エイチ・アイ・エス(HIS)の会長兼社長の沢田秀雄氏は、1980年にその前身となる旅行会社を設立し、経営トップの道を歩み始めました。ハウステンボス(長崎県佐世保市)のほか、エイチ・エス証券をはじめとする金融系会社を傘下に持つ沢田ホールディングスなど多くの企業を率いる沢田氏は、経営者やリーダーに必要な条件、資質をどう見ているのでしょうか。
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リーダーで一番大切なのは、将来の夢や目標、3年先、5年先、もしくは10年先のビジョンをきちっと語れることです。でないと皆、どこに進むかわからず、ただ意味もなく働いている集団になってしまう。「将来、こういう会社にしよう」と社員に語りかける。あえて言えば、世のため、人のためといった志の高い目標があった方がいいですよね。下にいるスタッフが多ければ多いほど、世の中のためになるとか、地域のためになるとか、そうした夢やビジョンを語れる器の大きな人間であることが大切になります。
■会社の行く先は? 社員と目標共有
2010年に僕がハウステンボスを再建するため、社長として乗り込んだ時、社員には「まず黒字にしましょう」と言いました。そして「いずれ、東京ディズニーランドを利益で追い抜こう!」と語りかけました。再建は、そこから始まったんです。夢や目標を語れるのが経営者の第一の条件です。
2番目は、やはり人間性です。人間性が良くないと経営者はダメですね。悪いことをするとか、人をだましてでももうけてやろうというような心持ちの人は経営者失格です。そうやって短期的には利益が出たとしても、後が続かない。人格、人品の良い経営者が最後には勝ちます。
3番目は、手がけている仕事のビジネスモデルが優れていることですね。どれだけやってもダメなビジネスモデルというのはあるんです。どれだけ努力しても業績が上がっていかないとか、もうからない、うまくいかないとか。事業をきちっと把握して、「成長する」「利益が出る」というビジネスモデルを構築できる人がトップに就くべきです。
ベンチャー経営者の皆さんは、だいたいそこで悩んで、つまずくんです。ハウステンボスでは、よほどのことがない限り、年70億~100億円の経常利益を出せるビジネスモデルができあがったと思っています。僕がくる前は、もうからないビジネスモデルでした。この先、さらに利益を上乗せしていくには、もう少し工夫が必要ですが。
赤字の会社に入って最初に何をやるか。もちろん経費を削減したり、売り上げを増やす算段を考えたりはするんですが、基本は「もうかるビジネスモデル」をつくり上げることです。利益が上がり、成長するビジネスモデルを必死に考えるのです。
■「運」を見極めるのも経営者の仕事
もうひとつ、4つ目の条件を挙げれば、やっぱり「運」があることです。人生は長いから運の悪い時もあれば、いい時もある。僕が言いたいのは、運を大切にする意識を持つことです。できるだけ、いい企業やいい人と付き合う。運には「天の時」、つまり流れというものがあるから、それに合った事業展開をしていくことが大切ですね。そうすれば、運を自分の味方につけられるはずです。
「今は逆風だな」と思ったとき、道は2つありますよね。じっと耐えて流れが変わるのを待つのがひとつ。雨も嵐も台風も、いずれ去って行きます。そこで満を持してアクセルを踏むというやり方です。もうひとつは、逆風を突破するように思い切ってぶつかっていく方法です。
HISでも、こんなことがありました。90年代前半、バブル崩壊で不景気になって海外旅行が大きく落ち込んだのです。海外旅行ブームは終わり、これから市場の縮小はあっても拡大はないとしきりに言われました。同業他社は皆、戦線の縮小にかじを切っていました。HISも守りに入る手もありましたが、僕は歴史も浅い会社だし、若い人が多いので、思い切って勝負に出ようと考え、新宿に日本一大きな旅行店舗をつくりました。これが大成功して上位の旅行会社に近づくことができました。逆張りの発想で成功したわけです。
■「早すぎた」 スカイマークで苦労
