浅田舞のスポ友!【詳録】
フィギュアスケート男子 羽生結弦選手 3
2011/10/06
フィギュアスケート男子の羽生結弦選手は3月11日の東日本大震災が起きたときに、仙台市のリンクで練習中でした。避難所生活を経て「スケートが楽しんだなって、改めて思いました」。
■ 美人よりかわいい人がタイプ
舞 好きな女性のタイプは?
羽生 うーん。
舞 男の選手には絶対に聞くの。みんなちゃんと答えてくれるから。おかあさんです。
羽生 うーん。芸能人では小さい頃からずっと上戸彩さんが好きです。
舞 へーっ、面食いだね。
羽生 美人か、かわいい人か、どっちがいいかって、聞かれたら、かわいい人が好き。あんまり身長が高くなくて、守ってやりたいっていう感じの人が好きです。
舞 16歳から、こんなこと言っちゃうんだ。
羽生 うーん。アハハハ。あと、あまり縛られない方がいい。
舞 フィギュアスケートをやっている人はどうですか?
羽生 基本はやっている人がいいです。
舞 へーっ、意外。絶対、いやだったから。
羽生 アハハハ。やっている人の方がいいです。
舞 選手は恋愛対象として見られない。アハハハ。フィギュアスケートではこれから、どうしたい?
羽生 もうちょっとで、仙台のリンクが再開されるから、そうしたら、合宿とか、仙台でやって。今は、とにかく体力がないので、つけたいなって。あとはプログラムを滑り込んでいきたい。
舞 東日本大震災の時、舞たちは名古屋にいたけど、真央も結弦君たち大丈夫なのって、心配していたよ。仙台だよねって、大丈夫なのかなって?
羽生 ありがとうございます。
舞 地震の時は仙台に?
羽生 うん。リンクで練習していました。地震が来た時に練習していたんです。逃げようと思ったけど、逃げ遅れてしまって。その前に、岩手県の内陸地震がずっとあって、震度3くらいの地震が続いていて、今回もそれくらいだろうって、思っていて。一般の営業中だったので、お客さんがいたんですよ。で、阿部(奈々美)先生と(一緒に練習していた)先輩の選手と3人でまずお客さんを出さなきゃと思って、そうやっているうちに逃げ出せなくなって、3人で、リンクの中でずっと揺られていました。リンクの上に天井のボルトとか、落ちてきました。天井の電球の近くからとか、落ちてきました。フェンスも揺れると、音がするじゃないですか。バーンとか。うちのリンクは、ガラス張りで、窓もドアも全部、ガラス張りだから、割れる音や、ガラスとガラスが当たる音がすごかった。全部、聞こえて、もう半端ではなく、こわかった。壁の部分がバシャっと出てきてしまったり。柱が曲がっているのが見えたし、壁が崩れました。あとで停電になっちゃって、リンクの氷が溶けちゃったんです。あーっ、今でも鮮明に覚えてますね。その後に、逃げようとしたんですけど、足が動かなくて、出られなくなっちゃったんです。ずっと揺られていて、足がこわばってしまって、立てなくて、そのまま四つんばいで、はっていきました。スケート靴を脱がなきゃいけないなって思って、安全な場所に移ってすぐに、靴を脱いで、靴下一枚で、それに半袖だったんですよ。ちょうど外は吹雪になっちゃったんですよ。だから、すごく寒かったんですよ。靴もないし。
舞 けががなくて良かったよね。
羽生 はい、それは全然、問題ないです。
舞 その後は避難所へ?
羽生 そうです。家から歩いて45分くらい。避難訓練とかで、避難所だといわれていた場所が家から歩いて、5分かかんないところにあったんですが、そこに行ったら、「ここじゃない」って言われて、いろいろ荷物を抱えていたんで、それを持って、45分くらいかかるところまで行って。そこに、たくさんの人がいたんで、(与えられたスペースは)2畳くらいかな? そこで、自分と母と姉と寝ていました。4日間、避難所にいました。
舞 その後は、おうち? 大丈夫だったの?
羽生 家は全壊の判定をされました。半壊に近い全壊っていうか。だから、周りに足場を組んで、シートがかかっていて、修理しています。やっぱり壁が崩れていました。お風呂の壁がずれて、崩れていました。亀裂が入って、危ないなって、感じでした。大丈夫とは言えないけど、住めないことはないです。
舞 スケートどころじゃないって、感じだったね?
羽生 そうですね。スケートをやろうって思わなかった。やろうって、そこまで頭がいかなかった。まず、これからの生活。電気が戻るか、水道が飲めるようになるかっていうのもあったし、最初は福島の原発事故のことは聞いてなかったんですけど、だんだん、仙台もどうなっちゃうんだろうというのも考え始めたし、大変でした。
舞 どこで練習を再開したの?
羽生 東神奈川(横浜市)です。10日後くらいです。そこのリンクに、お世話になっていて、一時期、八戸(青森県)のリンクが営業していたので、行ってみたことはありましたが、あとはずっと東神奈川です。
舞 震災にあってから、自分のスケートに対することとか、考えとかは、変わった?
今まで当たり前にできたりしたことができなくなって、何か変わったりした?
羽生 そうですね。スケートが楽しんだなって、改めて思いました。何だろう? やっぱり、4日間ですけど、避難所生活をしていて、やることがないなっていう気持ちだとか、そういう感情がすごくあって楽しくなった。調子が悪くても、ジャンプを転んでも転んでも、現実逃避じゃないけど、「楽しいな」って、そういう風に感じられるようになりました。だから、(震災の影響で)体を動かしてなくて、ずっと休んでいて、全然、ジャンプが跳べなくなっちゃったけど、でも、神戸のチャリティーショーが決まっていたから、それに向けて、頑張らなきゃいけないと思ったし、もしかしたら、これから練習していけば、もっともっとうまくなれるっていうのが、楽しみになってきた。
(続く)
https://yorimo.yomiuri.co.jp/csa/Yrm0301_P/1221762084392
さらに第4弾へ続くもよう。
震災時の話はやはりまだこちらもどきどきしてくるなあ…。