行政・自治体

「軽い処分」で幕引きを図る財務省は、やっぱり解体した方がいい

国民が納得するはずナシ

文書改ざん等の問題について、先週末、財務省関係者が刑事事件で不起訴処分になることが決まった。また、今週には、財務省による処分も出される。ほっと胸をなでおろしている者も多いのだろうが、はたしてそれで十分なのだろうか。

次官のセクハラ発言も発覚した、問題だらけの財務省だが、出直すためには何が必要なのか。この未曾有の不祥事を受けて、筆者は『財務省を解体せよ!』を緊急出版したので、その「はじめに」の部分を紹介しよう。

問題噴出の背景にあるもの

おごれる平家は久しからず─。

平安末期に政権を握った平家一族の興亡を描いた『平家物語』は、いかに権勢を誇った者でも、地位や権力を鼻にかけておごり高ぶれば、いつか奈落の底に落ちてしまうというこの世の常を、後世を生きる我々に伝えてくれています。

しかし、先人たちの教訓は生かされないまま、過ちは繰り返されてしまったようです。予算編成権と徴税権を盾に、政治家やマスコミ、他省庁をひれ伏し、〝最強官庁〟の名をほしいままにしてきた財務省で、常識では考えられない不祥事が連続しているのです。

財務官僚トップの福田淳一前事務次官のセクハラ発言疑惑が発覚したのは、4月18日の『週刊新潮』の報道がきっかけでした。報道によれば、福田氏は4月上旬の夜に東京・中目黒のレストランに財務省の記者クラブに所属する女性記者を呼び出し、セクハラ発言を繰り返したといいます。

報道直後、財務省は福田氏への聴取をもとに、疑惑を完全否定するコメントを発表しました。麻生太郎財務大臣も調査や処分はしない方向だと述べました。財務省の発表した「女性の接客する店で言葉あそびを楽しむことはあるが、女性記者が不快に感じるセクハラ発言をした認識はない」という福田氏の弁明は、世論のさらなる反発を呼びました。

しかし、『週刊新潮』は16日になって、福田氏のセクハラ発言とされる音声データをネット上で公開。そのあまりに破廉恥な発言の数々に、財務省OBである筆者などは怒りを通りこして呆れてしまいました。同日、テレビ朝日の報道責任者らが会見を開き、「福田氏からセクハラ被害を受けたのは自社社員である」と公表しました。

 

窮地に立たされた福田氏は18日になって財務事務次官辞任を表明しました。『週刊新潮』の報道内容は「事実と異なる部分がある」として今後裁判で争う意向を示したものの、自らの振る舞いが原因で混乱を招き、業務遂行が困難になったと説明しました。

現役財務官の〝セクハラ辞任劇〟は、まさに前代未聞。福田氏のセクハラに対する時代錯誤な考え方や、後手になった財務省の危機管理対応は、国民のさらなる怒りを招きました。1990年代に騒がれた大蔵省の過剰接待問題の頃から、財務省は何も変わっていなかったのではないかと批判されても仕方ありません。

これだけではありません。福田氏の辞任の1カ月ほど前には、森友学園問題の国有地売却をめぐる決裁文書の改ざんが発覚し、当時、理財局長として国会対応に当たっていた佐川宣寿前国税庁長官も辞任しているのです。

改ざんはなぜ行われたのか

財務省から国会に提出された資料を見ると、改ざん前と改ざん後で文書の内容が大きく変わっているわけではありませんでしたが、それにしても、一度決裁した行政文書を改ざんするという行為は、官僚としての倫理に大きく反し、決して許される行為ではありません。

森友学園問題をめぐる国会質問において、佐川氏はずさんな答弁を繰り返していました。佐川氏は現場での経験がないため、国有地売却についての専門知識がなく、あやふやなまま答弁していた疑いが濃厚です。

たとえば、佐川氏は国会答弁において、「価格交渉」がなかったと繰り返しましたが、これは嘘であることは各種の情報からすぐにばれてしまいました。随意契約による国有地売買においてトラブル案件になってしまったときには、適正な価格交渉が公平性の担保になるにもかかわらず、佐川氏はそのプロセスすら否定してしまうという、不用意な嘘を繰り返したのです。

改ざんはなぜ行われたのか。筆者の直感で言えば、佐川氏は国有地売買の実務や決裁文書の流儀がわからないまま答弁し、野党議員との質疑で追い込まれてしまった。このままでは、国会審議が乗り切れないと判断し、決裁文書で交渉経緯などを削除し、自らの答弁との整合性をとろうとした。そして、その後は文書を破棄したなど、嘘の上塗りを繰り返した─という見立てです。

森友学園問題をめぐっては、その後、国会で森友学園問題の追及が行われた2017年2月に財務省の理財局職員が、森友学園に売却する国有地のごみの撤去に関して、嘘の説明をするよう学園側に「口裏あわせ」を要求していたことも明らかになりました。

大多数が東大法学部を卒業し、国家公務員総合職試験という難関を突破し、〝官庁の中の官庁〟といわれる財務省に入ったエリート中のエリートたちが、なぜここまで稚拙な不祥事を繰り返すのか。多くの人が憤りを感じるとともに、理解に苦しんだことでしょう。

「官僚の劣化」を指摘する声もありました。しかし、財務官僚として長年にわたりその中枢で働いてきた筆者にしてみれば、財務省の「おごり」と「欺瞞」は今に始まったことではありません。「セクハラ、改ざん、口裏あわせ」という不祥事として、ようやく表面化してきたにすぎないです。

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