村井秀夫刺殺事件と北朝鮮①「オウム真理教と北朝鮮」の闇を解いた」前編
テーマ: 北朝鮮はじめに
これまで当ブログは、徐裕行が朝鮮学校出身で北朝鮮を支持者した男であること、朝鮮総連の会員であること、反日在日朝鮮人「うしお」のフォロワーであること、徐がシンガンス工作員と接点があったことを紹介してきた。
しかし、この他にも徐が北朝鮮と深い繋がりがある、とされる報道が週刊誌や一部の書籍で紹介されており、徐が”北朝鮮のスパイではないか”といった推測まで流れている。
これらの記事は断片的な情報が多く、信憑性に確信が持てないため筆者はあえてブログで取り上げるのを控えて来た。しかし、徐が朝鮮総連時代の活動を殆ど黙秘しており、未だその過去は闇に包まれたままだ。徐の過去が解明されないかぎり、北朝鮮陰謀論が解消される兆候はないといえる。
今回は「村井刺殺事件と北朝鮮の関係」について報じた雑誌記事を続けて紹介する。
これが事実であるかは読者の判断にゆだねたいと思う。
週刊現代 平成十一年十月二十三日号「オウム真理教と北朝鮮」の闇を解いた 第九回
「化学技術省長官」刺殺事件の全真相 前編
村井秀夫はなぜ口封じされたのか サリン開発の責任者だった「化学技術省長官」刺殺事件の全真相 前編
「あの事件だけは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の仕業だ」関係者のほとんどすべての人間が、口を揃えて同じことを言う。法曹関係考、マスコミ、捜査関係者、再検証のために取材で接触した事件の周辺の人々。
しかし、その「真実」はこれまで噂の領域を出ることはなかった。どこかで、真相が意図的に隠蔽されている、この事件にはそんな印象が圧倒的に強い。
その事件とは、オウム真理教一連の事件のなかでも、もっとも不透明で謎に満ちた、村井秀夫刺殺事件のことである。
オウム真理教の一連の事件を、北朝鮮工作組織との関係のなかで再検証しようとするこの連載のなかで、この村井刺殺事件はどうしても避けて通ることのできない事件のひとつである。
さらに言えば、オウム真理教の一連の事件の背後に横たわる、これまで明らかにされてこなかったもうひとつの隠された真実を解明する、重要な手がかりを与えてくれる事件であった、と言うこともできる。
事件の再検証をはじめるにあたって、あらかじめ述べておきたいのだが、一回の記事だけではそのすべてを書き尽くすことは難しい。
何回かにわたって作業をつづけるが、この事件が、それだけ深い闇と陰謀に彩られているのだ、ということだけは冒頭に述べておいてもいいだろう。
事件が起こったのは一九九五年四月二十三日、地下鉄サリン事件から、ほぼ一ヵ月後。東京・南青山にあった「オウム真理教総本部」前、多くの報道陣、関係者、さらに衆人環視の真っただ中で引き起こされた事件だった。
事件前日の四月二十二日朝、徐裕行は足立区の自宅を出てタクシーを拾うと、まもなく運転手に「ここらへんで包丁が買えるところはないか」と聞いている。
(徐が宿泊していたラブホテル)
翌日午前十一時、そのラブホテルをチェック・アウト、南青山のオウム真理教総本部前に到着したのは、それから約二十分後のことである。
近くのコンビニでパンを買い、ふたたび総本部前に。それから約九時間、徐は本部前でじっとひとりの男がそこから出てくるのを待ちつづけた。
午後二時三十八分、これも教団の幹部だった青山吉伸弁護士が外出先から総本部へ戻ってくるが、徐は動こうとしない。その十分後、ふたたび上祐が外出のために姿を現す。しかし、徐は今度も動こうとしない。
そして夜八時三十六分、村井秀夫が教団総本部かち姿を現した。この日、村井は普段つかっていた通用口が閉まっているのを知って、本部の正面玄関に姿を見せたのである。
徐裕行の身体がゆっくりと動いた。手にしていたアタッシェケースから包丁を取り出すと、ゆっくりと向きを変えた。テレビクルーのまばゆいライトの中へ暗殺者は平然と入っていった。
村井の腹部に、買ったばかりで値札がついたままの包丁が突き刺さっていったのは、その数秒後のことである。
