにすべきだと思います。

 ただし、世界政府の軍事力は、単に威嚇の目的でのみ保持するものであって、もし、条約に違反し
て兵器をかくし持っている国があった場合には、世界政府の威嚇によって廃棄させるようにしておく
べきです。

池田
 核撤廃ということは、現実には、あなたのおっしゃるように、たいへん困難な問題だと思います。

ただ、国際政治の動向をみると、世界の指導者たちは"敵国"を恐れるという考え方のワクを、いま
だにでておりませんね。

 核兵器の脅威の実態を知るならば、真に恐るべき"敵"とは、たとえば、アメリカ対中国、中国対
ソ連、ソ連対アメリカ・・・といったものではなく、核兵器の巨大な、決定的な破壊力そのものであ
る、ということがわかるはずです。

 それを身をもって知ったのが日本であったと思います。
 その意味で、日本は核兵器廃棄、世界平和確立へ向かって、独自に推進的役割りを果たすことがで
きる立場にあるわけです。


 

不服申立日変更の件

 投稿者:子路
 投稿日:2018年 6月 4日(月)01時00分30秒 編集済
相変わらず、一方的に理由も説明しないで変更してくるとは!

なぜ7月1日なのか?
ふと考えた
東京都がデモ禁止した条例の施行日は、7月では?
だからか?

それにしても、キチンと説明しないで、一方的に変更する
呆れるばかり

 

虹と創価家族さま投稿の「君よ生涯、師弟不二の大道に生きよ」を読んで

 投稿者:末席の弟子
 投稿日:2018年 6月 4日(月)00時38分32秒
先生のご指導ありがとうございます―――

まさに先生は、今、この時を予見されたかのような

ご指導ですね。

90年代以降、頻繁に「権威・権力に屈するな」等の

ご指導をされてこられたと記憶していますが、

当時は、為政者等の権力に・・・という認識しか

ありませんでしたが、先生の本当の真意がようやく

わかった気がいたします。
 

生死と人間と宗教

 投稿者:飛翔こそ蘇生
 投稿日:2018年 6月 4日(月)00時29分49秒
およそ仏法(および諸宗教性)において
一貫している問題は「生死」の問題でしょう。

どれほど精神分析学が発達しても
言い表し尽くせないような
そこにある仏性、神性といったものに響くからこそ
池田先生の対話は差異を乗り越えて成された。

もちろん、これをならしめたのは
御本尊への唱題行だが戸田先生との師弟不二も外せない。

大乗仏教の究極
全ての衆生を救う一仏乗の乗り物としては
一切の差異に対しても開かれている
普遍が無ければなりません。

成仏の成を「ひらく」と読む。
何をどう開いて何を成すのか?

<内外相対>で、
「生死」の問題と仏性、神性といったものを
絡めて考えるのを止めなさいと言うかどうか?
最終的に法華経寿量品ではそこに排他はない。

<大小相対>で
出家して修行し自力によって寂滅を究め
煩悩を消し娑婆世界の執着を捨て生死を離れる。
そこにあるのは自身による自身のための悟りで
外に言い表せるようなものではない。
ただあることを、ただあると自得する。
自得しようなんてことは止めなさいと言うかどうか?
最終的に法華経文底ではそこに排他はない。

<権実相対>だが
密教的に煩悩を薪とするような増進の道や
曼荼羅の大日如来への入我我入のようなもの

念仏の民衆に広く開かれた口に唱える修行法

日蓮仏法において、そういったものはむしろ包摂されるが
十界互具、一念三千の法理を欠いてはならず
教主釈尊から離れては自身の生命が主役とはならず
欠乏感、無明を出発とした祈りになって
煌びやかな他所の世界を求めてしまう。

<本迹相対>だが
違うものに成り代わりたい
違う世界に生まれ変わりたいという
欠乏感、無明を出発として想像されたものを
法理で打ち破ったとしても

その根本の法の所在が明かされなければ
具体性が無い。

それはこの娑婆世界に常に共にあるのだ。

法華経以前の想像された別世界は否定されるけれど
迹門にはそういう否定されるべき別世界を目指す内容があるわけでなく
純粋に本門の補完となる法理なので捨てる対象にはならない。

では<種脱相対>なのだが
釈尊を教主として法華経をそのまま会得できたならば
もう他に何の努力もいらないのであろうか?

いかにして行くかという転換点であり出発点でもある。

日蓮大聖人の身の上に証明していったのだ。

そこには境智の面と手法の面がある。

境智は師子王の如くなる心だ。

手法としては当時仏教界に流布していた修行法を
その境智から己心の寿量品に照らして止揚し
無限に高い次元へと完成させていった。

この人法一箇を下種仏法として見る。

現実の上に変革を成す一個の人間としての生命を
本仏として、究極の師として見るかどうかだ。

さて<宗創相対>であるが
個々の信仰者において、手法を表とするか
境智を表とするかの違いでもある。

御本尊を書写する側に境智があれば全員救われるのか
自行化他に渡る信行学で一人ひとりが境智を得て変革するのか?

後者を実現させていったのが創価学会である。
宗門の権威性に帰属するものを除いて
権実相対以後の日蓮仏法を捨てるものではない。

<池創相対>であるが
日蓮仏法の排他的宗教性になりがちな部分を乗り越えて
真の人間性に目覚められるかどうか?

