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生死と人間と宗教

 投稿者:飛翔こそ蘇生
 投稿日:2018年 6月 4日(月)00時29分49秒
およそ仏法(および諸宗教性)において
一貫している問題は「生死」の問題でしょう。

どれほど精神分析学が発達しても
言い表し尽くせないような
そこにある仏性、神性といったものに響くからこそ
池田先生の対話は差異を乗り越えて成された。

もちろん、これをならしめたのは
御本尊への唱題行だが戸田先生との師弟不二も外せない。

大乗仏教の究極
全ての衆生を救う一仏乗の乗り物としては
一切の差異に対しても開かれている
普遍が無ければなりません。

成仏の成を「ひらく」と読む。
何をどう開いて何を成すのか?

<内外相対>で、
「生死」の問題と仏性、神性といったものを
絡めて考えるのを止めなさいと言うかどうか?
最終的に法華経寿量品ではそこに排他はない。

<大小相対>で
出家して修行し自力によって寂滅を究め
煩悩を消し娑婆世界の執着を捨て生死を離れる。
そこにあるのは自身による自身のための悟りで
外に言い表せるようなものではない。
ただあることを、ただあると自得する。
自得しようなんてことは止めなさいと言うかどうか?
最終的に法華経文底ではそこに排他はない。

<権実相対>だが
密教的に煩悩を薪とするような増進の道や
曼荼羅の大日如来への入我我入のようなもの

念仏の民衆に広く開かれた口に唱える修行法

日蓮仏法において、そういったものはむしろ包摂されるが
十界互具、一念三千の法理を欠いてはならず
教主釈尊から離れては自身の生命が主役とはならず
欠乏感、無明を出発とした祈りになって
煌びやかな他所の世界を求めてしまう。

<本迹相対>だが
違うものに成り代わりたい
違う世界に生まれ変わりたいという
欠乏感、無明を出発として想像されたものを
法理で打ち破ったとしても

その根本の法の所在が明かされなければ
具体性が無い。

それはこの娑婆世界に常に共にあるのだ。

法華経以前の想像された別世界は否定されるけれど
迹門にはそういう否定されるべき別世界を目指す内容があるわけでなく
純粋に本門の補完となる法理なので捨てる対象にはならない。

では<種脱相対>なのだが
釈尊を教主として法華経をそのまま会得できたならば
もう他に何の努力もいらないのであろうか?

いかにして行くかという転換点であり出発点でもある。

日蓮大聖人の身の上に証明していったのだ。

そこには境智の面と手法の面がある。

境智は師子王の如くなる心だ。

手法としては当時仏教界に流布していた修行法を
その境智から己心の寿量品に照らして止揚し
無限に高い次元へと完成させていった。

この人法一箇を下種仏法として見る。

現実の上に変革を成す一個の人間としての生命を
本仏として、究極の師として見るかどうかだ。

さて<宗創相対>であるが
個々の信仰者において、手法を表とするか
境智を表とするかの違いでもある。

御本尊を書写する側に境智があれば全員救われるのか
自行化他に渡る信行学で一人ひとりが境智を得て変革するのか?

後者を実現させていったのが創価学会である。
宗門の権威性に帰属するものを除いて
権実相対以後の日蓮仏法を捨てるものではない。

<池創相対>であるが
日蓮仏法の排他的宗教性になりがちな部分を乗り越えて
真の人間性に目覚められるかどうか?

池田先生が世界に対して一文化人として行ってきた活動と
私たちが現場の組織でやってきた活動とは
どこか何かが違ってはいないだろうか?

なにをどう見なしたところで、
実際の現実を直視しないならば嘘が抜けず
結局は意図思惑のある者たちの思うつぼなのである。

ご都合主義を見抜き
実際の目の前に起こっていることに手を打てるか?
声を上げられるか?

それは池田先生が訴えたことの分水嶺であり
創価に携わっても、
その一線を護れないならば
捨てていなかったはずのものも含めて総崩れになる。

<師弟の道・師弟不二の道相対>だが
やり切ったと言えるものが無ければ虚しい言葉だ。
裏切りも相違の大小の内で弟子は弟子だが
師弟不二の道というならそうはいかない。
ある意味、人生の最終章を終えるまで、
証明しきれないものかもしれない。
今はまだ誰も、それぞれ師弟不二の道を目指しながらも
師弟の道の中でもがいているのかもしれない。

師の言葉との相違の大小を論じあって辿り着くものか
もっと根本的に違うものなのか

やり切った人間にしか言えない。

ただ、難というものは判断基準になる。

池田先生が描いた未来が実現されていった時
それを成した一人ひとりが讃えられるべきであり
それは、それが本当に師弟不二であったかどうかは
深いところの生命の本質において
当人が一番嘘がつけず跳ね返ってくるだろう。
 

月の砂漠さんへ

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2018年 6月 4日(月)00時07分43秒
月の砂漠さん、下記の文章は日蓮大聖人の教えですか。
池田先生の教えですか・・・文証を上げてください。

引用失礼します。
>「五重の相対」は、その誓願から導き出された、<

>その誓願から導き出された<・・・について、文証は無いと思います。
文証が無くても、理証として説明出来るならば、正しいと言うことです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は八重の相対が、絶対正しいと思っているわけではありません。

五重相対の文証はありますが、八重の相対の文証はしりません。

八重の相対も御書に、文証は無いと思いますが、理証で納得できるかどうかを議論しませんかと・・・。
だから、議論して正しいものか必要なものかを吟味して深めませんかと提案しています。
 

政局様へ

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2018年 6月 4日(月)00時04分44秒 編集済
政局様、長文をお読み頂きまして、誠にありがとうございました。

師弟不二について宿板で論じられていますが、『君よ、生涯、師弟不二の大道に生きよ!』をもとに論じるのなら、執行部側も否定や批判は出来ないと思いますし、なによりも現場会員に入りやすいと思います。

さて下記は、師弟不二であるために、大切な文証だと思います。

>そして、日興上人と五老僧との相違を考えるうえで大事な点は、日興上人は、大聖人の「立正安国論」をどこまでも根幹とされたことである。
 「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われるように、大聖人は立正安国という民衆の幸福を実現する楽土建設のための戦いを生涯、続けられた。
 立正安国の実践を貫けるかどうか。立正安国の旗を掲げ続けるかどうか。師の行動の真髄を継承してこそ、師弟不二の実践となることは言うまでもない。<

なるほど!
池田先生は『立正安国の実践を貫けるかどうか。立正安国の旗を掲げ続けるかどうか。師の行動の真髄を継承してこそ、師弟不二の実践となることは言うまでもない。』と、明確に仰っています。

『立正安国の実践を貫けるかどうか。』が、師弟不二であるか否かを見極める基準です。

この基準で、原田会長と執行部の行う、創価学会の運営や方針・支援活動を照らしてみましょう。
原田会長と執行部の組織運営が師弟不二であるか否か判断できると思います。

この見極めは、現場会員にとって大切ですね。

 

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時50分55秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生を裏切り、嘘をつき続け、真面目な会員を査問除名する
会長、副会長、職員の方々が真面になります様に
おやすみなさい
 

(無題)

 投稿者:通りすがり
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時46分22秒
現執行部にとって五重の相対は最早死語でしょうね。表向きは否定せずに、今後一切活字にしない。そのうち会員は忘れてしまうだろうと。とにかくやることなすこと幼稚で姑息なんです。会員をなめきっている。本音は第三の権実相対で打ち止めにしたいんでしょう。あきれた話です。  

【保存用文証】君よ生涯、師弟不二の  大道に生きよ!── 日興上人の峻厳な闘争に学ぶ

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時41分4秒 編集済
大白蓮華700号特別寄稿

君よ生涯、師弟不二の
 大道に生きよ!
  ──日興上人の峻厳な闘争に学ぶ

創価学会名誉会長
池田大作

(大白蓮華 2008年5月号掲載)

 恩師・戸田城聖先生は語られた。
 「私は、牧口先生の言う通りに実践した。師弟の道とは、そうでなくてはならない」
 あの豪放磊落な戸田先生が、ひとたび牧口先生のことを語る時は、厳粛そのものであられた。
 戦時中、法難にあうや、大恩ある牧口先生のことを悪口罵言し、あげくに背いていった徒輩を責める時は、悲憤し、激高されることも少なくなかった。
 仏法の精髄は師弟不二である。峻厳なる師弟不二の精神を忘れてしまえば、仏法の根本そのものが破壊されてしまう。したがって、真実の仏法の継承者は、師弟不二の精神と行動を瞬時も忘れてはならない。
 私は、牧口先生に対する弟子の道を終生貫かれた戸田先生のお姿に、仏法の真髄があることを深く学んだ。そして、戸田先生が行じた如く、私も師の心を我が心とし、師の説かれるままに実践した。そして師匠の恩を報じゆく弟子の道を生き抜いてきた。
 ただ真っ直ぐに、ひたすらに「師弟不二の大道」を歩んできた。それゆえに一身に大難を受けてきた。しかし、何一つ悔いはない。不二の大道に徹していく境地からは、いかなる大難をも悠然と乗り越える力が湧き出づることを知っているからだ。
 師弟の道を放棄して、反逆という最も卑劣な人生を選択した輩が、魂の敗残者となって、佗しい末路をたどった姿も数多く見てきた。
 私の信仰の六十年の結論を、わが信頼する青年たちに伝えたい。それは、日蓮大聖人の仏法実践の根本は、一生涯、師弟不二の実践を貫き通すかどうか、という一点にあるということである。
 この師弟不二の大道の範と仰ぐべき
永遠の鑑こそ、大聖人の真正の弟子・日興上人の大闘争である。
 私も、青年部の時代に、この日興上人の不二の御行動を深く探究した。また、日興上人の大精神を青年部に幾度となく語ってきた。
 それでは日興上人が示された師弟不二の魂とは何か。それは、「師と同じく戦い抜く心」を永遠に持ち続けることである。これこそが日興上人と五老僧との決定的な違いであった。そして、「戦い続ける」師弟不二の一念こそが、一切の勝利の根本の因となることを日興上人は生涯を通して示してくださったのである。
 私は今こそ、この根幹の方程式を青年に残し伝えたい。その思いで、日興上人の峻厳な闘争を拝していきたい。青年部は今こそ、師弟不二の「戦う心」を学んでいただきたいのである。


戦い抜いてこそ「本弟子」の証し


 弘安七年(1284年)の十月。日蓮大聖人の三回忌の時のことである。蓮祖の御入滅から、わずか二年後──ところが、日興上人以外の五人の老僧たちは、もはや身延にある大聖人の墓所を訪れることすらしなかった。
 この三回忌の直後に認められた「美作房御返事」からは、当時の日興上人の苦心孤忠が拝されてならない。
 大聖人が六人の「本弟子」、いわゆる六老僧を定められたのは、弘安五年(1282年)の十月八日。御入滅の十月十三日の五日前のことであった。六人を年齢順に記すと次のようになる。
  日昭 六十二歳
  日朗 三十八歳
  日興 三十七歳
  日持 三十三歳
  日頂 三十一歳
  日向 三十歳
 もとより師を拝する信心、法の理解、広宣流布の実践力のすべてにおいて日興上人が随一であり、日蓮仏法の正当な後継者であることは言うまでもない。
 その上で、この六人を「本弟子」と定められたのは、広宣流布の責任を担うべき指導者としての自覚を促されるためであったと拝察される。
 当時、日昭と日朗は鎌倉、日興上人と日持は駿河(静岡県中央部)、日頂は下総(千葉県北部)、日向は上総(千葉県中部)に活動の拠点を置いていた。まさに大聖人の弟子として、各地の門下の依怙依託となって立ち上がり、戦い抜くべき後継の中枢の立場であった。
 大事なことは、本弟子に選ばれたかどうかではない。弟子自身のこれからの行動で一切が決まる。それが師の心であられた。
 大聖人御入滅後の百箇日法要の際には、大聖人の墓所を自分たちが責任をもって、他の弟子とともに厳護するという誓約も交わした。師匠の魂を継承しゆく精神の証しとして、その誓いを立てたのである。
 ところが、命を懸けて守るべきこの誓約を、日興上人以外の五人の老僧たちは反古にしたのである。


