「夏の七草」をご存知だろうか。アカザ、イノコヅチ、ヒユ、スベリヒユ、シロツメグサ、ヒメジョオン、ツユクサの7種である。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの春の七草や、ハギ、オバナ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウの秋の七草にくらべ、夏の七草はまったく知名度がない。
それもそのはず、夏の七草は、アジア太平洋戦争末期の1945年6月、日本政府の広報誌『週報』において発表されたものだったからだ。
つまり夏の七草とは、本土決戦のための食糧だったのであり、それゆえ敗戦とともに忘れ去られてしまったのである。
日本のメディアの戦争特集は毎年、3月の東京大空襲(名古屋、大阪も)、4月の沖縄戦開始から、8月の終戦までの間がやや手薄になる。しかし、本当に身につまされる「決戦生活」は、初夏のこの時期にこそあった。
戦争末期の『週報』は、プロパガンダ誌ながら、その悲惨な実態がにじみ出ていて読み返すに値する。
戦争末期の『週報』は、やたら雑草食の特集が多い。ここですでに日本の窮状があらわになっている。
1945年2月14日付の432・433合併号の特集はその名も「食糧決戦」。「野草も決戦食糧に」として、「野生の雑草類」の活用が訴えられている。
タンポポ、タビラコ、アザミ、ノゲシ、ヨメナ、ナズナ、ハコベ、ギシギシ、カンゾウ、ノビル――。
ご丁寧なことに、漬物、和え物、味噌汁、酢味噌、煮物、きんぴら、油炒め、サラダなど、具体的な活用方法もひとつずつ詳しく記されている。
たとえば、タンポポについてはつぎのとおり。
「葉をよく洗つて、切れ口から出る白い汁を取り去り、茹でて浸し物、味噌和、味味噌、澄し汁等に用ひますと結構です。また生のまゝサラダにしても漬物にしてもよいのです。根も茹でたり煮たりして食べられます」
これをみると、意外に悪くないと思うかもしれない。タンポポやヨメナなどは昔から食べられてきたし、ナズナやハコベは春の七草だ。実際ウェブ上には「おいしかった」などとの実食レポもある。
だが、あとでみるように、当時は燃料や調味料が極度に不足しており、せっかくの材料もおいしく食べることが難しかった。
同じことは、6月20日付の447・448合併号についてもいえる。こちらの特集は「勝ち抜く食糧」。冒頭で紹介した「夏の七草」とともに、「山草も決戦食の仲間入り」としてつぎの山菜が取り上げられている。
ヤマブキ、ツワブキ、ワラビ、ゼンマイ、ヨモギ、イタドリ――。
現在でもよく食べられるものではあるが、やはり調味料の確保などに難があった。
それに加え、当時の『週報』はビジュアルが悪すぎた。参考のために雑草の絵が添えられているのだが、これがいかにも不味そうで、採りに行く気も失せてしまう。プロパガンダ誌としてこれは致命的。草食での本土決戦は前途多難だった。