池田先生が世界に対して一文化人として行ってきた活動と
私たちが現場の組織でやってきた活動とは
どこか何かが違ってはいないだろうか?

なにをどう見なしたところで、
実際の現実を直視しないならば嘘が抜けず
結局は意図思惑のある者たちの思うつぼなのである。

ご都合主義を見抜き
実際の目の前に起こっていることに手を打てるか?
声を上げられるか?

それは池田先生が訴えたことの分水嶺であり
創価に携わっても、
その一線を護れないならば
捨てていなかったはずのものも含めて総崩れになる。

<師弟の道・師弟不二の道相対>だが
やり切ったと言えるものが無ければ虚しい言葉だ。
裏切りも相違の大小の内で弟子は弟子だが
師弟不二の道というならそうはいかない。
ある意味、人生の最終章を終えるまで、
証明しきれないものかもしれない。
今はまだ誰も、それぞれ師弟不二の道を目指しながらも
師弟の道の中でもがいているのかもしれない。

師の言葉との相違の大小を論じあって辿り着くものか
もっと根本的に違うものなのか

やり切った人間にしか言えない。

ただ、難というものは判断基準になる。

池田先生が描いた未来が実現されていった時
それを成した一人ひとりが讃えられるべきであり
それは、それが本当に師弟不二であったかどうかは
深いところの生命の本質において
当人が一番嘘がつけず跳ね返ってくるだろう。
 

月の砂漠さんへ

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2018年 6月 4日(月)00時07分43秒
月の砂漠さん、下記の文章は日蓮大聖人の教えですか。
池田先生の教えですか・・・文証を上げてください。

引用失礼します。
>「五重の相対」は、その誓願から導き出された、<

>その誓願から導き出された<・・・について、文証は無いと思います。
文証が無くても、理証として説明出来るならば、正しいと言うことです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は八重の相対が、絶対正しいと思っているわけではありません。

五重相対の文証はありますが、八重の相対の文証はしりません。

八重の相対も御書に、文証は無いと思いますが、理証で納得できるかどうかを議論しませんかと・・・。
だから、議論して正しいものか必要なものかを吟味して深めませんかと提案しています。
 

政局様へ

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2018年 6月 4日(月)00時04分44秒 編集済
政局様、長文をお読み頂きまして、誠にありがとうございました。

師弟不二について宿板で論じられていますが、『君よ、生涯、師弟不二の大道に生きよ!』をもとに論じるのなら、執行部側も否定や批判は出来ないと思いますし、なによりも現場会員の命に入りやすいと思います。

さて下記は、師弟不二であるために、大切な文証だと思います。

~~~~~~~~
そして、日興上人と五老僧との相違を考えるうえで大事な点は、日興上人は、大聖人の「立正安国論」をどこまでも根幹とされたことである。
 「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われるように、大聖人は立正安国という民衆の幸福を実現する楽土建設のための戦いを生涯、続けられた。
 立正安国の実践を貫けるかどうか。立正安国の旗を掲げ続けるかどうか。師の行動の真髄を継承してこそ、師弟不二の実践となることは言うまでもない。
~~~~~~~~

なるほど!
池田先生は『立正安国の実践を貫けるかどうか。立正安国の旗を掲げ続けるかどうか。師の行動の真髄を継承してこそ、師弟不二の実践となることは言うまでもない。』と、明確に仰っています。

『立正安国の実践を貫けるかどうか。』が、師弟不二であるか否かを見極める基準です。

この基準で、原田会長と執行部の行う、創価学会の運営や方針・支援活動を照らしてみましょう。
原田会長と執行部の組織運営が師弟不二であるか否か判断できると思います。

この見極めは、現場会員にとって大切ですね。

 

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時50分55秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生を裏切り、嘘をつき続け、真面目な会員を査問除名する
会長、副会長、職員の方々が真面になります様に
おやすみなさい
 

(無題)

 投稿者:通りすがり
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時46分22秒
現執行部にとって五重の相対は最早死語でしょうね。表向きは否定せずに、今後一切活字にしない。そのうち会員は忘れてしまうだろうと。とにかくやることなすこと幼稚で姑息なんです。会員をなめきっている。本音は第三の権実相対で打ち止めにしたいんでしょう。あきれた話です。  

【保存用文証】君よ生涯、師弟不二の  大道に生きよ!── 日興上人の峻厳な闘争に学ぶ

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時41分4秒 編集済
大白蓮華700号特別寄稿

君よ生涯、師弟不二の
 大道に生きよ!
  ──日興上人の峻厳な闘争に学ぶ

創価学会名誉会長
池田大作

(大白蓮華 2008年5月号掲載)

