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今、嬉々として中学生活を送るムスメAは、公立中高一貫校の受験(受検)でズッコケたため、地元の公立中学校に通っています。
いちおうムスメの名誉のために言っておくと、そのような結果となったのは、親であるボクの教育方針がほぼ原因です。
ボクの方針とは、受験を山登りに例えて、だいたいこのようなものです。
- 目の前に山があるのなら、まずは登ってみる(チャレンジしてみる)
- 山を登るために、自ら最大限の努力をする
- 結果は、どっちにどう転んでも、それが正解である
- 山登りの経験は、必ず人生の役に立つ
特に3つ目の「どう転んでも正解」という考え方は、子どもを追い詰めず、受験戦争から子どもを守るために一番大切な「出口戦略」だと思っています。
同級生には、中学受験で無理をし過ぎて(結果は、すべて不合格)、不登校気味になってしまった子もいるようです。詳しくは分からないのですが、「合格」という結果だけを「必達目標」にされたため、自分を追い込みすぎて、逃げ場がなくなってしまったんじゃないかと想像しています。
中学受験なんて、その後の人生でアタックする山々の1つに過ぎません。「受験の合否が人生を左右する」などと考えるのは近視眼的すぎますし、これからの時代、学校の勉強を満遍なくこなすことなんかよりも、何か1つのことに没頭できる能力の方が、よほど役に立つんじゃないかと思うこともあります。
ただ、目の前に挑戦しがいのある山がそびえ立っているのに、それを迂回して前に進むだけというのは、少し勿体ないような気もします。
そこで、中学受験の「出口戦略」を中心に、子どもを必要以上に追い詰めることなく目の前の山にチャレンジしてもらう方法を考えてみたいと思います。
「合格絶対」主義の方には意味のない記事ですので、ここでサヨウナラ。
この記事は、最終的には別に合格しなくてもよいから(「合格すればラッキー」程度)、子どもにチャレンジする喜びを感じてもらいたい方にとって、少しでも参考になれば幸いです。
まずは登ってみる
中高一貫の国私立中学のみならず、最近は公立中高一貫校も随分と増えましたね。
国私立を受験する場合は、塾に通って勉強するのが一般的でしょうし、そうしないとほぼ受かりません(もちろん、難易度にも依ります)。そして、通塾するということは、その分だけ、ほかのことを犠牲にしなければならないわけです。
一方の公立は基本的に、小学校までに習った範囲からしか出題されませんので、5~6年生からの対策でも間に合うと言われています。最近は、一部の学校で問題が難しくなっていますが、それでも、無理なく挑戦しがいのあるレベルです。
エベレストやマッキンリーを登るのは無理でも、富士山なら「登ってみよう」と思えます。
目の前に少し険しそうな山がそびえ立っていて、それに登ろうと思うかどうかは個人の性格や人生観にもよりますが、ボクは登りたくなりますし、子どもにも登ってもらって損はないと思っています。
上にも書いたように、中学受験なんて、その後の人生でアタックする山々の1つに過ぎませんが、視点を変えると、小学校と中学校の間にしかアタックできない山でもあります。
だったら、無理のない範囲で登ってみればいいじゃないか、というわけです。
自主的に最大限の努力をする
さて、その「山登り」の方法ですが、「親が前に立って引っ張る」と「親が後ろから支える」の主に2つの方法があると思います。
ここで述べている登山の目的は、「合格」ではなく「チャレンジする気持ちを共有すること」ですので、その目的に照らすなら、やはり「親が後ろから支える」のがベターと考えます。つまり、基本的には、子どもの自主性に任せるのです。
自主性に任せる場合、その手段は通塾でも良いのですが、以下のような懸念があります。
必要以上に競争にさらされる
山登りはマイペースが基本です。「合格」が目的なら他人との競争になりますが、「チャレンジ」が目的なら自分との闘いです。通塾は、自分との闘いに不必要な競争にさらされるリスクがあります。
必要以上に勉強させられる
塾には経営の側面もあるため、少しでも多くの生徒に合格してもらわないと話になりません。なので、合格の可能性を高めるために、かなりの勉強を詰め込まれるリスクがあります。
費用がかかる
