教養がある人ほど「陰謀論」に引っかかる
国際日本文化研究センター助教の呉座 勇一さん
■数々の陰謀論の特徴を抽出しパターン化
——本書を執筆する過程で、呉座さんは多くの陰謀論の本を読み込んでいます。そのなかで、どのような特徴が見えてきたのでしょうか。
今回、本の中で約20の陰謀論を検証しました。保元の乱を手始めに、源義経をめぐるもの、足利尊氏や関ヶ原の戦いについての陰謀論などを取り上げましたが、陰謀論を語る人たちの本をひたすら読んでいて抱いたのは、よくこれほど想像を膨らますことができるな、という感想でした。それこそ「本能寺の変」だけでも、先ほど言ったように複数犯説からイエズス会の陰謀説まで、多種多様の説がまるで自分が現場を見てきたかのようにリアルに語られているのです。
そのうちに痛感したのは、そうした無数の陰謀論を個別に批判しても、もぐらたたきのように新しい説が出てきてきりがない、ということでした。陰謀論者たちはそれなりにもっともらしいことを述べるし、「これが証拠だ」と言って一応は史料も掲げる。彼らが引用している史料を一つひとつ解釈して、「○○氏の説は成り立たない」と反証する作業を繰り返してもこれは意味がないぞ、と。
そこで、私は数々の陰謀論の特徴を抽出し、それをパターン化することにしました。
陰謀論というのは普通の人が思いつかないような意外性のある説を唱えているように見えて、実はパターンがあるんです。いくつか例を挙げると、
1.一般的に考えられている被害者と加害者の立場を逆転する手法
2.結果から逆算をして、最も利益を得た者を真犯人として名指しする手法
3.最終的な勝者が、全てをコントロールしていたとする手法
……などです。
人が陰謀論に惹かれるのは——逆説的ではありますが——その単純明快さに屈しがたい魅力があるからでしょう。複雑なものを理解するためには、多くの努力と忍耐を費やさなければなりません。そんななか、陰謀論は手っ取り早く物事を理解したいという、誰もが持つ人間の心理に付けこむところがあるわけです。
■自分の思い通りに歴史を動かせるわけがない
それを見抜くコツは、陰謀論の多くがどのような構造を持っているかを理解しておくことです。特定の個人や組織が全てを仕組んでいる、あるいは、一人の人物の計画通りに歴史が動いていく——というように、陰謀論では陰謀の実行者が全く無謬の存在として描かれる傾向があります。
しかし、自分自身について考えてみれば分かる通り、歴史上の英雄賢者もまた、当時はその時代のうねりの中に生きていた一個の人間でした。そのような一人の人間が全知全能であるかのように、将来を完璧に見通し、自分の思い通りに歴史を動かすことなどできるわけがありません。徳川家康だって争乱の渦中にいるときは、いくつもの選択肢を突きつけられ、迷いながら選んでいたはずです。よって、陰謀実行者の計画に全く破綻がない場合は、まず疑ってかかるべきでしょう。
■実際にはそんな都合のいいことは起こらない
呉座勇一『陰謀の日本中世史』(角川新書)
概して陰謀論者はハッタリが上手い。一冊だけを読めば、「え! そうだったんだ」と思わず信じてしまうかもしれません。しかし、複数の陰謀説を俯瞰すれば、だんだんとそのパターンが見えてくる。「陰謀論というのは近づくと斬新だけれど、遠ざかってみるととても凡庸だ」と気付きます。
また、陰謀論は英雄史観とも相通じるところがあります。例えば坂本龍馬などが英雄として描かれるときにありがちなのは、彼の個人の力とビジョンの通りに、社会や時代が変わっていくというストーリーです。しかし、やはり実際にはそんな都合のいいことは起こらない。
ある人物に歴史を見通す鋭いビジョンがどれだけあっても、その通りに物事が運ぶわけではありません。必ず想定外の事態が起こるのが、私たちの生きる現実です。そこで迷ったり悩んだり間違えたりするのが人間であり、どんな英雄でも天才策士でもそれは変わらない。本来の当たり前の人間のあり方から目を背けるという意味では、英雄史観も陰謀論も変わらないと私は思います。
■常識を覆す論には、知的興奮を伴う驚きがある
それから、もう一つ気を付けておかなければならないのは、陰謀論に引っかかるのは、歴史に対する知識が乏しいからではないことですね。