 恩師・戸田城聖先生は語られた。
 「私は、牧口先生の言う通りに実践した。師弟の道とは、そうでなくてはならない」
 あの豪放磊落な戸田先生が、ひとたび牧口先生のことを語る時は、厳粛そのものであられた。
 戦時中、法難にあうや、大恩ある牧口先生のことを悪口罵言し、あげくに背いていった徒輩を責める時は、悲憤し、激高されることも少なくなかった。
 仏法の精髄は師弟不二である。峻厳なる師弟不二の精神を忘れてしまえば、仏法の根本そのものが破壊されてしまう。したがって、真実の仏法の継承者は、師弟不二の精神と行動を瞬時も忘れてはならない。
 私は、牧口先生に対する弟子の道を終生貫かれた戸田先生のお姿に、仏法の真髄があることを深く学んだ。そして、戸田先生が行じた如く、私も師の心を我が心とし、師の説かれるままに実践した。そして師匠の恩を報じゆく弟子の道を生き抜いてきた。
 ただ真っ直ぐに、ひたすらに「師弟不二の大道」を歩んできた。それゆえに一身に大難を受けてきた。しかし、何一つ悔いはない。不二の大道に徹していく境地からは、いかなる大難をも悠然と乗り越える力が湧き出づることを知っているからだ。
 師弟の道を放棄して、反逆という最も卑劣な人生を選択した輩が、魂の敗残者となって、佗しい末路をたどった姿も数多く見てきた。
 私の信仰の六十年の結論を、わが信頼する青年たちに伝えたい。それは、日蓮大聖人の仏法実践の根本は、一生涯、師弟不二の実践を貫き通すかどうか、という一点にあるということである。
 この師弟不二の大道の範と仰ぐべき
永遠の鑑こそ、大聖人の真正の弟子・日興上人の大闘争である。
 私も、青年部の時代に、この日興上人の不二の御行動を深く探究した。また、日興上人の大精神を青年部に幾度となく語ってきた。
 それでは日興上人が示された師弟不二の魂とは何か。それは、「師と同じく戦い抜く心」を永遠に持ち続けることである。これこそが日興上人と五老僧との決定的な違いであった。そして、「戦い続ける」師弟不二の一念こそが、一切の勝利の根本の因となることを日興上人は生涯を通して示してくださったのである。
 私は今こそ、この根幹の方程式を青年に残し伝えたい。その思いで、日興上人の峻厳な闘争を拝していきたい。青年部は今こそ、師弟不二の「戦う心」を学んでいただきたいのである。


戦い抜いてこそ「本弟子」の証し


 弘安七年(1284年)の十月。日蓮大聖人の三回忌の時のことである。蓮祖の御入滅から、わずか二年後──ところが、日興上人以外の五人の老僧たちは、もはや身延にある大聖人の墓所を訪れることすらしなかった。
 この三回忌の直後に認められた「美作房御返事」からは、当時の日興上人の苦心孤忠が拝されてならない。
 大聖人が六人の「本弟子」、いわゆる六老僧を定められたのは、弘安五年(1282年)の十月八日。御入滅の十月十三日の五日前のことであった。六人を年齢順に記すと次のようになる。
  日昭 六十二歳
  日朗 三十八歳
  日興 三十七歳
  日持 三十三歳
  日頂 三十一歳
  日向 三十歳
 もとより師を拝する信心、法の理解、広宣流布の実践力のすべてにおいて日興上人が随一であり、日蓮仏法の正当な後継者であることは言うまでもない。
 その上で、この六人を「本弟子」と定められたのは、広宣流布の責任を担うべき指導者としての自覚を促されるためであったと拝察される。
 当時、日昭と日朗は鎌倉、日興上人と日持は駿河(静岡県中央部)、日頂は下総(千葉県北部)、日向は上総(千葉県中部)に活動の拠点を置いていた。まさに大聖人の弟子として、各地の門下の依怙依託となって立ち上がり、戦い抜くべき後継の中枢の立場であった。
 大事なことは、本弟子に選ばれたかどうかではない。弟子自身のこれからの行動で一切が決まる。それが師の心であられた。
 大聖人御入滅後の百箇日法要の際には、大聖人の墓所を自分たちが責任をもって、他の弟子とともに厳護するという誓約も交わした。師匠の魂を継承しゆく精神の証しとして、その誓いを立てたのである。
 ところが、命を懸けて守るべきこの誓約を、日興上人以外の五人の老僧たちは反古にしたのである。


