敏感の彼方に

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【みやぞん 24 時間ラン】「苦しみを『作って』共感する」スタイルの限界

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2018 年の 24 時間テレビのチャリティランナーが、「ANZEN 漫才」のみやぞんさんに決定しましたね。昨夜、子どもたちが見ている「世界の果てまでイッテQ!」の中で知りました。

 

昨年のチャリティマラソンは、ブルゾンちえみさんが完走しましたが、「当日発表」という企画で注目を集める「視聴率至上主義」に走ってしまったことを反省してか、今年は従来通りの事前発表となりました。

 

ただ、運動神経抜群なみやぞんさんの体力に頼って、マラソンだけではなく、トライアスロン形式で水泳やバイク(自転車)も加わる、とのこと。どうしても「色」を付けたいらしく、やはり一度味わった「視聴率」の旨味は、そう簡単に忘れられるものではないのでしょう。気持ちは分かります(分かるような気がします)。

 

気持ちは分かるのですが、「暑さ」「睡眠不足」という苦しみに加えて、「水泳・バイク」という3つ目の負荷が加わることに、ちょっと過敏かもしれませんが、みやぞんさんの「命」の危険を考え、心配してしまいます。

 

いくら若いとは言え、30 代半ばに差し掛かろうとする年齢です。また、「トライアスロン」という競技自体をあまりご存知のない様子の素人さんです。

 

人気芸人さんなので、スケジュールも忙しいんでしょう。

 

その忙しいスケジュールの合間を縫って少しばかり練習した素人さんが、「酷暑の中で寝ずにトライアスロンに挑戦する」というシチュエーションを、ボクたちはクーラーのきいた部屋で涙ながらに応援することになるのでしょうか?

 

こちらの記事でも少し触れましたが、

 

みやぞんさんのことはとても好きですし、その芸風を尊敬しています。

 

去年に引き続き今年も芸人さんを起用するということは、「笑い」と「苦痛」という一見して相反する2つの事象間のギャップに視聴率の可能性を見出し、視聴者側も、そのコントラストに期待する風潮が強まっているのかな、と思います。

 

26 年前の 1992 年、24 時間 TV のチャリティマラソンは、間寛平さんから始まりました。

 

はっきりとは覚えていませんが、この時も、同じようなコントラストがボクたちの心を引き付ける1つの要因になっていたのなら、26 年経っても、人が求めるものはそう変わらない、ということになりますね。

 

ただ、当時は、バブルの香りが十分に残って世間を漂い、「日本はまだまだこれから!」という気概や精神が社会に満ち溢れていたのではないでしょうか。

 

あれから時代が下ること 26 年。

 

子どもの数(出生数)は、統計がある 1899 年以降、最少を記録し、人口の減少に歯止めのかからない時代となりました。

 

24 時間テレビのチャリティマラソンを見て「苦しみを共有する」行為は、26 年前は「まだまだ上へ!」という上昇志向の中の「苦しみの共有」だったものが、今や、「困難は、みんなで分散すれば苦しくない」的な下降気流の中での「共有」となりつつあるように感じる、今日この頃です。

 

上昇にしろ下降にしろ、ボクたちは「苦しみに共感する」スタイルが好きなんですよね。たぶん。いや、絶対。

 

でも、そんなボクたちを喜ばせてくれる「苦しみを見せる側の人」は、どこまで苦しめば許してもらえるんでしょうね。

 

今回のように、3重苦となるトライアスロンの追加、という新たな苦しみをわざわざ「作って」共感を得るスタイルは、もう限界にきているのではないでしょうか。そもそも、フィクションとしての「苦しみ」など、「消費」以外の価値をほとんど感じられません。

 

そのような苦しみの中でみやぞんさんが「消費」されるのは、あまりに残念です。

 

「素人が酷暑の中で寝ずにトライアスロンに挑戦する」という状況は、その筋の専門家から見て、身体や命の危険はないんでしょうかね。もしリスクがあるのなら、ぜひともドクターストップをお願いします。

 

「問題が起きてから反省する(フリをする)」というのは、もう見飽きましたので。

 

フィクションは、フィクションに見合う程度のリスクで楽しみましょう。

 

 

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