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やまと新聞の動画コラム「ねずさんのひとりごと」です。
今週から週二本の配信となりました。
↓ ↓
http://www.yamatopress.com/column/pg40.html
■第5回 ねずさんのお気に入り!
「世界に誇る縄文文化のおはなし」
■第6回 日本が誇る「戦艦大和のおなはし」
======事件のきっかけとなったのは、日本人の警察官が、台湾原住民の固有の文化を無視した生活指導を行ったからとか、材木を担いで運ばせるなど重い労務を課したことなどであると言われています。
実際には、これといった明確な大きな事件があったということではなく、小さいストレスの積み重ね(人間関係においては、小さなことが大きなことです)が背景となっていました。
10月7日、
タイヤル族の村落酋長の息子のタダオ・モーナが、村での結婚式の酒宴の場に、たまたま通りがかった日本人の警察官、吉村巡査を宴席に招こうとして、巡査の手を取りました。
言葉が通じません。
吉村巡査は驚いた。
後日の調書によると、このとき吉村巡査は、
「其ノ不潔ナル宴席ヲ嫌ヒ、拒絶セントシテ、握ラレタル手ヲ払ヒ」、手にしたステッキでモーナを2度殴打してしまいました。
結婚式の祝いの席なのです。
これを侮辱と受け取った現地の人たちは、怒りました。
そして吉村巡査を袋だたきにしてしまったのです。
気持ちは、よくわかります。
その場に居合わせたら、私も一緒になって吉村巡査を殴ったかもしれません。
けれど一方で、日本の警察は怖いです。
事件への報復をおそれた村人達は、その恐怖から、先手をとって蜂起しました。
20日後の10月27日には、タイヤル族のリーダーの一人であるモーナ・ルダオを中心として、六つの村から1,200人も人たちが出て、霧社公学校で行われていた運動会を襲撃してしまったのです。
この襲撃で、日本人だけ、140人が殺害されてしまいました。
一方、このとき現地の警察にはタイヤル族出身の警察官が二人いました。
けれどこの二人は襲撃には参加せず、それぞれ自決されています。
台湾総督府は、やむなく軍を動員し、蜂起に参加した村々へ鎮圧を開始しました。
そして陳圧行動の結果、700人ほどの抗日タイヤル族が死傷し、500人ほどが投降しました。
この事件によって、台湾総督府では、翌昭和6(1931)年1月に、台湾総督、総務長官、警務局長、台中州知事が引責辞任しています。
そしてこのとき日本政府は、反乱を起こしたタイヤル族よりも、日本側関係者に対して、過酷とも言える厳しい処罰を行っています。
さらに日本政府は、台湾総督府の人事を作新し、台湾総督府内にあった現地の人々に対する差別的な政策や行動を行う者をすべて更迭し、台湾人を日本人として、皇民として、等しい地位におくことを理解する者だけを総督府に配置します。
そしてさらに、霧社事件の現場となった霧社村や、一部の住民が移住した清流部落には、莫大な国費を割いて大規模な水田の開墾事業を起こし、さらに農業指導によってこの地の農業生産性を劇的に向上させ、住民らの生活を以前よりも、より一層豊かなものにしたのです。
また、この事件をきっかけに、台湾人であっても、国家に忠誠を示した者は、日本人・台湾人の区別なく顕彰しました。
このため、日台の和合はさらに加速し、大東亜戦争時には、台湾人で、高砂義勇隊に自ら志願する者が、多数出るという状況にまで至っています。
実は、勇名を馳せた高砂義勇隊の
高砂(タイヤル)族こそが、この霧社事件のときの霧社村の住民達だったのです。
一説によれば、霧社事件における山岳戦で、タイヤル族がとても強かったため、軍が高砂義勇隊の創設を着想したとも言われています。
とにかく彼らは、強い。
しかも、勇敢です。
耳が良く、夜目が効き、素足で音も無く夜の密林を駆け巡る。
人間業とは思えない敏捷さ、獣のような視聴覚と方向感覚、正義感の強さ、曲がった行為を嫌うまっすぐさ。