臆病ゆえに「天台沙門」と名乗る


 実は、この三回忌を挟む弘安七、八年の当時、大聖人の門下は、厳しい弾圧の脅威にさらされていたと推測される。
 具体的に言えば、執権・北条時宗〈注1〉が急逝して、幼い貞時がその後を継ぐと、平左衛門尉頼綱〈注2〉は、内管領(家臣団の長)として、広大な領地と強大な軍事力を有する北条氏本家を意のままに操るようになっていた。
 極楽寺良観〈注3〉もまた、幕府に深く食い込んで、鎌倉の三つの大寺院の別当(寺院の総責任者)に任じられていた。
 この平左衛門尉や良観が、大聖人御入滅後の日蓮門下を弾圧しようと企てても、何ら不思議はなかった。
 折しも、蒙古の使者が対馬を訪れ、三度目の蒙古襲来の可能性も日増しに高まっていた。現実に、蒙古は、前の二回をはるかに上回る兵力の動員を進めていたという。
 幕府は、軍事力とともに、神仏の加護によって外敵を打ち倒そうと、蒙古調伏の祈祷をするよう全国の寺社に命令を発し続けた。この命令は大聖人教団にも及び、国家の安泰を祈るよう強要されたと考えられる。
 本来であれば、いざという時だからこそ、真正の大聖人門下は、幕府を諌暁し、師の如く、立正安国を叫ばなければならない。
 ところが、弘安八年(1285年)になって、日興上人のもとに伝わってきたのは、耳を疑うような話であった。
 日昭、日朗ら老僧たちが相次いで、「大聖人の弟子」ではなく「天台沙門」と名乗って幕府に申状を提出し、蒙古調伏の祈祷を行ったというのである。
 その申状の文面も、大聖人の諌暁の精神など微塵も感じられず、権力におもねるような卑屈さがにじみ出ていた。
 日興上人は、後に、事の次第を簡潔に書き留められている。
 「日蓮大聖人の御弟子六人の中で、五人は一同に、大聖人のお名前を改めて天台の弟子と号し、住坊を破却されようとする時、天台宗の祈祷を行うという申状を捧げることによって、破却の難を免れたのである」(「弟子分帳」、『富士宗学要集』第8巻6ページ、通解)
 要するに、老僧たちは、蒙古調伏の命令に従わないのなら住坊を破壊するという恫喝に屈したのである。
 思えば大聖人は、平左衛門尉と対面した折に、厳然と仰せになられた。
 「王が支配する国土に生まれたからには、身は、その王に従えられるようであるけれども、心まで従えられはしない」(287ページ、通解)
 いかなる事態、いかなる大難に臨んでも、心が屈することはない。それが日蓮大聖人の魂であられた。
 かりに、日昭や日朗たちが、鎌倉在住の仏子たちを守るために、何らかの妥協を余儀なくされたという事情があったとしても、師の日蓮大聖人においては絶対にありえない「天台沙門」と名乗って祈祷を始めてしまった心は、師弟不二の大道を外れ、魔性に屈服した証左であろう。厳しく言えば、その一念の本質は忘恩の師敵対にほかならない。
 「心まで堕ちてしまったか!」──鎌倉の老僧たちに対して、日興上人の憤激は、いかばかりであられたか。
 弘安八年の冬には、平左衛門尉が、最大の政敵であった安達泰盛〈注4〉を、クーデターによって一挙に滅ぼすという事件が起きた。いわゆる「霜月騒動」である。これによって、平左衛門尉が独裁的に権力を振るう時代となった。
 当時の様相について「一向執政し諸人恐懼の外他事なく候」(「実躬卿記」)、「今は諍(あらそう)方も無て、一人して天下の事を法りけり」(「保暦間記」)と記されているように、平左衛門尉による専制政治が、この後、七年半も続くのである。
 しかし、そうした渦中にあっても、日興上人は敢然と、大聖人と全く変わらない御精神のままに正義の諌暁を続けられた。
 例えば、正応二年(1289年)の幕府への申状にも「日蓮聖人の弟子日興重ねて申す」(『富士宗学要集』第8巻3332ページ)と厳然と名乗られ、師匠・日蓮大聖人の「立正安国論」に副えられている。
 日興上人と五老僧との根本的な相違が、ここにある。すなわち、日興上人は大聖人を悪世末法の衆生の闇を照らす根本の仏として正しく仰がれた。日興上人は申状にも、「今末法に入っては上行出世の境 本門流布の時なり」(『富士宗学要集』第8巻334ページ)と記されている。つまり、末法は上行再誕〈注5〉の日蓮大聖人の本門の仏法が流布する時であると高らかに宣言なされているのだ。
 だからこそ、日興上人は終生、大聖人の御本尊を根幹とし、御書を根本とされた。師匠を正しく拝し、末法の全民衆を救う師匠の大闘争を受け継いだからこそ、日興上人は師弟不二を貫いていかれたのである。
 戸田先生は、明快に語られていた。
 「日興上人が、大聖人の一番の弟子である。大聖人のことを、はっきり『大聖人』と呼んでいらっしゃる。お側についておられたからこそ、大聖人が御本仏であられることが、わかっておられたのである」
 日興上人は、常随給仕──常に師とともに、常に師のために、死身弘法の精神で戦い抜かれたからこそ、師匠の偉大さを確信できたのである。
 そして、日興上人と五老僧との相違を考えるうえで大事な点は、日興上人は、大聖人の「立正安国論」をどこまでも根幹とされたことである。
 「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われるように、大聖人は立正安国という民衆の幸福を実現する楽土建設のための戦いを生涯、続けられた。
 立正安国の実践を貫けるかどうか。立正安国の旗を掲げ続けるかどうか。師の行動の真髄を継承してこそ、師弟不二の実践となることは言うまでもない。日興上人は、一貫して、立正安国の正義を叫ばれ続けた。


