美と醜は姉妹関係にあり、一方は他方にとって必要不可欠なものであることは、かつては当然のことであった。昔の音楽理解においては、醜いものや荒削りなものは重要な位置を占めてたのだが ― われわれの音楽理解にそうしたことはほとんどない。われわれは芸術作品を、もはや全体として、多層的な切り口において理解しようとはしない。われわれにとって価値があるのは、もはやただ一つ、完全無欠の美しさというひとつの構成要素にすぎないのだ。
われわれはもはや音楽を通じて人が変わることは望まない。ひたすら美しい響きのなかに耽溺したいだけなのである。(ニコラウス・アーノンクール)

 
上の引用はその通りだと思う。Fair is foul, and foul is fair.

でも結局良く解らなかった指揮者。アーノンクール。
その主張も注目に値するものだったが、それが音になってたかというと・・・。

晩年はブルックナーとかも取り上げていたが、やっぱり古楽の人だよね。
「新即物主義(ノイエ・ザッハリッヒカイト)」とも言われた彼の解釈は、確かにクールだったけど、でも無味無臭。
水が一番美味しいよね!って言われて、まぁ僕も水は好きだけど、しかしそれだけでは味気ない、と言った感じ。

VPOのニューイヤーコンサートにも度々登場したが、そこでも「水が一番旨いよね!」と言わんばかりの演奏で、いやいやいや、正月くらい酒で酔わせろよ!と思って聴いていた。

でも首尾一貫した頑固一徹なオヤジ感は好き。
もう「巨匠」と言える指揮者、ほとんどいないなぁ。