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2018年6月3日日曜日

リフレ派の「(もう大して)経済成長しない」への反応にある誤謬

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社会福祉士で社会運動家の藤田孝典氏が、過去データから「(もう大して)経済成長しない」と言ったのに*1、リフレ派の皆さんが色々と文句をつけている。経済成長の余地が小さいので、低成長を前提に政策を考えましょうと言うのが、なかなかリフレ派には受け入れ難いようだ。「経済成長をしなければ皆が貧しく不幸になる」と言うような批判している。しかし、これはひどい誤読である。

1. 経済成長率≠生活水準

具体的には「今の我々の生活は経済成長の賜物だ。経済成長がなければ、教育や娯楽もなく、疫病や災害で大量死し、職業も住む場所も服すら選べず、飢え死にや人身売買が当たり前になる」と非難しているジャーナリストがいたのだが、最初の文はともかく、続く文は論理的におかしい。経済成長は差分だ。経済成長によって生活が豊かになるのはそうであるが、経済成長が無くてもマイナス成長でなければ生活水準は下がらない。

2. 経済成長しない≠経済成長はしない方がよい

同種の誤りをしている人は、他にも多くいる。また、「経済成長しない」と言う実証的な予測を、「経済成長の努力を諦める」「経済成長はしない方がよい」と言う規範的な見解に誤読するリフレ派も多く、なかなか残念な国語力になっている。政治信条は人間の計算能力を鈍らすと言う話があるのだが、リフレ政策も政治信条、読解力に影響が出てくるのかも知れない*2

3. 財政出動と経済成長率に明確な関係は無い

「経済成長しないのは財政出動が足りないから」と言う反論もあった。これは論理的にはつながっているのだが、財政赤字の規模が経済成長率を決定する論拠は薄い。2014年の消費税率の引き上げと消費税収の大幅増による財政赤字の縮小後、経済成長率が落ちたわけでも、雇用が悪化したわけでもない。増税前の駆け込み需要の反動か2014年度は悪化したが、2015年度以降は元に戻っている。また、1993年のバブル崩壊後、所得・法人・相続税の税率は引き下げられ税収は大幅減となっているが、経済成長率が上昇したとは言い難い。国外に目を向けても、1980年代のデンマークでは緊縮財政下で景気回復が達成されたし(Giavazzi and Pagano (1990))、1990年代初頭までの南米は財政赤字で成長率を落としていた。

学部のマクロ経済学で紹介するモデルだと、財政赤字を拡大していけば無限に経済成長が可能に思えるが、よく説明を読めば完全雇用なる壁までである。経済成長率を引き上げると言うよりは、より効果が限定的な景気対策と解釈すべきだ。景気は1990年代初頭のバブル以来の雇用情勢が伝えられており、景気対策による経済成長の余地は小さいように思える。ここ何十年間で一般的な動学マクロ経済学には完全雇用と言う概念はないが、労働供給量に限界はある。新旧どちらの考え方でいっても、潜在労働力は経済拡大を制約する。

2015年~2024年の人口動態で政府目標の実質2%成長を実現しようとすると、生産年齢人口ひとり当たり2.88%の成長が必要で、これは米国や欧州の2倍のペースの成長を意味するし、80年代の数字2.81%を取り戻すことを意味する。増税なき財政安定化のようなリフレ派目標までいくと高度成長期の水準がいる。

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