日本は、大東亜戦争の末期に、台湾総督府を通じて、義勇隊を募集しました。
この志願には5000人もの人が応募しています。
選抜から外された人達の多くは怒り、悔しがり、涙を流し、血判書まで出しています。
そして高砂義勇隊は、日本の正規軍を超える戦闘力や忠誠心で、世界最強といわれたイギリス軍のグルカ兵と互角に対戦し、その勇猛さとジャングルにおける知識の豊富さで日本軍を支えました。
高砂義勇隊の軍紀の厳正さは、日本軍の正規軍さえも凌ぐといわれたほどです。
純真無垢な心と自己犠牲の精神は、日本の将兵たちの胸を強く打ち、日本軍とも瞬く間に信頼と友情、尊敬の念を芽生えさせています。
このようなエピソードがあります。
ある高砂義勇隊員は、前線で飢餓に苦しむ日本人の戦友のため、自分自身も空腹であるにもかかわらず、山を越えて米を取りに行きました。
けれど、前線に戻る途上で力尽き、死んでしまったのです。
その遺体は、背中に米50キロを背負ったままだったそうです。
自らは、一粒も手をつけることなく餓死したのです。
高砂義勇隊の隊員は、学校と軍隊で日本精神をたたき込まれました。
彼らは、いまもはっきりといいます。
「日本精神は誠の精神。当時の日本軍人はまっすぐで正しかった」
高砂義勇隊の隊員であった簡福源さんは、終戦で日本兵が日本に帰るときの思い出をこう語ります。
「なぜ僕らも帰らないのとおじいさんに聞くと 内地の人とは違う と言われた」
「ああ僕は日本人じゃなかったのか」
簡さんはこの思い出を語るたび涙ぐんだそうです。
それほどまでに、自分たちは日本人である、という意識が強かったのです。
戦後、台湾を統治した蒋介石・国民党政権は徹底的な日本否定を行いました。
そして「霧社事件」を、「日本の圧政に対する抗日運動をした英雄的活動」と讃え、蜂起の指導者たちにも「抗日英雄」の称号を与えました。
そしてさらに、霧社にあった日本人の殉難記念碑を破壊し、蜂起の参加者らを抗日英雄として讃える石碑まで建てたのです。
長い月日が流れました。
けれど、歴史には潮目が変わるときというものがあります。
1990年代以降、台湾民主化の動きが高まると、台湾史への再認識がブームとなったのです。
そして台湾にもとからある文化への再評価が行われるようになる。
なかでも「霧社事件」は、日本による台湾の近代化が進む過程の中で、もとからある台湾人のアイデンティティと、日本型近代的統治との融合に、非常に大きな役割を果たした意義ある事件と、多くの人々が再評価するようになったのです。
つまり、日本による近代化政策をただ鵜呑みにする、いいなりなるのではなく、主張すべき文化や伝統は、ちゃんと主張し守り抜く。
そのうえで、相互の信頼関係を構築し、力を合わせて近代化を促進するという、日台双方にとって前向きな結果をもたらした、日台の建設的和合の象徴的事件として位置付けられるようになったのです。
これこそがまさに、台湾人の民度の高さです。
そして1992年には、地元リーダーの周愛子さんと日本の戦友会の奉賛によって、大東亜戦争中に日本軍の一員として南方戦線で戦った高砂義勇隊の慰霊と、その誇るべき勇猛果敢な民族精神を後世に伝えようと、「高砂義勇隊記念碑」が台北県烏来に建立されたのです。
けれど、この記念碑は一時、地元の管理会社の倒産によって、撤去の危機に陥ってしまいます。
そのときは、産経新聞の呼びかけによって集まった日本からの義捐金で、地元の県有地に移設されることになりました。
そしてあらたな碑の除幕式が行われたのが、2006年のことです。
高砂義勇隊記念碑
ところが、この「親日」慰霊施設の完成に対し、反日意識を抱く、戦後に台湾に居住するようになった支那人達の政治勢力が眼をつけます。
同年1月月17日、台湾の中国時報が、記念碑への非難報道を、なんと一面トップで、行ったのです。
記念碑にある日本語の碑文や、周辺に建つ日本人奉納の歌碑や日章旗を指摘して「日本軍国主義を賛美している」と騒ぎ立てたのです。
そして翌18日には支那人の周錫県知事が、この記念碑について
「24日までに撤去せよ」との命令を出したのです。