臆病ゆえに「天台沙門」と名乗る


 実は、この三回忌を挟む弘安七、八年の当時、大聖人の門下は、厳しい弾圧の脅威にさらされていたと推測される。
 具体的に言えば、執権・北条時宗〈注1〉が急逝して、幼い貞時がその後を継ぐと、平左衛門尉頼綱〈注2〉は、内管領(家臣団の長)として、広大な領地と強大な軍事力を有する北条氏本家を意のままに操るようになっていた。
 極楽寺良観〈注3〉もまた、幕府に深く食い込んで、鎌倉の三つの大寺院の別当(寺院の総責任者)に任じられていた。
 この平左衛門尉や良観が、大聖人御入滅後の日蓮門下を弾圧しようと企てても、何ら不思議はなかった。
 折しも、蒙古の使者が対馬を訪れ、三度目の蒙古襲来の可能性も日増しに高まっていた。現実に、蒙古は、前の二回をはるかに上回る兵力の動員を進めていたという。
 幕府は、軍事力とともに、神仏の加護によって外敵を打ち倒そうと、蒙古調伏の祈祷をするよう全国の寺社に命令を発し続けた。この命令は大聖人教団にも及び、国家の安泰を祈るよう強要されたと考えられる。
 本来であれば、いざという時だからこそ、真正の大聖人門下は、幕府を諌暁し、師の如く、立正安国を叫ばなければならない。
 ところが、弘安八年(1285年)になって、日興上人のもとに伝わってきたのは、耳を疑うような話であった。
 日昭、日朗ら老僧たちが相次いで、「大聖人の弟子」ではなく「天台沙門」と名乗って幕府に申状を提出し、蒙古調伏の祈祷を行ったというのである。
 その申状の文面も、大聖人の諌暁の精神など微塵も感じられず、権力におもねるような卑屈さがにじみ出ていた。
 日興上人は、後に、事の次第を簡潔に書き留められている。
 「日蓮大聖人の御弟子六人の中で、五人は一同に、大聖人のお名前を改めて天台の弟子と号し、住坊を破却されようとする時、天台宗の祈祷を行うという申状を捧げることによって、破却の難を免れたのである」(「弟子分帳」、『富士宗学要集』第8巻6ページ、通解)
 要するに、老僧たちは、蒙古調伏の命令に従わないのなら住坊を破壊するという恫喝に屈したのである。
 思えば大聖人は、平左衛門尉と対面した折に、厳然と仰せになられた。
 「王が支配する国土に生まれたからには、身は、その王に従えられるようであるけれども、心まで従えられはしない」(287ページ、通解)
 いかなる事態、いかなる大難に臨んでも、心が屈することはない。それが日蓮大聖人の魂であられた。
 かりに、日昭や日朗たちが、鎌倉在住の仏子たちを守るために、何らかの妥協を余儀なくされたという事情があったとしても、師の日蓮大聖人においては絶対にありえない「天台沙門」と名乗って祈祷を始めてしまった心は、師弟不二の大道を外れ、魔性に屈服した証左であろう。厳しく言えば、その一念の本質は忘恩の師敵対にほかならない。
 「心まで堕ちてしまったか!」──鎌倉の老僧たちに対して、日興上人の憤激は、いかばかりであられたか。
 弘安八年の冬には、平左衛門尉が、最大の政敵であった安達泰盛〈注4〉を、クーデターによって一挙に滅ぼすという事件が起きた。いわゆる「霜月騒動」である。これによって、平左衛門尉が独裁的に権力を振るう時代となった。
 当時の様相について「一向執政し諸人恐懼の外他事なく候」(「実躬卿記」)、「今は諍(あらそう)方も無て、一人して天下の事を法りけり」(「保暦間記」)と記されているように、平左衛門尉による専制政治が、この後、七年半も続くのである。
 しかし、そうした渦中にあっても、日興上人は敢然と、大聖人と全く変わらない御精神のままに正義の諌暁を続けられた。
 例えば、正応二年(1289年)の幕府への申状にも「日蓮聖人の弟子日興重ねて申す」(『富士宗学要集』第8巻3332ページ)と厳然と名乗られ、師匠・日蓮大聖人の「立正安国論」に副えられている。
 日興上人と五老僧との根本的な相違が、ここにある。すなわち、日興上人は大聖人を悪世末法の衆生の闇を照らす根本の仏として正しく仰がれた。日興上人は申状にも、「今末法に入っては上行出世の境 本門流布の時なり」(『富士宗学要集』第8巻334ページ)と記されている。つまり、末法は上行再誕〈注5〉の日蓮大聖人の本門の仏法が流布する時であると高らかに宣言なされているのだ。
 だからこそ、日興上人は終生、大聖人の御本尊を根幹とし、御書を根本とされた。師匠を正しく拝し、末法の全民衆を救う師匠の大闘争を受け継いだからこそ、日興上人は師弟不二を貫いていかれたのである。
 戸田先生は、明快に語られていた。
 「日興上人が、大聖人の一番の弟子である。大聖人のことを、はっきり『大聖人』と呼んでいらっしゃる。お側についておられたからこそ、大聖人が御本仏であられることが、わかっておられたのである」
 日興上人は、常随給仕──常に師とともに、常に師のために、死身弘法の精神で戦い抜かれたからこそ、師匠の偉大さを確信できたのである。
 そして、日興上人と五老僧との相違を考えるうえで大事な点は、日興上人は、大聖人の「立正安国論」をどこまでも根幹とされたことである。
 「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われるように、大聖人は立正安国という民衆の幸福を実現する楽土建設のための戦いを生涯、続けられた。
 立正安国の実践を貫けるかどうか。立正安国の旗を掲げ続けるかどうか。師の行動の真髄を継承してこそ、師弟不二の実践となることは言うまでもない。日興上人は、一貫して、立正安国の正義を叫ばれ続けた。


悪知識に染まりゆく地頭


 師弟不二の心を失った老僧たち──その象徴の例が、日向の転落である。彼は、日興上人に嫉妬し、和合僧を攪乱していった。
 話は弘安八年に遡る。この年、五老僧の一人である日向が、突然、身延の日興上人の前に姿を現した。日向は、大聖人の葬儀にも、百箇日法要にも列していない。墓所を守る当番にも来ていない。
 しかし、日興上人は、その日向を身延の学頭に任じられた。大聖人が期待を懸けられた一人を何とか大成させてあげたい、との思いもあられたに違いない。
 ところが、日向は、早くも翌年ごろから、大聖人の御精神を傲然と踏みにじる不穏な言動を見せるようになった。そして身延に入って四年目の正応元年(1288年)になると、あからさまに大恩人である日興上人の排斥に動いたのである。
 事の経過は、日興上人が身延を離山される直前に記された正応元年十二月十六日付の「原殿御返事」に詳しい。原殿は、身延の地頭・波木井実長〈注6〉の息子の一人と考えられているが、定かではない。
 日興上人は、このお手紙で仰せである。
 「あの民部阿闍梨日向は、世間的な欲望が強くて、こびへつらい、心の曲がった僧で、大聖人の御法門を世に立てることなど思いもよらず、大いに破る者であると、この二、三年の間、見つめてきました」(編年体御書1732ページ、通解)
 日興上人は、こうした日向の性根を見抜いたうえで、日向が仏法を曲げていることを厳愛をもって叱責された。ところが、日向は、自分のほうが大聖人の仏法を知っているという恐るべき増上慢の心と、いかにしても日興上人に勝てないことから生ずる嫉妬の心から、かえって逆恨みしたようである。
 一方、波木井実長は、日興上人の二十年来の弟子であった。正法に巡り合い、大聖人を身延にお迎えできたのも、ひとえに日興上人のおかげであった。
 その実長が、次第に日向に毒されていった。もともと信心が定まらず、世間に迎合しがちな人物ではあった。霜月騒動で一族の者が安達方について殺害されると、その傾向がますます強まったようだ。日向は、その実長の心の隙に付け込んだのである。
 ある時、実長の息子の一人、弥三郎が、鎌倉幕府から篤く信仰されていた神社への参詣を企てた。日興上人は、弟子を遣わして、「立正安国論」に仰せの通り、諸天善神は謗法の国を去っているのだから神社に参詣してはならないと説き聞かせ、弥三郎を思い止まらせた。これに疑問をもった実長に対し、日向は「日興上人は、外典読みで、立正安国論も一面的にしか読んでいないのです」(同ページ)と誹謗したのである。
 さらにまた、天台大師の命日に開かれる大師講の際も、日向は、為政者におもねるような国家安泰の祈祷を行った。それを日興上人から糾されても、「国家の恩」などを振りかざして逆に反発してきた。まことに不遜きわまる態度であった。
 そして、日興上人の粘り強い誠実な御指導に対して、毒気深入の実長は「自分は民部阿闍梨日向を師匠にしたのだ」と、うそぶく始末であった。まさに「法華経の御信心逆に成り候いぬ」(1733ページ)という顛倒であった。身延は、師敵対の弟子・日向によって完全に毒され狂ってしまったのである。
 戸田先生が厳しく言われた通りである。
 「敵は外部にあるように見えるが、もっとも悪質な敵は、内部に出る」
 だから、毒をまき散らす内部の敵とは戦わなければならない。放っておいたら、毒がいつしか充満し、皆の純粋な信仰が破壊されてしまうからだ。
 ゆえに師敵対の輩とは断固、戦い続けるしかない。


一人、正義の旗を握り締めて


 日興上人は正応元年(1288年)の末、ついに身延離山を決意された。その御心境を、こう記されている。
 「この身延の沢を立ち退くことの面目なさ、無念さ、それは言葉では言い尽くせません。しかし、翻ってみれば、どこの地であっても、大聖人の正義を継いで世に立てることこそ、最も大切なのです。“よもや”と思っていたところ、大聖人の御弟子は、皆ことごとく師敵対してしまった。日興一人が本師・大聖人の正義を守って師匠の本懐を遂げなければならない者に当たっている。それを深く自覚しているので、本意を決して忘れはしないのです」(同ページ)
 「師匠の正義を一人守り抜く」──これが真の弟子の本義である。
 私もまた、いかなる卑劣な裏切りに遭おうと、ただひたすら戸田先生の直弟子の道を貫いてきた。反逆者と邪宗門が結託し、第三代の私を追い落として創価学会を乗っ取ろうと画策した時も、「われ一人正義の旗持つ也」と、戦い抜いた。
 私の胸中には、常に戸田先生がおられる。だから、何も恐れるものがない。

 翌・正応二年(1289年)が明けて早々、日興上人は、身延を離山され、若き門下の南条時光のもとに赴かれた。そして、秀峰・富士を仰ぎつつ、新しい広宣流布の拠点を築かれたのである。


諸難よ 我が身に来たれ!


 五老僧は、なぜ師弟不二の大道を踏み外し、師敵対へと転落したのか。どこで狂いが生じたのか。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「もし恩を知り、心ある人々であるならば、日蓮が二回杖で打たれるならば一回は代わって受けるべきであろう」(1450ページ、通解)
 日興上人は、まさに、この仰せの通りに生き切られた。
 “諸難よ、師匠ではなく、我が身に来たれ!”
 この御一念の証しであろう、日興上人は、師匠の御在世にも、法難を自らの身に呼び寄せられている。それが熱原の法難であった。
 熱原は、日興上人が広宣流布を推進された地域である。
 当時、ここには、農民の信徒が多く存在していた。それは他の地域に見られないことだった。
 まさしく、日興上人が、民衆の真っただ中に飛び込んで、大聖人の民衆仏法を流布されていた証しである。
 この農民たちが、平左衛門尉の強大な権力を前に、一歩も退かず、毅然と仏法に殉じていったのだ。
 弘安二年(1279年)十月十七日、日興上人から熱原の農民たちが弾圧されたという報告を受けられると、大聖人は即座に筆を執られた。そのお手紙の末尾で、大聖人は、こう仰せである。
 「伯者房(日興上人)らは、私の教えた趣旨を深く心得て、裁判に訴えなさい。そして、平左衛門尉に言うのです。『文永八年の御勘気の時の日蓮大聖人の仰せ(法華経の行者を迫害するなら、必ず自界叛逆難や他国侵逼難が起こるという諫言)を忘れられたのか。その報いがまだ終わっていないのに、重ねて十羅刹〈注7〉の罰を招き寄せられるのか』と最後に言い渡しなさい」(1455ページ、通解)
 「我が弟子よ、何ものも恐れるな! 日蓮のごとく、一歩も退かず戦うのだ!」との仰せである。
 一面では、五老僧の日朗にしても、日向にしても、大聖人御在世に直接、土牢に入れられたり、流刑地に師匠のお供をしたりするなど、難を受けてはいる。
 しかし、それはいまだ「師弟不二の道」に徹したことにはならない。あえて言えば、「師弟不二」とは、弟子が師の代わりに難を受ける覚悟で戦うことであるからだ。
 戸田先生が、牧口先生とともに牢獄に入った時、何と祈られたか。
 「わたくしは若い、先生はご老体である。先生が一日も早く、出られますように、わたくしは、いつまで長くなってもよい。先生が、早く、早く出られますように」と、朝も夕も、深く、深く祈られたのである。
 私も、同じ心で大阪事件に立ち向かった。二年間の獄中生活で蓄積した先生の疲労は、あまりにも深かった。さらに激闘の連続の中で、晩年、急速に体力が衰えた戸田先生を、絶対にお護りせねばならない。若い私が、自ら、一切の魔性の攻撃を受け切る覚悟で、牢獄の中で戦い抜いたのである。
 日興上人は、峻厳なる師弟不二の闘争の魂を貫かれた。それゆえに、大聖人御入滅後も、一切の魔性との戦いに敗れることがなかったのである。
 日蓮門下の中核的存在であった五老僧は、他の日蓮門下よりも、魔性の烈風にさらされたことであろう。その時に、大聖人と同じ「戦う心」を燃え上がらせなければ、敗れてしまうのは必然であった。日興上人お一人が、どこまでも「師とともに」「師のために」戦い抜く誓願、大願を掲げられ、「本弟子」の正道を歩み通されたのである。


