先日の打ち合わせで、スタッフのU氏が鋭い指摘をしていた。
「今アニメっていうのは、ビジネスで終わるのか、文化として認められるかの瀬戸際ですね」
彼はアニメをそんなに知らないのだが、その指摘は見事だと思う。
一方で先日の金曜ロードSHOW!『かぐや姫』の視聴率が10.2%だったそうな。
あんまりだ。
大衆は高畑さんを見捨てたのか?
やはりと言えばやはりなのだが、高畑勲の死をきっかけにアニメ界の地殻変動が恐ろしいスピードで進んでいるようだ。
アニメを大衆に支持された状態で「文化」にまで持って行く、その途方もない偉業が、指一本分届いたようで、しかしここで限界に来たのを強く感じる。
あとは宮﨑さん、そして富野さん、このお二方がどこまで頑張れるかだが、年齢的にもそれを期待するのは酷であろう。
絶望的な心境だ。
僕達は「アニメは大衆芸能でいいんだ!」という開き直った、非文化的な声に抗う。
アニメをバカにするな。お前らだけがバカでいい。
すべての表現が、それはお笑いでもエロでも一緒だ、それが「文化」にまで辿り着くための最大限の努力を放棄して、いったい何がいいというのだ?
それ以前に、果たしてそれが面白いのか?
TV業界がまさに今、その見極めが全然できていないから、「文化」に辿り着かぬまま衰退しているのだ。
『グレイテスト・ショーマン』が素晴らしいのは、フリークスの見世物小屋を「文化」にまでのし上げようとする人々の苦闘と、そこから転じて「映画ももっと進化するべきなんだ!」という監督以下製作者の気概を見たからだ。
映画も「文化」だ。文化でなければならない。
最初のU氏にはこう返した。
「クラシック音楽は、パトロンで持ってたんですよ。王侯貴族の趣味で。だからモーツァルトもベートーヴェンもワーグナーも多くの作品を残せた。今はCDこそ売れないけど、コンサートホールはお客で一杯ですよ?まぁちょっとセレブ入った人々の嗜みになっているのかも知れないけど、でも確かにこの国においても『文化』になったのです」
「ジブリは徳間康快というパトロンがいたから、ここまで来たんです。経営難の時に宮﨑さんが新社屋を建てる!と無茶言い出して、周囲が唖然とする中徳間社長がOKを出したんです。だからこその今のジブリなんですよ?」
宇野さんが最近繰り返す「オタクはサポーターになるべきなんです!」という主張も、これに近しいだろう。
アニメは今「文化」になり得るのか、「ビジネス」で終わるのか。現実的な判断が迫られているのだ。
だってもう「ビジネス」としては成立してないから。
選択肢はもうないのだ。