理由は「建碑の申請手続きに不備があった」というものです。
あきらかな嫌がらせです。
しかし、申請を受理したのは県自身であり、しかも実行不可能な短期間での撤去命令です。
要するに「日数がなくて撤去などできない」という状況に追い込んだ上で、行政上の力で、記念碑を取り壊そうとしたのです。
そして24日には、撤去作業が強行されました。
高砂の人々は怒りました。
で、どうしたかというと、まさに体を張って猛抗議したのです。
このため、記念碑の撤去は免れます。
その代わり、行政側からの命令で、碑文をベニヤ板で覆って読めないようにされてしまいます。
さらも歌碑や、付属の碑、日の丸などは、ことごとく排除されてしまいました。
ベニヤ板を貼られた記念碑
こうした台湾国民等政府の横暴に、もとからいる台湾の人々は、冷静に対応します。
識者らによって碑文の文面などをよくよく検証してもらい、内容が決して「軍国主義賛美」でないことを、証明してみせたのです。
また問題となった日章旗にしても、これは台湾総督が義勇隊に贈ったものの複製で、「隊旗」であることが明らかになりました。
そして台湾の人々は、石碑の撤去処分と石碑への原状回復を求める訴訟を起したのです。
2007年12月、台湾高等行政法院は訴えを却下しました。
けれど、2009年年3月24日、最高行政法院は、その判決について差戻を命じます。
そして再審の結果、処分撤回の判決が下ったのです。
そして県も、地元民と和解し、記念碑をそのままに、公園を高砂族(タイヤル族)の文化をテーマにした観光スポットとして整備することを約束し、その工事は2009年8月に竣工の運びとなりました。
これが何を意味するかというと、日ごろ政府に従順な(元日本人である)台湾の住民の心を軽視し、なめてかかった支那人国民党政府の敗北です。
しかし、現時点で、県はいまだに、撤去した付属の歌碑などを返還していません。
県は「返還する」とは言うけれど、傲慢にも「お前たちが受け取りに来い」というのです。
現地のマカイ・リムイ氏たちは、
「県が不法にも持ち去ったのだ。それに従っては、我々の立場がなくなる」として、あくまでも原状回復を求める、つまり県に「もと通りにさせる」。
そのため、「また訴える」といいます。
台湾では、国民党が政権をとったため、「さらに態度が大きくなった」(マカイ氏)と言う戦後に台湾に住み着いた支那人勢力と、かつて南方戦線で雄雄しく戦った元日本人だった台湾の勇士たちの、民族の誇りをかけた戦いが、いまなお続行中です。
支那や朝鮮人が支配する世界というものは、傲慢と略奪、殺人、違法行為の蔓延する、まさに人類の悪の象徴です。
これに対し、日本の心は、どこまでも和と相互の信頼と発展、進歩と平和の心です。
台湾のみなさんは、いまも戦っておいでなのです。
そして台湾のみなさんにとっても、世界にとっても、そして何より日本人にとって、日本が日本を取り戻すことは、平穏と安寧をもたらす最大の鍵となっています。
人には心があります。
その心と心が通じ合ったとき、本当の意味での信頼と交流が生まれます。
それが「人であることの証」です。
100年経ってなお、誠意や良心が相互理解に至らないなら、その相手は「人」ではないということです。
私は、支那や韓国の政治体制は別として、個人のレベルなら、多くの人々には、ちゃんと「心」があると思っています。
ならば、事実を正しく再検証し、その「人としての心」をもって、人の国家を自ら手で築くのは、支那なら支那人、韓国なら韓国人の仕事です。
支那人も韓国人も、その「心」に目覚めるときがきている。
でなければ、再び争いの世となってしまう。
そのように私は思います。
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台湾人の先輩方の御話からすると、少なくても、先輩方の戦時の給料や郵便貯金や年金などの保障が、蒋介石政府からなされなかった気がします。