権力に魅入られた者の末路


 さて、平左衛門尉の権勢は、いつまで続いたのか。
 政敵を倒し、恐怖の独裁政治を行って七年半──。正応六年(1293年)四月二十二日、平左衛門尉一族は、成長した執権・北条貞時によって滅ぼされた。熱原の法難から十四年後。あの熱原の農民信徒を責め抜いた自身の館で自害して果てたのである。わずか一日、抵抗らしい抵抗もできぬまま、あっけない最期を遂げた。
 平左衛門尉の支配した時代は、幕府の改革も停滞し、ひたすら政権の維持に汲々としていた悪政であったという。まさに「権力の魔性」に魅入られた生涯だった。
 日興上人は、熱原の法難で殉教した愛弟子のことを、夢寐にも忘れられはしなかった。
 熱原の法難から二十年目。「弟子分帳(白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事)」を著され、こう書き留められた。
 「其後十四年を経て平の入道判官父子謀反を発して誅せられ畢んぬ。『父子』、これたゞ事にあらず法華の現罰を蒙れり」(『富士宗学要集』第9巻258ページ)
 そして、三十年目。殉教の弟子への追悼の思いを込めて御本尊を書写され、そこに、こう脇書きされた。
 「駿河の国富士の下方熱原の住人神四郎、法華衆と号し平の左衛門の為に頸を切らるゝ三人の内なり、左衛門入道法華衆の頸を切るの後、十四年を経て謀叛を謀り誅せられ畢ぬ、其子孫跡形無く滅亡し畢ぬ」(『富士宗学要集』第8巻217ページ)
 大聖人が熱原の法難の際、「末法の法華経の行者を軽んじ賤しめる王臣万民は、始めは何事もないように見えようと、終には滅びないということはないのだ」(1190ページ、通解)と仰せられた通り、法華の現罰は厳然である。


師匠のもとへ勝利の報告を


 身延を出られてから、日興上人は、縦横無尽に、広宣流布の指揮を執られた。
 国主諌暁の申状も、身延離山の正応二年以降、わかっているだけで七回、提出されている。大聖人御入滅から五十年近くたった元徳二年(1330年)の申状でも、「日蓮聖人の弟子日興、重ねて言上す」と記され、終始変わらず不二の諌暁を続けられた。
 また、日興門流は、早くから五老僧の末流を圧倒する人材群を輩出している。広宣流布の伸展も、東北から関東、信越、関西、中国、四国、九州まで、ほぼ全国に及んでいる。日興上人は、見事、勝利なされたのである。
 日興上人が御一代の大闘争の幕を閉じられたのは、大聖人の御入滅から五十一年後の正慶二年(元弘三年=1333年)二月七日である。
 五老僧も、良観も、平左衛門尉も、すべての末路を見届けた。師弟の世界を壊す増上慢の輩、傲慢な輩を一切、打ち破られて、広宣流布の軌道を確立された。
 弟子として、生きて生きて生き抜き、晴れ晴れと、師弟不二の勝利を築かれたのである。
 日興上人の生涯は、師恩に報い、大聖人の正義を宣揚されることで、日蓮仏法における師弟不二の極理を成就された一生であったといってよい。それゆえに、真実の「師弟の宗教」が完成したと拝される。弟子で一切が決まるのである。
 この「弟子の大道」こそが、広宣流布の永遠の勝利を約束する。この師弟不二の真髄を私は、あらためて後継の青年たちに託したい。師が持つ「戦う心」を生涯持ち続ける誓願こそが、創価を継承する条件にほかならないからだ。


    創価三代の人生の大道に続く
   君たちヘ──今こそ師弟不二の
   誓願に生きよ! と祈りつつ


------------------------------------------

〈注1〉【北条時宗】
1251年~1284年。鎌倉幕府第8代執権。第5代執権・時頼の子。時宗の執権在職期間は、天変地異や疫病が頻繁に起こり、また得宗家(北条氏本家)の専制の確立のため将軍や北条氏一族内や有力御家人との権力闘争が続き、蒙古の襲来も重なった内憂外患の時期であった。日蓮大聖人は文永5年(1268年)の蒙古の国書が届いて立正安国論で予言された他国侵逼難が現実になりつつあることを契機に時宗に書状を送り、膀法を止めて正法に帰依し民の幸福と国の安泰を図るよう促された。

〈注2〉【平左衛門尉頼綱】
?~1293年。執権北条氏の内管領(家司)で、貞時の乳母の夫。北条時宗、貞時の二代に仕え、鎌倉幕府の政治上の実力者として権勢をふるった。竜のロ法難当時は、侍所所司として軍事、警察、政務を統轄していた。真言律宗の極楽寺良観等と結託し、日蓮大聖人を迫害し、門下を弾圧した張本人。

〈注3〉【極楽寺良観】
1217年~1303年。真言律宗(西大寺流律宗)の僧。良観房忍性のこと。文永4年(1267年)、鎌倉の極楽寺に入ったので、極楽寺良観とも呼ばれる。権力に取り入って、種々の利権を手にする一方、日蓮大聖人に敵対し、大聖人と門下に対する数々の迫害の黒幕となった。摂津の多田院の別当のほか、鎌倉の永福寺・五大堂・大仏殿の別当、摂津の四天王寺の別当にも任じられている。

〈注4〉【安達泰盛】
1231年~1285年。日蓮大聖人御在世当時の鎌倉幕府の有力御家人(将軍と主従関係を結ぶ武士)。得宗被官(北条氏本家に仕える武士)の平左衛門尉頼綱と権勢を競い、弘安8年11月の霜月騒動で謀反の疑いがかけられ頼綱によって滅ぼされた。

〈注5〉【上行再誕】
上行とは、法華経従地涌出品第15に登場する地涌の菩薩の上首で、神力品第21で釈尊から末法悪世において法華経を弘通し人々を救済することを託されている。日蓮大聖人は法華経の教説のままに悪世に忍難弘通され、上行菩薩の再誕として仰がれる。

〈注6〉【波木井実長】
1222年~1297年。南部氏の一族で、甲州(山梨県)波木井に住していた。日蓮大聖人の三度目の国主諌暁の後。大聖人を身延の地にお迎えしたが、大聖人滅後、入信の師である日興上人に背き、日向に従い、四箇の誇法を犯し、日興上人の身延離山の直接
的な原因をつくった。

〈注7〉【十羅刹】
十人の鬼女で、法華経陀羅尼品第26で法華経の行者の守護を誓い、法華経の行者を悩ますものに罰を現すことを説いている。
 

監正審査会 通知書

 投稿者:連絡局 査問・除名担当
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時39分32秒 編集済
不服申立の審査日が「審査員の都合」により
急遽変更。
 

(無題)

 投稿者:高幡まんじゅう
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時33分12秒
公明の 市議会議員が 境内で
まんじゅうを売る 高幡不動

関東三大不動として有名な、東京都日野市の高幡不動尊だが、 高幡まんじゅう「松盛堂」の
オーナー、峯岸ひろゆきは公明党の市議会議員で創価学会員!
創価学会員が不動尊の境内や参道で何も知らない参拝客にまんじゅうを売っているのだ。
https://www.facebook.com/minegishi21
http://www.syoseido.co.jp/
 

同盟題目開始!

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時01分53秒
池田先生と奥様のご健康とご長寿を祈ります。
よろしくお願い致します。また、病の同志にお題目を送ります。
 

NYPD様へ

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2018年 6月 3日(日)23時00分45秒 編集済
自分が創価学会の中で孤独を感じた時。それは、安保法制の時ですかね。
池田先生の平和思想を、叫べば叫ぶほど、創価学会の中で孤独を感じました。

またその後、原田会長と執行部に声を上げ続けた中でも孤独を感じました。

声を上げるほどに『何か違うな』と感じてくるようになりました。
それは、自分の中に芽生えた『憎悪』という命に気付いた時です。

自分の経験した『憎悪』について投稿したとき、反執行部メンバーに対し耳痛い投稿をしたために、自分が『裏切者』という感覚になりました。その感覚が孤独感を生むのです。

池田先生の言葉に真っすぐに生きようとするとき、まわりの人との温度差を感じ、それが孤独感に変わります。

孤独を感じる自分を『信心が弱い』と責め、無理して強くあろうとした時もありました。
でも無理すると、疲れてしまいますね。

人は、寄り添える人を、心のどこかで探しています。
『獅子は伴侶を求めず』とありますが、寂しさを感じるのが、凡夫らしいと思うのです。

でも孤独を感じたお陰で、この一文が痛いほど命に入ってくるのです。

~~~~~~~~
■随筆、新・人間革命80 昭和54年5月3日 獅子となりて我は一人征く

一人、孤独になった私は、無言のうちに必ずや、真実の伴侶はついてくるであろうと信じていた。
師弟の両者が一つの姿で、無間に戦い、舞い、走り、勝利しゆく、
私は、その新しき時代の新しき伴侶を待っていた。
(全文)https://6027.teacup.com/situation/bbs/64487
~~~~~~~~

池田先生も一人になり孤独を感じられた。
それでけで十分です。

最終的に、自分が孤独感を乗り越えたきっかけは、本気で一人立つ信心を決意した時です。
言葉を変えれば、『自分らしく池田先生と一緒に生きよう』と決めた時です。

そして、その道を歩みだした時、NYPD様のような友にめぐり合えた。
嬉しいです。

ありがとうございます。
さぁ、同盟唱題です!
 

学会活動における個人情報守秘意識は?

 投稿者:新感性
 投稿日:2018年 6月 3日(日)22時46分41秒 編集済
個人情報の徹底管理は学会活動でも不可決です。
借金や病の体験などたとえ当事者が了承していても口外すべきではないものも
少なからずありましょう。むろん了承なしでの開陳は事後報告同様に言語道断です。

また財務など金銭を扱う事案の場合は特に個人情報守秘義務が関係者に発生しています。
財務の参加・不参加・金額等は担当者と担当幹部のみが知ればいいものを、結局は本人
を取り巻く地域のほとんどの活動家が知る状況なども世間並みに是正が要されましょう。


守秘義務意識は世間が持つべきもので創価内では不要という言い訳や口実があるとするならば
それはもはや暴論ですを。
甚だしきは私怨に基づき気に入らない相手方の個人情報を暴露する者についてはもはや仏法者を名乗る資格すらもありません。


聖教販売・配達関連が持つ個人情報の管理は?  投稿者:新感性  投稿日:2018年 6月 3日(日)21時53分11秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85243
 

赤胴鈴之助さんへ

 投稿者:月の砂漠
 投稿日:2018年 6月 3日(日)22時44分5秒
学会で学ぶ伝統教学の一つである「五重の相対」について、
それが十分ではなく「八重の相対」が必要であると主張するのであれば、
文証を挙げるのは、私ではなく、貴方のほうではないでしょうか。

「八重の相対」について、御書から文証を挙げて下さい。

そして、貴方が納得させる相手は、私だけではなく、
学会の伝統教学として「五重の相対」を学び信じている
全ての学会員であることを忘れないで下さい。



 

弘安2年もん?

 投稿者:一言児
 投稿日:2018年 6月 3日(日)22時21分29秒
「広布第二章の指針」さらに、大聖人出世のご本懐たる弘安二年十月十二日の大御本尊の建立が、熱原法難を機縁とされたことに典型的にあらわれているといえましょう。(中略) 信徒の殉教を大御本尊ご図顕の機縁とされたところに私は、深い意義があると思うのであります。それは、農民であれ、漁夫であれ、自ら汗して働き、生産にたずさわる庶民こそ、民衆の代表なりとされ、その不惜の信心を観ぜられて、一閻浮提総与の大御本尊を顕されたという事実であります。 この一事をとおしてみても、日蓮大聖人の、庶民をもっとも大切にされたお心は明白であり、それは、一閻浮提の一切衆生を救う根本の本門戒壇の大御本尊として、永久に確立している、と拝すべきであると思います。(以上引用)
 私は例の「大御本尊」のもとに本尊下付、折伏が繰り広げられた、との歴史的制約を理解してます。ただ、現在ご真筆が120体は実在、特に弘安年間の10体ほどは見比べ、なぜあの造りものっぽい楠製を出世の本懐だ、との権威づけ指導を今さらに投稿されるのはカナンなー。原田体制はゴメンやけど本尊の展望をこの板でも知りたい、気合いの宮川師にも教わりたいです。
 

【新潟県知事選】「安倍政権はありったけの暴力と権力でやってくる」

 投稿者:!!!!!
 投稿日:2018年 6月 3日(日)22時01分28秒
【新潟県知事選】「安倍政権はありったけの暴力と権力でやってくる」
http://tanakaryusaku.jp/2018/06/00018225
安倍首相に不都合であれば、いとも簡単に逮捕され長期間勾留される。お友達であれば、罪が揉み消される。

蓮池氏は安倍首相による「拉致の政治利用」を早い時期から指摘していた。現状は氏の指摘通りとなりつつある。蓮池氏はじめ拉致家族は、拉致問題をジャンピングボードに利用した安倍晋三という政治家の犠牲者である。

東電社員だった「拉致被害者家族の会」蓮池透氏は、柏崎刈羽原発の再稼働に反対だ。「東電は原発再稼働できる会社じゃない。自分は6、7号機の設計に携わったから知っている。パーツを組合わせただけ。福島原発より更に危険・・」

 

聖教販売・配達関連が持つ個人情報の管理は?

