CAR-T(キメラ抗原受容体T細胞)ベンチャー企業がヒートアップしている。

CAR-Tガン治療の衝撃

キラー細胞がガンの根治を可能にする事を私が実感したのは、オプジーボに代表されるチェックポイント治療ではなく、今日話題にするCAR-Tを用いた白血病の治療成績が発表された時でした。細胞治療と遺伝子治療が合わさったちょっと難しい方法なので、Yahoo!ニュースでは紹介しませんでしたが、私自身のブログでは何回か紹介しています()。

手を替え品を替え、さまざまな治療法を試したにもかかわらず、再発してしまった患者さんの実に半数から、がん細胞が消えたという報告には本当に驚きました。ガンの消滅以上に私が驚いたのは、ガンと同じCD19を細胞表面に持つ正常のB細胞も同時に消えたと言う点でした。副作用という観点からは、 B細胞が消えるのですから抗体が作れなくなり由々しき問題です(ガンの進行が止まるとして受け入れられている)。しかし、この激烈な結果はキラー細胞をうまく使うと、多くのガンを根治できるという確信を与えてくれました。

この成績もとに、ノバルティス社のCAR-Tは昨年FDAに認可されました。また、我が国でも治験が進んでいると思います。しかし実際の臨床応用が始ると、手放しで喜べないこともわかりました。コストの高さです。ノバルティスの治療を受けるためには日本円で5000万円近い初期コストがかかるようです。確かめたわけではないので間違っているかも知れませんが、その後同じ治療に参入したいくつかの会社の製品もコストの上では似たり寄ったりだと想像します。患者さんのリンパ球を取り出して、遺伝子を導入し、患者さんに注射するという一連の過程はどうしてもそれだけのコストがかかってしまうのです。

次世代CAR-Tの開発競争

しかしCAR-T治療のアキレス腱とも言える問題が、新しい挑戦を生み続けています。そんな様子が今日紹介するNature Biotechnology5月号にうまくまとめられていたのでぜひ紹介したいと思いました(Cormac Sheridan, Allogene and Celularity move CAR-T therapy off the shelf (AllogeneとCelularityが在庫できるCAR-T療法に一歩進んだ), Nature Biotechnology 36:375, 2018)

最初開発されたCAR-Tは、患者さん自身のT細胞に、ガン抗原を認識する抗体とT細胞を活性化する抗原受容体分子複合体の様々な細胞質部分を組み合わせた遺伝子を導入してがん細胞を殺せるように改変し、それを患者さんに戻す、遺伝子細胞治療と言っていい方法だと思います。ただ、患者さんごとにこの作業を繰り返す必要がありますから、どうしてもコストがかかります。

このコストを下げる為には、在庫して多くの人に使えるCAR-Tを開発すればいいわけですが、今度は他人のT細胞を使うことになるので、細胞移植に伴う拒絶反応の問題を解決しておく必要があります。実験的には難しい話ではなく、用いるT細胞が本来持っている抗原反応性を除いて、導入したキメラ受容体だけが使われるようにすることと、逆にホストの免疫系からアタックされないように細胞の遺伝子を編集しておけばいいことがわかっています。

このレポートはこの課題に挑むサンフランシスコに設立されたベンチャー企業AllogeneとNew Jerseyに設立されたCelularityを紹介することで、この在庫可能な次世代CAR-Tを巡って多くのベンチャー企業がしのぎを削っている有様を紹介してくれています。

Allogene社の戦略

Allogeneが注目されたのは、ファイザー社と協力して、フランスのCelleticsが開発したT細胞受容体遺伝子とCD52遺伝子をノックアウトしたT細胞を用いたUCART19、すなわち在庫の可能なCAR-Tの臨床試験を世界で初めて行ったからです。Cellectisでは他にも16種類の臨床応用前のテクノロジーが開発済みですが、全て独自の遺伝子編集技術で準備してきたものです。これを相次いで臨床応用へと発展させようと、今回の提携が成立しています。驚くのは、新しいベンチャー企業Allogeneが、今回の連携で治療法開発では最も難しい臨床応用への出口を受け持っていることです。

通常のベンチャー企業は、技術を開発して、お金と時間がかかる臨床試験は他の会社に技術を導出することが普通です。しかしAllogeneはその逆を行こうとしているのです。何故これが可能かといいますと、Allogeneは最近ギリアドサイエンスが買収したKiteからスピンアウトしたグループが新しく設立した会社で、ギリアドサイエンスに買収される時、一兆円近い資金を手にしているからです。すなわち、すでに完成した第一世代のCAR-Tをギリアドに売って、そのお金で次世代型CAR-T技術を導入して仕上げようという、したたかな戦略に思えます。このグループが使っている遺伝子編集技術は今流行りのCRISPRとは違いますが、それで十分で、知財関係がスッキリしていることの方が重要だと思います。UCART19についてはすでに第1相臨床試験は終わっており、結果に対してAllogeneは極めて強気であることが報告されています。

もちろん在庫可能なCAR-TをCRISPRを使って実現する会社も存在します。方向がはっきりしたことで、アメリカだけでなく、ヨーロッパなど世界中で在庫可能CAR-T開発を目指すベンチャー企業が設立されています。もちろん、かってのベンチャー企業ギリアドサイエンスも古い技術をつかまされたというのではありません。2種類の抗原があるときだけに反応するCAR-T技術を持つ会社や、他の遺伝子編集法を持つ会社と連携して、在庫可能CAR-T開発に乗り出しています。会社の人たちには大変な時代だと思いますが、私自身は、このような熾烈な競争から安価なCAR-Tにつながると期待しています。

Cellularity社の戦略

しかし、遺伝子編集に全員が飛びつくのではなく、全く違う可能性を追求する会社があることも重要です。その典型例が、胎盤中のT細胞という意外な細胞を使おうとしているCellularityです。この会社は、なんと出産後の胎盤からT細胞を調整することで、移植するT細胞の免疫反応を抑えられると考えています。母親の胎盤のT細胞は胎児に発現している父親のアロ抗原に反応しません。もし反応すればすぐに流産してしまいます。もしこの性質がCAR-Tにも使えるなら、遺伝子編集は全く必要ありません。しかもT細胞を採取する胎盤はほぼ無尽蔵に手に入ります。たしかにコストは下げられそうで、このアイデアにすでに270億円近い資金が集まっているそうです。

これ以外にも、え!と思える技術を基盤にCAR-Tを開発している会社があります。技術の内容について把握できていないのですが、Rubius Therapeuticsはなんと赤血球にキラー活性を持たせる可能性を追求して、100億円以上の資金を集めています。他にも、レトロウイルスを使わないでキメラ受容体遺伝子を導入する方法、NKT細胞を使う方法、これまでCAR-Tが上手く働なかった固形ガンに対する方法、そしてきわめつけは培養を簡単にして今の方法のコストを下げる方法を開発する企業まで、全てベンチャー企業が自分で資金を調達して開発を行っているのです。なんという活力でしょうか。

世界の活力を感じた後の感想

しかしこの記事を読むと、獣医学部認可が国家成長戦略の岩盤規制の象徴かどうかという低次元のレベルの議論を続けている我が国の政治家が本当に世界の状況を知っているのか心配になります。政治家は仕方ないとして、それ以上に心配なのは、このような低次元の議論をサポートするのに慣れているうち、我が国の役所から、国家を発展させる戦略を立てる能力が失われることです。ひょっとしたら、すでに失われたのかもしれません。もう一度世界の動向を俯瞰的に眺め、政治に左右されない情報を提供できる役所を目指して欲しいと思っています。