結局、蒋介石は、日本人が台湾人に置いて行った日本人の財産をどの様にしたのでしょうか? 蒋介石の「以徳報怨」は「(台湾人と日本人の)徳に、以て怨念で報いる」という状態となってしまいましたね。
最近、台湾人やその子孫達を煽動し日本侵奪を続けて来ていた人達が、台湾島の先輩方を無視し続ける行動に出ていた事が解りました。そこで、台湾人の子孫達に、先輩方から部族民族の精神や大事にして来た事等を伺っておくべき、直接お話を伺える貴重な機会を大事にして「これが部族民族が大事にして来て、将来も大事にしていきたい事」と思える各民族の歴史を重ねて行ける様にと、話してみています。
国会図書館のデジタル文献にも、台湾関連の本がいっぱい有る事が解りました。1986年時点で既に多くの本が出版されていて、彼等への関心の高さや、当時の日本人なりに彼等の事を知り誠意を尽そうとした気持ちが伝わって来ますし、それぞれの視点からの当時の台湾人達の様子も伝わって来ます。
『台湾生蕃探検記』中島竹窩 著(博文館)付:利根水源探検紀行 (渡辺千吉郎)1897年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1919349
『台湾事情』松島剛、佐藤宏 編:春陽堂出版:年月日明30.2
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767071
先輩方と善い出会いや再開が有る事を祈ります。
(それから、日本人への攻撃は控えめに願いますね/(・_・))
この霧社事件を台湾が映画化して2011年リリース。
中国やアメリカでは一昨年、昨年と公開されたのですが、
日本では今年春に公開されたようです。
私は結構映画が好きで、映画ウォッチャーでもありましたが
この映画はまったく知りませんでした。
台湾映画だったからでしょうか?話題にもまったく登らなかった
作品でした。
なんでこの映画のことを知ったのかと言うと、
ポットキャスト「宇多丸ウィークエンドシャッフル」という番組
今年の映画ベストから。この人の今年の映画が第一位がこの映画。
説明を聴くうちに、昔読んだねずさんのこの話を思い出して、
こうして紹介させて頂いたわけです。
新作レンタルで二部作。4時間30分の大作。
ネットでの映画のあらすじ、評判も面白そうで
年末にぜひレンタルして鑑賞したいと思っています。
小野田少尉や横井さんの話はみなさんご存じだと思うのですが、中村さん(注:もちろん高砂兵です)も同じように昭和20年8月15日以降も29年間にわたりインドネシアにおいて「任務」を継続されていましたね。
当然ながら投降説得は敵の工作という解釈でこれには呼応せず、長年隠れていた場所から出てこられたのは、インドネシアの独立が成功して日本と良好な関係にあるとお知りになってから後だったと聞きます。
のち、故郷にお戻りになりますが、数々の言動から察するに、たぶん中村さんはお亡くなりになるまで日本人だったのだと思います。
【どんなに敵が多かれど、勇猛果敢な久米の兵士が太刀をかざして撃ちてし止まん。 勇猛果敢な久米の兵士が太刀をかざして今撃つぞ。】
因みに久米の兵士とは神武帝に仕えた隼人軍団の事。 隼人は南方の海人系で勇猛果敢な戦闘部族。 高砂義勇隊士はまさに「みつみつし久米の子」を彷彿とさせますな。
http://devlin.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26
何ともいえずに、その関連を見ていたら、やはりありました。
このことを知った韓国人です。
台湾人に返したのなら、韓国人にも返せ。
韓国人に対してこの件は、日韓基本条約により対象になっていないのです。
ただし、日本の敗戦後に台湾を支配した蒋介石は、日本に賠償を請求しませんでした。
郵便貯金を返して欲しいのなら、日韓基本条約で日本が韓国に渡した8億ドルを返していただきたいものです。
ところで、中国に進出した日本企業のことですが、20年くらい前のことでしょうか、こんなことを聞いたことがあります。