 投稿者:新感性
 投稿日:2018年 6月 3日(日)21時53分11秒 編集済
>酷いなこりゃ  投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 6月 3日(日)20時28分57秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85237

以下引用
次の指摘です
▼▼▼▼▼▼
②その際、「聖教の啓蒙先」「支持者カードの起票先」「親戚や友人・
 知人」は、もれなく当たり尽くして頂きますようお願いいたします。
▲▲▲▲▲▲

↑これが「創価学会」における「個人情報」の扱い方ですか?
それって「適正」な「個人情報」の扱い方ですか?

引用以上

世間や裁判所・検察は投票を依頼する人物はすべからく○○陣営の運動員と見なします。
同じく新聞購読を勧誘する者はその新聞の販売促進員と見なすでしょう。

新聞購読者は自分の個人情報が○○陣営ないしは選挙運動のターゲットになることを
承知して購読したわけではないですね。

例えば一般紙の販売や配達に関与する者が購読者の名簿を選挙運動に使えば
やはり法的なことは置くとしても道義上は大きな問題となるのではないでしょうか。
購読者はそんなことに利用されるために個人情報を与えたわけではありませんからね。

読売など一般紙販売店ではある時期より本社販売部から個人情報管理は厳しく徹底させられていると聞き及んでいます。
店員やバイトは退店者であっても個人情報に関することとして一般的な問合せにも応じていただけなかった
こともあります。
それを思えば聖教新聞の販売や配達に従事する方々の個人情報管理の脆弱さが、御提示された
画像資料から見えているような気もしますね。


もとよりこのような聖教の購読者に関連した通達を作成し決済し配布する上層部が持つ純粋培養からの世間知らずの属性は
推して知れてくるのではないでしょうか。

以下は後編集です。

学会活動における個人情報守秘意識は?  投稿者:新感性  投稿日:2018年 6月 3日
(日)22時46分41秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85247
 

スーパー・シンボリック・パワー

 投稿者:広布第二章の指針
 投稿日:2018年 6月 3日(日)21時43分1秒
広布第二章までの三代会長を「象徴」とし利用して、未来永劫末法万年までの「栄華」を極めること?
「広宣流布」とは、組織を世界に広げて会員を増やし続けることである?

「会員の幸福追求」ではなく、会員を増やし続けて、「選挙」と「機関紙・書籍大量購読」、「高額財務供養」?

営利・功利主義を基調としたコンサル会社を顧問としたところから生み出される広布第三章は、宗教を単なる「スーパー・シンボリック・パワー」と捉えて、これを狡猾に利用して、ヒト・モノ・カネを収奪する。
不平・不満分子は、モグラ叩きのように、身内でボコボコ叩き、処理すれば良い(一般的私企業のクレーム処理)という「会員の幸福」など関係ない、組織維持の思考です。

ここで、池田先生がおっしゃられる「会員の幸福追求」のためには、将来「公明党も創価学会も要らない」との発言が邪魔になる。だから、広布第二章の指針など反故にして、新たな組織主導、公明党・創価学会組織の堅固な思想が必要になる。誰のために?
会員ではなく、「職員と議員の幸福の追求のため」、「拝金主義のコンサル会社の営利のため」、「政治勢力に加担した基盤維持のため」という根本路線が出来上がったわけです。
広告ばかり多い機関紙面、やたら記念日満載の特集、困ったらワールド・レポートと宗教的主張・教義皆無の薄い新聞と成り果てたわけです。

三代会長の思想は、「スーパー・シンボリック・パワー」であり、学ぶものではなく、使うもの・利用するものだとの昨今、話題の八重相対論に至るわけです。
つまり、宗教の皮を被った経営集団ではないですか?
 

Re.酷いなこりゃ

 投稿者:!!!!!
 投稿日:2018年 6月 3日(日)21時36分40秒 編集済
学会が宗教団体変じて集票団体となって久しいですが、今回は酷すぎるな。
身内(党・学会員出身)でもない候補にここまでやってられるかい!という現場の声多数。

政治権力を厳しく監視するのが弟子の使命。
---------------------------------
今回の新潟県知事選は“来年の参院選・統一選の前哨戦”となり、その結果は、
新潟県のみならず、今後の国政や全国各地の選挙情勢にも大きく影響を及ぼします。
「はなずみ」は、新潟市・長岡市・上越市など多くの都市部で劣勢。現時点で野党候補と
3万~5万票近く差がついており、このままでは勝利はおぼつかない状況です。
---------------------------------
この通りであれば今回われわれの行動は明白であろう。

いままさに会員を票と集票の駒としかみない学会組織と自民へ「安倍NO!」と意思表示できる
好機が到来したのだ。
 

「御肉牙」ストーリー

 投稿者:新感性
 投稿日:2018年 6月 3日(日)21時30分28秒
>無題  投稿者:。  投稿日:2018年 6月 3日(日)17時00分43秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85231

おっしゃっているアルファベットは多分、閲覧不具合の意味と思いますが、そうであれば
御意識過剰か疑心暗鬼ではないでしょうか。ブログ名を検索するとすぐに入れましたよ。

で、その御主張ですが日蓮本仏論を否定されている時点で私にとっては全くの他宗教にして
評価の対象外です。

ただし、「御肉牙について」
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2016/11/19/000742
については興味深く読ませていただきました。
師匠(ここでは戸田先生)がクロをシロというから弟子もそうあるべきとの
思考の前時代的滑稽さを、御肉牙ストーリーを通して改めて認識させていただきました。
 

実名告発 創価学会

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2018年 6月 3日(日)21時05分11秒
元職員3名のブログが更新されています。
『【緊急告知】(大結集)学会本部前サイレントアピールの日時変更!!「7月1日(日)13時半」からに変更!!<埼玉の壮年Aさんの不当な除名処分の撤回と原田会長の除名処分を求めて>』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-188.html
>なんと「審査員の都合」という、ありえない理由により、「7月1日(日)13時半」からに変更になりました。<

新潟知事選で必死てか? 鼻水ひでぇよ!

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

脳波シフトで宿命転換 日蓮仏法3.1

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2018年 6月 3日(日)20時58分35秒
『脳波シフトで宿命転換 日蓮仏法3.1』が面白い!
「キンドル版はすべてカラー」でしたか! すみません。なるほど、ですね。ただカラーだったらもっと良いのに、と思って、簡単に言ってしまいました。すみませんでした。
フェイスブック等への掲載の件もいい提案でなければ、気にされないで下さい。余計なことを言ってすみませんでした。
余計なこと……を、また言うようですが、カラー化をクラウドファンディングか何かで出来るといいなぁ。日本側での協力をする時間が取れないので無責任ですみませんが。
ちなみに池田先生の2006年以降スピーチもクラウドファンディングで出来たらいいなと考えています。
https://www.amazon.co.jp/dp/4802094353
https://youtu.be/rireUIHOkvM
 

酷いなこりゃ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編
 投稿日:2018年 6月 3日(日)20時28分57秒


↑なにこれ??


▼▼▼▼▼▼
①今は野党候補に入れるつもりの人も、しっかり語れば「はなずみ」
 にひっくり返せます。すでに配布した内部検討資料「対話のポイン
 ト」をフル活用し、固めて頂きますようお願い申し上げます。
▲▲▲▲▲▲

『今は野党候補に入れるつもりの人も、しっかり語れば「はなずみ」にひっくり返せます』

↑どんだけ民衆をバカにした「指導」なのでしょうか。
「民衆」はオセロですか?

『すでに配布した内部検討資料「対話のポイント」をフル活用し、固めて頂きますようお願い申し上げます』

昔の学会では『策に走るな!!』と厳しい指導が有名だったものだけど。
方法論に頼らせて本尊軽視させる指導ですよこれ。

ぶっちゃけ

『退転要求』といっていいです。


次の指摘です
▼▼▼▼▼▼
②その際、「聖教の啓蒙先」「支持者カードの起票先」「親戚や友人・
 知人」は、もれなく当たり尽くして頂きますようお願いいたします。
▲▲▲▲▲▲

↑これが「創価学会」における「個人情報」の扱い方ですか?
それって「適正」な「個人情報」の扱い方ですか?


▼▼▼▼▼▼
③その上で、6月7日(木)、8日(金)、9日(土)の最後の三日間に、
 今まで当たった方も含めて、もう一度「最後のお願いです」と念押
 しの電話を入れて頂きますようお願いいたします。
▲▲▲▲▲▲


・・・ もう完全に『策』にだけ頼った指導で「信仰」とはなんの関係もない「指導」になっていません?


他にもありますねぇ(自語相違が)

▼▼▼▼▼▼
今回の新潟県知事選は“来年の参院選・統一選の前哨戦”となり、その結果は、新潟
県のみならず、今後の国政や全国各地の選挙情勢にも大きく影響を及ぼします。
連日、新潟の皆さんも必死にがんばってくださっていますが、地元だけではどうしても
届かない情勢です。ぜひとも、皆様のお力添えをよろしくお願い申し上げます。
▲▲▲▲▲▲

▼▼▼▼▼▼
「はなずみ」は、新潟市・長岡市・上越市など多くの都市
部で劣勢。現時点で野党候補と3万~5万票近く差がつ
いており、このままでは勝利はおぼつかない状況です。
▲▲▲▲▲▲


という文面ですが。

以下の候補者のホームページとは明らかなる相違がございます。
http://hanazumi-hideyo.jp/
【花角英世(はなずみひでよ)|公式サイト|元新潟県副知事、前海上保安庁次長 | はなずみ英世、県民信頼度ナンバーワンの県政。新潟県副知事としての行政経験を活かし、また県内外に培った人的ネットワークも活用し、県政の信頼回復と安定の実現に取り組んでまいります。】


あれれ?
当人はホームページにて『県民信頼度ナンバーワンの県政』と言ってるようですが??

どっちが事実なのでしょう?

「はなずみ」という候補者のホームページって「誇大広告」だったの?
少なくとも学会上層部はそのように「認定」していますよね

こんな支離滅裂な「指導」をして大丈夫ですか?f^^;


さらにいうと、

▼▼▼▼▼▼
「はなずみ」は、新潟市・長岡市・上越市など多くの都市
部で劣勢。現時点で野党候補と3万~5万票近く差がつ
いており、このままでは勝利はおぼつかない状況です。
▲▲▲▲▲▲

↑これって「創価学会が悪いこと」ですか??
「創価学会にはなんら責任はないもの」で「自己責任」ではないの?


▼▼▼▼▼▼
今回の新潟県知事選は“来年の参院選・統一選の前哨戦”となり、その結果は、新潟
県のみならず、今後の国政や全国各地の選挙情勢にも大きく影響を及ぼします。
連日、新潟の皆さんも必死にがんばってくださっていますが、地元だけではどうしても
届かない情勢です。ぜひとも、皆様のお力添えをよろしくお願い申し上げます。
▲▲▲▲▲▲

↑↓ どちらが事実なのでしょう??

【花角英世(はなずみひでよ)|公式サイト|元新潟県副知事、前海上保安庁次長 | はなずみ英世、県民信頼度ナンバーワンの県政。新潟県副知事としての行政経験を活かし、また県内外に培った人的ネットワークも活用し、県政の信頼回復と安定の実現に取り組んでまいります。】

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

五重の相対と八重の相対 議論を深めませんか

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2018年 6月 3日(日)20時20分3秒
月の砂漠さん、下記の文章は日蓮大聖人の教えですか。
池田先生の教えですか・・・文証を上げてください。

引用失礼します。
>「五重の相対」は、その誓願から導き出された、<


日蓮仏法2.0さん、即身凡夫本仏論を読みましたが、五重相対はどこに書かれてありますか。
引用失礼します。
>後の三重の相対は「世法上の比較対照」を問題にしています。<

世法と仏法との差違は・・・文証を上げてください。

世法と仏法との差違は無いと、私は先輩より教わりました。
文証です。
・・・・・・・・・・・・・・・・
檀越某御返事 P1295

 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の冶生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり、
・・・・・・・・・・・・・・・・・


私は八重の相対が、絶対正しいと思っているわけではありません。

しかし、お二方の論は、納得しがたいことが多々あるのですが、指摘してよろしいでしょうか。

先日、議論の入り口で切れられた方がいたので、先に提案させてもらいます。


 

敵を増やして、広布が進むか?

