医療の闇 コラム

僕が医師をやめたいと思った理由

更新日:

命を救いたい。

曲がりなりにも医者になったのは、そういう熱い使命感があったからだ。

もちろん、単純な憧れと、女性にモテたいという、ほんの少しの欲望もあったけれど。

医学部に入学し、医師免許を取得し医師になった。6年間で医学も当然ながら様々なことを学び、人としても成長できたと自信を持って言えるような学生生活を送ることができた。

医師免許を携え、満を辞して初期臨床研修医となった僕は、キラキラした思いで医師としての第一歩を踏み出した。医学書を大量に買い込み、とにかく勉強して、医師として尊敬される人物になる、そう思って医師というキャリアをスタートさせた。

しかし現場を見て、僕はその現実に打ちのめされた。

 

搾取される若者達

高齢者で埋め尽くされた待合室。

髪はボサボサでうす茶色く汚れている白衣を身にまとう医師。

次々に処理されていく多額の医療費。

救急車をタクシー代わりに使う、生活保護受給者。

彼らは救急車を維持するのに必要な税金を、1円も支払っていない。もちろん中には必要な搬送もあるが、明らかに「無料タクシー」くらいにしか思っていないだろう、という人もいる。

胸骨を折られながら心臓マッサージを受け、心臓血管外科の緊急手術となった80代後半の寝たきりの高齢者。

手術、麻酔、入院費、薬剤、器具など、全てを合わせると数百万の費用負担となる。実質負担はおそらく10万円程度で、残りの数百万は末べて税金からの補填である。

この命をつなぎとめるのに使われたお金は、国民の血税である。この税金の使い方は、果たして正しい方法なのか、正直なところ疑問が残る。

そして、過酷な労働を強いられる、医師や看護師達。

当然ながら一部若い看護師は身重であり、外から見てもお腹が大きい。しかし彼女達は休まずに働かなければならない。人が足りないからである。

夜勤や洗体(患者の体を洗うサービス、自分と同じくらいの体重の動けない患者を持ち上げ、体を洗う重労働)をし、結果的に流産や切迫早産となる人も少なくない。

忙しさのあまりに家に帰る事ができず、個人のプライベートは破壊され家庭が壊れてしまう医師も大勢いる。定年間近になって離婚されてしまう医師の多い事。

僕は心の中で、こう思った。

何なんだ、ここは…

言葉を選ばないで言えば、病院で僕が見た景色は、高齢者に未来を摘まれている若者達だった。

未来ある若手の医師や看護師、彼らの人生を犠牲にして、労働を時間を搾取して、高齢者を生きながらえさせている、そういう景色だった。

そして、それに到底意味があるとは思えなかった。

国の未来を創っていく若者の人生を搾取して、人生終わりに向かう高齢者達に注ぎ込むなんて、国をつぶしたいと思っている人がする事だ。

 

死ねない高齢者

「きれいさっぱり、死にたいなあ。」

そう病室で呟いていた、とある患者が忘れられない。彼はいつ亡くなってもおかしくなかった。それをわかっていたのだろうか、上記のように呟く事が多かった。

そしていざ急変すると、それまで顔を一切見せなかった家族がやってきて「何をしてでも助けろ」と言う。なぜそこまでこだわるのか尋ねると、「親の年金が無くなったら困るから」だそうだ。

意識を失ったその患者さんは、口から管を入れ人工呼吸管理となり、意識のないまま生きながらえていた。もちろん、年金は家族に支払われ続けているだろう。

僕は、もうこの国に未来はないと判断した。

少なくとも現状を変えなければ、必ず陥落する。そしてこの現状を変える流れは、今の所ない。もしかしたらもう手遅れかもしれない。僕の読みが甘くて、もう引き返せないところまできているのかもしれない。

かつて栄えたスペインが、今や若者の失業率が3〜5割の国に成り下がってしまったように、日本も「かつて栄えた国」になる気がして、仕方がないのだ。

だから、僕は医者をやめる事にした。

まだやめてはいないが、あと5年以内にはやめる。もしくはダラダラとアルバイトだけ続けながら生きていくと思う。少なくとも常勤では働くつもりは無い。

沈みゆく船に乗って、一生懸命漁業に心血を注ぎこめるほど、僕の心や体は強くない。

このWebページでは、僕が医師として、内部から見た医療の世界と、医師や看護師が今後どうしていくべきか、僕の意見を書き綴っていこうと思う。

-医療の闇, コラム

S