中国に投資して利益を上げたら、この利益は日本に送らず、利益を大きくするために再度投資に回してください。・・・・・・利益を日本へ永久に送らせないことが目的です。その内に、大幅な賃上げ、土地の賃貸料の値上げを繰り返すことにより、企業が危うくなる。すると、従業員の退職金や企業の後始末等の問題で企業の撤退を妨害し、企業は撤退と共に倒産してしまうことになる。
忘れられたと思いますが、始めはヤオハン、スワニー社でした。この後、煮え湯を飲まされた企業は、数知れずです。
先日の中国での暴動で、多くの企業が被害を受けました。
野田首相はその被害補償について、ルールに基づいて実施されなければならないと言いました。(これは、日本企業に対して中国政府が補償することを、政府が要求することだと考えていました。)
違ったようです。
損害を受けて企業は、損害保険によって正しい補償を受けることのようです。そして、損害保険会社はリスクの高い保険を嫌がっています。
野田首相は、自分でやる気のないことを言わない方がいいです。この政権が発足したとき、誰かが軽々しく喋らないように、注意していました。
これは相性の問題、つまり日本は海洋国家で、ロシアやシナやコリアみたいな大陸・半島国家とは、距離をとるほどうまくいくということか。
「今頃どうしているだろうか」と思ってしまいます。
日本の焼き鳥を紹介したら感動しましたね。
せめて「デモを取り締まる」側に居てくれ・・・と思います。
なお爆さんのブログを貼りました。
いくらこちら側に心があっても相手が受け入れる心を持っていなければ平行線です。
そういう意味において台湾の方達は心を持っていたという証です。
素晴らしい民族です。
それに引き替え同じ統治をしてもお隣などは、恩義知らずの恥知らず、平気で恩を仇で返す、そもそも生まれ持ってるものが違うと思います。
いくらこちらが「そうじゃないでしょ、間違っていますよ」と言っても相手に理解力がなければ何を言っても無駄だと思います。
支那しかり、韓国しかりです。
余談ですが、高校の修学旅行事情ですが、韓国への修学旅行ずい分取り止めになっているみたいです、やはり皆さんの抗議の現れですね。
しかしおかしな話です、昨今の情勢を考えたら抗議される前に、子供の安全を守り取り止めるのが教育者たる者の責任でしょうに。
教育現場がこれですからお話しにもなりません。
http://blog.goo.ne.jp/jiritsukokka
オスプレイを「来た!」とばかりに、
反日活動に精を出すようです。
国連まで悪用する有様です。
彼は「慰安婦問題は朝日新聞が捏造したもの」として、約20年前の記事と記者の実名をあげて断定しています。しかも、その記者の義母が慰安婦原告団長だというのです。
捏造でないなら朝日新聞は池田氏を名誉棄損で訴えるべきだが「個々のブログの内容についてお答えすることは差し控えます」というだけです。
産経抄は売られたケンカは買って欲しいと閉めています。朝日が葬式を出したいのは安倍自民党総裁だけではなく日本です。日本人は良く知って欲しいと思います。朝日を支援する人は大半が特亜関係の人間ではないでしょうか。
高砂族と吉村巡査とのトラブルの元になったのは言葉の問題ともうひとつ
吉村巡査の心中を察するに恐らく彼らを蔑視した人種差別的な想いが有り
それで高砂族は侮辱されたと怒り狂ったのだと思われます。
そこで日本政府の取った処分は、総督府の人事を刷新して、高砂族に差別
的政策や行動を行う者たちすべてを更迭し、台湾人を日本人として皇民と
して扱うことにした。
それはつまり、世界をひとつの屋根のようにすると言う「八紘一宇」の
精神で日本人、台湾人の差別の無い政策を真心をこめて実施したために
民度の高い高砂族は感動して、日本に忠誠を尽くすようになったのだと
思うのです。
高砂族にはまさに日本精神が芽生えていたのでは無いかと思うのです。
このような日本の「和の心」は台湾ばかりでは無くインド、ミャンマー、
ベトナム、フィリピン、パキスタン、トルコなどアジアの国々で理解
されているのに特ア三国ではどうして理解されないのでしょうか?