 投稿者:鉄砲玉
 投稿日:2018年 6月 3日(日)20時03分26秒
新潟県知事選に一言。

他県の友人・知人から、与党候補支援のお願い電話。
地元新潟県の有権者はどう思うだろうか?

「与党候補が勝利すると、安倍政権にとっては追い風になるけど、あなたは安倍さん支持しているの?」と言われて、あなたは何と答えるのでしょう?

「選挙の時ばかり、連絡してくるけど、他県のあなたにとって、新潟県知事選挙の結果がどう関係してくるの?」

「県知事選挙の一つの争点は、原発だけど、与党候補への投票を依頼してきた、あなたは原発の存続に賛成なの?」「原発に対して、あなたはどう考えているの?」

等々、公明党の今までの得票率をもとに、試算すると、投票依頼した方々の8人か9人に一人、依頼通り、与党候補に投票してくれるのが山々です。あとの7人か8人は、「なんで他県の奴に言われなけりゃならないんだ」とか「原発の事もわかっていないし、日本の国政の現状も踏まえることなく、ただ、組織の方針に従うだけで、ひつこく、電話してくるなよな・・」などと、嫌がられているのが、現状なのです。
言ってみれば、一人の味方を作る為に、其の何倍もの、敵を作っているのです。その積み重ねが、公明党への支持率3%~4%なのです。しかも、これが20年も30年も続いているのです。
もう、気が付かねばなりません。ただお願いするような支援活動を、組織的にやるのは逆効果なのです。

パラダイムの転換が必要なのです。目先の組織の打ち出しで、盲目的に動くのは止めにしませんか?
 

これ選挙違反にならないの?

 投稿者:アウトレイジ
 投稿日:2018年 6月 3日(日)19時55分34秒
大丈夫でしょうか?
↓↓↓↓↓
 

明日の協議会で

 投稿者:sgi.faithメール
 投稿日:2018年 6月 3日(日)19時10分11秒
徹底をお願いいたします。  

「フレンドリー」にコンビニ経営

 投稿者:寝たきりオジサン
 投稿日:2018年 6月 3日(日)18時30分26秒
2002年10月2日

【さいたま市】アジア最大級のサッカー専用・埼玉スタジアムのほど近くに、セブンイレブン
「浦和大門坂下店」がある。そのオーナーがM・Tさん(35)=凱旋圏・美花支部、圏男子
部長。通りに面したコンビニは8店舗。スーパーマーケットを含めると、周囲に10数店舗が

ひしめき合うコンビニ激戦地だ。ここでMさんは、関東で5本指に入る最優秀店舗賞(98年
)などを受賞。現在もトップクラスの売り上げを記録し続けている――。

駐車場がない!?

「いらっしゃいませ!こんにちは」。入店すると、元気な声が飛び込んできた。活気ある中に
もさわやかな雰囲気。だが、とりたてて特別とは思えない。むしろ店内は、他店よりも狭い印
象だ。「そうなんです。うちは25坪(約82平方メートル)ですから、平均(30坪)より

も小さいし、4年前までは駐車場もありませんでした。この立地で駐車場がないのは致命的で
すよ、ははは」その店がなぜ、トップクラスの売り上げを記録できるのか。効率的な品揃えか
、客の目を引く陳列方法か、はたまたムダのない在庫管理か……。「いいえ。そういう従来の
やり方は、もはや限界を迎えています。行き着くところまできてしまっています。今後、求め

られるのは、いかに人間的なやりとり、心の触れ合いの中で商品を手にしてもらうかです」同
店のモットーは「フレンドリーサービス」。親しみやすいサービスだ。客のたばこの銘柄や、
レンジで温めるかどうかなど、一人ひとりの客の好みを忘れない。「涼しくなりましたね」な

ど、一言でもいいから声を掛けるなど、さまざまに取り組んできた。また、「いらっしゃいま
せ」の後に「おはようございます」。「ありがとうございました」の後に「またお越しくださ
いませ」と、一声つけるあいさつも先駆的に始めてきた。「当初、お客様はびっくりして振り

返ったものです。やめた方がいいと助言してくれる方もいました。でも“この狭い店に来てく
れてありがとうございます”という、感謝の気持ちを伝えるには、これしかないと思いました

。だから、一度、来店したお客は離さない。うちはそうやって生き残るしかなかったんです。
ところが、今になってみると、その固定客、リピーターが多いのが、うちの最大の強みになっ
ています!」

ないないづくし

1967年(昭和42年)、福島市出身のMさん。幼いころ、実家は県内でも1、2位を争う
酒屋と不動産会社を経営。だが高校に入るころに、事業は悪化した。90年、Mさんの母・H
子さん(63)=婦人部グループ長=は、酒屋を売却し、その資金を元に、上京。Mさんの姉

夫妻とともに、現在の場所にセブンイレブンを開業した。「ところが、店は小さい、駐車場は
ない。そればかりか周囲には家もほとんどなく、一面に畑が広がっていました。人口が少なす
ぎて、電話さえもつけてくれない。ないないづくしでした」と、H子さんは笑う。数カ月後、

姉夫妻は店をあきらめ、白羽の矢がMさんに立った。Mさんは学生時代に入会。卒業後、東京
の証券会社に就職。3年間勤めていた。オープンから5年間、売り上げは下がる一方。一般的
に、1日50万円の売り上げが必要とされるコンビニで、Mさんの店は20~30万円。赤字

経営が続いた。加えて、妻・M子さん(35)=婦人部員=のおなかの中にいる長女に水頭症
の診断。妻とともに真剣に祈った。94年、K子ちゃん(8)が生まれた時、医師は言った。
「不思議です。完治しています」3年後の97年、二女・Hちゃん(5)は知的障害を抱えて

生まれた。「なぜうちの娘ばかりが……」。思わず弱音が出た。「必ず意味がある!」。同志
の励ましは厳しくも温かかった。どこまでもともに唱題し、御書を拝読した。2歳を迎えるこ
ろ、知的障害は完全に消えていた。医師も驚いた。2000年、三女・Sちゃん(2)が生ま

れた時、医師はアトピー性皮膚炎と小耳症の診断。Mさん夫妻の心に動揺はなかった。「同じ
悩みを抱える人を勇気づける使命がある。だから必ず乗り越えられるんだと、確信できました
」。事実、今では少しずつよくなっている。

隣の店は閉店

店の借金はどうなったか。98年、借金が2000万円を超え、今度こそ店をたたもうと思っ
た時、申請していた酒類販売の免許が取れた。当時はくじ引き方式で、後で聞けば、約50分

の1の確率。それが1回目の申請で下りたのだ。さらに、宿願だった目の前の土地を、駐車場
として借りられることに。「守られている!祈りがかなったと確信しましたね。本当にこの信

心はすごいです」この年、1日の売り上げは最高で100万円を突破し、関東で最優秀店舗賞
を受賞した。他店も評判を聞きつけ、周囲は出店ラッシュに。Mさんの店の隣で、常にライバ
ル関係にあったコンビニは、その波にのまれ、いつしか閉店した。Mさんの店は、たばこの免

許も取得し、常に安定した売り上げを持続。昨年も埼玉600店舗以上の中で「おでん部門賞
」を受賞した。12年前、畑だった風景も一変した。昨年、ワールドカップ開催に当たり、埼

玉スタジアムが完成し、人口は急速に増えた。それに伴い、新規開通した埼玉高速鉄道は、営
団地下鉄・南北線と連結し、都内まで、わずか1時間弱に近づいた。「どんな環境であれ、信

心で勝つことがすべてに勝つ秘けつだと実感しています!」本年7月、念願の長男・Kちゃん
が誕生。同じ月、圏男子部長の任命を受けた。今、仕事に悩むメンバーは、Mさんの激励に触
れ、次々と立ち上がっている。
 

無題

 投稿者:
 投稿日:2018年 6月 3日(日)17時00分43秒
signifie.wordpress.com が、archived or suspended になりました。
「気楽に語ろう非活のブログ」の最近の記事にあった執行部の方針によるのでしょうか。
来年は選挙の年で票を気にされてのことかもしれませんね。
 

いわゆる「八重の相対」について

 投稿者:日蓮仏法2.0メール
 投稿日:2018年 6月 3日(日)16時22分41秒 編集済
いわゆる「八重の相対」について ?投稿者:月の砂漠 ?投稿日:2018年 6月 3日(日)14時22分19秒

所謂「八重の相対」について、私が思っていたことを月の砂漠さんが表現してくれています。
それで改めて私なりに表現すると、最初の五重の相対は「仏法上の浅深勝劣」を、後の三重の相対は「世法上の比較対照」を問題にしています。

ここで最も根本的な点は「仏法と世法の相対」そのものです。
大聖人の立場は一貫しています。
「天晴れぬれば地明かなり。法華を識る者は世法を得可きか」(『観心本尊抄』、254頁)。
つまり、仏法が根本で世法の問題は二次的・派生的な問題です。
世法上、つまり組織的なレベルの問題については絶対的普遍性を持ちえません。
世法即仏法・仏法即世法という側面があるとしても、根本は仏法であることに変わりはありません。
世法から仏法を判断することが根本的な誤りになります。
ただし、世法上の問題はそれなりに対応し、解決する必要があります。
が、世法を表にし、仏法を裏にしたり、後回しにしてはいけない。
日蓮仏法を実践する私たちはあくまでも仏法、信心、唱題行の実践を根本にすべきです。

では、その根本となる仏法とは何かという話になると、五重の相対が重要な意味を持つ訳です。
が、この五重の相対は天台流の範疇で、大聖人はそれを超えた立場を構築しています。
それを私は『即身凡夫本仏論 日蓮仏法2.0』で展開しています。
結論だけを述べますと、大聖人は「末法の本門の題目即唱題行=末法の円頓止観」を確立するために、その視座から独自の教相判釈を確立しています。
これは私は(内外相対を省いて)「下種仏法の四重解釈レベル」として次の様に整理しました。
A 「末法の権実相対」
B 「末法の本門教相」
C 「末法の下種仏法」
D 「末法の唱題行」

この四重相対に対応して、御本尊の四重構造を解明しています。
A)妙法即唱題行は普遍的な十界互具・一念三千・即身成仏の原理の現成を意味します。
B)それで大聖人は「末法の為の本門観心」の視座から、
虚空会で展開される久遠実成を普遍的な即身成仏のプロトタイプと解釈する。
C)その十界互具・一念三千・即身成仏の三大原理が妙法即唱題行であり、上行所伝の妙法である。
これを観心の対境である十界漫荼羅として完成させた。
D)私たち末法の凡夫がこの御本尊の前で唱題行を実践する時、
成仏三点セットが現実として顕れる。

こうした重層構造を説くことにより、大聖人の著述に(矛盾するように)見られる多義性・重層性を解明できるし、日蓮宗や日蓮正宗における日蓮思想と本尊観をも相対化できます。

『即身凡夫本仏論 日蓮仏法2.0』では、過去・現在・将来の学会教学を展望する三部構成で整理しています。ぜひ一読し、自身の思索の糧にしていただければ光栄です。

https://www.amazon.co.jp/dp/4802094086

 

音声youtubeありがとうございます。

 投稿者:ひかり
 投稿日:2018年 6月 3日(日)15時59分48秒 編集済
「広布の第三章の指針」様、池田先生の烈々たるご指導の音声、ありがとうございました。


現創価学会執行部&追随幹部は、池田先生の御指導を学び直すべきですね。

もう、とんでもなく見当違いなところに、組織ごと持って行ってしまったようです。

今の創価学会は、本来の創価学会ではありませんね。 別物と言っていいでしょう。

まだ聴かれていない方も、お聴きになられれば「池田先生の御指導との隔たりの大きさ」感じると思います。

         ↓            ↓


『広布の第三章の指針を展開するのが「本眷属の弟子」   投稿者:広布の第三章の指針  』


   広布の第三章の指針を展開するのが「本眷属の弟子」

創価学会 第39回 本部総会『創価学会の理念と伝統』昭和51年10月24日 創価学会札幌文化会館

2018/04/04 に公開47分33秒

https://www.youtube.com/watch?v=uuz-T0Q1REA&t=498s

 

いわゆる「八重の相対」について

 投稿者:月の砂漠
 投稿日:2018年 6月 3日(日)14時22分19秒
何のための相対なのか。
観念の遊戯に陥らないように、その根底にあるものを忘れてはならないと思う。
その根底とは、「衆生無辺誓願度」、「如我等無異」であり、
一切衆生を仏にするという「仏の誓願」である。