悪知識に染まりゆく地頭


 師弟不二の心を失った老僧たち──その象徴の例が、日向の転落である。彼は、日興上人に嫉妬し、和合僧を攪乱していった。
 話は弘安八年に遡る。この年、五老僧の一人である日向が、突然、身延の日興上人の前に姿を現した。日向は、大聖人の葬儀にも、百箇日法要にも列していない。墓所を守る当番にも来ていない。
 しかし、日興上人は、その日向を身延の学頭に任じられた。大聖人が期待を懸けられた一人を何とか大成させてあげたい、との思いもあられたに違いない。
 ところが、日向は、早くも翌年ごろから、大聖人の御精神を傲然と踏みにじる不穏な言動を見せるようになった。そして身延に入って四年目の正応元年(1288年)になると、あからさまに大恩人である日興上人の排斥に動いたのである。
 事の経過は、日興上人が身延を離山される直前に記された正応元年十二月十六日付の「原殿御返事」に詳しい。原殿は、身延の地頭・波木井実長〈注6〉の息子の一人と考えられているが、定かではない。
 日興上人は、このお手紙で仰せである。
 「あの民部阿闍梨日向は、世間的な欲望が強くて、こびへつらい、心の曲がった僧で、大聖人の御法門を世に立てることなど思いもよらず、大いに破る者であると、この二、三年の間、見つめてきました」(編年体御書1732ページ、通解)
 日興上人は、こうした日向の性根を見抜いたうえで、日向が仏法を曲げていることを厳愛をもって叱責された。ところが、日向は、自分のほうが大聖人の仏法を知っているという恐るべき増上慢の心と、いかにしても日興上人に勝てないことから生ずる嫉妬の心から、かえって逆恨みしたようである。
 一方、波木井実長は、日興上人の二十年来の弟子であった。正法に巡り合い、大聖人を身延にお迎えできたのも、ひとえに日興上人のおかげであった。
 その実長が、次第に日向に毒されていった。もともと信心が定まらず、世間に迎合しがちな人物ではあった。霜月騒動で一族の者が安達方について殺害されると、その傾向がますます強まったようだ。日向は、その実長の心の隙に付け込んだのである。
 ある時、実長の息子の一人、弥三郎が、鎌倉幕府から篤く信仰されていた神社への参詣を企てた。日興上人は、弟子を遣わして、「立正安国論」に仰せの通り、諸天善神は謗法の国を去っているのだから神社に参詣してはならないと説き聞かせ、弥三郎を思い止まらせた。これに疑問をもった実長に対し、日向は「日興上人は、外典読みで、立正安国論も一面的にしか読んでいないのです」(同ページ)と誹謗したのである。
 さらにまた、天台大師の命日に開かれる大師講の際も、日向は、為政者におもねるような国家安泰の祈祷を行った。それを日興上人から糾されても、「国家の恩」などを振りかざして逆に反発してきた。まことに不遜きわまる態度であった。
 そして、日興上人の粘り強い誠実な御指導に対して、毒気深入の実長は「自分は民部阿闍梨日向を師匠にしたのだ」と、うそぶく始末であった。まさに「法華経の御信心逆に成り候いぬ」(1733ページ)という顛倒であった。身延は、師敵対の弟子・日向によって完全に毒され狂ってしまったのである。
 戸田先生が厳しく言われた通りである。
 「敵は外部にあるように見えるが、もっとも悪質な敵は、内部に出る」
 だから、毒をまき散らす内部の敵とは戦わなければならない。放っておいたら、毒がいつしか充満し、皆の純粋な信仰が破壊されてしまうからだ。
 ゆえに師敵対の輩とは断固、戦い続けるしかない。


一人、正義の旗を握り締めて


 日興上人は正応元年(1288年)の末、ついに身延離山を決意された。その御心境を、こう記されている。
 「この身延の沢を立ち退くことの面目なさ、無念さ、それは言葉では言い尽くせません。しかし、翻ってみれば、どこの地であっても、大聖人の正義を継いで世に立てることこそ、最も大切なのです。“よもや”と思っていたところ、大聖人の御弟子は、皆ことごとく師敵対してしまった。日興一人が本師・大聖人の正義を守って師匠の本懐を遂げなければならない者に当たっている。それを深く自覚しているので、本意を決して忘れはしないのです」(同ページ)
 「師匠の正義を一人守り抜く」──これが真の弟子の本義である。
 私もまた、いかなる卑劣な裏切りに遭おうと、ただひたすら戸田先生の直弟子の道を貫いてきた。反逆者と邪宗門が結託し、第三代の私を追い落として創価学会を乗っ取ろうと画策した時も、「われ一人正義の旗持つ也」と、戦い抜いた。
 私の胸中には、常に戸田先生がおられる。だから、何も恐れるものがない。

 翌・正応二年(1289年)が明けて早々、日興上人は、身延を離山され、若き門下の南条時光のもとに赴かれた。そして、秀峰・富士を仰ぎつつ、新しい広宣流布の拠点を築かれたのである。


諸難よ 我が身に来たれ!


