恋は盲目、とはこのことで、僕は『(旧)エヴァ』を(オタク第二世代の精神で)必死に護り続けていたのかも知れない。

『(新)ヱヴァ』を観る度に幻滅し、世界観をぶっ壊すような訳の解らないタイアップキャンペーンやCMなどに辟易し、『エヴァ』は終わったな、と感じるも、「いや、『(旧)エヴァ』は違うんだ、あれは名作なんだ」と、頑なに信じ続けた。
それは負けを認めたくない、僕の意固地だったのかも知れない。


しかし、今なら言える。
『新世紀エヴァンゲリオン』こそが、この「幻滅」に満ちた日本アニメゼロ年代、そして10年代の元凶だったのだ、と。


今もTwitter上では僕へのディスりが止まらない。
しかしその大半は「売れれば勝ちに決まってるじゃん」「お前負け犬なのに何吠えてるの?病気なの?」「『エヴァ』は日本アニメの頂点!絶対不可侵!」の大合唱だ。

しかし、「オタク第三世代」以降はもうどうしようもないから、「第一世代」「第二世代」に物申したい。


オタクって、こんなんでしたっけ?


『ガンダム』は大ブームとなった80年代でも、賛否の激論が交わされたと聞く。
いや、そう言えば、『エヴァ』も例の25、26話、そして劇場版が俎上に上げられ、「庵野、殺す!!」とかパロディ化されるくらいの大激論になったのを思い出す。

しかし20年経てば、見ての通り「『エヴァ』真理教」の完成だ。

皮肉なもので、『エヴァ』が誕生した1995年は、オウム真理教事件(地下鉄サリン事件)があった年だ。
「狂信者」への批判的な眼差し、オカルト・オタク文化がまたしても逆風を浴びる中、『エヴァ』は始まった。
僕らは当時「オウムは信じなくても『エヴァ』は信じる!」と決意して、OAを見守った。

いや、当時もオウムの代替物として『エヴァ』に嘱託する向きもあったかも知れない。


「オウム」の反省からか、オタクにはその後冷笑主義がはびこった、とは以前「オウムとオタク」で書いた。
いやしかし、オタクの心性が根本からそんな急に変わる訳はなかった。

明日にでも「オウム」にならんとしていた、その可能性があったオタク達は、冷笑主義や売上至上主義という一見俗世の価値観になぞらえながらも、密かに『エヴァ』という変わり身にその狂信的な承認欲求を託していたのだ。

しかしそれだけなら、ああ狂信的だね、カルトだね、で終わっていたかも知れない(終わらせてはいけないが・・・)。
肝要なのは、アニメを「信じる」ために隠れ蓑として使っていた冷笑主義や売上至上主義がひとり歩きし始め、作品度外視の「多数決ゲーム」に移行してしまったということだ。


「売れれば勝ち」という言葉は実に重い。
アニメが文化であること、文化にならんことを拒絶する、絶望的な瞬間に直面させるからだ。


ベートーヴェンは晩年、パトロンを持つことを拒んだ。
自分の芸術は貴族のおもちゃではなく、広く大衆に響くものだと確信し、またそのために啓蒙しようと必死だった。

しかし当時の大衆が熱狂したのはロッシーニ。
ベートーヴェンとは比較にならない程の成功を収め、支持されていた。
「売れれば勝ち」というならば、ベートーヴェンは負けたのだ。

そりゃベートーヴェンもヤキモチを焼くだろう。
「お前は所詮オペラしか書けねぇよ」とロッシーニ本人に言ったとか。

大事なのはベートーヴェンが後に世界的に、歴史的に頂点に立った、ロッシーニに勝った、とかいうことではない。
今クラシック音楽ではベートーヴェンも、ロッシーニも平等に、広く聴かれている。
「勝ち負け」などで評価を定めない、それが「文化」の鉄則だ。


僕はまぁそんなに成功したかと言えば、そこまでだというのは認める。
しかし未だにテキトーなこと書いただけでYahho!ニュースに載ってしまうくらいの立場にはなった(お前ら悔しかったら載ってみろ?犯罪起こさないと無理だろ?)。
そして『残酷な天使のテーゼ』に対しても、そもそも僕が学生時代の曲だ、歴史上の存在だ、ヤキモチの焼きようがない。
学生時代、自分の信念を預けた作品にどうして勝った負けたを競う必要があるのか?
『エヴァ』の歴史的意義を考え始めて、そのきっかけとして内容を省察して「それほどのものか?」と言ったまでだ。


しかし彼らは「売れれば勝ちです」と言い放った。これが翻って、何よりの証拠となった。
化けの皮がはがれたのだ。
今アニメ業界が直面する大問題が、とうとうバレてしまったのだ。


本当かどうか知らないが、庵野さんも『(新)ヱヴァ』のスタッフ決起集会みたいなもので、
「みなさん、お金儲けしたいですかー!?」
と、言ったという。

金儲けが悪いとは言わない、しかしアニメを先導してくれた先輩達が、そんな姿勢では困るのだ。
アニメが「文化」にならないのだ。
宮﨑さんのように「客なんかひとりも来なくっていいんだよ」とかブツブツ呟きながら、創作してほしいのだ。


「厨二病」「冷笑主義」「売上至上主義」、今のオタク文化を形作る様々な(ネガティブな)要素が、『エヴァ』のもとに集結し、(悪い意味で)ハイブリッドされてしまった。
何度も言うが、これが日本アニメの20年だ。


しかし更に言っておきたいのは、『エヴァ』を今更糾弾したところで、オタクのこの歪んだ心性が変化するはずもないということだ。
もっと俯瞰した目線で、『エヴァ』とオタクの20年史を、冷静に見直す必要がある。


これまた何度も言うが、今、アニメが「ビジネス」で終わるのか、「文化」になるのかの瀬戸際だ。
例えば浮世絵は今でこそ世界的な評価を受けているが、日本では「ビジネス」の中に埋もれ、滅んだ。
アニメもそうなる可能性が非常に大きいと思う。


皆さん、『エヴァ』を冷静になって観ましょう。
そしてオタク文化の虚栄の仮構に目を向けましょう。

「理性を眠らせず」、アニメを観ましょう。

でなければ、今年高畑勲を失ったアニメが瞬く間に崩れていくのは、自明だろう。