「五重の相対」は、その誓願から導き出された、
時代や所属組織、または組織の長によって変化しない
生命探求の深化に応じた相対である。
すなわち、それぞれの深化段階において、
どちらが衆生を仏にできるかという相対であり、最終的には、
一切衆生を仏にするという「仏の誓願」の成就を目的としている。

しかしながら、いわゆる「八重の相対」は
時代や所属組織、または組織の長によって変化するものであり、
「五重の相対」に連なる生命探求の深化による相対ではない。

一つひとつを見ていきたい。

<第六の相対> 宗創相対
同じ大石寺系でも、宗門はダメで創価学会でなければならない

今の時点ではそうかもしれないが、誰にも予測できない
5年後、10年後、そして100年後の「組織」の相対に意味があるのだろうか。
近い将来、宗門に改革が起き、正道に戻るかもしれない。
逆に、創価学会が間違った方向に進み、邪道に染まるかもしれない。
その関係を、固定化することに教学的な意味は見いだせない。
またこれは、宗門か創価学会の「組織」に所属することを、
成仏の要件としているようにも受け取られかねず、
そこには冒頭の「仏の誓願」の実現を、「種脱相対」より、
さらに広げるものとはなっていない。
逆に、「種脱相対」で示された「皆成仏道の門」を、
創価学会員以外の人たちに閉ざすものとなっている。

<第七の相対> 池創相対
同じ創価学会であっても、池田先生との師弟がなければダメ

第六の相対にも関連するが、創価学会を、単に入会の手続きによってのみ帰属する
「社会一般の組織」と捉えれば、そうした相対も分からないでもない。
しかしながら、創価学会を「地涌の菩薩の自主的な集まり」の総称だと捉えれば、
池田先生をとるか、創価学会をとるかという発想自体が成り立たなくなる。
なぜなら池田先生も、創価学会員一人ひとりも「地涌の菩薩」であるからである。
創価学会を「仏意仏勅の団体」とみなす時、それは後者であると考える。
学会員が自らを「地涌の菩薩」であると自覚する時、
「池創相対」は意味をなさなくなる。

<第八の相対> 師弟の道・師弟不二の道相対
同じく池田先生を永遠の師とする弟子の中でも、師弟の道はダメで、
師弟不二の道でなければならない

一見、もっとものように聞こえるが、
どちらの道を進んでいるのか、誰がどう判断するのだろうか。
この考えに同意している人たちの投稿を注意深く読んでみたが、
その多くの人たちに共通しているのは、
自分こそは師弟不二の道を歩んでいるとの勘違い、
そして同時に、その勘違いから、相手を見下すような態度が見受けられる。
それらを見ていると、この相対は、本人の主観によるところが大きく、
自他ともに師弟不二の道を進めるように努力するという方向性よりも、
自分こそは師弟不二の道を進んでいるからと、今の自分を絶対視し、
相手を見下すような態度、時には攻撃的になる危険性をはらんでいるように見える。

師弟不二とは、「すべての人を仏にしよう」という「仏の誓願」を、
根本の一念として体現している師匠と、
弟子の一念が「不二」であることが出発点であり、
そこから弟子が自発能動的に、それぞれの使命を果たしていくことだと考える。
その根本の一念を「不二」たらしめ、自身の使命を果たすためには、
「御本尊」に自行化他の題目を唱えることが不可欠である。

よって、誤解を生じやすい主観的な「師弟不二」か否かの相対よりも、
「仏の誓願」と「自身の一念」が一致しているかどうかを、
言い換えれば、「御本尊」への日々の唱題によって、
「仏の誓願」を自身の内に確認していく作業が先決であると考える。


以上
 

『脳波シフトで宿命転換 日蓮仏法3.1』が面白い!

 投稿者:日蓮仏法3.1メール
 投稿日:2018年 6月 3日(日)14時12分17秒
レット・ミー・ビー・ゼア ?投稿者:SaySaySay ?投稿日:2018年 6月 3日(日)09時05分
『脳波シフトで宿命転換 日蓮仏法3.1』が面白い!
https://www.amazon.co.jp/dp/4802094353
https://youtu.be/rireUIHOkvM
この本は「カラー」で出版すべきだ!!
『日蓮仏法3.0』もそうですが、図をカラーでハッキリクッキリ見たい!
値段の問題がありますから、難しい相談ですが……

・・・仰る通り、カラーにすると値段が跳ね上がります。
必要なページだけをカラーに指定できるなら別ですが、現状ではモノクロかカラーかの二者択一の選択肢しかありません。
ただし、キンドル版はすべてカラーです。
欧米のアマゾンでは、ペーパーバック版と一緒に購入すると、キンドル版は300円程度です。
でもアマゾンジャパンではこのサービスは提供されていないようです。

図だけをフェースブックかどこかに載せて公開というわけにはいかないでしょうか。
・・・ 女房に聞いてみます。

・・・ネーナの経歴に関する裏情報を見つけました。彼女のミドルネームもスザンネとは知らなかった。
2005年に発表したシングル『Liebe ist』は、ドイツの人気ドラマ『Verliebt in Berlin』の主題歌になったこともあり、『ロックバルーンは99』以来22年ぶりのヒットチャート1位を獲得した。
・・・このテレビ番組はずっと見ていたのでよく知っています。

https://middle-edge.jp/articles/700139

 

プロフィール

 投稿者:新感性
 投稿日:2018年 6月 3日(日)13時24分3秒 編集済
>アベ自公が日本を破壊する  投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 6月 3日(日)12時59分40秒

>新潟県知事選の自公側候補、花角英世氏。
>2011年7月に、国交省大阪航空局長をやっていたのか?!
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85222


それについてはジャーナリストによる以下の指摘や画像がありますね。

以下引用

記事
田中龍作2018年06月02日 22:53【新潟県知事選】自公候補が隠す元大阪航空局長の過去 「森友」でイメージダウン恐れ?

花角氏は2010年8月に大阪航空局次長に就任、2011年8年から2012年9月まで同局長を務めた。
http://blogos.com/article/301580/


画面2番目のプロフィール画像によると
平成20年の観光庁総務課長を示していながら2011年(平成23年)の国交省大阪航空局長を伏せていますね。

3番目の画像では

>運動員(左端)は、肩を抱いて候補者を連れ去り、記者に質問させないようにした。=2日、新潟市内
 

アベ自公が日本を破壊する

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2018年 6月 3日(日)12時59分40秒
米朝首脳会談。当初の予定通り、6月12日にシンガポールで開かれる。

トランプ氏は、もはや「最大限の圧力という言葉は使いたくない」とまで言いだしている。

「最大限の圧力」。
これはアベ首相がトランプ氏の真似をして、それこそ「口を開けば、こればっか」というか、耳にタコが出来るほど繰り返し使っていたフレーズだ。(失笑)

その言葉を、トランプ氏に「もう使いたくない」と否定されたわけで、完全にハシゴを外された格好だ。面目丸つぶれもいいところだ。(笑)

トランプ氏が米朝会談の中止を表明した時に、世界で「ただ1国だけ」、賞賛支持したのが日本だが、さすがに日本の首相は一味違う。(呆)

米韓中露と北朝鮮が、活発に外交交渉を展開する中、日本だけが完全に「蚊帳の外」だ。
日本の最大の懸案である「拉致問題」も、今のところ米朝間の会談では取り上げられていないが、当然だ。
自分では何もせず、すべて他人頼みだからこうなるのだ。

米朝首脳会談を開いても、非核化のプロセスに関しては、そう簡単には行かないのは織り込み済みだが、「朝鮮戦争終結」の方はかなり期待できる。

もし朝鮮戦争が終結すれば、日本は兆単位の戦後賠償金や復興援助金を求められるかも知れないが、トランプ氏に任せっきりでいいのか? もうすでに餓死する国民もいて、余裕など無いのだが?

何が「外交のアベ」だ。このままでは、口は出せずに金だけ払うということにもなりかねない。

朝鮮戦争の終結は、諸手を挙げて賛成だが、今のままでは日朝の本当の関係改善には繋がらないだろう。

国内政治もそうだが、国際政治でも、アベ政権ではもうどうにもならないのではないか?
本当にどうしようもない政権だ。
日本は、政権を変えて一から出直すべきだ。


佐川元理財局長を含む38人の不起訴決定。

自殺者を出し、公文書を改竄、破棄し、国民と国会をあれだけ露骨に騙しておいて、それでも起訴できないと言うのなら、大阪地検特捜部など存在しても意味がない!もう要らない。

国に8億円もの損害を与えた連中を、起訴できないだと?

強制捜査さえ一度もやらずにシャアシャアと、何が「起訴は困難」だ。やるべき事もやっていないではないか。

最初から「不起訴ありき」で動いていたのではないか?と疑われるのは当然だ。
また官邸に対して忖度しているのだろう。実にカッコ悪い検察だ。久利生検事のようなヒーローはやはり居なかった。もう偉そうにする資格なし!

もしも本当に起訴できないのだとすれば、法律を変えなければならない由々しき事態だ。
国会(立法府)の出番となって、また大事がひとつ増える。このままでは済まされない。


新潟県知事選の自公側候補、花角英世氏。
2011年7月に、国交省大阪航空局長をやっていたのか?!  もしかして森友事件関係者?
うーむ、これはかなり胡散臭いな。

 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール
 投稿日:2018年 6月 3日(日)12時54分51秒
社会というのは、一面から見れば矛盾だらけです。汚ないところもあるし、厳しいところもある。それを安易に考えて、自分が社会の落後者になってはならない。そうなってから、どんなに弁解しても、負けは負けです。荒海を断じて泳ぎきっていかなければならない。断じて溺れてはならない。  

生来、面倒くさがりやの私!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2018年 6月 3日(日)12時01分35秒
 「生命」の「核」が、あるいはその「全体」が「妙法蓮華経」であることは間違いのないところです。その核心は「根本清浄」と言ってもいいのでしょう。両方とも「生命」です。その「生命」は「十界」すべてが調和泰然とする「十界本有」です。その「十界」の各別も、「妙法蓮華経」から生じた変化相と言える“塔婆”です。だから、「一念三千」は、元々の生命の母体である「妙法蓮華経」を核に、その変化相の「三千」が見事なる調和の姿を示した“当体”だと言っていいのでしょう。

 SaySaySayさんがうるさいので(笑い)、その「妙法蓮華経」の“振動”が波長で示すなら宇宙と同じ「8Hz」ということになるのでしょうか。耳で聞こえる「音」も振動なら、眼で見る「光」も波長の異なる振動です。電磁波だって振動です。「振動」がこの宇宙の根源であることは量子力学でどんどん明らかになってきています。心地良い振動、安心、安楽の振動が、身も心も創造してきた宇宙の根源の振動であることに、何の異論はないはずです。その宇宙の根源の振動を大聖人は「南無妙法蓮華経」と名付けられたといっていいのでしょう。

 間違えてならないのは、この現象世界の娑婆で生きる手立ては「九界」にあり、その根源の「智慧」というか「力」が「仏界」にしかないということなのではないのでしょうか。なんでも「仏界」、なんでも「仏」と言っていればそれで「こと済む」と思うのは浅はかな考えと言わざるを得ません。そこに「宗教は人間を強くするのか、弱くするか」の“鍵”があるように私には思えるのです。


 生来、面倒くさがりやの私は、何とか端的に仏法や仏を表現するに簡潔な御書の御文や、池田先生の指導がないものかと探し回っていました。それが次の御文です。三つあります。

 「法門多しと雖も但三諦なり 此の三諦を三身如来とも三徳究竟とも申すなり」(一念三千法門413㌻)です。

 どうです、簡潔でしょう。この一文で、「仏」ということも、「三身如来」ということも、「徳」の視点から見た「三徳」ということも歴然です。いずれも「妙法蓮華経」の説明です。「十如是」からお述べになっておられます。

 いまは、次の一文を中心に据えています。探求熱心の赤胴鈴之助さんにはもう見破られているかも知れません。池田先生の「一生成仏抄講義」の中でも引き出されている御文です。

 「凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」(法華初心成仏抄557㌻)です。

 「仏」という「妙法蓮華経」が一体、いかなるものかがここで明らかです。皆成仏道も、万人平等も明らかになります。

 私なりに読み下してみました。

 凡(およ)そ妙法蓮華経とは、我等衆生の仏性と、梵王・帝釈等の仏性と、舎利弗・目連等の仏性と、文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理(ことわり)を妙法蓮華経と名(なず)けたと、はっきりあります。「仏性」が「妙法蓮華経」です。我等衆生と、世の指導者・学者や、釈迦十大弟子の舎利弗・目連等の智者や、経文に登場してくる文殊・弥勒等の菩薩や、三世の諸仏の解(さとり)の妙法と一体不二である「理(ことわり)」が「妙法蓮華経」だと仰せです。「法」の側面と拝せます。

 「人」と「法」が「妙法蓮華経」の実像です。         (つづく)


 