 五老僧は、なぜ師弟不二の大道を踏み外し、師敵対へと転落したのか。どこで狂いが生じたのか。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「もし恩を知り、心ある人々であるならば、日蓮が二回杖で打たれるならば一回は代わって受けるべきであろう」(1450ページ、通解)
 日興上人は、まさに、この仰せの通りに生き切られた。
 “諸難よ、師匠ではなく、我が身に来たれ!”
 この御一念の証しであろう、日興上人は、師匠の御在世にも、法難を自らの身に呼び寄せられている。それが熱原の法難であった。
 熱原は、日興上人が広宣流布を推進された地域である。
 当時、ここには、農民の信徒が多く存在していた。それは他の地域に見られないことだった。
 まさしく、日興上人が、民衆の真っただ中に飛び込んで、大聖人の民衆仏法を流布されていた証しである。
 この農民たちが、平左衛門尉の強大な権力を前に、一歩も退かず、毅然と仏法に殉じていったのだ。
 弘安二年(1279年)十月十七日、日興上人から熱原の農民たちが弾圧されたという報告を受けられると、大聖人は即座に筆を執られた。そのお手紙の末尾で、大聖人は、こう仰せである。
 「伯者房(日興上人)らは、私の教えた趣旨を深く心得て、裁判に訴えなさい。そして、平左衛門尉に言うのです。『文永八年の御勘気の時の日蓮大聖人の仰せ(法華経の行者を迫害するなら、必ず自界叛逆難や他国侵逼難が起こるという諫言)を忘れられたのか。その報いがまだ終わっていないのに、重ねて十羅刹〈注7〉の罰を招き寄せられるのか』と最後に言い渡しなさい」(1455ページ、通解)
 「我が弟子よ、何ものも恐れるな! 日蓮のごとく、一歩も退かず戦うのだ!」との仰せである。
 一面では、五老僧の日朗にしても、日向にしても、大聖人御在世に直接、土牢に入れられたり、流刑地に師匠のお供をしたりするなど、難を受けてはいる。
 しかし、それはいまだ「師弟不二の道」に徹したことにはならない。あえて言えば、「師弟不二」とは、弟子が師の代わりに難を受ける覚悟で戦うことであるからだ。
 戸田先生が、牧口先生とともに牢獄に入った時、何と祈られたか。
 「わたくしは若い、先生はご老体である。先生が一日も早く、出られますように、わたくしは、いつまで長くなってもよい。先生が、早く、早く出られますように」と、朝も夕も、深く、深く祈られたのである。
 私も、同じ心で大阪事件に立ち向かった。二年間の獄中生活で蓄積した先生の疲労は、あまりにも深かった。さらに激闘の連続の中で、晩年、急速に体力が衰えた戸田先生を、絶対にお護りせねばならない。若い私が、自ら、一切の魔性の攻撃を受け切る覚悟で、牢獄の中で戦い抜いたのである。
 日興上人は、峻厳なる師弟不二の闘争の魂を貫かれた。それゆえに、大聖人御入滅後も、一切の魔性との戦いに敗れることがなかったのである。
 日蓮門下の中核的存在であった五老僧は、他の日蓮門下よりも、魔性の烈風にさらされたことであろう。その時に、大聖人と同じ「戦う心」を燃え上がらせなければ、敗れてしまうのは必然であった。日興上人お一人が、どこまでも「師とともに」「師のために」戦い抜く誓願、大願を掲げられ、「本弟子」の正道を歩み通されたのである。


権力に魅入られた者の末路


 さて、平左衛門尉の権勢は、いつまで続いたのか。
 政敵を倒し、恐怖の独裁政治を行って七年半──。正応六年(1293年)四月二十二日、平左衛門尉一族は、成長した執権・北条貞時によって滅ぼされた。熱原の法難から十四年後。あの熱原の農民信徒を責め抜いた自身の館で自害して果てたのである。わずか一日、抵抗らしい抵抗もできぬまま、あっけない最期を遂げた。
 平左衛門尉の支配した時代は、幕府の改革も停滞し、ひたすら政権の維持に汲々としていた悪政であったという。まさに「権力の魔性」に魅入られた生涯だった。
 日興上人は、熱原の法難で殉教した愛弟子のことを、夢寐にも忘れられはしなかった。
 熱原の法難から二十年目。「弟子分帳(白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事)」を著され、こう書き留められた。
 「其後十四年を経て平の入道判官父子謀反を発して誅せられ畢んぬ。『父子』、これたゞ事にあらず法華の現罰を蒙れり」(『富士宗学要集』第9巻258ページ)
 そして、三十年目。殉教の弟子への追悼の思いを込めて御本尊を書写され、そこに、こう脇書きされた。
 「駿河の国富士の下方熱原の住人神四郎、法華衆と号し平の左衛門の為に頸を切らるゝ三人の内なり、左衛門入道法華衆の頸を切るの後、十四年を経て謀叛を謀り誅せられ畢ぬ、其子孫跡形無く滅亡し畢ぬ」(『富士宗学要集』第8巻217ページ)
 大聖人が熱原の法難の際、「末法の法華経の行者を軽んじ賤しめる王臣万民は、始めは何事もないように見えようと、終には滅びないということはないのだ」(1190ページ、通解)と仰せられた通り、法華の現罰は厳然である。


師匠のもとへ勝利の報告を


 身延を出られてから、日興上人は、縦横無尽に、広宣流布の指揮を執られた。
 国主諌暁の申状も、身延離山の正応二年以降、わかっているだけで七回、提出されている。大聖人御入滅から五十年近くたった元徳二年(1330年)の申状でも、「日蓮聖人の弟子日興、重ねて言上す」と記され、終始変わらず不二の諌暁を続けられた。
 また、日興門流は、早くから五老僧の末流を圧倒する人材群を輩出している。広宣流布の伸展も、東北から関東、信越、関西、中国、四国、九州まで、ほぼ全国に及んでいる。日興上人は、見事、勝利なされたのである。
 日興上人が御一代の大闘争の幕を閉じられたのは、大聖人の御入滅から五十一年後の正慶二年(元弘三年=1333年)二月七日である。
 五老僧も、良観も、平左衛門尉も、すべての末路を見届けた。師弟の世界を壊す増上慢の輩、傲慢な輩を一切、打ち破られて、広宣流布の軌道を確立された。
 弟子として、生きて生きて生き抜き、晴れ晴れと、師弟不二の勝利を築かれたのである。
 日興上人の生涯は、師恩に報い、大聖人の正義を宣揚されることで、日蓮仏法における師弟不二の極理を成就された一生であったといってよい。それゆえに、真実の「師弟の宗教」が完成したと拝される。弟子で一切が決まるのである。
 この「弟子の大道」こそが、広宣流布の永遠の勝利を約束する。この師弟不二の真髄を私は、あらためて後継の青年たちに託したい。師が持つ「戦う心」を生涯持ち続ける誓願こそが、創価を継承する条件にほかならないからだ。


