これの件です。正論7月号に掲載された『セクハラ?チンパンジーでは常識ですよ 他人の尻馬に乗る#METOO運動』 という記事が掲載されています。表紙、目次、紙面でそれぞれタイトルが微妙に異なるといういい加減さですが、内容もいい加減です。
 それはそうでしょう。対談したうち竹内久美子氏は既に『正論』誌上で「座間市の連続殺人事件は女性の生理に原因がある」(『正論』によると座間市連続殺人事件の遠因は生理らしいです)「リベラルは睾丸が小さい、モテない人がなるもの」(『正論』によるとリベラルはモテない男がなるものらしいぞ!)などというトンデモを連発している自称動物学者です。
 竹内は動物学者を名乗っており、これは一見すると心理学と関係ないように見えるかもしれません。しかし生物学と心理学は実は大きな接点があり、また氏の主張も心理学の領域に被るものでもあります。いい加減、専門家のふりをした素人に生物学や心理学を棄損されるわけにはいきません。
 また愚かなだけであれば「バーカ」で済む話かもしれませんが、後述するように卑劣でもある記事になっているので、その点も明らかにする必要があるでしょう。

 「チンパンジーなら普通」だったらどうした?
 この記事の基本的な論調は「人々がセクハラと騒ぐものはチンパンジーなら普通。セクハラは生殖を第一目標とする生物ならどんな種類でもするもの」というものです。記事では具体的な例を大量に挙げていますが、ここでは取り上げません。私は生物学者ではないですし、仮にその全てが正しかったとしても、以下の理由で意味がないからです。

 この記事は根本的な誤りを犯しています。それは、セクハラは人間社会の規範や倫理の問題であるのに、チンパンジーその他の動物の生物学的な習性を根拠に反論しているということです。カテゴリーミステイクと言えばわかりやすいでしょうか。
 例えばこれは、「ファストフードばかりではなくて野菜をたくさん食べろ」という主張に「ジャガイモも野菜だ」と反論するようなものです。前者は栄養学の視点からの主張であり、まさにそれが議論の中心であるのに後者は生物学の分類からそれに反論しています。ここの議論で大事なのは栄養素としてビタミンとか食物繊維をとれという話であって、生物学的に野菜に分類されるものを食べろという話ではありません。
 セクハラに話を戻せば、ここで問題になっているのはセクハラはなぜだめなのか、どうしたらそれを防げるのかという人間社会の話であるはずです。しかしこの記事はほかの動物の習性という、人間社会にまったく関係のないものを取り出して反論しているのです。アオアズマヤマドリがどうやって求愛するかとかぶっちゃけどうでもいいです。

 よし、まずはそんなことを言っているフェミニストを屏風から出してくれ
 この記事ではフェミニストとへの攻撃も盛んにおこなわれていますが、よく読んでみるとちょっと様子がおかしいです。該当する部分を引用してみましょう。(引用文中の数字は引用者が加えた)
長谷川(引用者注:長谷川三千子) フェミニストは、天才が男ばかりというのはけしからんと言う。でもメスの立場から見ると、天才のどこが偉いの、ということになる。
竹内 動物はメスがオスを選ぶのが大原則。
(中略)
竹内 でも社会との接点ができて「はっはー、この世は女が動かしてるんだ。女に生まれて大成功、やったー」と気付きました。フェミニストって目が曇ってるのか、それとも現実を見たくないのか……。
長谷川 でも生物学者という場合はどうなんでしょうか。長谷川眞理子さんとご主人の寿一さんとか。
竹内 眞理子さんは完全にフェミニストで、旦那さんは日本型リベラルなのかなあ。別冊正論『日本型リベラルの化けの皮』では名前を出しませんでしたが、研究者として歪曲の女王が長谷川眞理子さん(笑)だと思います。
(中略)
長谷川 なるほどねえ。今のお話から昨今のセクハラ騒動にかけた視点が見えてくる感じがしますね。要するに人間はいろいろ欠点があるものだけど、人物、人間力がうんと大きければ、そういうの欠点は問題にならないほど小さなものになる。ただ、こういう視点が今は許されない感じ。
竹内 そこが問題ですね。
長谷川 なぜそうなったのか。ひとつには、「人間の器」なんて言葉が死語になってる、ということもありますが、いま世の中がすべて「フェミニスト流」の発想に染まっている、ということが大きいと思います。つまり、女性は被害者だという考えから出発してすべてのものごとを見る。だから、気に喰わない男に触られたらぶん殴ってやればいいのに、セクハラ被害だ、#MeTooだ、となる。しかもそれを男女平等の旗印のもとに叫ぶんですから、矛盾もいいところです。
(中略)
竹内 女が子育てするのはとても大事。単に育てるだけではなく、自分の子を自分の色に染め上げ、自分の思いを注入し、手なづけることができる。すごい強みがあるんですよね。
長谷川 子を産んで育てることイコール文化注入になるわけだから、文化の担い手の主役は女だということになります。そうするとフェミニストは何が不満なのか。
竹内 女が完全優位で、こんなにいいとこ取りなのに、なおかつ平等とは……わからない。
長谷川 結局のところ、メスは偉いんだ、ということを実感できない人がフェミニストになるんでしょうかね。
 それぞれ見てみましょう。
 そんなフェミニストいない。まぁネットとかを探せばフェミニストだって万単位でいるでしょうから、探せば一人くらい入るかもしれませんけど、少なくとも主流の主張ではないですね。おそらく歴史的偉人が男性ばかりであることに対し「女性への差別と偏見が女性の成果を覆い隠している」などと批判されていることを曲解したのではないかと思います。

