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鬼畜系サブカルチャーの終焉/正しい悪趣味の衰退

鬼畜や悪趣味は数十年間隔で定期的にブームになる。3つ挙げるとすれば、大正末期から昭和初期にかけてのエログロナンセンス文化、戦後混乱期に濫造されたカストリ雑誌群、そして世紀末の『危ない1号』*1を頂点とする鬼畜ブームである

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3つのブームは一見似ているが成立背景が異なり、特に世紀末の「悪趣味」は街が清潔になって汚穢が見えなくなった事の裏返し、怖いもの見たさがあった。

昭和初期も『グロテスク』(1928年-1931年)というインテリ向けの元祖鬼畜本が存在していたが、当局より幾度となく弾圧され発禁処分になったことでも知られている*2

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しかし戦後を迎えると、それまでの激しい言論統制や出版規制から解放され*3、同時に「自由の象徴」として下品で低俗な大衆雑誌「カストリ雑誌が大量に発行されるようになった。これが広く一般に普及したのもまた「悪趣味の時代」だったのではないかと思う。

では90年代の「悪趣味」とは何だったのか?

まずブームの成立過程にはバブル崩壊世紀末」という土壌が大きく作用していたといわれ(加えて宮台真司が95年に案出したキーワード「終わりなき日常」も非常に重要)、特に1995年上半期に起こった阪神淡路大震災地下鉄サリン事件なる「戦後最悪の災害」と類例をみない「国内最大規模の化学テロ事件」が連続して起こったことは、よりいっそう大衆に「世紀末」という意識を強く根付かせた*4

そうした日常の均衡が崩れかけた時代の中で、サブカルチャーが迎えた世紀末とは正に「悪趣味の時代」だったのだ。

この鬼畜・悪趣味ブームはユリイカ』1995年4月臨時増刊号「悪趣味大全」において様々な文化に「キッチュで俗悪」な文化潮流が存在すると提示・宣言されて以来、神戸連続児童殺傷事件が起こる1997年頃まで続いたとされている*5

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唐沢俊一は世紀末に流行した悪趣味ブームの終焉について次のように語っている*6

鬼畜ブーム初期のライターは、村崎さんにしろ僕にしろ、人が読んで顔をしかめるようなネタを書くのは、今の社会の矛盾や醜悪さをカリカチュアしたもの、あるいは拡大して見せたものがすなわちこれだ、目をそむけちゃいけないよというメッセージを伝えようとしてたんだけど、その後に出てきた若い人たちには、単にストレートにグロテスクなものにはしゃいでるだけ、というタイプが多かった。それじゃ一般に拒否されても当然です。それ以降、鬼畜ブーム、悪趣味ブームが急速に終息していったのも当然でした。

唐沢に言わせれば、ただ死体や畸形を持て囃すだけで何ら思想に昇華できてない人間が増えたから悪趣味ブームは終焉を迎えたという

また鬼畜系の元祖的存在であった青山正明ですら「目で見て明らかに分かるグロテスクさに人気が集中している。表層的な露悪趣味に、終始しているんじゃないか」*7と濫造される「悪趣味」に幻滅し、晩年は「鬼畜系」から「癒し系」に転向を図ったぐらいである*8

『危ない1号』の作家で「猟奇犯罪研究家」を自称する特殊翻訳家柳下毅一郎も悪趣味ブームには懐疑的で「死体も殺人鬼も刺激物として喜んでいる連中が大勢いて、それを説教する人も、自制が働く人もいない。ああいうのは、まっとうな人間がやることじゃないという“つつしみ”が、80年代以降なくなった」とぼやく始末である*9

青山は『危ない1号』第4巻「青山正明全仕事」のあとがきで次のように述べている。

94年11月に日本全国で症例50名前後という眼病疾患、奇病MPPEを患い、失明の恐怖を背負いこんで加速度的に“悟り”の境地へ。本書を最後に、“路線変更”を決意……と、まあ、そんなこたぁ、どうでもいいか……

しかし眼病による路線変更とかは実は言い訳で、青山は鬼畜・悪趣味ブームに嫌気がさしての転向ではないかと思う。吉永嘉明によれば青山は「俺は鬼畜じゃない。あれはシャレなのにマジに鬼畜と言われてしまう」という葛藤があったという。青山は「真の鬼畜というにはあまりに感じやすい人」だったのだ。吉永も『危ない1号』を降りた理由の一つとして「作り手より読者のほうが過激になっていった」ことを述べている。