    創価三代の人生の大道に続く
   君たちヘ──今こそ師弟不二の
   誓願に生きよ! と祈りつつ


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〈注1〉【北条時宗】
1251年~1284年。鎌倉幕府第8代執権。第5代執権・時頼の子。時宗の執権在職期間は、天変地異や疫病が頻繁に起こり、また得宗家(北条氏本家)の専制の確立のため将軍や北条氏一族内や有力御家人との権力闘争が続き、蒙古の襲来も重なった内憂外患の時期であった。日蓮大聖人は文永5年(1268年)の蒙古の国書が届いて立正安国論で予言された他国侵逼難が現実になりつつあることを契機に時宗に書状を送り、膀法を止めて正法に帰依し民の幸福と国の安泰を図るよう促された。

〈注2〉【平左衛門尉頼綱】
?~1293年。執権北条氏の内管領(家司)で、貞時の乳母の夫。北条時宗、貞時の二代に仕え、鎌倉幕府の政治上の実力者として権勢をふるった。竜のロ法難当時は、侍所所司として軍事、警察、政務を統轄していた。真言律宗の極楽寺良観等と結託し、日蓮大聖人を迫害し、門下を弾圧した張本人。

〈注3〉【極楽寺良観】
1217年~1303年。真言律宗(西大寺流律宗)の僧。良観房忍性のこと。文永4年(1267年)、鎌倉の極楽寺に入ったので、極楽寺良観とも呼ばれる。権力に取り入って、種々の利権を手にする一方、日蓮大聖人に敵対し、大聖人と門下に対する数々の迫害の黒幕となった。摂津の多田院の別当のほか、鎌倉の永福寺・五大堂・大仏殿の別当、摂津の四天王寺の別当にも任じられている。

〈注4〉【安達泰盛】
1231年~1285年。日蓮大聖人御在世当時の鎌倉幕府の有力御家人(将軍と主従関係を結ぶ武士)。得宗被官(北条氏本家に仕える武士)の平左衛門尉頼綱と権勢を競い、弘安8年11月の霜月騒動で謀反の疑いがかけられ頼綱によって滅ぼされた。

〈注5〉【上行再誕】
上行とは、法華経従地涌出品第15に登場する地涌の菩薩の上首で、神力品第21で釈尊から末法悪世において法華経を弘通し人々を救済することを託されている。日蓮大聖人は法華経の教説のままに悪世に忍難弘通され、上行菩薩の再誕として仰がれる。

〈注6〉【波木井実長】
1222年~1297年。南部氏の一族で、甲州(山梨県)波木井に住していた。日蓮大聖人の三度目の国主諌暁の後。大聖人を身延の地にお迎えしたが、大聖人滅後、入信の師である日興上人に背き、日向に従い、四箇の誇法を犯し、日興上人の身延離山の直接
的な原因をつくった。

〈注7〉【十羅刹】
十人の鬼女で、法華経陀羅尼品第26で法華経の行者の守護を誓い、法華経の行者を悩ますものに罰を現すことを説いている。
 

監正審査会 通知書

 投稿者:連絡局 査問・除名担当
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時39分32秒 編集済
不服申立の審査日が「審査員の都合」により
急遽変更。
 

(無題)

 投稿者:高幡まんじゅう
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時33分12秒
公明の 市議会議員が 境内で
まんじゅうを売る 高幡不動

関東三大不動として有名な、東京都日野市の高幡不動尊だが、 高幡まんじゅう「松盛堂」の
オーナー、峯岸ひろゆきは公明党の市議会議員で創価学会員!
創価学会員が不動尊の境内や参道で何も知らない参拝客にまんじゅうを売っているのだ。
https://www.facebook.com/minegishi21
http://www.syoseido.co.jp/
 

同盟題目開始!

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時01分53秒
池田先生と奥様のご健康とご長寿を祈ります。
よろしくお願い致します。また、病の同志にお題目を送ります。
 

NYPD様へ

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時00分45秒 編集済
自分が創価学会の中で孤独を感じた時。それは、安保法制の時ですかね。
池田先生の平和思想を、叫べば叫ぶほど、創価学会の中で孤独を感じました。