 上述したように、生物学の話と人間社会の話を混同しているミスです。当時は高校生だったらしいので仕方ないかもしれませんが、もういい大人なので「気づいて」ほしいところです。目が曇っているのは自分のほうです。

 少なくとも僕の知る限りでは長谷川眞理子氏がフェミニストだとは聞いたこともないです(専門の視点から特に性選択に関しての著書があるようですが、それってフェミニズムなのか?)。詳しくないのでよくわかりませんが、研究分野としてフェミニズムそのものの専門家ではないことは間違いないのでは。この後には不倫がどうとかカンジャール族がどうとかという話を、つまり『睾丸が小さい奴がリベラルに』という正論の記事と同じことを繰り返しています。長谷川寿一氏を「日本型リベラル」と評したことと含めて考えると、話題のふり幅の狭さが気になります。批判も一切耳に入ってないのでしょう。

 女性が差別されているという、フェミニストの主張の大枠を「女性は被害者だという考えから出発して」云々と表現することはまぁ、不可能ではないでしょう。しかしそこから先は意味不明です。ハラスメントは「気に喰わない男に触られたらぶん殴ってやればいい」ということが滅多にできない関係性を利用して行われることを無視していますし、それが男女平等とどう矛盾するかもよくわかりません。

 この部分はあまりにも単純なものの見方が露呈しているところでしょう。いうまでもなく、子供は母親の価値観だけを吸収するわけではありません。仮に母親が自身や女性に都合のいい考え方を子供に教え込んでも、外の社会が男尊女卑に溢れていればどうなるかは自明です。女性が文化の担い手という考え方も、女性が少なくない文化的営みにおいて「女子禁制」とされてきたことと矛盾しますし、それを無視しても子育てを介さないと担い手になれないという状況を「文化を担っている」とは言えないでしょう。何より、子供を別に育てたくないという女性の意見を無視しています。

 あまりにも単調な世界観
長谷川 しかし何にせよ、生物にとって生存と繁殖は二大目標。人間だって繁殖なしには存続しえないのに、それがあまりにも軽視されている気がします。
(中略)
長谷川 今の日本人は、やたらと「共生」とか「きずな」とか甘く美しい言葉を言いたてているうちに、荒々しい生物としての力が弱まってしまうのではないか、という懸念もありますね。さきほどもオタクとセクハラ男の話が出ましたが、どっちが日本の繁栄に大事かと言えば、セクハラ男の方かもしれないですね。
 上掲の部分からわかるのは、対談した二人のあまりにも単調で単純な世界観です。この世界には子供を産まずに人生を送る人のことはすっかり抜け落ちています。これも、動物の習性をそのまま人間に当てはめるカテゴリーミステイクからくるものです。
 生殖第一!な考え方からすれば確かにフィギュアにhshs(死語)しているオタクよりもセクハラ男のほうが子供を作る確率が高いでしょうが、この視点ではセクハラ被害を受ける女性の苦しみは生殖のための尊い犠牲、というほど殊勝なものとすら見られていないでしょう。いうまでもなく、人間は生殖のために生きるのではありません。ましてや国家だとか人類だとかの存続なんて大義名分を果たす義務などどこにもないのです。自分がそう思うならば勝手にすればいいですが、こちらに押し付けてくるなと。

 またこのような単調な世界観は、上掲のようなフェミニズム観にも影響しています。あまりフェミニストとして意識されないと思う長谷川眞理子氏を「完全に」という形容動詞までつけてフェミニストだと断言するのが象徴的です。確かに、長谷川眞理子氏は竹内よりも良識的な意見の持ち主でしょうし、それを勘案すればフェミニストだということにもなりそうですが、この場合どちらかと言えば竹内の内部にある「保守に批判的な女性=フェミニスト」という図式がそのまま適用されただけではないかと思います。男性なら日本型リベラルです。
 氏の内部にあるフェミニスト感がかなりおかしなことに関しても、おそらくフェミニストを批判するけど実際に彼らの主張に触れたことはないからではないかと思います。1冊でも本を読めばこんなことにはならないはずです。たぶん自身と思想の近い誰かの「フェミニストはこう言っている」という妄言を寄せ集めた結果なのではなかろうかと。
 あと直接の関係はありませんが、竹内の師匠に当たる日高敏隆氏はそれはもう滅茶苦茶なセクハラ・アカハラ野郎で、学生に手を出し愛人にしたその学生をひいきするということをしていたようです。竹内本人が言うのですから間違いないでしょう。掲載雑誌が『正論』でなければただの内部告発です。でも竹内はそれを問題視していないようだったので、この師匠あっての弟子なのでしょう。

 愚かだけでなく品性に欠ける
竹内 チンパンジーは複数のオスと複数のメス、それにメスの子供たちからなる数十―百頭ほどの集団で暮らし、婚姻形態は乱婚的なんです。
長谷川 乱婚「的」なんですね。
竹内 メスが発情すると集団の全てのオスがやってきますが、メスは拒まない。一日に何回も、同じオスとも交尾して、最高記録が五十回。
長谷川 慰安婦問題とかで「一日何十人もの相手をさせられて人権侵害」とか言われますが、チンパンジーなら全然OKと。問題はメスが発情しているかいないか。
 さて、記事の冒頭に愚かだけでなく卑劣だとも書きましたが、上がそれに該当する部分です。多くは語りませんが、このような認識の人間にハラスメントを語ることができるとは到底思えません。当然、このような記事を掲載した『正論』編集部の人権意識や良心も問われます。問うことのできるほどにそれらが残っていればの話ですが。