自分が「妄想にタブーなし!」と宣言して書いていた冗談を真に受けて犯罪に走る人間がいるのを青山は負い目にしてた節もあるだろう。実際の青山は健康面にも気を使いすぎるほどの繊細さと人懐っこさを持っていたという。

現実の自己像と鬼畜系のギャップは、青山の鬱を加速させた遠因になったのではないだろうか。ライターのばるぼら「『良識なんて糞食らえ!』のノリを本気で実行する人間が現れることについての想像力の欠如が『危ない1号』以降の青山の迷走につながっている」と推察している*10

鬼畜ライターを自称していた村崎百郎も自身が「鬼畜」であるのに、世間がしっかりと機能してなければ「鬼畜」を名乗れる建前や立場がないのであろう。これについて特殊漫画根本敬は次のように語っている*11

90年代の悪趣味ブームを支えていた人たちっていうのは教養があって知的な人が多かったし読んでいる方も「行間を読む」術は自ずと持っていたと思うんですよ

それに「影響受けました!」っていう第二世代、第三世代が出てくるにつれどんどん崩れて、次第に単に悪質なことを書いてりゃいいや、みたいな”悪い悪趣味”が台頭してくるようになるだいたい趣味がいい人じゃないと、悪趣味ってわからないからね

村崎さんにしろ、オレの漫画にしろ、結局世の中がちゃんとしていてくれないと、立つ瀬がないわけですよ。でも、世の中がどんどん弛緩していっちゃって、もう誰もがいつ犯罪者になるのか、わからないような状況になっちゃったのが鬼畜ブームの終わり以降。とりわけ90年代終わりからここ数年、特に激しいじゃない?

ここまで通して分かるように鬼畜ブームの作家というのは、鬼畜の皮を被っておきながら、ゲスな文脈で反語的に正義や哲学、世の真理といったメッセージを読者に伝えていたわけで、そこには冷徹な観察眼とリテラシー能力があった

しかし、書き手の意図や真意までを見抜けなかった中二病読者や薬物中毒者には、青山も村崎も辟易させられたろうし、不甲斐なさも感じていたはずであ*12

結局、青山正明は2001年6月に引きこもってた実家で「赤いきつね」を食べた直後に首をくくって自殺。村崎百郎に至ってはキチガイの逆恨みを買って、2010年7月に自宅で滅多刺しにされて殺されてしまった*13

やはり鬼畜ブームで一番ゲスだったのは、書き手でも何でもなく表面的にしか文章を読み解けない無知文盲な読者達だったのだ。こうした鬼畜ブームを象徴する最悪の例酒鬼薔薇聖斗その人なのである。

ニッポン戦後サブカルチャー』の講師である宮沢章夫は次のように述べている。

おそらく『危ない1号』において青山が発したメッセージの「良識なんて糞食らえ!」にしろ「鬼畜」という概念にしろ「妄想にタブーなし!」にしろ、すべて「冗談」という、かなり高度な部分におけるある種の「遊び」だったはずだ。しかし、良識派に顰蹙をかうのは想定内だっただろうが、一方で冗談が理解できずにまともに受け止めた層が出現したのは想定外だったということか。

その後はインターネットの普及もあって往事の雑誌ブームは跡形も無くなり、サブカル系雑誌も軒並み潰れ「理知的な悪趣味」は失われていった。その代わり、2ちゃんねる的な匿名性を持った無責任で無秩序な「デジタルの悪趣味」が台頭するようになる。

死体写真やフリークス、いわば見世物小屋的な露悪趣味は、サイト上の不謹慎な動画・画像コンテンツ(いじめ/強姦/屠殺/リンチ/戦争ポルノ/リベンジポルノ/自殺配信etc...)へと推移していき、ドラッグやロリコンなどのアングラ情報は深層ウェブに偏在していった。

特殊編集者今野裕一ペヨトル工房主宰/夜想編集長)は、ネット以前と以後のブラックユーモアの違いについて次のように述べている*14

少なくとも村崎百郎がいた90年代前半ぐらいまでは、ブラックなものを笑い飛ばすような楽しさがあったし、実際にうつ病っぽい子でも、まぁ何とかやっていけてたんだよねそれがネットが出てくるようになってから、なんだか現実の死まで行っちゃうような、実際に死んだり病んだりするところまで行ってしまうってのはね、昔はなかったですよ。本当の意味でのヤバさみたいなものが現れるようになってきた