ご欠席から8年。

 投稿者:コンペー
 投稿日:2018年 6月 3日(日)11時22分50秒
2010年6月の本部幹部会、先生はご欠席された。8年が経った。毎月の本部幹部会の先生の激励が創価学会の原動力だった。先生の陣頭指揮が無くなり、大きく変質し完全に衰退した。
逆に言えば、どれだけ先生が偉大か!先生の指揮だけで成り立っていた事が証明された。
いくら、先生を偽ってもダメです。
心ある会員の皆さんはわかっています。
でも言わないんです。おかしくなったと言われたくないから。
何もかも嘘をついているから「お元気な先生」と言うしかない。その言葉で、ますます不信感は増すばかりです。










 

カントリー・ロード

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2018年 6月 3日(日)10時53分30秒
飛翔こそ蘇生さん、重要なポイントをありがとうございます。
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85137
>団結が強いので、たまに「全体主義だ」なんていわれることがあったが、この人間の社会はそんな単純なものではない。いわんや何百万の人間の集合体です。それぞれの意見もあり、個性も違う。職業も違う。簡単に従ってくるものではない。しかし、団結は他のいかなる団体でも、会社でも、願望しているのではないでしょうか<

草食動物ニッポンジンの特殊なDNAのお陰で最低なリーダーシップでも通用した時代がありましたが、もう無理。21世紀ですから。

『日本人の「ハチ公体質」は、不幸しか招かない』
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180603-00223020-toyo-bus_all
>ハチ公体質は、指導者ではなく、「指導される人々」を作り出してしまった。自分の上司がどんなにポンコツで腐っていても、「上司」だという理由だけで彼らは従順に従ってしまう。安倍晋三政権がこんなに長く続いているのは、ほかに対抗できるまともな政党がないからだ<>こうした中、日本にも「忠実じゃない」人たちが出てきている。前文部科学事務次官の前川喜平、愛媛県知事の中村時広、日大アメフト部の宮川泰介のような人たちだ。日本では今、こうした一種の「反乱者」に対して、見えないが深くて強い共感が向けられている。凶悪な上司などの命令のせいで仕事上、そして私生活で宮川選手のような苦境を経験した多くの人が彼に共感しているのかもしれない。が、日本の若い世代はこうした権威に対してノーを突きつけ始めているように思える。厚生労働省の発表によると、新規大卒就職者の32.2%が3年以内離職している。もちろん、理由はいろいろあるだろうが、少なくとも若い世代は不満があったら我慢することはしない。確かに若い世代でも、表立って上司や会社に立ち向かえる人は少ないだろう。それでも、少しでも理不尽な状況に背を向ける人が増えれば、日本は少しずつ変わっていくかもしれない。<

氏家さんが5月末にツイートされていましたが、日本には「個人」が無いから「社会」も無い。「世間様」があるだけだったが、新しい世代では変わって来ています。
https://twitter.com/ujikenorio
しかし、それは人間・生命の本来「具足」しているもので、そこへ戻って行く「蘇生」なのだと思います。そうして「開く」のがイケディアンだと思います。

“田舎道よ 故郷(九識心王真如の都)まで連れていって 私が育ったあの場所に”
“ウェストバージニアの母なる山々に 故郷まで連れていって 田舎道よ”
『カントリー・ロード』オリヴィア・ニュートン・ジョン
https://www.youtube.com/watch?v=geB6pudWpBA
 

宮川さんのFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ
 投稿日:2018年 6月 3日(日)10時05分47秒
宮川さんのFacebookの代理投稿をいたします。
Facebook投稿の画像ファイル1枚はそのまま添付します。
Facebook投稿の動画ファイル1つと、もう一つの動画ファイル(これも宮川さんのもの)は、ファイル形式と容量の関係で直接に添付してのアップができませんので、リンクを張ります。

・Facebook投稿の動画ファイルのFacebookのサイトのリンク
https://www.facebook.com/Yuho.Nichigo.Miyakawa/videos/928988363969562/

・同じFacebook投稿の動画ファイルのドン・キホーテのオンラインストレージ上のリンク
https://app.box.com/s/qkgu9l0gpjbvd455zndui0y1kbt3mryi

・もう一つの動画のファイルのドン・キホーテのオンラインストレージ上のリンク
https://app.box.com/s/8180ciluim4edoj369ur43v76vcb7c6y

なお、ファイル形式、容量を調整しましたら、この投稿に変更を加える形でアップさせていただきます。

(ドン・キホーテ)


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「 日蓮は明日・佐渡の国へまかるなり、今夜の寒きに付けても・

牢のうちの有り様思いやられて・痛はしくこそ候へ、

あはれ殿は法華経一部を色心二法共に遊ばしたる御身なれば・

父母・六親・一切衆生をも・助け給うべき御身なり 」

( 土篭御書 1213頁 )

明日、極寒の佐渡へ流される大聖人、

自らの身の不遇など眼中にない大聖人の弟子への思いに、

拝する度に涙する御聖訓である。

箱根2日目には、愛すべき同志が駆けつけてくれた。

とにかく、カッコいい。

宇崎竜童似で、岩城滉一並みのイケメンである。

かつては、大型バイクで、関東一円を取り仕切った愚連隊の長(おさ)である。

命を捨てた人間と言うものは、逢っていて気持ちがいい。

私の同志(とも)は、全員その類いである。

大聖人の慈悲の波動は、

弟子の我々の、
秋をも春に変える強大な力を呼び起こし、

微動だにしない生命力を培ってくれる。

そして、それは言葉ではない。

本当に深く傷をおった人に、言葉はいらない。

私の命で良ければ、差し上げましょうと言う、
究極の同苦であり、

利他であり、

慈悲であり、

祈りである。

私が生きる存在理由として、常に命に刻んでいる座右の銘がある。

以前、日本の書家の友人が、
贈ってくれた漢詩である。

「  問世間 ( 世間に問う )

情是何物 ( 情は是れ.何のものぞ )

直教生死相許 ( ただ生死をあい許せしむ )

訳:

情とは何であろうかと
世間に問うてみる。

 私は答える。

「 我らにとって、

何もためらうことなく

生と死を共にすること、

これこそが情だと 」


何の躊躇( ためら )いもなく、

生死を共にする覚悟。


師匠の為に、何の躊躇いもなく、死を共にするのは、当然として、

友の為に、否、いま、縁したこの人の為に、

何の躊躇( ためら )いもなく、生死を共にする覚悟。

信義の為に、即座に命を捧げる覚悟。

覚悟とは、覚も、悟も、さとる、と読む。

ラテン語の、メメント・モリと言う言葉がある。

死を記憶せよ。

死をわすれるな、

との意味であるが、

人がより人間として生きる為に常に意識せよ、との言葉である。

仏教でも、「 臨終正念 」と言う。

「 相構( あいかま )え、相構えて、強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、

生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、

「 煩悩 即 菩提 」
「 生死 即 涅槃 」とは是なり、

信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり 」

( 生死一大事血脈抄1338頁 )


妙法の為に、
大義の為に、
誰かの為に、

本気で死を覚悟した時、

自分が0・0001秒の世界に生きているような、不思議な感覚になる。

自分以外の全ての世界の時は止まり、静寂が訪れる。

正に、一瞬に永遠を生きるとでも言うような、精神世界、心の世界が現れる。

私の勝手な感想を述べさせて頂くならば、

自分の心の襞( ひだ )、

他人の心の襞まで、感じ取れて、

万物に対する感謝、愛おしさ、が溢れて来て、

身震いする程の歓喜が命の底から湧き出してくる。

私は1日に何度も、
御本尊様の御前で、その法悦に浸る。

一閻浮提第一、最高峰の日蓮大聖人の文底独一本門の妙法を保ち、

三世永遠に生死を共にする稀有の師と出会い、共に歩ませていただき、経文通りに少しばかりの難を受け、

偉大な宝の同志や友と出会い、

他の苦しみ、悲しみに関わらせて戴き、同苦し、私の全てを捧げて、仕えさせて頂く。

その人の為に、
何の躊躇( ためら )いもなく
この命を捧げると覚悟し続ける事によって、

得られる法悦の境地に浸る日々である。

「 日蓮は・・・
今夜頸切られへ・まかるなり、

この数年が間・願いつるこれなり 」
( 913頁 ).

「 命限り有り、惜しむ可からず、

遂に願う可きは仏国也 」
( 955頁 ).


瞬間瞬間が喜びの連続である。


☆漢詩についての補足☆

原典は元好問(1190年生-1257年没)という金朝の高名な詩人が1205年に書いた
『雁丘詞』で、『邁陂塘』という元好問の詩集に収められたもの。

この詞にはこんなエピソードが残されているそうだ。

科挙の試験を受けに行く途中、雁を狩っていた男に偶然出会った元好問は、

男から「つがいの雁を捕らえたのだが、一羽は逃げ、一羽だけが捕まって死んだ。

ところがかろうじて逃れた雁は遠くへ逃げようともせず、悲しく鳴きながら

いつまでも死んだ雁の傍を廻旋し続けている。

ついには地面に頭を叩きつけて自ら死んでしまった」

との話を聞く。

元好問はいたく感動し、
つがいの雁の死骸を水辺に埋め、石を置いて塚にした。

雁の墓との意味で「雁丘」と名付け、のちに自らの詩集に
『雁丘詞』と名付けた詞を残したそうである。
 

そよ風の誘惑

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2018年 6月 3日(日)09時51分11秒
アルベアさん、いつもありがとうございます。
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85177
>「学会活動で功徳を受けた方が増えたかどうか、拡大に挑戦する人が増えたかどうか、を確認しながら前進しています」との事、「確認する事を必要とするほどの劣化がある」のです。これからも進む古典的条件付けの餌付け操作、疲弊・衰退する創価(執行部の焦り)が見え見えの状態、歓喜の躍動は消え、少子高齢化により創価離れは自然増となり、新入会者は去っていく、組織力の衰退等々の現実に彼らは直面しているのです。<
全くです。本流して一時的に頭数は増えてもいずれ居なくなる。だからまた増やす? 人材育成力が絶望的に欠落しているから定着せず自転車操業。ハゲタカか?

好人物なのですが、ある地区部長さんは体験発表をやって欲しいと言われて、「頭が真っ白になった」と言っていました。こんなことは珍しくない。本心では誰も功徳を実感していない。功徳を受けた方が増えたかどうか、報告を取れば書類上の数は増えるでしょう。ところがこれがシラケさせて人間が減る。常にメンバーとナンバーは反比例しています。
歓喜(の中の大歓喜)と比例する!!!

ところで、「嘘」という現象。あいにく録画は出来ませんでしたが出先で見ました。
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85152
そのなかで、「十戒を書かせたり聖書に触れさせたりするとインチキが減る」との実験結果ですが、ということは奴らはやっぱり御書にも触れていないのですね。
教会での落語会に行って思ったのですが、当たり前に聖書が置いてあるが、会館には御書も何も置いていない(出版センターでは売り物)。個人でも持っていない人が増えた。

>ちなみに原田執行部が退陣し入れ替わっても、この流れは止まりません。疲弊・閉塞の世界にいる限り続くのです。<
おっしゃる通りと思います。だから独立した個人を孤立させずにつなぐ。21世紀でのネットの存在理由は大きい。だから……螺髪さん、お元気ですか?