十数年ぐらい前ですが、タイヤル族の部落に旅行に行きました。
それは、それは快く我ら日本人一行を迎え入れてくれました。
夕食は山で獲ってきた小さな鹿の子供の肉を振舞っていただき、近所のお婆ちゃんは日本の着物を着てやって来ましたよ。
日本語は現在の日本人より上手(?)です。踊り(日本舞踊)まで披露してくれました。
霧社事件の悲しき話も聞きました。翌日は山中に入り日本軍の討伐隊の陣地跡や野戦病院跡なんかも案内していただき見学させていただきました。
我が嫁の爺ちゃんは先の大戦でビルマ国境近くのタイ領内で死亡し帰ってきませでした。その為、嫁さんのお母さんは父親の顔を知りません。
南方戦線でも高砂族の勇猛で忠義ある働きはよく本などでも目にいたします。
そりゃ~山岳戦では強く、食料調達などの隊を救う程の働きをしたとか・・・
きっと我が爺様も助けられたのかな・・・などと思っています。
タイヤル族の部落に旅行に行った時の数名の女性の一人が私の嫁さんです。
今思えば産経新聞の呼びかけの義捐金、送っておけばよかったと後悔しております。台湾の大地震の時は1ヶ月分の給料の20%送りましたが・・・
読んでいて、つい昔を思い出し書き込みさせていただきました。
今後も日本人として目覚めさせてくれるお話を楽しみにしています。
台湾のChthonic(ソニック)というバンドをご存知でしょうか?
台湾の歴史を歌詞の題材にしていて、高砂義勇隊についてのアルバムもあります。
音楽もPVも格好良いので是非見て下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=heF_NPJbv8Y
http://www.youtube.com/watch?v=e_UkowmQs30&feature=relmfu
ところで、台湾を日本が統治を始めた当初は山地に住む蛮族の抵抗が
凄くて日本軍にも相当な被害が出たと言うことを聞き及んでいました。
それが35年後には、ねずさんのお話のような経緯を経て日本人以上の
忠誠心で勇猛果敢に戦った「高砂義勇隊」が創設されたと知りそうだった
のかと、今まで断片的な知識しかありませんでしたが納得できました。
それは、野蛮人と見られていた高砂族の民度の高さに加えて当時の日本軍
=日本政府の善政の賜であり、それに報いる形で彼らは応えたのだと思い
ます。やはり、そこには人類共通の「心」と言うものがあり台湾人高砂族
という人達は、支那、朝鮮、韓国の人々とは根本的な違いが有るものだと
いうことが良く分かりました。良いお話を有難うございました。
台湾は民度も高いと本当につくづく思います
最近日本国内の墓地に巨大な慰霊碑が増えてまいりました
20m離れても文字が読み取れるほど大きな慰霊碑です
朝鮮人や韓国人の慰霊碑がいくつも並んでいるんです
高さは3~5mはあると思うほど大きいのです
私の住んでいる市内では一番大きな墓地で斎場の正面玄関に近い場所なのでかなり目立ちます
日本の戦没者の慰霊碑の倍もあります
数が多すぎて不気味です