2018-05-23

清潔な社会に居づらい

自分の通っていた高校ネオリベラル的な雰囲気だった。

ネオリベラルと言ってもわからない人もいるだろうからザックリ言うと、成果が徹底管理された企業という感じだった。

まぁ、管理教育みたいなものだろうか。

創立者が存命だった頃は、男子校だったらしい。

古い校舎で、荒れている部分もあったが自由だったようだ。

それが2代目になってから企業出身者やらを入れて、校舎を新しくした。

そして、女を入れて共学化したのだった。

企業出身者やらを学校経営に入れたりして、進学実績を超重視するようになったようだ。

あぁ、清潔なネオリベラル高校の出来上がりだ。

それでも、広報物には自由校風とか謳っていた。

まぁ、それも受験勉強スポーツができて顔がよけりゃ自由ということだ。

制限付き人権とでも言おうか。

自分はそんな高校で息がつまりそうだった。

多分自分ネオリベラルな清潔な社会というものに適合できない人間なのだろう。

自分は持病があったし、他人よりも肉体的にも精神的にも高校生活というものリソースを割くことになった。

そして、受かった大学は低偏差値大学の三流学部だ。

ただ、色々と学べたし、見方は広がったのは確かだ。

高校ネオリベ的と表現できるようにもなったのだ。

ただ、高校に適合できる同級生がたくさんいるのも確かだった。

世の中はますますネオリベ化していくし、それに彼らは適応して楽しく生きて行くのだろう。

1968年だとかそんなものも知らずに、変えようという発想もなく媚びて生きて行くのだろう。

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