“あなたと同じように あくせくしていた事もこともあったわね”
“あなたみたく 何でも自分の思う通りじゃなきゃって 思ってた”
“困らせるつもりじゃないの そう、落ち着いて”
“でももうわかるでしょ 手を差し伸べてくれる誰かが必要だってこと”
“安らいだ気持ちになったことは?”
“自分の胸に快さを見つけたり 楽しく唄をくちずさんだことはある?”
“誰かを元気づけたことはどう?”
『そよ風の誘惑』オリヴィア・ニュートン・ジョン
https://www.youtube.com/watch?v=E_uYSJK9rKo
一番かわいい曲
 

テスト

 投稿者:ドン・キホーテ
 投稿日:2018年 6月 3日(日)09時44分10秒
テスト  

栄光の貴族仏教教団の解体こそ広布第三章

 投稿者:広布の第三章の指針
 投稿日:2018年 6月 3日(日)09時43分5秒 編集済
栄光の貴族仏教教団の解体こそ広布第三章

聖教で本幹開催とのこと、TVCM・ネットCM・VOD・モバイル作成する無駄使い。歓喜も

躍動もない事に気づかない栄光の貴族仏教教団⇒ありのままに報道できず、都合よく編集するマ

ネジメント教団

ネット時代で逆行する創価の情報活用⇒老いたる執行部の面々のやることなす事は本眷属に非

ず、魔の眷属なり

ネットで本幹中継・ネットで体験談大会・ネットで未来部員会・ネットで課題別の体験シリーズ

ネット環境があれば誰でも・どこでも見る事ができる。既にできる事、オープン・クリアな展開

こそ第三章の指針となる。

日々、煽り続けなければならい状況こそ、智慧なき・慈悲無き貴族教団の証(あかし)

「金銭的」負担の軽減を、年金生活者・老々介護者は願っています。貴族はいつの世も、どこで

も鈍感なのだ。

書籍営業を組織で行わない・民音啓蒙と称する強制販売の禁止・聖教新聞の廃刊および関連書籍

の廃刊

全ては組織利用に伴う貴族仏教の財源・営業基盤と化しているからである。支部・地区の現場で

は既に「負担」に対し、怒りすら抱く責任者が増えている。配達員のなり手の不在等切実⇒貴族

は感じない別次元の方々だから

「お前らいくら集めればいいんだ」⇒「死ぬまで集めるのが広布拡大です」

池田先生の家族に期待・依存するのは無駄、日蓮教団の歴史を見ればわかること。地位や肩書に

おもねく輩は自然に吹き飛ばされていくこととなる。大聖人以降の空白の700年、また創価に

つらなる古参執行部の末路を見ればわかること。

慈悲と智慧の勝利こそ、歓喜・感動となるのが日蓮仏法の神髄

漢字検定試験に類似する教学試験の愚考・智慧なき・慈悲なき栄光の貴族仏教教団のやることな

す事、教団解体前夜・革命前夜が始まっている。(佐前から佐後への以降期だからかもしれな

い)

信濃町一家の幹部の御子息・御息女等は、親の思い通りに、信濃町中枢の関係・関連部署にてご

活躍しています。代々坊主ならぬ代々創価仏⇒職員名簿を見れば、あの人の子も、あいつの子

も、既に40歳前後~65歳、某副教学部長も、創大の秋谷様も、みんな仲良く指揮をとられていま

す。

「知らぬ、存ぜぬは会員の方々」だから、秘すべし、秘すべし、秘妙方便とは貴族仏教教団の掟

なり
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、第35回本部幹部会・関東総会への御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2018年 6月 3日(日)09時08分58秒
おはようございます。原田怪鳥様、世界広布新時代第35回本部幹部会・関東総会への御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

ナニやら? 関東全ての県で、「ブロック1」の折伏・弘教を達成とのコトで、誠にご苦労様で~す(笑)

でもねぇ~原田怪鳥様、ナニかある毎に「ブロック1達成」と大本営発表のごとく報道されてマスが、ホントデスかねぇ~(笑)

別に、目標として「ブロック1」を掲げようが掲げまいがどうでもいいのデスが、「ノルマ化」してませんかぁ~(笑)

現場では、「ノルマ」を達成するタメに、未入会のお子さんを勝手に入会させたり、成果を移動させたり、水面下で数字をデッチあげていませんかぁ~(笑)

そもそも、「目標」なんデスから、出来なかったら出来なかったで、次に頑張ればいいダケのハナシだと思いまぁ~す(笑)

逆にノルマのために入会させられる方がいらっしゃるのならば、その方にとってはいい迷惑になりませんかぁ~(笑)

「折伏」というのは、本来、友人のタメにするものなんでしょうが、「ノルマ化」された数字はいくらあがっても意味がありましぇ~ん(笑)


しかしながら原田怪鳥様、「励まし週間」に続き、またまた「折伏チャレンジャー」という新語が登場しマスたねぇ~(大爆)

ナニやら? 「折伏に挑戦したメンバー」で、22万6千人誕生されたみたいのコトらしいのデスが、

逆に言えば、「チャレンジ」しないメンバーがいかに多かったか、ってコトですかぁ~(笑)

そもそも、分母は何人なのデスかねぇ~? いったい何人中の何人が「挑戦」されたのかってコトでぇ~す(笑)

まあ、小生が言うのもナンですが、「折伏」というものは、個々人の「仏法が素晴らしい」という思いがあれば、勝手に進んでいくものでぇ~す(笑)

組織というものは、その個人の思いをサポートするタメにあるのであって、決して組織をサポートするタメに折伏してるんじゃありましぇ~ん(笑)

原田怪鳥様、まったく今は、逆になってませんかぁ~(大爆)


ところで、原田怪鳥様の折伏はどうなってマスかぁ~? 確か以前に「私も折伏に挑戦しマスッ!」

って仰ってられマスたが、結果報告が全然ありましぇ~ん(笑)

まあ、関東地方で、22万6千人も「折伏チャレンジャー」が誕生したそうデスので、

原田怪鳥様の御名前もその中にありマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)




 

レット・ミー・ビー・ゼア

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2018年 6月 3日(日)09時05分33秒
『脳波シフトで宿命転換 日蓮仏法3.1』が面白い!
https://www.amazon.co.jp/dp/4802094353
https://youtu.be/rireUIHOkvM
けどヘソ曲りの私は八百長と思われると嫌なので一つ苦言を申しましょう。

この本は「カラー」で出版すべきだ!!
『日蓮仏法3.0』もそうですが、図をカラーでハッキリクッキリ見たい!

値段の問題がありますから、難しい相談ですが……この手の本は2000円を越えると買いにくくなるでしょうし。
カラーで作図されたものがモノクロ印刷されると、どう見えるのか、想像、計算するのは難しいことでしょうね……図だけをフェースブックかどこかに載せて公開というわけにはいかないでしょうか。本体の宣伝効果期待で。悩ましいなぁ……。

ネーナの国の女性からおだてて頂いて、調子に乗ってもう一つ。
https://www.youtube.com/watch?v=iHREgC96SO0
御書によると三障四魔は各自の能力に応じて法華経の行者を悩ませるそうですが、イケディアンもやはり各自の能力に応じて民衆を激励します。「九識論」について、もっとジックリ学びたい方はClearSkyさんのハッキリクッキリ図解が超お勧めです。
https://drive.google.com/file/d/1dF55ea5SApBxQoEc9GkDDZtqnM7BsNNo/view
https://drive.google.com/file/d/19D7MJ2ap0964hakHkdKjysuYVCOpb75d/view
各自の能力に応じて……螺髪さんも疲れが取れましたらそろそろ。私も加えて、ファンの方がお待ちです。

“あなたの手を握り あなたが転がり落ちそうになっても 受け止めてあげる”
“あなたのすべてを あなたがすること全部見てるんだから”
“朝から一緒に行かせて 夜も一緒に行かせて”
“何かがおかしかったら 正しく導いてあげるから”
“二人だけが分かちあえる 夢の国へと連れて行って”
“わたしの願い事は 一緒に行かせて欲しいだけ”
“あなたがおっきくなるのを見ながら あなたが人生を糧に変わっていくのを見ながら”
“わたしは知るの いつだってあなたと一緒に行きたいってことを”
“寄り添う友達が欲しかったら わたしはここにいるわ”
“いつでも呼んでくれれば そこに行くわ”
『レット・ミー・ビー・ゼア』オリヴィア・ニュートン・ジョン
https://www.youtube.com/watch?v=Ab-o0fFTMq8
オリヴィアのファンって多いんですね。
 

現在の学会

 投稿者:末端信者
 投稿日:2018年 6月 3日(日)08時51分25秒
先日の投稿内での、先生の指導。

「敵は外部にあるように見えるが、もっとも悪質な敵は内部に出る。
だから、毒をまきちらす内部の敵とは、戦わなければならない。
放っておいたら、毒がいつしか充満し、皆の純真な信仰が破壊されてしまうからだ。
ゆえに、師敵対の輩とは、断固、戦い続けるしかない。」

大聖人滅後、
高僧の振りをしていた五老僧が、
師敵対、師反逆し、組織破壊、広宣流布破壊をした。

それに対し、日興上人が、大聖人の教えを守るため戦い続けられた。

創価学会も54年問題等、4代以降の会長、
最高幹部の師敵対、師反逆、私利私欲の腐敗堕落。

現在の学会員さんは、信心を破壊され、正邪が解らない状態だと思います。

五老僧に、何も知らないままに、
付いて行った信者は、どうなったか?

日顕宗に付いて行った学会員と同じことになるのでは?

私も、話せる学会員さんに、
極悪謗法の秋谷と原田、その仲間たちに付いて、語り続けています。
もちろん、唱題も頑張ります。
 

功徳を受けない信心のコツ

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2018年 6月 3日(日)07時59分51秒
創価学会 河合師範講義音源 『功徳を受けない信心のコツ』(60分)
https://www.youtube.com/watch?v=OOvCoQFwIgg
第三章さんのおかげで発見
 

全力挙げて加計への補助金「見直し」阻止ですか?

 投稿者:新感性
 投稿日:2018年 6月 3日(日)06時51分6秒 編集済
中村時広愛媛県知事のいたって整合性ある見直し論です。

愛媛県知事
加計補助金、返還に言及「見直しあり得る」
毎日新聞2018年6月2日 23時12分(最終更新 6月3日 00時01分)
https://mainichi.jp/articles/20180603/k00/00m/040/087000c

さて公明は日本会議の重鎮のウルトラ右翼で前日本音楽著作権協会理事長、
現在は見え透いた加計擁護・安倍擁護を吹聴しまくる加戸守行をかつての愛媛知事選では連続して
支援しましたね。

もしかすると補助金見直しを阻止すべく次の知事選では某県知事選みたく組織をあげて自公候補を強力に選挙支援するとでも現知事に
ちらつかせるのですか?
これまでの安倍や日本会議との蜜月、自民の補完政党ぶりを考えたらそう疑われるのは自然な成り行きでしょう。

そういえばくだんの加戸守行も公明党の元参議院議員にして引退後も2016年9月まで党顧問に就いていた松あきらも
両人とも天下り人にして旭日重光章の受章者でしたね(嘲笑)


渡り爺さんをヨイショ!の恥  投稿者:新感性  投稿日:2017年 7月28日(金)00時56分30秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/72535

公明議員の天下り ③  投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月30日(水)23時22分49秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/85080


氷川きよし ちょいと気まぐれ渡り鳥
https://www.youtube.com/watch?v=QroGfsAiPaE
 

(無題)

 投稿者:広布第二章の指針
 投稿日:2018年 6月 3日(日)05時21分47秒
やっと出て来ましたね!  

広布の第三章の指針を展開するのが「本眷属の弟子」

 投稿者:広布の第三章の指針
 投稿日:2018年 6月 3日(日)04時49分26秒 編集済
広布の第三章の指針を展開するのが「本眷属の弟子」

創価学会 第39回 本部総会『創価学会の理念と伝統』昭和51年10月24日 創価学会札幌文化会館

2018/04/04 に公開47分33秒

https://www.youtube.com/watch?v=uuz-T0Q1REA&t=498s
 

何度も池田先生の指導を読んだ学会員を含む読者は

 投稿者:広布第二章の指針
 投稿日:2018年 6月 3日(日)02時54分40秒 編集済
「広布第二章の指針(全十四巻)」、「今日より明日へ」、「創価のルネサンス」、「輝きの日々へ」等の小冊子を何度も読まれた方々は、ご存知の通り、投稿している内容にピン!と来ていると思います。
先生の指導には、常にひとつの構想を組み立て上げた上で展開されている。それは小説新人間革命もです。
では、今連載されている小説は?
骨組みも何も無いんじゃない?と外部の友人(かなり読書量有る方)は述べていました。
 

文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2018年 6月 3日(日)02時27分2秒
文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

今回は、国連はこれでよいか、です。
池田先生は、
「国連を将来の世界連邦への確実なステップにしていかなければならない、」

カレルギー伯は、
「国際連盟より、いまの国連は、それよりもまだ無力化している状態です。」
「まったく新しい国連憲章が制定されなければならない、」

池田先生は、それに対して、
「国連の憲章や機構を変えたとしても、これによって、事態が根本的に変わるとは思いま
せん。」
「国連を無力化しているのは、国連自体のあり方というよりは、アメリカやソ連などの超大国の意志
や行動が優先」しているからと原因を述べられました。
その解決策を・・・
「力すなわち武力にたよる政治は、・・・国家的利益のためには民衆の貴重な生命をも犠牲にする政
府である」とされ・・・。

その解決のためには「日本の憲法は、戦争の放棄を宣言した世界唯一の憲法です。」
を人権擁護の先駆的な意義がある。
武力による解決ではなく、対話で解決しなければいけないと

それを受けて、カレルギー伯も最初は「平和というものも、武力によって守られていくのではないで
しょうか。」と主張されていましたが・・・
日本の憲法の、戦争の放棄を宣言こそ世界平和への道に「全く同意見です」と表明されました。

朝日新聞のコラムにクルーグマンと言う、ノーベル賞受賞者の記事が掲載されています。

「ハンガリー、ポーランドが一党独裁政権となっている」
「イタリアも、経済的に不況でポピュリズム政党と極右政党が躍進している」
「アメリカもトランプ大統領による右翼、独裁を志向している」
「EUの問題は、単一通貨ユーロと言う大変な誤りが不況の原因と指摘しています」

わたしは、経済的な事には暗いのですが、池田先生の世界平和構想から、EUは離れてしまうのでは
ないかと危惧しています。



 

以上は、新着順1番目から50番目までの記事です。

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