実際に歴史学の専門家が専門外の分野で陰謀論者になったり、陰謀論すれすれの説を語り始めたりする例は多く見られます。日本中世史を専攻する大学教員が、近代史学界で一蹴されている「坂本龍馬暗殺の黒幕は薩摩藩」というトンデモ説を支持するのは、その典型でしょう。さらに言えば高学歴で自分に教養があると思っている人ほど、よく引っかかると言えるかもしれない。それはパッと見たときに常識を覆す論には、知的興奮を伴う驚きがあるからでしょう。それが陰謀論の怖さです。
さて、実はこの『陰謀の日本中世史』のもとになったのは、私が立教大学で行った「歴史学への招待」という1、2年生向けの講義でした。
歴史学のイロハを知らない学生たちの講義のテーマに陰謀論を選んだのは、そこを入り口にすると歴史学とはどのような学問で、研究者とはどのように物事を考えていくか、という基本が伝えやすいからでした。
歴史学に限らず、研究者にはある種の慎重さや謙虚さが求められている、と私は考えています。自分が提唱する説というものは、あくまでも仮説であり、それが批判され修正されていく可能性を常に考えなければならない。それが研究者のとるべき態度である、と。
■歴史において「一発逆転ホームラン」は原則的にはありえない
ところが陰謀論や疑似科学の主張者の多くは、対外的に「自分の説が絶対に正しい」と言ってしまう。自説が批判的に再検証されるべきだという意識が希薄で、批判されると「真実を隠蔽しようとしている」「学界は私を恐れている」と新しい陰謀論さえ付け加えたりする。
歴史学という学問は本来、先人の研究成果に一つひとつさらなる成果を積み重ねていく地味なものです。一つの新発見史料によって、これまでの通説が全てひっくり返るといった一発逆転ホームランは、原則的にはありません。「430年間、誰も明らかにできなかった真実を明らかにした」などと言う人がいますが、430年間の膨大な研究蓄積をたった1人で覆せると本当に思っているのでしょうか。
そもそも「通説」とは、いままで多くの批判にもまれながら、それでも耐えて生き残ってきたものです。それは一人の学者や素人の歴史愛好家によって、簡単にひっくり返るほど脆弱なものではないのです。私が学生たちに伝えたかったのは、そのように長い歴史の中で鍛えられた「通説」の偉大さを理解した上で「通説」に挑むことにこそ、歴史学の醍醐味があるということでした。それは「通説」を矮小化して、「論破」したつもりになる行為とは全く異なるものです。
■未解明が山積みのまま一生を終えるのが歴史学者の運命
私自身、「長い長い研究史の中に自分の研究もあるんだ」という感覚が好きで、そこに歴史研究者としてのやりがいを抱いてきました。いままでの考え方と全く断絶した新しい独自のものを作るのではなく、歴史研究の長い連なりの中で一つひとつ新たな成果を積み重ねていくことに、歴史を学ぶ面白さを感じてきたのです。
私たち歴史学者は生涯をかけて歴史研究を進めますが、自分の知りたいことの全てを生きているうちに明らかにすることはできません。未解明のことが山積みのまま一生を終えるのが、歴史学者の運命です。
しかし、分からないことが積み残されたからといって、その人生は決して無駄にはならない。歴史の研究とは、そこに至るまでのプロセスや道筋にこそ意味がある。何百年も前に生きた人の知恵も借りながら、先人の研究に敬意を払い、新しい何かをその連なりの先に見いだしていく。そして、自分が築いたものは後続の研究者の踏み台になる。それこそが学問の醍醐味であるのだと私は思っています。
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呉座 勇一(ござ・ゆういち)
国際日本文化研究センター 助教
1980年生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。『応仁の乱』(中公新書)は47万部突破のベストセラーとなった。ほかの著書に『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)がある。
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(国際日本文化研究センター 助教 呉座 勇一 聞き手・構成=稲泉 連 撮影=プレジデントオンライン編集部)