一般的に、中学受験用の通塾は、かなりの費用が掛かります。もちろん、コスト高であること自体が問題なわけですが、それ以上に、「費用を掛けた」という事実が親にも子にものしかかります。「金を掛けたから失敗できない」という呪縛は、想像以上に親子を苦しめることになるでしょう。その呪縛に打ち勝てそうかどうか、お金を払う前に一度立ち止まって考えるべきだと思います。
以上のような懸念を払拭するなら、通信教育がおススメでしょう。決して無理することなく、コツコツゆっくりとマイペースで山を登れるか、まさに自分との闘いです。
ただ、特に子どもにとって、自分との闘いはかなり苦しいものです。ですので、親が後ろからサポートしてあげることが絶対に必要です。そのあたりの方法や心構えについては、以下の記事にまとめてあります。
通信教育の学習を通して身に付く「自主性」や「計画性」は、子どものその後の人生に多大なる利益をもたらしてくれるものと信じています。
結果をすべて前向きに考える
中学受験は、それを楽しめる大人や子どももいるでしょうが、多くの場合は、親子ともども相当に疲弊する過酷な闘いです。
我が家の場合も、いくら自主性に任せるとは言え、それで到達できるレベルはたかが知れていますので、言葉や雰囲気、親の後ろ姿などを利用して、ありとあらゆる方法でそれなりのプレッシャーを子どもに与え続けました。
その一方、受験で子どもが潰れてしまったり心身に不調を来してしまったりしては意味がありませんので、「合格なら、きれいな校舎で先進的な勉強に取り組める」、「不合格なら、幼なじみや仲良しと楽しく学校生活を送れる」など、
ということを、ひたすら言葉で伝えました。合否のどちらかが正解、などということはなく、最大限の努力をした結果、あとは神頼みになるのなら、神様が与えてくれる結果こそが天与の道なんじゃないか、ということです。
「絶対に合格しなければならない」とか「不合格ならすべてが水の泡」などというような後ろ向きの発言を、親は絶対に慎むべきだと考えます。どんな結果でも前向きに受け止める力こそ、受験で身に付く一番大切なマインドなんじゃないかとすら思えます。
このあたりの考え方は、こちらの本などからの影響を大きく受けてるんでしょうね。
「どう転んでも正解だよ」と伝えつつも机に向かわせるのは、「絶対に合格しなさい!」と言うことよりも、実は難しいのかもしれませんが、こういう出口戦略を採用することで、合否に関わらず、受験後の子どもの心はソフトランディング可能となるはずです。
山登りは、登りっぱなしではなく、如何に安全に下山できるかも重要ですので、そのための「出口戦略」ということです。
受験の経験は、必ず人生の役に立つ
受験に「チャレンジ」することが目的であることは、ムスメAも頭では分かっていたと思いますが、やはり勉強すればするほど欲も出てくるため、最終的には気持ちの半分以上を「合格」が占めていたと思います。
そして、・・・・・不合格。
本人の心に様々な思いが去来するであろうことは何となく想像できますので、「頑張ったね」とねぎらいはしましたが、それ以外はこちらから何も言いませんでした。「幼なじみや仲良しと同じ中学に行けるね」とも言いませんでした。
とにかく、総括らしい言葉が本人の口から出てくるまでは、何も言いませんでした。
また、たとえ総括が言葉として出てこなくても、それはそれで良いと思っていました。伝えるべきことは受験当日までにすべて伝えきってありますので、答えは本人の中で自ずと明らかになるだろうと信じていたためです。
「受験」という山の頂上は、合否発表の日にあるのではなく、受験当日にすでに登頂を果たしていたわけですからね。
人生は、山登りの連続です。そして、中学受験という少し険しい山を「自力」で登り切った経験は、その後に登ることになる山々の標高を少しは低く感じさせてくれるはずです。
おわりに
毎日、嬉々として中学校に通うムスメAは、すでに次の目標に向かって、勉強に部活に忙しくも楽しい日々を送っています。
「どう転んでも正解」ということを身を持って学んだムスメAに、少なくとも今のところは、怖いものは無さそうです。そして、呼吸や食事と同じレベルで、当たり前のように黙々と淡々と勉強に励んでいます。
「出口戦略」が上手く機能したのかな、と胸をなでおろす今日この頃です。
この次は、制覇すべき山を見つけることも、自分自身でやってくれることでしょう。