「いただきますの倫理」はいつごろ広まったのか(1)

June 01, 2018

「いただきますの倫理」はいつごろ広まったのか(2)

前記事のつづき。


6 1998-1999の言及

1998年、1999年の記事においても、1997年までの記事と大きく傾向が変わるわけではない。ただ、いくつか注目すべき記事はある。
朝日新聞 1998年12月19日岡山版「ごみ テーマでおしゃべり」という記事内で、63歳の主婦からの投稿として以下の文章が掲げられている。

 私が常に心がけていることは、(1)安いからといって必要以上の食料品を買わない。料理するにも残るほど作らない。子供のころ親から教えられていたのは、「食事することは食物の命をいただくこと」。もったいない気持ちが先に立つ(2)ごみ出しの日は、ごみを小さく切ったり、折りたたんで量を少なくする、など。

この記事の注目すべき点は、「命をいただく」ことと「もったいない」という概念の結びつきが指摘され、食材を無駄にしない、という、「いただきますの倫理」の4つめの要素の一部がそれと結び付けられているところである。もちろん、この投稿がこの考え方のオリジナルということではなく、この考え方がこうしたちょっとした読者投稿にもあらわれるほど広がりを見せ始めている、と解釈すべきだろう。

同紙鳥取版の1999年1月19日の読者投稿欄にも同じ考え方を反映させた投稿がみられる。 投稿者は39歳の主婦である。関連する箇所だけ引用する。

「私たちはたくさんの命をいただいて、自分の命を支えている。いただきます、ごちそうさまでしたは、作ってくれた人ではなく、本来、たくさんの食べ物の命に対して言うものです。食べ物の命を食い散らかしていては、人の命まで粗末にするようになる」と、赤碕高校の先生が講演で話しておられました。

 ここでは「いただきますの倫理」が一つの倫理観であることがかなり明確に提示されている。食べ物を粗末にすることが「いただきますの倫理」に反する、という主張とともに、この倫理が人間に対する倫理とも結びついている、という考え方が(投稿者がきいた高校の先生の話として)展開されている。

7 2000ー2001の言及

2000年になったところで、「いただきますの倫理」の新しい展開が伺えるようになる。
一つは学校での教育実践に「いただきますの倫理」が組み込まれている例が登場することである。
2000年5月10日朝日新聞滋賀版に「アフリカへコメを 彦根の鳥居本小で救援に植え付け」という記事がある。この記事のなかで、この小学校での取り組みについて以下のような説明がなされている。

二年目の活動だが、今年度は初めて導入された「総合的な学習の時間」での取り組み。米作りを通し、食べものや命の大切さを学び、国際協力の精神もはぐくむねらい。勝居源一校長が「『いただきます』の気持ちを忘れず、心を込めて田植えをし、一粒でも多くお米が取れるようにがんばって」と激励した。


この記事でまず気づくのは、これが「総合的な学習の時間」での取り組みだということである。いわゆる「ゆとり教育」が本格的にはじまるのは2002年であるが、総合的な学習の時間は先行的に2000年から取り入れがはじまった(らしい)。米作りはかっこうの題材だったわけである。「いただきます」の気持ちが具体的にどういう気持なのかは説明されていないが、「食べ物や命の大切さ」を受けた発言だということからすれば、本稿でいうところの「いただきますの倫理」を想定していると推測される。ただ、その後のさまざまな同種の取り組みと比べ、肉食ではなく米食についてこの考えが適用されているところもまた注意すべきポイントだろう。

また、2001年1月24日付け読売新聞朝刊では、「食農教育、各地で工夫あれこれ 飼育・栽培し食べる」という記事でいつかの取り組みが紹介されている。ここでも、2002年から本格実施される「総合的な学習の時間」との関係で「食農教育」が注目されていることが紹介される。
紹介されているうち、長野県の実践では米作りの授業実践について、協力者が「自然がつくった米をいただいて、自分たちの命があるのだということを感じ取ってくれた」というコメントをしているほか、「信州大学教授(教育実践学)の土井進さん」が以下のようにコメントしている。

「生活の中で食物が育つのを見る機会がなくなった。だからこそ育てて食べるという体験を通じてものには命があること、自然の恵みによって自分が生きていることを体感する必要がある」

また、同じ記事の中で、新潟県の小学校でホルスタインを飼育して農家に買い取ってもらったという実践も紹介されている。この実践について、記事では以下のように付け加える。

最後に、飼っていた牛ではないが、牛の骨を使ってポトフを作って食べ、子どもたちは「いただきます」という言葉の重い意味をかみしめた。

これは、「いただきますの倫理」が肉食についての教育実践と結びついた早い時期の(もちろん三紙で確認できる範囲でであるが)例といっていいだろう。
また、この記事で取り上げられる教育実践が「食農教育」として紹介されていることも注目である。食農教育という言葉自体、この時期に作られたもののようであり、CINII等で検索しても1998年から1999年頃から登場する。この言葉を広める中心となったと思われる『食農教育』という雑誌は1998年に創刊され、同誌の初期の号では「総合的な学習の時間」が繰り返し特集されている。
http://www.ruralnet.or.jp/syokunou/side.htm
この雑誌は「いただきますの倫理」を組み込んだ教育実践を広める上で積極的な役割を果たしたとおもわれるので、また別途分析の対象にしたい。

もう一点、この時期の新聞記事での注目事項は、これまでの記事では断片的だった「いただきますの倫理」が、もう少し整理された形で述べられる例が見え始めることである。
毎日新聞大阪版2000年8月31日朝刊の「[奥村彪生の大胆不敵]男の料理 鶏もつのすき煮 尊い生命に感謝して」という記事である。奥村氏は、記事の肩書によれば「伝承料理研究家」とのことである。この記事のなかで、奥村氏は「いただきますの倫理」を完結に説明している。

生きることは食べること。人間以外の動植物を犠牲にし、その生命(いのち)を頂戴すること。だからあなたの生命いただきますと感謝の念を抱く。もったいないことをしているから余すことはない。


今回検討している3紙の範囲内では、これがもっとも早くに、「いただきますの倫理」の4つの主張を整理した記述のようである(もちろん、奥村氏の著書を調べれば氏自身のもっと早い用例が見つかる可能性は高い)。


さらに、この時期の新聞記事から、著名人による「いただきますの倫理」への言及が見られはじめる。朝日新聞2000年6月28日朝刊では、杉浦日向子が「隠居の日向ぼっこ」という連載の「はこぜん」という項で以下のような記述を行っている。

 「いただきます」とは、膳に供された野菜や肉や魚も、この世に生を受けた命であり、その命を戴(いただ)いて、今日を生きるという確認なのだろう。そのとき食器は、自らの体の延長となる。ひとりぶんの、はこぜんを前にして、命の分け前を有(あ)り難(がた)く戴く。そんな敬虔(けいけん)な食があったと、たまには思い出したい。

著名人が新聞のような広く読まれる媒体で拡散に加わることで、まちがいなく「いただきますの倫理」の浸透は加速したことであろう。






 

iseda503 at 17:51│Comments(0)

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
「いただきますの倫理」はいつごろ広まったのか(1)