いわゆる「八重の相対」について ?投稿者:月の砂漠 ?投稿日:2018年 6月 3日(日)14時22分19秒
所謂「八重の相対」について、私が思っていたことを月の砂漠さんが表現してくれています。
それで改めて私なりに表現すると、最初の五重の相対は「仏法上の浅深勝劣」を、後の三重の相対は「世法上の比較対照」を問題にしています。
ここで最も根本的な点は「仏法と世法の相対」そのものです。
大聖人の立場は一貫しています。
「天晴れぬれば地明かなり。法華を識る者は世法を得可きか」(『観心本尊抄』、254頁)。
つまり、仏法が根本で世法の問題は二次的・派生的な問題です。
世法上、つまり組織的なレベルの問題については絶対的普遍性を持ちえません。
世法即仏法・仏法即世法という側面があるとしても、根本は仏法であることに変わりはありません。
世法から仏法を判断することが根本的な誤りになります。
ただし、世法上の問題はそれなりに対応し、解決する必要があります。
が、世法を表にし、仏法を裏にしたり、後回しにしてはいけない。
日蓮仏法を実践する私たちはあくまでも仏法、信心、唱題行の実践を根本にすべきです。
では、その根本となる仏法とは何かという話になると、五重の相対が重要な意味を持つ訳です。
が、この五重の相対は天台流の範疇で、大聖人はそれを超えた立場を構築しています。
それを私は『即身凡夫本仏論 日蓮仏法2.0』で展開しています。
結論だけを述べますと、大聖人は「末法の本門の題目即唱題行=末法の円頓止観」を確立するために、その視座から独自の教相判釈を確立しています。
これは私は(内外相対を省いて)「下種仏法の四重解釈レベル」として次の様に整理しました。
A 「末法の権実相対」
B 「末法の本門教相」
C 「末法の下種仏法」
D 「末法の唱題行」
この四重相対に対応して、御本尊の四重構造を解明しています。
A)妙法即唱題行は普遍的な十界互具・一念三千・即身成仏の原理の現成を意味します。
B)それで大聖人は「末法の為の本門観心」の視座から、
虚空会で展開される久遠実成を普遍的な即身成仏のプロトタイプと解釈する。
C)その十界互具・一念三千・即身成仏の三大原理が妙法即唱題行であり、上行所伝の妙法である。
これを観心の対境である十界漫荼羅として完成させた。
D)私たち末法の凡夫がこの御本尊の前で唱題行を実践する時、
成仏三点セットが現実として顕れる。
こうした重層構造を説くことにより、大聖人の著述に(矛盾するように)見られる多義性・重層性を解明できるし、日蓮宗や日蓮正宗における日蓮思想と本尊観をも相対化できます。
『即身凡夫本仏論 日蓮仏法2.0』では、過去・現在・将来の学会教学を展望する三部構成で整理しています。ぜひ一読し、自身の思索の糧にしていただければ光栄です。
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