またその後、原田会長と執行部に声を上げ続けた中でも孤独を感じました。

声を上げるほどに『何か違うな』と感じてくるようになりました。
それは、自分の中に芽生えた『憎悪』という命に気付いた時です。

自分の経験した『憎悪』について投稿し、反執行部メンバーに対し耳が痛い投稿をしたために、自分が『裏切者』という感覚になりました。その感覚が孤独感を生むのです。

池田先生の言葉に真っすぐに生きようとするとき、まわりの人との温度差を感じ、それが孤独感に変わります。

孤独を感じる自分を『信心が弱い』と責め、無理して強くあろうとした時もありました。
でも無理すると、疲れてしまいますね。

人は、寄り添える人を、心のどこかで探しています。
『獅子は伴侶を求めず』とありますが、寂しさを感じるのが、凡夫らしいと思うのです。

でも孤独を感じたお陰で、この一文が痛いほど命に入ってくるのです。

~~~~~~~~
■随筆、新・人間革命80 昭和54年5月3日 獅子となりて我は一人征く

一人、孤独になった私は、無言のうちに必ずや、真実の伴侶はついてくるであろうと信じていた。
師弟の両者が一つの姿で、無間に戦い、舞い、走り、勝利しゆく、
私は、その新しき時代の新しき伴侶を待っていた。
(全文)https://6027.teacup.com/situation/bbs/64487
~~~~~~~~

池田先生も一人になり孤独を感じられた。
それでけで十分です。

最終的に、自分が孤独感を乗り越えたきっかけは、本気で一人立つ信心を決意した時です。
言葉を変えれば、『自分らしく池田先生と一緒に生きよう』と決めた時です。

そして、その道を歩みだした時、NYPD様のような友にめぐり合えた。
嬉しいです。

ありがとうございます。
さぁ、同盟唱題です!
 

学会活動における個人情報守秘意識は?

 投稿者:新感性
 投稿日:2018年 6月 3日(日)22時46分41秒 編集済
個人情報の徹底管理は学会活動でも不可欠です。
借金や病の体験などたとえ当事者が了承していても口外すべきではないものも
少なからずありましょう。むろん了承なしでの開陳は事後報告同様に言語道断です。

また財務など金銭を扱う事案の場合は特に個人情報守秘義務が関係者に発生しています。
財務の参加・不参加・金額等は担当者と担当幹部のみが知ればいいものを、結局は本人
を取り巻く地域のほとんどの活動家が知る状況なども世間並みに是正が要されましょう。


守秘義務意識は世間が持つべきもので創価内では不要という言い訳や口実があるとするならば
それはもはや暴論ですを。
甚だしきは私怨に基づき気に入らない相手方の個人情報を暴露する者についてはもはや仏法者を名乗る資格すらもありません。


聖教販売・配達関連が持つ個人情報の管理は?  投稿者:新感性  投稿日:2018年 6月 3日(日)21時53分11秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85243
 

赤胴鈴之助さんへ

 投稿者:月の砂漠
 投稿日:2018年 6月 3日(日)22時44分5秒
学会で学ぶ伝統教学の一つである「五重の相対」について、
それが十分ではなく「八重の相対」が必要であると主張するのであれば、
文証を挙げるのは、私ではなく、貴方のほうではないでしょうか。

「八重の相対」について、御書から文証を挙げて下さい。

そして、貴方が納得させる相手は、私だけではなく、
学会の伝統教学として「五重の相対」を学び信じている
全ての学会員であることを忘れないで下さい。



 

弘安2年もん?

 投稿者:一言児
 投稿日:2018年 6月 3日(日)22時21分29秒
「広布第二章の指針」さらに、大聖人出世のご本懐たる弘安二年十月十二日の大御本尊の建立が、熱原法難を機縁とされたことに典型的にあらわれているといえましょう。(中略) 信徒の殉教を大御本尊ご図顕の機縁とされたところに私は、深い意義があると思うのであります。それは、農民であれ、漁夫であれ、自ら汗して働き、生産にたずさわる庶民こそ、民衆の代表なりとされ、その不惜の信心を観ぜられて、一閻浮提総与の大御本尊を顕されたという事実であります。 この一事をとおしてみても、日蓮大聖人の、庶民をもっとも大切にされたお心は明白であり、それは、一閻浮提の一切衆生を救う根本の本門戒壇の大御本尊として、永久に確立している、と拝すべきであると思います。(以上引用)
 私は例の「大御本尊」のもとに本尊下付、折伏が繰り広げられた、との歴史的制約を理解してます。ただ、現在ご真筆が120体は実在、特に弘安年間の10体ほどは見比べ、なぜあの造りものっぽい楠製を出世の本懐だ、との権威づけ指導を今さらに投稿されるのはカナンなー。原田体制はゴメンやけど本尊の展望をこの板でも知りたい、気合いの宮川師にも教わりたいです。
 

【新潟県知事選】「安倍政権はありったけの暴力と権力でやってくる」

 投稿者:!!!!!
 投稿日:2018年 6月 3日(日)22時01分28秒
【新潟県知事選】「安倍政権はありったけの暴力と権力でやってくる」
http://tanakaryusaku.jp/2018/06/00018225
安倍首相に不都合であれば、いとも簡単に逮捕され長期間勾留される。お友達であれば、罪が揉み消される。

蓮池氏は安倍首相による「拉致の政治利用」を早い時期から指摘していた。現状は氏の指摘通りとなりつつある。蓮池氏はじめ拉致家族は、拉致問題をジャンピングボードに利用した安倍晋三という政治家の犠牲者である。

東電社員だった「拉致被害者家族の会」蓮池透氏は、柏崎刈羽原発の再稼働に反対だ。「東電は原発再稼働できる会社じゃない。自分は6、7号機の設計に携わったから知っている。パーツを組合わせただけ。福島原発より更に危険・・」

 

以上は、新着順1番目から50番目までの記事です。

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