一方、今では日本の格安航空会社(LCC)の先駆けとされるスカイマークエアラインズ(現スカイマーク)では、むちゃくちゃ苦労しました(笑)。スカイマークは、あまりにも早すぎた。もう数年待っていれば、LCCの時代が本格的に訪れていた。航空運賃の価格競争が起こるという読みは正しかったのに、時期尚早でした。
旅行業のHISは人材が資本のソフトの会社なので、事業に多額の資金は必要ありません。でもスカイマークはハードのビジネスだった。航空機は1機100億円の投資になります。2機で200億円。ハードのビジネスは、ある程度採算が合うようになるまで設備投資をし続けなければならない。航空会社の場合、10機ぐらいは保有しないと難しいんです。スカイマークにはその資金力がなかったし、資金力が必要という認識も甘かった。
大手航空会社が大きな力を持っていて、同じ路線でまともに低額の運賃をぶつけてきました。大と小の戦いです。最終的には黒字にして売却しましたが、そこまで苦労の連続でした。
ホテルの宿泊予約サイトの「スマ宿」は、12年に始めました。ところが、先行するエクスペディアなどネット・IT(情報技術)系の牙城を崩すのは難しく、17年に撤退しました。ネット系ビジネスは、先行してマーケットを取った企業が優位に立ちます。ずっと赤字続きになるのが目に見えていて、負ける戦いをやっても仕方がないと思いました。僕も結構負けているんですが、あまり公言しないから成功しているイメージがあるだけ。しょっちゅう負けていますよ(笑)。
失敗したとき、経営者が取るべき道は2つに1つです。撤退するか、どこに問題があるかを突き詰め、改善してもう一度チャレンジするかです。ハウステンボスの再建でも、数ある失敗を糧にして、成功事例を増やしていきました。
■ハウステンボス再建、イベント試行錯誤
僕は最初、ハウステンボスの再建をちょっと甘くみていました。しかし、社長になってみたら、長崎は日本の西端にあってマーケットは小さく、アクセスも悪かった。テーマパークは人口の多い大都会の近くにあるから成立するビジネスです。利用者の7割は周辺から来るんです。ところがハウステンボスは周辺の人口を足しても、とても数百万人にはならない。人気イベントでお客を呼び込まなければならないと悟りました。
「やるんだったら旬のもの、オンリーワン、ナンバーワンのイベントにしなければ」と考えました。実際、中途半端なイベントは失敗しました。例えば、陶器市。人がさっぱり集まりませんでした。九州は多くの陶器市が開かれる土地柄で、それを上回る魅力がなかったのでしょう。再建に貢献したのは、こうしたトライ・アンド・エラーの経験を積んだなかから生まれたイベントでした。
旬を意識したのは人気アニメ「ワンピース」に登場する海賊船を模した遊覧船です。これには、子ども連れがわんさと押し寄せました。次にヒットしたのが「100万本のバラ祭」です。これはシニア層に受けました。ナンバーワンのイベントとしては花火大会があります。それまでも夜に花火を打ち上げていたのですが、ちょろちょろと小出しで迫力がなかった。そこで「九州一の規模でやれ」と指示を出して準備したら、名物イベントになりました。
寒くて人が集まらない冬には、「日本一の光のイルミネーションイベントをつくろう」といって700万球のLED(発光ダイオード)電球をつけ、園内をきらびやかに飾りました。これが大成功で、今では1300万球に増やしています。
こうして冬の夜の集客イベントができて、ハウステンボスで「二毛作」ができるようになったのです。以前は、夏に集客し、観光客が少ない冬は夏に稼いだ利益でしのいでいた。それが「夏も稼いで冬にも稼げる」テーマパークに変身したわけです。これがビジネスモデルなんです。僕は、そんなに難しいことはやっていない。もうかるビジネスモデルを考えていたら、ぶちあたったのです。
沢田秀雄
1951年大阪府生まれ。73年、西ドイツのマインツ大学に留学。日本に戻り、毛皮製品の輸入販売などを手掛ける会社を設立。80年にインターナショナルツアーズ(現HIS)を設立し社長に。96年、スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)を設立。2010年、ハウステンボス社長に就任。
(シニア・エディター 木ノ内敏久)
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