今まで僕や村崎がやってきたようなのとは全く違う、単にネガティブな思いがだだ漏れになってきたブラック95年以降、本当にそういうのに触れる機会が多くなったで、村崎もそういう新手のブラックは処理し切れなかったのかもしれない。

また今野は、2ちゃんねる的な悪趣味を「デジタルの悪意」とし、弟子にあたる村崎百郎の「ゴミ漁り」といった悪趣味は「アナログの悪意」として完全な別物として捉えている*15

村崎や僕がやってきたブラックっていうのは「今朝ゴミ漁りやってきただろ」とか、身体的にわかって共有できた。だけどネットで走っている言葉の裏にある悪意って、身体的につかめない

2ちゃんねる的な、 暗闇でいきなり後ろから殴り倒すみたいな風潮は村崎とは対極的な位置にあるネガティブさで、日本文化の大きなマイナスになってきているよね。言葉が勝手に走っていってしまうようなのはまったく新しい現象で……ものすごいスピードで言葉が流れていく中で、真意が見えないまま、言葉に書かれている別の意味を勝手に読み取り、物語を作ってしまう夜想』もブラックなものには触れてきたけど、それとは対極な部分でのブラックだと思う。

これは新しい時代の新しいブラックの誕生だろうけど……村崎に実はデジタルな悪意はなかったひどいことを言いながら、ダメな奴を励ます。「お前もダメだけど、俺なんかもっとダメ、だけどこんな人間でも立派に生きてるんだぜ」って。生きて生き抜いて他人に肉体を擦り付けながらイヤミを言うのがあいつのやり方なんだけど、それって結局「生きろ」ってことでしょ。

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最後に青山正明の没後村崎百郎寄稿した事実上の追悼文を引用して終わらせて頂く。

サブカルチャー”や“カウンターカルチャー”という言葉が笑われ始めたのは、一体いつからだったか? かつて孤高の勇気と覚悟を示したこの言葉、今や“おサブカル”とか言われてホコリまみれだ。シビアな時代は挙句の果てに、“鬼畜系”という究極のカウンター的価値観さえ消費するようになった。

「──鬼畜系ってこれからどうなるんでしょう?」

編集部の質問に対し、単行本『鬼畜のススメ』著者であり、故・青山正明氏とともに雑誌『危ない1号』で“電波・鬼畜ブーム”の張本人となった男・村崎百郎の答はこうだった。

鬼畜“系”なんて最初からない。ずっと俺ひとりが鬼畜なだけだし、これからもそれで結構だ。

次に主張しておきたいのは青山正明が鬼畜でも何でもなかった」という純然たる事実である。これだけは御遺族と青山の名誉の為にも声を大にして言っておくが、青山の本性は優しい善人で、決して俺のようにすべての人間に対して悪意を持った邪悪な鬼畜ではなかった。『危ない1号』に「鬼畜」というキーワードを無理矢理持ち込んで雑誌全体を邪悪なものにしたのはすべてこの俺の所業なのだ。

俺の提示した“鬼畜”の定義とは「被害者であるよりは常に加害者であることを選び、己の快感原則に忠実に好きなことを好き放題やりまくる、極めて身勝手で利己的なライフスタイル」なのだが、途中からいつのまにか“鬼畜系”には死体写真やフリークスマニアやスカトロ変態などの“悪趣味”のテイストが加わり、そのすべてが渾然一体となって、善人どもが顔をしかめる芳醇な腐臭漂うブームに成長したようだが、「誰にどう思われようが知ったこっちゃない、俺は俺の好きなことをやる」というのがまっとうな鬼畜的態度というものなので、“鬼畜”のイメージや意味なんかどうなってもいい。

(中略)ドラッグいらずの電波系体質のためドラッグにまったく縁のない俺だが、それでも青山の書いた『危ない薬』をはじめとするクスリ関連の本や雑誌のドラッグ情報の数々が、非合法なクスリ遊びをする連中に有益に働き、その結果救われた命も少なくなかったであろうことは推測がつく。こんな話はネガティヴすぎて健全な善人どもが聞いたら顔をしかめるであろうが、この世にはそういう健全な善人どもには決して救いきれない不健全で邪悪な生命や魂があることも事実なのだ。青山の存在意義はそこにあった。それは決して常人には成しえない種類の“偉業”だったと俺は信じている。

