井筒八ッ橋が聖護院八ッ橋を提訴

京都の代表的な和菓子、八ッ橋の老舗の「井筒八ッ橋」が同じく老舗の「聖護院八ッ橋」に対し、1689年の創業だと、事実でないことを宣伝しているのは、不正競争防止法に違反するなどとして、広告の差し止めなどを求める訴えを起こしました。

訴えを起こしたのは京都市右京区に本社がある「井筒八ッ橋本舗」です。
訴状などによりますと、「井筒八ッ橋」は、同じく老舗で京都市左京区に本社がある「聖護院八ッ橋総本店」が創業年を元禄2年、1689年だと宣伝しているのは根拠がないとしています。
そして、八ッ橋を最初に作ったように宣伝しているのは不正競争防止法に違反し、「井筒八ッ橋」も信用上の損害を受けたとして、創業年が入った広告の差し止めや600万円の賠償を求める訴えを京都地方裁判所に起こしました。
「井筒八ッ橋」は、津田オーナーが94歳と高齢になり論争に区切りをつけたい考えが強くなったことや、「聖護院八ッ橋」が最近、外国人観光客向けに創業年入りの英語の広告を前面に打ち出すなどしたため裁判を起こしたとしています。
「井筒八ッ橋」の津田佐兵衛オーナーは、記者会見で、「京都や八ッ橋業界全体の信用を守りたいという思いで提訴しました。聖護院八ッ橋にはうそをつかないでと言いたい」と話しました。
一方、「聖護院八ッ橋総本店」は「現段階ではただ驚くばかりでお答えのしようがない」としています。

【街の人の意見は】
「井筒八ッ橋」が「聖護院八ッ橋」を提訴したことについて、京都市内で聞きました。
観光で訪れている奈良市の20代の男性は「京都の和菓子のお土産といえば八ッ橋なので、有名店どうしが争うのは残念です。早く解決してほしいです」と話していました。
京都市中京区の40代の女性は「裁判と聞いて驚きました。八ッ橋は地元京都を代表する和菓子なので、老舗どうしが争うのは悲しいです」と話していました。
大阪・守口市の60代の女性は「争うことがあるのなら、裁判ではっきりさせるのもいいのではないか」と話していました。
京都市東山区の70代の女性は「おいしい八ッ橋を食べることができればそれでいいので、裁判で争うかどうかは私たちには関係ありません」と話していました。

【八ッ橋とは】
「八ッ橋」は、米粉と砂糖に「にっき」で風味を加えた京都を代表する焼き菓子のひとつです。
一般には「焼き八ッ橋」として知られ、生地を焼かずにあずきなどのあんを包んだ「生八ッ橋」よりも古い歴史があります。
「京都八ッ橋商工業協同組合」によりますと、「八ッ橋」の製造販売会社は現在、京都に14社あるということです。
はっきりした発祥は分からず、▼江戸時代初期に活躍した琴の天才、八橋検校をしのんで琴の形をした焼き菓子が作られたのが始まりだという説や、▼三河国、今の愛知県で川で亡くなった子どもの供養に8つの橋をかけたことを広めるために作られたという説など、製造会社によって由来が分かれています。

【聖護院八ッ橋とは】
「聖護院八ッ橋総本店」は、京都市左京区に本社を置く、老舗の「八ッ橋」メーカーです。
会社のホームページでは、創業は江戸時代の元禄2年、西暦1689年となっていて、江戸時代初期に活躍した琴の天才、八橋検校をしのんで琴の形をした焼き菓子を「八ッ橋」と名付けて販売したのが始まりだとしています。
店舗は本店のほかに、京都市内に3つの販売店があり、駅や大手デパートなどにも取り扱い店があります。
民間の信用調査会社によりますと、従業員数はおよそ140人で、去年10月期の売り上げは23億円余りだということです。

【井筒八ッ橋とは】
「井筒八ッ橋本舗」は、京都市右京区に本社を置く、老舗の「八ッ橋」メーカーです。
会社によりますと、八ッ橋の由来は、江戸時代初期に活躍した琴の天才、八橋検校をしのんで琴の形をした焼き菓子が作られたのが始まりだとしていて、「井筒八ッ橋」でも江戸時代の文化2年、西暦1805年から販売するようになったとしています。
本店のほかに9つの販売店があり、駅や大手デパートなどでも土産物に販売されています。
民間の信用調査会社によりますと、従業員数は150人で、去年6月期の売り上げは、29億円余りに上るということです。