田端氏の「子供が死ぬのは仕方ない」発言は、親の心情としてはわかる話

 言い方がすごく悪いな~と思いますが、子供を育てている人間としては、子供が事件や事故に巻き込まれる、なんからの事情で命を落とす、障害が残るという可能性は、恐怖以外の何物でもありません。もし子供が何かで命を落とすなら、躊躇なく自分の命を持っていてほしいです。それは、自己犠牲の精神ではなく、子供の死という辛すぎる事象を乗り越えないといけない自分が可哀そうすぎるというエゴイズムからです。そんな悲しみに襲われるぐらいなら死んだほうがいい。

しかし、現実的にそれは難しいので、できるだけ子供が命を落とすリスクを減らすしかない。僕は去年家を買ったのですが、最寄の小学校は家から歩いて3分程度です。家を買うにあたって、色々候補があったのですが、家から小学校までの道で大きな幹線道路を通らないといけない家は、奥さんの手により候補から外されてしまいました。登下校中に何かあってはいけないからです。

でかけるときは住所や氏名、電話番号を記載したカードを子供に持たせています。奥さんは近隣の不審者情報にも目を光らせていて、子供に声をかけた不審者などがいれば直ちに僕にシェアされます。しかしやれる事はやっても、極端な話、子供に隕石が落ちてきたらどうしようもないわけです。どこかで子供は、自分より先に死ぬかもしれないという事実を受け入れて生きていくしかないと思います。

僕は今子供が2人いますが、本当は3人ほしくて奥さんにお願いしていますが、それは嫌だと断られています。3人ほしい理由は、今いるかわいくて仕方がない2人が、僕より先に死んでしまうかもしれないからです。2人→1人 or 0人より、1人でも多い方が、残された子供のために頑張ろうと思えるかもしれません。そりゃひとりひとりは言われるまでもなく、かけがえのない存在で、死んだら替えがききません。そんな事はわかっていますが、それでも多い方が恐怖感が和らぐのも事実です。リスクヘッジという言い方は最悪ですが、気持ちはわかりますし、どこかで子供が死ぬかもしれないという事実を受け入れて、教育方針を決めるのも親の役割だと思います。(でないと子供を家に閉じ込めて出さないのが最適という事になってしまいます)

ついでに過労死についても、基本的には労使関係のパワーバランスから一義的には会社が悪いと思いますし、自己責任論は違いますが、それでも「かわいそうになぁ、でも死ぬのはアホやで」というスタンスは取った方がいいと思っています。100%会社が悪い、亡くなった人は被害者で本当に気の毒であるというのは確かにそうですが、でも死んだらあかんやん、生きてこそやんというのが基本的なスタンスとしてあるべきだと思いますし、そうでないと、追い詰められた人は、ヒロイックな被害者として同情してもらいたいという誘惑に耐えかねて安易な道を選択してしまう人がいるかもしれません。そこで、でも死んだらアホやんと最後に引き返させるためには、普段から言い続けばければならない。

松本人志がいじめで死ぬ中学生について同じことを書いていましたが、せっかく学生時代を生き抜いた人が、社会で死を選ぶのはもったいないし、やっぱりいくら辛くても死んだからあかんやんというスタンスは保持したいと思っています。