林立する家系ラーメン

写真拡大 (全2枚)

 パクリの殿堂といえば中国である。テーマパークのインチキドラえもんが幅を利かせ、ユニクロ、ウルトラマン、スターバックス……様々なものの権利が侵害されるさまを世界は嗤い、憤慨したものだ。また韓国はありとあらゆるものを「韓国起源」と主張し、「ウリジナル」(韓国語の「ウリ=我々」と「オリジナル」を足した造語)と揶揄されている。剣道、柔道、ソメイヨシノ、寿司、茶道、挙句の果てには孔子やキリストに至るまで、韓国起源と訴えてきたのだ。

 そして、日本でもパクリという言葉は使わぬまでも「本当はウチが元祖・オリジナルなのに……おいしいところを持っていかれた……」といった嘆きの声がないわけではない。サービスや製品の発展には「後発組」が登場し、切磋琢磨することは重要だろう。しかし、勢い余ってか素知らぬフリか元祖への宣戦布告か、はたまたその全部か……後発の方がオリジナルを主張することがままある。

林立する家系ラーメン

■自由軒の「元祖」をめぐる対立

 ご飯とルーが一体化し、真ん中の窪みに生卵が鎮座するタイプのカレーをご存じだろうか。

 これは1910年創業の「自由軒」(大阪・難波)のカレーだ。

〈トラは死んで皮をのこす/織田作死んでカレーライスをのこす/織田作文学発祥の店〉

 こちらを贔屓にしていた織田作之助に因み、この文言と共に、店内で小説を執筆する文豪の写真が額装されている。

 この自由軒は、「せんば自由軒」との間で「元祖」をめぐって対立があった。ホームページには、〈本物の自由軒〉というコーナーが設けられており、

「当店をご利用いただくお客様にご迷惑が生じないよう、以下に当店とそのお店との歴史上の違いについて記載いたします」

自由軒の「元祖」をめぐる対立(自由軒HPより)

 と両店の歴史が記されている。70年創業の「せんば自由軒」との関係について、元祖側の吉田純子さんに話を聞いた。彼女は、2代目・吉田四郎氏の娘で、この店で働き始めて約40年になる。

「私の父親(次男)の異母兄弟である四男が“(大阪の)本町に開きたい”と言い、昭和45(1970)年にせんば自由軒を開業しました。最初は問題なかったのですが、その息子の代になってレトルト(カレーの販売)やフランチャイズ経営をし始め、“自分のところが本家や”と主張なさっていたらしいです。名前が独り歩きしたか知りませんけど、あちこち手を出し過ぎてね。(そうなると)味、管理できませんわね」

 カネに目が眩んだのか、本家論争は骨肉の争いでもあったのだ。そして、これだけは聞ぃといて……とでも言うように純子さんは付け足す。

「それぞれ好みがあって、向こうの味が好きという方がいてもいいです。向こうの味が悪いとは言いません。ただ、2010年に倒産しはりまして。今は、ベクトルさんという会社が引き継いでいます。お客さんやテレビ局はウチが倒産したと思って心配して来てくれはりましたけど、ウチは倒産してません」

 せんば自由軒は今回の件について、ノーコメントとした。

家系「工場スープ」の闇

 続いては、林立する「家系ラーメン」である。

 横浜の「吉村家」を元祖とするラーメン界の巨大ジャンルで、特徴は豚骨醤油スープに極太麺、そして具はチャーシュー・ほうれん草・海苔。吉村家及びその分派で修業をした者が独立し、その味を受け継ぎながら独自の味を作っていく。

 しかし、最近は「チェーンの家系」、すなわち亜流、傍流、勝手流が跋扈し、本流を駆逐する勢いである。

 感覚的には5年前と比べ、2倍に増えたといっても過言ではなかろう。それはあたかも、湖沼に放たれた外来種が生態系を破壊してゆくさまに似ている。

 さる「家系本流」で修業し、独立したある店主は、

「もともと家系では、半径2キロ内に店舗があるのなら、その範囲には作らないという暗黙のルールがありました。『2キロ』というのは、弟子同士が喧嘩しても意味ないでしょという考えが基になっています。それに、(元祖である)吉村家のオヤジは“広がればいいじゃん”って思っていたから、『家系』という商標を登録しなかった。だからチェーンも家系を名乗ることができる」

 とし、要諦である麺とスープにも言及する。

「家系ラーメンを名乗るのなら、ウチが大事にしている酒井製麺を使うのが前提でしょう。それがないのに家系とはよく言えたものです。以前、ウチのポストに某・家系チェーンのチラシが12枚も入っていたんですよ。その店にチラシを返しに行くと同時に、“工場スープのくせに、職人なめんなよ!”とも言っておきました。ああいった『工場スープ』の店で働いている人は独立できないですよね。工場がトラブったら何も作れない。実力はつかないけど、その反面、デカい声をあげて“いらっしゃいませぇ!”と絶叫するスタイルの接客に力入れたりしています」

 この店主が蔑称する「工場スープ」とは?

「元締めとなっている会社が作るスープに頼りきっているということです。実際は頭ともう一種ぐらいしか豚骨を使っていないのでは。あとは化学調味料で、その量はハンパない。あのスープの薄さで濃厚な味は普通出ません。我々の『兄弟』たちは、チェーンの存在にイライラしています」

ホントの「家系」と思われるのが…

 亜流がはびこる以前は、少し離れた店まで電車に乗って家系を食べに行く――。そんな“風習”も少なくなかった。

「結局、価値が下がってしまいますよね。人気の家系を食べられる。これって功罪で言えば『功』かもしれないけれど、それがホントの『家系』と思われるのがイタい。どこも家系を謳っているし、店舗数も多い。こうした店でしか食べたことがない人が“家系なんて大したことない”と言われるのが悔しいし、実際にそうなっているんです」

 本来の家系では、この店主の時代は3年の修業が必要だった。そして、独立する場合は、師匠と一緒に酒井製麺へ菓子折りを持って出向き、「よろしくお願いします」と頭を下げるのが作法だった。

「本気で作った家系ラーメンは世界で一番うまいです。でも、スープ作りの腕とセンスのない人々が修業を逃げて工場スープに走ってしまうんです」

 自由軒の吉田さんはこうコメントする。

「“何十年も来てるけど、ひとつも変わってないな”と言うてくれはるのが嬉しい。忠実に、美味しいなと思える味を守っていくことが元祖ならではですし、ずっと店を続けられる秘訣じゃないかと思います」

 消費者に対する礼節というものもまた、問われているのである。

「週刊新潮」2018年5月31日号 掲載