2007-02-16 ソウルからピョンヤンまで。http://s.hatena.ne.jp/images/add_dg.gifhttp://cdn-ak.d.st-hatena.com/diary/mizunowa/2007-02-16.jpg
【写真】
アジトから浜手へ徒歩数分、大安亭市場のアーケード。タマヤ商店(豚肉専門店。ここの焼き豚は絶品!)前から東に向って撮影。この位置から撮ったら寂れて見えるが、そんなことはない。須磨区の板宿、兵庫区の東山と並んで、震災後も踏ん張っている市場の一つである。特に朝鮮料理の食材屋が充実していて、仕入れに来る焼肉屋さんも多い。
12日の「趙博 唄うサイン会」にかかわって、「わての安っぽい感想は書かない」と記したが、忘れないうちにひとつだけふれておきたい。
ソウルからピョンヤンまでの距離は、日本にあてはめると大阪・広島間に相当する。タクシー代〈5000円〉は、韓国語の元歌では〈5万ウォン〉。円が下がった今なら6000円ちょい、にあたる。経済格差を差し引いても、韓国の交通費は安い(という以前に、日本の交通費がべらぼうに高すぎる)のだが、ぢつはこの程度の距離……なのだ。新幹線なら1万円ちょいで2時間もかからない。それが、いまだ自由に往き来できない。少なからぬ日本人が何も知らんということ自体嘆かわしいのだが、戦後復興期の日本に特需景気をもたらした朝鮮戦争はあくまで休戦、いまだ終戦に至っていないのである。離散家族の悲劇はいまも続く。韓国における、北朝鮮による拉致被害者の数も、日本のそれとは比較にならない。
学校でろくすっぽ近現代史を教えてこなかったおかげで、日本による朝鮮半島への植民地支配すら知らぬ者も少なくない。挙げ句、日本軍慰安婦を否定する輩までもが跋扈し、歴史教科書の「慰安婦に関する記述」も、全社消滅してしまった。ほなアレか? ワシらがやってきたことはみんな幻やったんかい!? 〈永野茂門法相による公娼発言に抗議しての元慰安婦15人突発来日事件〉(1994年5~6月)に関わった一人として、この怒りを何処にぶつけたらいいのか……。
話が脱線した。
その一端には、私の身内も深く関わっている。
泊清寺さんとウチで復刻版を刊行している、島の青年団体「沖家室惺々会」の機関誌「かむろ」(1914~40年、通巻158号)に頻繁にその名が出てくる木村勇二郎は鉄鋼や高麗人参で財をなした実業家で、その連れ合いの弟にあたる父方の祖父はそこの金庫番をしていた。
高麗人参は土の精を吸い尽くす。収穫をすませた後、数年は畑を休ませる必要がある。財をなすには相当の土地が必要だろう。いまの山口県くらいの面積の畑を持っていて、小作料をとって歩くのに3ヵ月かかったと父は云うが、あながち誇張とは思えない。そして政商ゆえだろう。朝鮮総督府との関わりも深く、木村勇二郎と牛島満中将が一緒に写った写真もあったと聞く。
時代性に鑑みて当然であろうが、「かむろ」の誌面で、「海外雄飛」する島人の発展を称える記事こそあれ、植民地支配を受けた人々の憤怒に対する視線は全くない。
父方の実家は1943年に沖家室島に引き揚げてきた。実家の離れの2階に下宿していた当時の小学校長の息子がそれを見て「お母さん見てござれ、お局様のお通りぢゃ」と云った。「お局様」とは父方の祖母であり、文明堂のカステラの筺(今もそうかな?)みたいな感じでお女中さんが後ろから日傘をさして大名行列よろしく歩いてきたのだという。
木村家は敗戦後のどさくさで引き揚げが遅れ、植民地朝鮮で得たすべての財産を喪った。島の旧家として栄えた父方の実家も、こう云っちゃアレだが戦後は没落した。「移民先で儲けたカネが身に付いた者はおらん」と祖母がよく話していた、と母は云う。これが実感というやつか、母方の実家は父方と違って〈由緒正しきど貧民〉だった。
父方の一家だけでない、島の人々の「海外雄飛」の蔭で、植民地支配のもとでどれほどの人が泣かされてきたのか――そのことを思わずにはいられない。戦前戦中の朝鮮や台湾での暮らし向きは、いまも島の年寄りたちの思い出話である。それはそれで仕方ないのかもしれない。が、戦後世代である私たちまでもが単なる〈思い出話〉の域にとどまっているようでは先はない。
北朝鮮はケシカラン。そりゃあ〈当たり前田〉のセサミハイチぢゃ。でも、こんな難儀な国、南北分断を生み出したのも、ほかならぬ私たち日本人だ。世襲による金正日体制の恐怖政治、これなんか戦前の絶対天皇制大日本帝國のコピイぢゃないか。テレビのワイドショーなど〈北の脅威〉と〈拉致事件〉、それに〈北の恐怖政治〉を煽るばかりで、〈飢餓に苦しむ北の人々を救うにはどうすればいいのか・何ができるのか〉〈南北統一に向けて、これから日本はどうすべきか〉という視線はない。電波を流す側・受ける側の、この傍観者的態度は断じて許さん。北朝鮮を「怖い」と云うたり嗤ったりするのはたやすい。だが、それに嵌ってはいけない。植民地支配者の末裔として、切に思う。
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