1つの街がこれほどモニュメントだらけな場所は世界でも珍しいと思うのだが、その巨大モニュメントの1つ、万寿台(マンスデ)大記念碑へ向かう。車を降り売店の前で、李氏と尹(ユン)氏が言い出しにくそうに私を見た。「花を買っていただきたいのですけれど」
 彼らは私のことをツアコンだと思っているふしがあって、何度訂正しても「田中さんは添乗員さんですから」と言う。そして困ったことが起こると呼び出されるのだ。
 金日成の銅像に花を捧げるのがルールというので「いいよ」と言うと、売店のおばさんが大きな花束を差し出した。李氏はそれに手を振り一番小さな花束を選び、「1ドルになります」とまた申し訳なさそうな顔をする。変なところで腰の低いガイドなのである。
 この仕事を始めて10年という李さんは、おそらく朝鮮国際旅行社が日本人観光客の受入窓口となったばかりのころから、この仕事をやっているのだろうと思う。今でこそ、日本語に不自由はしないけれど、何かの折にふと、「本当にいろんなお客さんがいますからねえ」と眼鏡の奥の目をしばたいていたことがあった。

 さて、件の銅像は無意味に巨大だった。20mあるという。写真を撮るときはそれを全部入れてほしいと言われたが、献花する吉田女史を写した写真を後で見ると、指差す腕の先が切れていた。
 銅像の両脇には闘う民衆の群像があってこちらも高さおよそ20m。どこかで見たことあるなあと思っていたら、それは中国・盧溝橋の抗日彫塑園の彫塑群によく似ているのだった。

 私たちと入れ違いに女性の集団がやってきて、金日成の銅像をバックに記念写真を撮っていた。けらけらと笑いながら、「こっちに来なさいよ」とか「あなた前ね」というふうに写真を撮る彼女たちを見ていると、後ろで重々しく指を差している銅像や「革命」の群像が、どこかすっとぼけたもののようにも思えた。

 昼食に向かう前に、書店に寄ってもらった。観光客向けの店で、朝鮮語の本よりも日本語、英語、中国語に翻訳された本が並んでいる。『朝鮮観光』というガイドブックもあれば、『朝鮮概観』『金日成先軍政治』『金日成 主体思想について』という本もある。中には『Best Recipes of Pyongyang』といった料理本、高句麗壁画の写真集や『Korean Film Art』『チュチェ朝鮮の彫刻』などもある。あるいは『アメリカ帝国主義は朝鮮戦争の挑発者』『美国恐怖大王(アメリカはテロ王国)』。
 いっしょに並んでいた『日朝小事典』をぱらぱらめくって日本語例文を拾ってゆくと、「侵入:不法侵入した敵のスパイ機をうち落とした」「腰抜け:傀儡どもの腰抜け外交」「固守:わが党の輝かしい革命伝統を固守する」と、なかなか勇ましい辞書なのであった。
 ハガキや記念バッジ、ビデオにCDなど、みなで一抱えほど買って外に出ると、子供たちが走り抜けてゆくところだった。学校帰りらしく、背中にはカバンを背負い、大声で何かを言い合いながらひとしきり大笑いすると、転げるように通りを渡って行った。

 昼食は「蓮池館」というレストランで、ジャージャー麺だった。ジャージャー麺といっても、その前に食べきれないほどの前菜が出るので、何がメインなのかよくわからない。どうして毎回こんなにたくさんの食事が出るのかと、隣のテーブルを見ると、人が帰ったばかりのそこには、同じだけの皿が並んでいる。要するに平壌ではレストランごとにメニューが決まっていて、レストランを選ぶということは、すなわちメニューを選ぶことになるのだった。
 あんまりたくさん食べたので、そのとき何が出たのかほとんど覚えていない。けれど、ジャージャー麺の甘い味噌仕立ての素朴なソースは記憶に残った。
 食事も終わりかけたころ、「あ、ビール」とバー経営の加藤氏が声を上げた。隣のテーブルに、ガイドたちが頼んだビールが大きなグラスで運ばれてきたところだった。「何、それ、朝鮮のビール?」「生ビールですけれど」「生ビール!」男性陣が沸いた。「飲みますか?」李氏がグラスを加藤氏に渡す。一口飲んだ彼は「うまいっ!」とひっくり返った。それから終りかけていた食事は、酒盛りに変わった。追加で頼んだビールは、ほどよく冷やされ、喉を転がってゆく。「大同江ビール」というのだそうである。朝鮮ビールは何種類か飲んだが、この生ビールだけはまた飲みたいと、後々まで語り草になった。




[3]平壌
3)銅像と書店と
生ビール



すみません、欠けました






記念碑の前で記念撮影






書店のある通り






朝鮮風ジャージャー麺