 

— 村崎百郎非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み太田出版アウトロー・ジャパン』第1号 2002年 166-173頁

追伸

この記事を書いたのち、90年代鬼畜系サブカルをめぐって、当事者でもない余所者の人間が現在の視点から当時を読み解こうとしてことごとく失敗し、ほぼ主観的な目線と、取るに足らない無価値な一般論から、ブーム全体を断罪あるいは懺悔する不毛な風潮があらわれ、どうにも消化できない違和感を覚えていた。

まるで根拠も証拠も論拠もない、そいつらの勝手な思い込みや妄想で、このまま90年代サブカルの捏造および歴史修正主義が進めば、かえって時代に「歪み」が生じて理解の妨げになり、それこそ「差別的」で「危険性」はないのかと、論争当初から私はこの論争自体に完全に不満を覚え、怒りにも呆れにも似た情けない感情が、日に日に募っていった(ほとんど根本敬の言う「お前は黙ってろ!」案件である)。

そうした流れでロマン優光が書いた論考は、90年代サブカルを「本質的」に理解する上で唯一参考になるものだった。是非そちらの方も御一読願いたい。

*1:青山正明の率いる「東京公司」のメンバーが1995年7月に創刊したムック本。データハウスから全4巻が刊行。鬼畜ブームの先駆けであり、商業的に成功したという意味でも特異な存在。後発の便乗本も数えきれないほど出版され、サブカル界を巻き込んだ一大ブームとなったが、それでも『危ない1号』を超える鬼畜本と、青山正明を超える人間は未だ現れていない

*2:昭和初期のエログロナンセンス文化を代表するサブカルチャー専門誌。編集長は梅原北明。1928年(昭和3年)創刊。当局より幾度となく弾圧を受け、グロテスク社、文藝市場社、談奇館書局など当局の弾圧をかわすために発行所を変えつつ、1931年(昭和6年)まで全21冊が出版された。発禁処分の際には新聞に『グロテスク』死亡通知の広告を出した事でも有名。

*3:だだし戦後に表現が大きく解放されたとはいえ、刑法175条のわいせつ物の頒布等の取り締まりによって、カストリ雑誌ゾッキ本の摘発が相次いだ。またチャタレー事件など文学作品も「公共の福祉」に反すると弾圧された例がある。PTAが主導した有害図書追放運動や手塚漫画の焚書など、正義の暴走とも取れる一連の運動は、戦後の表現多様化に追い付けない大人達の「老害」では無かったのだろうか。日本国憲法で保障されている「表現の自由」も時代と共に揺らぐ不明瞭で曖昧な存在なのだ。このへんは現代社会論の授業でも取り上げられている

*4:20160619ニッポン戦後サブカルチャー史

*5:根本敬ブームの終焉を見たなと思ったのは『ホットドッグプレス』(96年8月25日号)で悪趣味特集やった時ね」とも述べている。その後、神戸の重大事件を受けて本屋の鬼畜・悪趣味コーナーは縮小に向かいブームは収束していった。

*6:アスペクト刊『村崎百郎の本』220頁より。

*7:世紀末カルチャー 残虐趣味が埋める失われた現実感

*8:新人類世代の閉塞 サブカルチャーのカリスマたちの自殺

*9:世紀末カルチャー 残虐趣味が埋める失われた現実感

*10:天災編集者! 青山正明の世界 第66回『BACHELOR』における青山正明(3) - WEBスナイパー

*11:アスペクト刊『村崎百郎の本』334-339頁より。

*12:これこそ彼らが興隆していく悪趣味ブームとは対照的に年々活動を縮小させていった大きな理由になっているのではないだろうかと邪推する。

*13:2010年7月23日午後5時頃、村崎は読者を名乗る32歳の男性に東京都練馬区羽沢の自宅で48ヶ所を滅多刺しにされ殺害された。自ら警察に通報して逮捕された容疑者は精神病により通院中で、精神鑑定の結果、統合失調症と診断され不起訴となった。

*14:アスペクト刊『村崎百郎の本』126頁より。

*15:アスペクト刊『村崎百郎の本』127頁より。