この経過から、はっきりとすることは、暗殺者・徐が明らかに上祐でも青山でもなく、ただひたすら村井秀夫ひとりをターゲットにしていた、ということだった。逮捕直後の供述で徐裕行は、
「自分ひとりで考えてやった。テレビでオウムの報道を、見て義憤にかられた。このままオウムを放置しておくと危険だと思い、誰でもいいから幹部を痛めつけようと思った」
と言っている。しかし、この供述を信用した人間は、捜査関係者のなかにも誰一人としていないだろう。誰でもよかったというのは、明らかに事実と違う。犯行後しばらくして、徐は所属団体について供述を変える。
「山口組系暴力団・羽根組(三重県伊勢市)幹部の上峯憲司から指示されたものである」
という内容に変えられた。警視庁は事件から二十日ほどたった五月十一日、羽根組幹部上峯憲司の逮捕に踏み切る。しかし、上峯憲司の公判廷は一審、二審とも無罪。裁判所は次のような判断を明らかにした。
ここで裁判所が示した徐の供述にたいする疑問は、この事件の経過を検証したときに、まったく正当なものである。上峯は、この村井秀夫刺殺事件に、どうやらまったく関係していない。
では、なぜ、徐は「指示された」という供述をし、羽根組との関係を強調したのだろうか。私がたちどころに思い当たる理由は、ふたつである。
ひとつは取り調べにあたった捜査員による誘導。この「誘導」は、これまでにもいくつかの事件で大きな問題になったケースがある。人は自ら納得のいく絵しか描かない。
逮捕直後の徐の供述、単独犯説に捜査陣がごく普通に疑問を持ったときに、この供述を引き出す土壌は用意されていたと言えるだろう。
暴力団関係者に指示を受けた、という当局の誘導は、実行犯・徐裕行にとって、天の助け、とも思えたはずである。さて、では徐が本当に隠したかったことは何であったのか?
実行犯・徐裕行の背後には、明らかに北朝鮮工作組織の影がある。私たちは、あらためて徐の生い立ち、周辺の事情を再検証した。
関係者の話もできるかぎりの範囲で、あたり直した。さまざまな側面と複雑な背景、事情が浮き彫りにされてきたが、それらのひとつひとつをここでレポートしている余裕はもちろん、ない。
私が知りたいのは、そして明らかにしておきたいのは、背後で蠢く北朝鮮工作組織の関わりだけである。
徐の背景には、いくつかのあからさまな北朝鮮工作組織の人脈が配置されている。東京・五反田のコリアン・クラブ「M」に徐が何度か顔を出していた、という話。
(筆者注:五反田のコリアン・クラブ「M」とは、救う会全国協議会ニュースの情報によると「クラブ・ミラン」だとされる。)
ここのママの姉にあたる人物が、北朝鮮の工作員・辛光洙と同居していた人物であるという事実。また、この店のママの所有していた家屋に、徐が仲間3人と同届し、住民票を移していたという事実。
(辛光洙の愛人、朴春仙)
しかし、これらの複雑に絡みあった事実の背後に、なにかが潜んでいるという予感はあるにはあるのだが、どうやら、それらはこの事件の本筋ではない、という印象がつきまとう。「M」のママはこう証言する。
それがひとりでは家賃を払いきれないというので、もうひとり、T(筆者注:高山英雄こと高英雄)という友人と二人で借りたいと言ってきた。断る理由もないでしょう。ところが徐のことになると皆目わかりません。
徐の同居人M
あとから、MとT二人のうちのひとりが、徐を連れてきた、ということを知りました。しかも、住民票まで移していた、という・・・・・・。
おかげで、世田谷の家がテレビに映し出されるわ、マスコミの人たちが押し寄せるわ、大変でしたよ。住民票が移されていたお陰で、大変な目にあいました。
わからないことばっかりです。逆になにかに利用されたのかもしれません。公安が流した情報が書いてある雑誌をもって、公安が聞き込みにくる。マッチポンプみたいなものですよ」
しかし、さらに取材と検証をすすめる過程で私たちは、徐が一緒に住んでいた友人Mの父親が、朝鮮総連の幹部だったという事実に突き当たった。
さらにタクシーの運転手をしていた徐の父親もまた、朝鮮総連と関係の深い人物であったようである。
しかし、だからといって、これらの登場人物が、徐の犯行の背後に直接なんらかのかたちで関係しているということはできない。
ただ、私はこうした事実の積み重ねのなかで、徐裕行の生い立ちにおける北朝鮮との深い関わりを見る。
徐の父親(写真左)
徐が世田谷で同居していた友人のひとりTは、その後別の事件で逮捕され、村井刺殺事件との関係を追及されている。そのTの弁護士の話は、大変興味深いものだった。
──親しくしていた友人のひとりの父親が、朝鮮総連の幹部だった、ということについてはどうでしょうか。
「あっ、やっぱりそうでしたか? じつはね、われわれもあの刺殺事件の裏には、なにかが絡んでいたのではないかと考えていたんです。いろいろな状況から考えると、ほぼ九十%はそうではないか、と」
「上峯の裁判についてはご存じですね? 徐は他の誰かの名をかたることによってカモフラージュしたんだと思いますよ。
私も函館(刑務所)に行って徐に会ってきましたが、凄い形相で睨みつけるような表情をしていた。大胆でしたたかな人物ですね。(筆者注:徐が収監されたのは旭川刑務所である。)
ただ、まだ言うことができないことがたくさんあるんですよ。いずれ、あきらかにしなければならないことだとも思いますが・・・・・・」
徐の背後関係について、誰もが確信めいた疑惑を持っている。しかし、そのことは深い闇のなかに封印されたままで、あからさまに語ることを誰もが躊躇する。
しかし、ここで私は、こうした回りくどい言い方をやめて、はっきりと書いてしまいたい。徐裕行は、北朝鮮工作組織の関与のなかて、村井刺殺という犯行におよんだ、と。
いくつかの傍証は、これから徐々に出していくことができるだろう。ただここでひとつだけ明らかにしておけば、徐の経歴のなかで、一時期、まったく足取りがつかめない空白の部分が存在する。
徐裕行も、イベント会社を設立してからの友人たちの描くプロフィールのなかに、微塵もその思想的な側面を滲ませていない。政治の話などしたことがなかった、という証言だけが集まってくるのである。
しかし、その徐が、事件の数週間前から突然「オウムには気をつけろ」と語りはじめた、という証言が複数得られている。このとき、徐はすでに、ある密命を帯びていたと考えるのが分かりやすい。
渋谷・道玄坂。事件の前日、徐は上峯被告と連絡を取り合ったことになっているが、北朝鮮工作員のやり方として、これはきわめて不自然なものにうつる。
北朝鮮工作員のやり方から見て、すぐに足のつくような電話や接触による連絡などは、取るはずがないからである。
徐は犯行直後の供述で「自分の考えでやった」と、単独犯行を匂わせる供述を行っている。私には、むしろこの供述のほうに、半分の真実が隠されているように見える。
なぜなら金日成主義の工作員は、獲得すべき任務の内容を指示されるが、その具体的なノウハウについては、通常、指示を受けないものであるからである。
徐はその意味で、きわめて高度に訓練されたテロリストであり、工作員であったのである。彼の並はずれた忍耐力も、それを証明している。
では、なぜ村井秀夫だったのか? ようやくこの謎を解くことをはじめなければならないだろう。九十五年四月、事件の数日前に村井「オウム科学技術省」長官は、テレビに出演し、次のようなことを語っている。
「地下鉄事件で使われたのはサリンではなく、別のガスだ。アメリカの研究所もそのことを証明してくれる」
この放送を聞いていたある関係者は、一瞬、身が凍ったという。村井が秘密にせねばならないことを話してしまうのではないのか、と。
村井は、周辺の人間の印象として、ひどく生真面目で、誠実な人柄だった、という証言がきわめて多い。それは村井という人間の気の弱さをも象徴しているだろう。
まさに村井が話し出したふたつの事がらは、先週号で指摘した、偽ドルを含むオウム真理教の資金ルート、さらにはサリンの入手ルートにつながるものだった。